101話 『妹が慌てる』
百合は土手の裏側に隠れつつ、精神を集中。
右腕、手首から先を毒霧に変化させた。
『伯母上……伯母上!』
グロリオサ同士にしか分からぬ、霧を震わせて作る信号を発信。
昼子は信号を感じ、火バサミで空き缶を拾いながら、自身も右小指を霧化させ返信した。
『あらあら百合ちゃん。近くに来ていたの? 遊び歩く暇があるなら、修行でもしようとは思わないのですか?』
『うっ……そ、それよりも、どうして真奥くんと一緒にいるのだ!』
『嫌だ百合ちゃん。開口一番文句ですか? 自身の未熟さを棚に上げて、不平不満ばかりですね?』
相変わらず嫌味な親戚に、百合は珍しく強気に言う。
『
語末はあまり強気では無かった。
『手を出すな、と言われた覚えはありませんが? 家長の言葉は「放っておけ」でしたが?』
『に、似たようなものだ……です!』
『今回はボランティア活動で偶然一緒になっただけ。『グロリオサ』として近づいた訳ではないのですけど? 何か文句があるのですか?』
いけしゃあしゃあとした態度の昼子。
百合は「伯母上がボランティアなんてするわけないだろ!」と言おうかどうか迷うが、怖くて結局言わなかった。
『それより百合ちゃんの方こそ、どうしてここにいるのかしら? そう言えば、真奥輝実は例の『百合ちゃんと別荘でしっぽり』の子でもありましたけど……?』
『うにゃあ!? そ、それは今関係無い……それにしっぽりとかじゃなくて、ただの部活合宿で』
『ああ。もしかして百合ちゃんは、この男子の後をつけているのですか? ストーカーですか?』
『にゃ、ち、ち、違……違うー!』
『生徒に惚れてしまったのですか?』
『違ううううう!』
毒霧の信号が途絶えた。
百合が、
「うああああ! 私は教師なのにー!」
と叫び、その場から逃げたのである。
「今何か、聞き覚えのある声が……?」
「気のせい、だよ……にーちゃん」
百合の声に気付きかけたテルミに対し、莉羅は誤魔化した。
無論、莉羅はグロリオサ二人の会話に気付いていたが、兄に伝えるとゴチャゴチャ面倒臭い事になりそうだと考えたのである。
テルミはしばらく周りを見渡したが、結局妹の言う通り気のせいだろうと片付けた。
その代わり、別のちょっとした異変を発見。
昼子の右手が何かおかしい。
「昼子さん、右手から緑色のモヤが出てますけど」
「出てませんが?」
「でも緑の」
「出てませんが?」
澄ました顔の昼子に、テルミも「まあ問題は無さそうだし良いか」と思い、それ以上追及するのをやめた。
そして昼子の霧化を今更ながら初めて見て、本当にあの『忍者』と同じ組織の人間なんだな、と感心した。
◇
「うぅ……クールでオトナな私とした事が、また失敗をしてしまった……」
数分後。早くも百合が戻ってきた。
せっかく買った服や小物が入っている袋を、土手に置き忘れてしまったのだ。
「まだ真奥くんや伯母上はいるだろうか……いるだろうな……」
緑色の霧に変化し、上空からこそこそと河原の様子を伺う。
すると、ボランティア清掃団はいなくなっていた。
「別の場所を掃除しに行ったのかな。それとも終わって解散した? 何にせよ、今がチャンスだ」
霧のままでは荷物を持てないため、百合は人間の姿に戻った。
無事であった買い物袋を抱え、そそくさと帰宅しようとする……と、
「九蘭先生?」
「うああ、真奥くん!?」
背後から声をかけられた。
テルミ達は帰った訳ではなく、堤防裏側にある並木道の清掃活動をしていた。
百合はせっかく空に浮いていたというのに、河原の方しか見ていなかったのである。
少し離れた場所では、莉羅とレンがプルタブの輪っか部分を指にはめて遊んでいた。
そしてテルミの横に立つ伯母が「どうしてまだいるのですか? 邪魔なんですけど?」と言わんばかりにギロリと百合を睨んでいる。
百合は怯み、ちょっと泣きそうになった。
でも泣かない。大人だから。
「クックック……テルミくん。その子供は?」
首領がテルミに尋ねた。
「こ、子供じゃな……!」
「この方は、僕が通っている高校の先生ですよ」
子供扱いを抗議する前に、テルミが紹介してくれた。
百合は大きく息を吸って気持ちを落ち着かせ、改めて自己紹介をする。
「そうだ。私はオトナの高校教師、九蘭百合。二十六歳だよ。よろしく頼む」
「大人? どうみても小中学生ですけど? 日本はいつから子供に教員免許をあげる国になったのですか?」
「う、うぐぅ……」
昼子は、さも初対面である振りをして言った。
ただし内容は、いつも自宅で言っている嫌味と同じである。
首領は団員である昼子の失言を誤魔化すように、自己紹介を返す。
「私は
「どうも……ご、極楽?」
百合は一旦買い物袋を地面に置き、首領の握手に応えた。
すると首領は、再びクククと笑う。
「どーれ、手品を見せてあげよう」
「手品だって?」
急な提案に困惑する百合。
これは首領なりに、子供を喜ばせようと言う気遣いだった。
彼もまた、九蘭百合を教師であるとは信じていなかったのだ。
近所の子の先生ごっこに、優しいテルミが付き合ってあげている……程度に考えていた。
「おやおや、またあの手品もどきですか?」
昼子が呆れ顔で言う。
隣でテルミはニコニコ顔。
しかしその時、遠くで遊んでいた莉羅がハッと気付き、顔を上げた。
「……あ……!」
「ん? どーしたんれすか、莉羅ちゃん」
「だめー……!」
「えっ、何がれす?」
莉羅は立ち上がり、百合達の元へと駆け出す。
しかし莉羅が辿り付く前に、『手品』は始まってしまった。
今までの手品と同じく、首領の手の甲が光る……が、何故かすぐに消灯。
代わりに首領の手が、真っ黒に染まった。
そして首領は、憑りつかれたようにボソボソと喋る。
「……毒……では無い。本質は、無の『空間』だ」
「空間? えっ、にゃに?」
そこで首領は意識を取り戻す。
「……あれ? 私は今何を言った……? クックック……え?」
首領は百合の顔を見て、次にテルミと目を合わせ、首を捻った。
「何だか、今までの手品とは違ったようですが。調子が悪いのですか?」
そう気遣うテルミの隣で、昼子は眉を潜めていた。
百合は自分と同じグロリオサ。『手品』の結果は『毒の文字』と『緑色の光』になるはず。
だが、文字は出なかった。
そして何故か『緑』ではなく『黒』。
まるで九蘭琉衣衛の霧のように、漆黒。
よく分からないが……何か、面白くない。
『百合ちゃん、そろそろ帰ってはどうです?』
昼子は霧の信号にて、不満気にそう伝えた。
意味不明な『手品』に唖然としていた百合は、その言葉で我に返る。右手を背に回し、テルミ達に見つからないよう手を霧化。そして昼子へ返事を送った。
『あ、はい……あの、でもその前に……伯母上。その、真奥くんには』
『安心しなさい。百合ちゃんの生徒に、変な真似はしませんけど?』
おずおずと尋ねる百合へ、昼子はそう返信した。
元より琉衣衛の命令があるので、直接テルミに危害を加えるわけにはいかない。
……のだが。ふと、昼子の嗜虐的な心がくすぐられる。また百合をからかってやろうと、一つのアイデアが浮かんだ。
『殺す際は、痕跡まで綺麗に溶かしておきます。これなら文句はないですよね?』
「~~ッ!?」
その気はないのだが、過激な暴力発言を伝えた。
驚く百合の前で、昼子はテルミの肩に手を置く。
「どうしました? 昼子さん」
「いえ? 何でも……ただ、」
その後の言葉は口に出さず、百合にだけ聞こえる信号で話す。
『この場にいる全ての人間を殺すのに、何分くらいかかるかな? と、思っただけですが?』
「お、伯母上いいかげんに……!」
百合は昼子の腕を掴もうと、手を前に出した。
するとテルミは、
「九蘭先生? 何か、緑色のモヤが……」
「えっ!?」
百合は、右手の先が霧化している事を忘れていたのだ。
緑色の霧が、テルミの眼前に晒される。
「この霧は、まるで先程の昼子さんと同じ……?」
「あ、これは違っ!」
焦る百合。
霧化を解こうとするが、焦って上手くいかない。
それどころか、手の平だけでなく腕全体が霧化していく。
――毒では無い。無の『空間』――
何故か、先程言われた台詞が頭にチラ付く。
百合の霧が、濃くなっていく。
「先生、その緑の……いえ『黒い霧』は」
「ち、違うんだよ真奥くん! あ、あれ? おかしいな、どうして」
――毒では無い。
――空間。
「違う! 違う違う! 違う! 見ないで、見ないでくれ!」
百合は後ろを向き、逃げようとした。
しかし心配したテルミに、霧化していない左腕を掴まれる。
「どうしたんですか先生。落ち着いてください」
「は……話してくれたまえ、真奥くん!」
「ククク。どうしたのさ、二人とも」
首領はテルミの背を叩こうと、右手を差し出し……
「クク……あ、あれ?」
自身の手首から先が、無くなっている事に気付いた。
百合と握手し、『手品』で黒くなっていた手。
それが、消えている。
「あ、あれ……クク……ええ……て、テルミくん。これ……!?」
遅れて、首領の手から血が噴き出した。
血飛沫が後頭部にかかり、テルミは首領の方を振り向く。
「首領さん!? 大変だ、早く救急車を……いや、莉羅! 治療をお願いします!」
テルミは、こちらへ向かって来ている莉羅にそう叫んだ後で、上着を脱ぎ、首領の腕に巻いて止血した。
百合はそれを見て、顔面蒼白になっている。
「違う……わ、私のせいじゃ……!」
いいや、明らかに自分のせいだ。
どうしてかは知らないが、突然力が暴走している。
「私は……私は……!」
――毒を使うのではなく、空間を支配する。
百合は『何か』を理解した。
そして、その『何か』が弾けた。
「わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「先生!?」
「百合ちゃ……!?」
テルミ、昼子、団員達、それに首領も自分の出血を忘れて驚いた。
百合が忽然と消え、代わりに真っ黒な霧が辺りを包み込む。
そこでようやく兄の元へと駆け付けた莉羅。
しかしどうやら、もう手遅れ。
『ねーちゃん……!』
莉羅は慌てて姉へテレパシーを飛ばした。
『あら莉羅ちゃん。なぁにー?』
『魔力、ちょうだい……』
『良いけど、何で?』
『町の人達……じゃ、ダメだ……地球上の全生命に……防御壁を、張る……の!』
詳しい説明をしている場合では無い。
桜から魔力を借り、急いで皆を守る。
一方テルミは、黒い霧の中に手を伸ばし、
「先生!? 先生!」
と百合を呼ぶ。
だがテルミの手は何も掴まない。空を、もとい、霧を切るのみ。
もし莉羅と桜の防御壁が無かったら、首領の手のようにテルミも一瞬で
「り、莉羅……これは一体……?」
テルミの問いに、莉羅は深刻な表情で呟く。
「……宇宙災害グロリオサ……」
そして日本が、黒い霧に包まれた。
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