-24話 『レッツ国家転覆』
橋の上で見つけた、勇者チェルトにそっくりな男。
名前はミツザネというらしい。
少女姿のキューちゃんは立ち止まり、その男をじっと見つめた。
その時ミツザネは、偉そうにしている役人と会話していた。
「うむ、荷は全て宮中へ運び終えた。
「ははあ。肝に銘じまする」
ミツザネという武士。正確には明確な身分があったわけではないのだが、とりあえず一番近いのは武士。
この男は、朝廷への貢物を運んできた地方武士である。
男の故郷は、米や布など通常の税金以外に、海産物も宮中へ納めるしきたりになっている。
ミツザネの役目は、海産物を都まで運ぶ人夫たちの監視、及び取り纏め、及び役人への取次ぎである。
「お役目のみならず、念仏にも励めよ」
「ははあ、精進致しまする」
そうしてミツザネが深々と礼をすると、偉そうな役人は「はっはっは」とこれまた偉そうに笑って去って行った。
ミツザネはしばらく腰を曲げっぱなしであったが、役人の姿が完全に消えた所でバッと頭を上げる。
「ちっ、なーにイキっとんねん。自分も単なる運び役のクセに、いっつも
態度が急変し、アッカンベーなどをし始めた。
女性的な顔はそっくりなのだが、無骨で口数少なかったチェルトとは違い、ミツザネとやらは何とも軽薄な性格であるようだ。
その粗忽な態度を見て、キューちゃんは「ぅおい!」とつい叫んでしまった。
少女のツッコミに気付いたミツザネが、「なんや嬢ちゃん」と近づいてくる。
キューちゃんは焦り逃げようとした……のだが、「どうして人間などから逃げるんだ?」と思い直し立ち止まった。
それと同時に、一つの疑問……というより好奇心が頭に沸いた。
このチェルトに似ている男に、
細かく言うのならばチェルトにも
この男も同じように、『見た目だけは効いていない』という珍しいパターンかもしれない。
まあ顔が似ていると言うだけなので、抵抗力まで同じとは限らないのだが。
別に試す価値があるわけでも無いが、ただ一度気にしてしまうとムズムズする。
向かって来るミツザネに対し、キューちゃんはスッと片手を上げ、
「歯ぁ食いしばれアル!」
「うぎゃあ!?」
腹へ飛び蹴りを喰らわせてやった。
片手を上げたのはフェイントだ。
ミツザネは言われるがまま咄嗟に歯を食いしばったのだが、腹を蹴られたのであまり意味は無く、キックの衝撃をモロに受けた。
橋の上で仰向けに倒れ、周囲から失笑を買う。
「な、なんや、何すんねん嬢ちゃん……」
ミツザネはフラフラと立ち上がり、自分を蹴った少女を見る。
キューちゃんも、仁王立ちでミツザネを見る。
何となくムカついたのでつい蹴ってしまったが、その目的は『触れる』事。今の一撃で
さあ、この後が問題である。
はたしてミツザネは、チェルトのように抵抗してみせるのか……
「おおお! おおおおお! おおおおおおおお! おまはん、ほんま美人やな! 俺は
全然抵抗しなかった。
いとも簡単に術にかかり、ド直球で求愛を始める。
今のキューちゃんは幼き少女の姿。つまりミツザネはロリコン野郎になってしまった。
「……まあ、夢と違って現実はこんなもんアルな」
「こんなもんって何がや?」
キューちゃんは溜息をつき、ミツザネの腕にちょこんと触れた。
パキン、とキューちゃんにだけ聞こえる破裂音。
ミツザネは正気に戻り、きょろきょろと辺りを見回した。
「ううん? 俺は
「良いから帰れアル。もう我に近づくなヨ」
そしてキューちゃんはミツザネに背を向け、橋を渡ろうと歩を進めた。
やはりただ偶然顔が似ているだけ。もうこの武士と会う事は無いだろう。
たとえ会っても無視だ無視。
そう思っていたのだが、
「嬢ちゃん、同い年の子供達よりほんま美人やんか! なあ、姉ちゃんとかおらん?」
ミツザネはキューちゃんの前に回り込み、
元々軟派な男なのである。
キューちゃんはうんざりし、ミツザネの股間を蹴り上げる。
「うごぁ! 何すんねん……!」
「話しかけんなアル!」
ミツザネが悶絶してる間に、キューちゃんは走って逃げた。
今度こそ、もう会う事は無いだろう。
◇
翌日、もう会った。
城下町中、小さな茶屋の前。
キューちゃんとミツザネは、偶然ばったり出会ってしまったのだ。
「何故ここにいるアルか! もう! もう! もーう!」
「おおお、姉ちゃん美人やんか! 俺は、ああいや、
「うっせ黙れアル!」
出会って即プロポーズ。それが田舎武士のしきたり……というわけではなく、ミツザネ個人の性質である。
その時のキューちゃんは、気まぐれに美女の姿へ化けていた。
長く滑らかな髪。大きな胸。高級な着物。
軟派なミツザネが放っておくはずもない。
ただ当然ではあるが、昨日の少女と同一人物だとは気付いていないようだ。
「結婚してや!」
「くんなアル!」
「うぐあ!」
キューちゃんは以前と同じように、ミツザネの股間を蹴り上げた。
またもや悶絶する田舎武士。その間にキューちゃんは逃げようとした。
しかし。
「おや
「げっ……あ、いや……これはこれは。奇遇でございまするな」
近づいてきた男に声をかけられ、ミツザネの言葉遣いが変わった。男は、昨日ミツザネと会話していた宮中の役人である。
それを見たキューちゃんは逃げる足を止めて、何だか面白そうだと思い、二人のやり取りを見物する事にした。
「おなごの
「いや、ええとその……は、ははは。面目のうございまする」
「早く国へ帰り、次の
「はっ、それはもう! へへへ……」
役人はその後しばらくネチネチ嫌味を言った後に、ようやく帰って行った。
ミツザネは去りゆく役人に頭を下げながらも、
「くう……腹立たしい爺さんやな。都に住んどるっちゅうだけで、ああも増長しくさる」
と恨み言を吐いている。
キューちゃんはそんなミツザネにツカツカと近づき、
「オイお前。歯ぁ食いしばれアル」
「えっ? おぶぁっ!?」
腹を殴った。やはり歯を食いしばる意味はあまり無かった。
「お、おお……おい、姉ちゃん急に何すんねん」
「うっせ。何か腹立たしかったから殴ったネ。あんなん言われて、何故言い返さないアルかッ!」
「うぶぇあっ!」
またもや殴った。
今度は「歯を食いしばれ」の合図も無かったので、ミツザネは油断していた。腹に大ダメージだ。
「な、何故言い返さないって……そりゃあ、役人様に文句でも言おうもんなら刀で斬られるやんか」
「意気地なしアルな。我ならあんなジジイ、すぐに地獄行きネ」
「おお、勇ましい姉ちゃんやんけ。気に言ったでぇ、俺と結婚しようや」
「…………」
今日だけで三度も自分を殴る蹴るした女に対し、しつこく求婚を続けるミツザネ。
キューちゃんは呆れて絶句した。
「嫁に来て、淡路で俺の子を育ててくれや! 長男と働き手の次男三男四男。おなごも二人は欲しいでぇ」
勝手に将来計画を語り始めるミツザネ。
キューちゃんは「うっさい男アルな」と毒づく。
「お前の嫁になって田舎に定住するなんて、まっぴらゴメンアル。我は日本中を旅するのが好きネ」
「旅やって!? それは困るな、俺の子を十人は産んで貰わんと」
「ネズミじゃないんだし、そんな産まないアル」
そう言った後「そもそも結婚もしないケドナ」と付け加えたが、ミツザネは聞こえないフリをする。
「しかし弱ったでぇ。俺の嫁になるなら、ずっと淡路にいてもらわんとなあ。それが今の世の理いうもんやで」
「嫁にはならんと言っているアル」
「でも嫁になるんならなぁ」
「ならねえっつってるアル」
そして腹パン。四度目の暴行。
昨日も含めば通算六度目だ。
「うごぉはぁッ……お、おおうん……」
これくらいになるとミツザネは、殴られる事に快感を覚え始めていた。半笑いで腹を押さえる。
異性から冷たい態度で接されるのも、それはそれで好きな男なのだ。
「……どうでもヨロシが、『今の世の理』ってのは気に入らんアルナ。そんなもん自分の好きにすれば良いアル」
キューちゃんが睨みながら呟いた。
それを聞いたミツザネは意外そうな顔でキューちゃんの顔を見つめ、笑い出した。
「無理無理、無理やな。世間でそう決まっておるんや。特に俺は国でそこそこな役職持っとって、がんじがらめやからな」
「どうして無理だと決めつけるアル。何笑ってるアルか、不愉快ネ」
「ははは、言うなあ姉ちゃん。でもそれこそ朝廷がひっくり返らんと無理やで」
朝廷がひっくり返った所で、故郷のしきたりが変わるわけでもないのだが。
ただそれほど無茶だという、例え話のつもりで言った。
「はー、朝廷アルか」
しかしキューちゃんはその言葉通りに受け取ってしまった。
そして、「
「ふーん。ふーん。我なら簡単にひっくり返せるけどナ。我ならナ~。お前には無理アルか~」
キューちゃんは大きな胸を張り、自慢げな顔で言い放った。
当然、本当に朝廷を滅ぼすだけの自信がある。
「はっはっは、おもろい姉ちゃんやなぁ。着物からして良い身分のようやけど、ほんでもおなごには無理無理無理」
「はー? 無理じゃないアル」
「無理無理。はっはっはおぶごぉ!」
キューちゃんは、またまたまたまたミツザネの腹を殴った。通算七度目。
「分かったアル。我がお上を滅ぼしてやるアルネ! 見てろヨ、阿呆ニンゲン!」
◇
「どうして我が、国家転覆を企む必要アルネ?」
と首を捻りながらもキューちゃんは、一度宣言したからには意地でやり遂げようとした。
以前中国やインドでやったのと同じ方法だ。
まず、身分が高く美しい娘を探す。
そこで中納言の実子である
彼女は万葉集にある水草に絡んだ歌が好きで、そこから玉藻というあだ名で呼ばれていた。
玉藻を
宮中の奥に特別な部屋を用意させ、キューちゃん自身はそこでだらだらと饅頭や餅などを食べる日々。
さて、これから上皇にとんでもない悪政をしかせようかな……と考えていたのだが、そこで一つ問題が起きた。
「この国、王の発言力そこまで強いわけでも無いアルな……」
殷や周と同じ方法では、王家そのものを滅ぼせないと悟ったのだ。
王の発言力が弱いとは、古代に比べての話である。
王が全てを支配する時代は終わり、法典が貴族達を統率する時代になっていたのだ。
勿論、天皇や上皇の権力は強い。
しかしこと政治に関して重要なのは、官僚達の意思であった。
今までキューちゃんが取っていた方法では、悪政をしかせる事が難しい。
よしんば悪政をしかせても、すぐに実権が別の親戚にすげ替わるだけだ。朝廷自体を滅ぼす事は出来ない。
ならば官僚すべてに
「我の身がもたないアル。そういうのやりたくないから、代役の女を立ててるんアルのに」
となると、悪政以外の方法を模索しないといけない。
どうにかして実権を他に移す。
やはりクーデターを起こす必要があるのだが……
今までは悪政による国力低下を持って、クーデターや侵略が付け入る隙を作っていた。
しかしクーデターのきっかけとは、国力低下だけでは無い。
現在虐げられている外敵となり得る者達自身が、大きな力を付ける。そんなきっかけもあるだろう。
ふと、ミツザネと初めて出会った日を思い出す。
普段軽薄な田舎武士である彼も、役人つまり貴族相手にはペコペコと頭を下げていた。
「武士……そうアル、武士ネ!」
役人である文官武官に頭が上がらない、武士達。
この時代の地方は、都から税を吸い取られるだけで内政に関しては放置されていた。
実質の内情は無政府状態であり、彼らは自分達自身を守るため武装する事を覚えた。それが地方武士。
地方が武力を付けたら、当然反乱を企てる。
しかし貴族達は、そんな地方武士達に対抗する武力を持っていない。
そこで目には目を。歯には歯を。武士には武士を。というわけで朝廷は他の武士を雇い、武士同士で戦わせ、反乱を阻止しているのだ。
そうやって多くの乱を鎮めてきた者達が、武士でありながら、今や朝廷内でもその地位を高めてきている。
「もしコイツらに、更に、更に、もっと盤石な権力をあげたラ……どうなるアルかネ?」
そのためにはまず、国を二分する
武士に武功を与え、彼らの発言力を高めるような、大きな戦。
大きな、とは戦場の規模では無い。
朝廷の中心核に関わる、重要な争いという意味だ。
それほどの戦となると、やはり皇位継承の身内争いだろうか。
玉藻に上皇の子を産ませる。
そして兄を差し置いて……というより現天皇を無理矢理にでも退位させ、生まれたばかりの玉藻の子を次の天皇にするのだ。
当然現天皇派は怒り、争いになる。
そこに武士たちを投入し、活躍させれば……
「うん、これならイケるかもアル!」
◇
そして、一年経った。
都にある巨大な屋敷。
そこに住まうのは、上皇個人に仕える陰陽師だ。
その陰陽師は深刻な表情で、白髪の老人と会話していた。
「最近、宮中で不穏な空気が流れております。上皇様は何かに憑りつかれたように……いいえ事実、狐に憑りつかれておりますな。この男をご覧ください」
そう言って陰陽師が指差した先には、一人の男が畳の上で眠っていた。
陰陽師により眠らされている彼は、宮中に勤める文官。
彼の精神は今、九尾の
白髪の老人は文官の額に触れ、目を閉じた。
眉間にしわが寄り、彫り深い顔が更に濃くなる。
「なるほど獣の臭いが残っている。それに体内の気を荒らされているな……だが、わしの霧で無効化出来そうだ」
パキンという老人にしか聞こえない音がした。
文官にかかっていた
「申し訳ない。また
「いいさヤスナリ。孫の孫の孫の……どれほどの孫かはもう分からぬが。わしも子孫であるお前の役に立てて嬉しいと思っているよ」
老人は笑いながら陰陽師の肩を軽く叩き、「しかし、狐か……」と呟いた。
「ただの狐では無いな。わしが今まで出会った精霊や化け物に、これ程まで大きな力を持つ者はいなかった」
「……神々より長く生きているご先祖様でも、経験したことが無い程の?」
「ああ。だがそれはあくまでも『化け物としては』の話」
老人は子孫の肩から手を離し、どこか残念そうな顔で言う。
「我々グロリオサの力には、遠く及ばないようだ」
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