96話 『姉弟、翔ける』
「姉さん、フォローありがとうございます」
職員室から出た姉弟二人。
廊下を歩きながら、テルミは姉に礼を言った。
学内でクールな女王様キャラを演じている桜は、弟の方を振り向きもせず、凛々しい表情のまま颯爽と歩を進めている。
のだが、
「うむうむ。感謝しなさいよね~」
と、真剣な顔に似合わぬ軽い口調で返事をした。
「そんじゃーテルちゃんには、お礼としてチューして貰おうかな!」
「……ほっぺにですか?」
「んーん。口に。ベロ入れて絡めてクチュクチュするヤツ。やぁ~ん、テルちゃんったら、想像して興奮しちゃってる?」
「下品ですよ、姉さん」
テルミは呆れて溜息をついた後に、「こんな姉の恥ずかしい台詞を、皆に聞かれなかったか」と周りを見回す。
しかし「あの桜さまがエッチなジョークを!?」などとドン引きしている者は、誰もいなかった。
桜の存在に気付いていない訳では無い。生徒達は皆、『憧れの生徒会長』を熱い眼差しで眺めている。すぐ近くに寄って来ている者もいる。だと言うのに、桜の卑猥な台詞には無反応。
そもそも彼ら彼女らには、桜の声が届いていないのだ。
「心配御無用よ。今のあたしの声は、テルちゃんにしか聞こえていないわ。超能力で音の振動をコントロールしてるってワケ。何言っても平気よ……『あたしは、弟の輝実と毎晩裸で触りっこしてまーす!』」
桜は、澄ました顔で嘘(とも言い切れない言葉)を叫んだ。
テルミはビクリと驚くが、近くにいる生徒や教師達は何も反応しない。
「……姉さんの超能力は、ますます人間離れ……あ、いえ……磨き抜かれているようですね」
「褒め言葉として受け取っておこう! あははは」
◇
「うー……」
更に同日。
放課後、清掃部の活動中。
「うぬー……」
顧問教師である九蘭百合は、その小さな身長よりも高い箒を手にしたまま静止し、テルミをじっと注視していた。
「うにゅぅぁー……」
「?」
テルミはその視線に気付き、百合へと声をかける。
「どうかしましたか、先生?」
「えっ!? あああっ、違……にゃんでもない! な、何でもないよ、真奥くん。ははははは……」
テルミの言葉で百合は我に返り、慌てて箒を掃いた。
「いけないいけない。私は教師なんだ、しっかりしろぉ!」
小声で自分を鼓舞して掃除を再開しつつも、やはり生徒の方へと目線が向かってしまう教師。
百合はテルミを見つめながら、昨日の事を思い出していたのだ。
生徒が危険な目に遭っている中、自分は眠りこけていた。ようやく覚醒し現場へ駆け付けても、既に事件は解決しテルミは帰宅。
不甲斐ない自分に泣きそうだ。
それにテルミが自分の先祖――九蘭
「真奥くんと、ご先祖様の関係……」
「僕とご先祖様、ですか?」
「え! あ……ええとだね……」
今日も今日とて百合は、思った事をつい口に出してしまった。
百合の言う先祖とは九蘭琉衣衛の事なのだが、テルミは違う受け取り方をしたようで、
「うちの家系はよく分からないですね。古い白黒写真で曾祖父母の顔を知っているくらいです」
と、自分自身の近縁の先祖について答える。
百合は「そうじゃなくて……」と言いかけ、口をつぐんだ。
「……そ、そうか。やあ、変な事を聞いて悪かったね。最近先祖の……ええと……そうそう、法事があって。うちは親戚が多いから、法事一つでも色々と面倒でね。いやあまいったよ。ふふふふ」
百合は無理して大人びた口調になり、言い訳をする。
何とか誤魔化す事に成功した……と本人は思っているが、「テルミと先祖の関係」という言葉には全く繋がらないので、実は全然誤魔化せていない。
しかしテルミは、あえてそこに突っ込む事もあるまいと考え、
「大変でしたね」
と微笑み相槌を打ち、雑巾で窓を拭き始めた。
百合はホッとしつつも、教師の威厳を高めるべく、
「私も掃き掃除が終わったから、窓拭きを手伝うとするよ」
と言って「くぅ~!」と唸りながら雑巾を固く絞り、テルミへと近づく。
そして背伸びをし、小刻みにジャンプしながら拭き始めた。窓上部に手が届かないのだ。
「……先生、上の方は僕が拭きましょうか?」
「い、いいや! 私がやるよ。オトナだからね」
そうムキになってピョコピョコ飛び跳ねる子供先生を見て、テルミは和むのであった。
◇
更に更に同日。
放課後。
「私は今、例の『カラテガールと戦った』少年が通っている高校の前に来ております。近隣からの情報によると、そろそろ彼の下校時間らしいのですが」
テルミ達が通う高校の正門から離れた場所に、マスコミ関係者が集まって来ている。
数十分前はもっと堂々と正門に張り付いていたのだが、体育教師達が、
「生徒達の迷惑です! 帰ってください、警察を呼ぶぞ!」
と怒鳴った事で、文句を言われないギリギリのラインまで離れた。
しかしそれでも迷惑な事には変わりないのだが。
テルミは別に犯罪を犯したわけではない単なる一般人なので、マスコミとしても大きく騒ぎ立てるつもりは無い……という建前はあるのだが……建前は建前。本音としてはとにかく騒ぎたい。さすがに大事件や記者会見で用いる大袈裟な機材は持って来ていないが、「派手にぶっこ抜いてやる!」という気合いは充分に満ちている。
そんな大部隊とは別に、小さなハンディカメラ片手に学校の周りをうろうろしている個人記者達も数名いる。まさに逃げ道無し。
「裏門にも記者がいました! これじゃ輝実さまが帰れませんね!」
生徒会メンバーの少女が、叫びながら生徒会室に飛び込んで来た。
校内を元気よく早歩きして、正門や裏門の様子を確認して来たのだ。
何故早歩きかと言うと、廊下を走ってはいけないからである。
テルミは先輩女子の報告に礼を言って、
「一週間もすれば話題が風化して、マスコミの方々もいなくなるとは思うのですが……」
と、困惑している。
とにかく、このままでは帰宅するのもままならぬ。
「あー閃いた閃いた閃いた! 輝実さまが女装して、私達に紛れて帰ればいいかも?」
そんな女性徒の提案に、「女装はちょっと……」とテルミは難色を示す。
「でもでもでも! 私が女装見たいし!」
「て、テルミくんの女装……えへへ……わ、私も見たい……はっ! な、なんでもありませんん!」
個人の願望が丸出しである。
「でも女装はどうかと思うよー。もし見つかっちゃった時に、今より酷く騒がれちゃうしー」
「あっそうか。うーん、難しい難しい難しいー!」
「いっその事、学校にお泊りしますか!」
そんなこんなで女生徒達が騒いでいると、部屋の奥で椅子に座ってふんぞり返っていた桜が、すっと立ち上がった。
「わたくしと輝実は、送迎車を呼んで帰る事にいたしますわ」
◇
この高校は高い塀に囲まれており、大きな出入り口は二つだけ。
主となる正門。
そして搬入口として用意されているが、生徒の出入りも可能な西門。通称裏門。
それに加えて、小さな出入り口が一つ。
体育倉庫の裏手の塀にひっそりとある、鉄製の重く大きな扉。常に施錠してあり、平時は何人も通り抜け不可能。
この扉は学校敷地内において、正門からも裏門からも最も遠い場所にある。災害時用の非常口だ。
「コソコソするのは嫌いなのだけれど、この場合仕方ありませんわね。大勢で行けば発見されてしまうので、わたくしと輝実の二人だけで非常口を使うわ。あなた達は普通に正門からお帰りなさい」
そう言って桜は取り巻き達を解散させた。
生徒会長権限で非常口の使用許可を得た後、姉弟二人と鍵管理の教師一人、計三人は非常口へと向かう。
桜の超能力により聴覚嗅覚を研ぎ澄ませ、扉の外にマスコミがいない事を確認。
教師に扉を開けて貰い、ようやく晴れて学外へと脱出した。
「しかし姉さん、送迎車を呼べるようなツテがあったのですか?」
テルミは周囲を確認する。
狭い路地。自動車どころか、自転車さえも見当たらないが……
「車はねー」
お嬢様キャラを崩した桜は、白い歯を見せ天真爛漫に笑った。
そしてテルミの腰に手を当て、
「あたしだー!」
「えっ、うわ!?」
そのまま輝実を抱き上げた。
昨晩とは逆に、今度は桜がテルミをお姫様抱っこしたのである。
「姉さん!?」
「掴まってなさいよ、テルちゃん!」
「ええっ?」
桜は高く飛び上がる。地面が揺れ、突風が吹き荒れた。
十メートル、百メートル、千メートル……雲を突き抜け、大空に辿り着く。
急激な圧力、温度の変化で普通は怪我してしまうのだが、桜もテルミも何とも無かった。超能力で外圧に対するバリアを貼っているのである。
周辺の空気をコントロールしているため、酸素不足にもならない。
そして桜は宙に浮いたまま、自宅方面へ向けて
「ここなら、ブン屋も追ってこれないでしょ?」
「た、確かにそうですが……」
「でっしょ~? ちなみにホントは屋上から飛んでも良かったんだけど。まあ皆の手前、一応非常口から出とかないとね」
桜は弟にウインクをする。
「空の散歩って気持ち良いのよ。テルちゃんも地上を眺めてみなよ」
そう言われテルミは、恐る恐る下を見た。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。
町を全て見渡せる。
学校。通学路。たまに立ち寄る喫茶店。馴染みのスーパーマーケット。毎日見上げている山。そして自宅。
家と学校は結構離れているはずだが、空の世界から観察すると存外近い。
「綺麗でしょー」
「はい」
桜はいつもこうやって、鳥のように大空から町を望んでいるのだろうか。
姉の景色。
それを今、姉と一緒に見ている自分。
テルミがふと顔を上げると、姉弟の目が合った。
桜はにっこりと笑う。
テルミは何故だか、顔と胸が熱くなった。
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