-25話 『狐来日本』

 キューちゃん――当時はそうとは呼ばれていなかったが――は元々、古代中国に住む雌狐だった。


 五十歳を越えた頃、自分が他の狐達より異常に長生きである事に気付いた。知らぬ間に精霊へと変貌していたのだ。

 八十歳を越えた頃、体の内に眠っていた『カルドゥースの力』が目覚めた。同時に『力の記憶』を夢で見るようになる。

 そして百歳を越えた頃、他の長生き狐・・・・達にスカウトされた。狐狸精こりせいとして、霊山での修行を開始。


 更にそこから九百年後、立派な九尾狐に成長した。

 魅了チャームの力が体に馴染んだおかげで、カルドゥースの夢もほとんど見なくなっていた。


 九尾狐とはキューちゃんだけを指す言葉ではない。長く生きた狐の精霊で、尾が九つまで成長した者達の総称である。

 ただその九尾達の中でも、キューちゃんは更に格が違った。

 何故ならば、魅了チャームの妖術を使えたからだ。


 詳細に言うのならば、魅了チャームに付随する莫大な妖力エネルギーが、他の精霊達と一線どころか二線三線も画しているためだ。

 それは魅了チャームにしか使えないという融通の利かないエネルギーなのだが、その強大なる力を身体に宿す事で精霊としての器が広がり、キューちゃん自身が持つ本来の妖力も強大に膨れ上がったのである。


 その妖力に目を付けたのが、古代中国の女神こと女媧じょかだ。


いんって国の紂王ちゅうおうってヤツがムカツクから、嫌がらせしてきてー。よろ」

「おっけ」


 というやり取りによって、キューちゃんは国を一つ潰そうと動き出した。


 まずキューちゃんは、教養のある美女を探した。

 その女を魅了チャームで操り、傀儡として宮中へ入り込むためだ。

 そして王にも魅了チャームをかける。送り込んだ美女とイチャイチャラブラブさせ、同時に馬鹿みたいな悪政をしかせるのである。

 人民達は「王は女にうつつを抜かし、クソ野郎になってしまった……」と絶望し、国力が下がり、クーデターが起きる。そして最終的に国が滅ぼされるだろう。


 ……という計画である。


 自分自身が美女に化けても良いのだが、その方法は選びたくなかった。

 王の妃ともなると、当然色々な人間が挨拶に来る。そして彼らは、あまり人間世界に慣れていないキューちゃんの立ち振る舞いを怪しむだろう。そういう者達に一々魅了チャームをかけて疑いを消していたのでは、身がもたない。


 というわけで美女を探した。出来るだけ美しく、そして育ちの良い者を。

 選ばれたのが、冀州きしゅう地方を治めている領主の令嬢。妲己という娘である。

 キューちゃんは妲己を操り、モテかわふわふわメイク術を教えてやり、宮中へと送り込む。

 そして無事目的を果たし、殷王朝は滅びたのであった。



 ただ、少々やり過ぎた。

 嫌がらせの過程で、無関係の者達が大量に死んでしまったのだ。

 キューちゃんは女神に怒られてしまい、ねた。

 そもそも女媧様の頼みでやったのに、これじゃ余りにも理不尽だ。


 キューちゃんは一旦女神とは距離を置こうと考え、自分探しの旅へ出かけたのである。



 数十年の旅の末、辿り付いたのが天竺インド

 そろそろ女神様と仲直りしたいと思っていたキューちゃんは、「そう言えば天竺の神と女媧様は仲悪かったな」と思い出す。

 そこで天竺にあった国を殷と同じ要領で滅ぼし、その結果をもって女媧への手土産とした。

 女神は喜び、二人は無事仲直り出来たのであった。



 仲直りから、百年以上経った後。

 その頃になると女媧は、神の国でのんびり暮らすようになっていた。


「もう好き勝手にやっても良いよ。人間めっちゃ増えたし、殺しまくっても前みたいには怒らないから」


 とキューちゃんに言って、神様ネットで神チューバ―として商品レビューをしたり、ギリシャの神々とのコラボ配信などをしていた。


 そんな経緯で独立を果たしたキューちゃんは、手始めに周という国を滅ぼしてみた。

 周は、大昔に殷を討ち取った国だ。それが全く同じ方法で滅びたのだから、皮肉なものである……とキューちゃんは自分でやっておきながら、しみじみと頷いた。


 だが、特に目的も無く王朝を滅ぼしても、さほど面白くはなかった。

 それからキューちゃんは旅などをして、風の吹くまま暮らしていった。



 そして独立してから千五百年程経った後。

 キューちゃんは少女の姿に化け、遣唐使船に密航し日本へやって来た。

 どうして来たのかと言うと、ただの暇潰しである。


 当時の日本は今で言う所の奈良時代。

 西暦で言うと七百年代中盤。

 元号で言うならば、天平てんぴょうの世であった。




 ◇




 来日したてのキューちゃんは、狐の姿で日本各地をぶらぶらと旅していた。

 そうして下野国しもつけのくに、現在の栃木県に立ち寄った時の出来事である。



「テメーかぁ! 最近俺らの縄張りを荒らしてるっつう、性悪狐は!」


 と突如、背の高い男に怒鳴られた。

 狐は男を睨み返し、文句を言う。


「何アルか。貧乏人は我に話しかけないで欲しいアル」


 当時のキューちゃんはまだ中国から来たばかりだったため、京言葉を話してはいなかった。

 中国訛りで、丁寧語などは使えないのでツッケンドンにも聞こえる喋り方だ。


 一方、急に大声を出した男は、身の丈三メートルはあろう人間だった。いや、身長を見るに人間ではないのかもしれないが、キューちゃんにとってはどうでも良い。


「俺様は常陸国ひたちのくににその天狗有りと言われている、大大大大鼻高天狗! 高天原への導き手、くなど・・・様よぉ!」


 男は大袈裟な手振りで自己紹介をした。

 しかし鼻高天狗というわりに、その鼻は別に高くも低くも無い。ごくごく普通の面構えである。


「アッソ。ただ背でかいだけの、ニンゲンに見えるアルけどナ」

「なんだァてめえ! よりにもよって俺様とニンゲンなんぞを間違えるたあ、どういう了見だ!」


 くなど・・・は大きく足を踏み鳴らし、怒りを表現した。

 この天狗は人間が大嫌いなのである。

 ただこれより千年程後の江戸時代には、人間の文化である歌舞伎にハマってしまうのだが。


「まあどうでもヨロシ。それより汗臭いから帰れアル」

「臭くねえ! 臭くねえし! 俺様臭くねえだろ!?」

「いいや臭いアル。くっせくっせ。おえっ。自分で気付けヨ愚蠢ユーチュン

「てめえ……唐の言葉は知らねえが、ユーなんとかが悪口だってのは分かるぜコラァ!」


 狐と天狗は、ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。


 くなど・・・は最初、穏便に話し合いをしようと思っていた……のだが。この天狗は生まれつき短気なため、やはり無理であった。


「もう許さん、塩振って食ってやるぜい!」


 と、ザ・悪役のような台詞と共にキューちゃんへと殴りかかる。


「もう! もう! 何アルかコイツめんどくさい!」


 キューちゃんは辟易しながら、放たれたくなど・・・の右拳をひらりと避けた。

 そのまま天狗の腕に乗り、トントンと歩を進め、高くない鼻っ面に後ろ足で蹴りを入れる。


「てめ、この野良狐……」

「うっさいアル。黙れ」

「……何、てめ……おい…………」


 黙れと言われて素直に黙る天狗では無いはずなのだが、くなど・・・は何かゴニョゴニョと言い淀み、


「は……はい! 分かったぜ喜んでええ! お狐様あああっ!」


 急に態度を翻し、突然従順になった。


「いや黙れって言ってんアルけど」

「はいいいいいいいい!」


 この態度の変化は、キューちゃんの魅了チャームによるものだ。

 ついでにもう一度述べておくが、今のキューちゃんは狐の姿。つまり大天狗は、獣に惚れてしまったという事になる。


「ああ、狐! 可愛い! 艶めかしい! モフモフしたい! 交尾したい!」

「中々黙らないアルな、この男。そうだ、ちょっと首斬って自殺しろヨ」

「なんだとテメ……いや、狐様……でも、それは俺様が……ううん……」

「やらないアルか?」

「や……や……やりまぁす!」


 くなど・・・は腰の短刀を抜き、逆手に持った。

 首に刃先を近づけ、手をぷるぷると震わせる。熱い恋心と理性がせめぎ合いをしているようだ。

 まあその理性も、キューちゃんが、


「はよやれ」


 と言えば脆くも崩れ去ってしまうのだが。


「くなど、いっきまぁーす!」


 ヤケクソ気味に、刃が首へと突き立てられた。

 だが血が噴き出す前に、何者かが天狗の手を止める。


「ワシの弟子は大馬鹿者だのう。気を確かに持たんか」


 その言葉と共に、後ろ髪の長い青年が突然現れた……ように、キューちゃんには見えた。


「……急に、どっから来たアルか」


 何かおかしい。違和感がある。

 この青年はずっとこの場にいたのに、『自分には見えなかった』だけ。

 何となくだが、キューちゃんはそう感じた。


「狐さん。あんたは神さえ凌駕する程の凄まじい妖力を、その身に宿しておるようだのう。そいつを使って気の流れを混ぜっ返し、乱心させる術かの」


 そう言って青年――ぬらりひょんは、くなど・・・の顔を軽く叩いた。

 天狗は「はれ……じ、ジジイ……ジジイ!? うおい、俺は一体何を!?」と正気に戻る。


「っ!?」

 

 魅了チャームの術が簡単に解かれたのを見て、キューちゃんは目を丸くした。


「オニーサン、どうやって我の妖術解いたアル」

「ニーサンって、このジジイは若作りしてるだけでクソジジイだぜ!」

「お前は黙っとってくれんかのう、くなど・・・


 ぬらりひょんの得意技である『誰にも気付かれない術』は、言うなれば他人の気分をコントロールする術。

 偶然にも、キューちゃんの魅了チャームを解くのに都合が良いのである。


 無論、術の相性があろうとも、カルドゥースの魔法は易々と止められるようなものでは無い。

 しかもこの『気付かれない術』は、やり方さえ知っていれば普通の人間でも取得できる単純な術。

 それでも魅了チャームに対抗出来たのはつまり、ぬらりひょんの妖力も特別強大だという事だ。


「怪我の功名という奴かのう。あやつの毒霧の呪いが、こんな所で……」

「毒霧? 何言ってんアルか」

「いやスマンのう、関係なかったな……それより、ワシらの話を聞いて欲しいんだがの」


 そこでやっとキューちゃんは、天狗達が現れた理由を聞かされた。


「ワシは諸国を回り、精霊達を束ねておるんだがのう」


 ここで言う諸国とは、大雑把に言うと、北海道と沖縄を除く日本国内である。


 当時の日本はまだ、神や妖怪の明確な区分が無かった。

 とはいえ神の中にも身分差はある。

 ぬらりひょんは身分高き神々から「精霊達を管理せよ」との命を受け、日本中を渡り歩いているのであった。


 そしてそんな身分低き精霊達が、最近口を揃えて言う文句。

 中国訛りの狐が、


「おいそこのオマエ。我喉乾いたアル。茶買って来いヨ」


 などと、道ですれ違った精霊達をパシリにしているのだ。


「アイヤ。日本では、下等な精霊を奴隷として使っちゃダメだったんアルか」

「唐ではどうだったのか知らんが、日本ではダメだのう」


 ぬらりひょんはそう言って、だるそうに欠伸をした。

 主旨を理解したキューちゃんは、存外素直に首を縦に振る。


「我としても、観光先で余計な波風立てるつもりは無かったアル。すまんかった、これでヨロシ?」

「おい、反省の色が足りねえぞクソギツネエ!」

「黙るネ、クソ餓鬼」


 元気を取り戻したくなど・・・が再び突っかかって来る。

 先程魅了チャームの術で心乱されたのを、よほど屈辱に思っているようだ。


「餓鬼ってお前、バーカ! 俺は千年も生きてる大天狗様だぞ!」

「アッソ。我は三千年は生きてるアルけどな」

「クソババアじゃねえか!」

「バッ、バッ、バッ……!? 我、コイツ殺すネ」

「まあまあ、二人とも落ち着かんかのう」


 とにかくこのような経緯があり、キューちゃんに日本の現地民ならぬ現地妖怪達との繋がりが出来たのである。




 ◇




 そして更に、四百年以上の年月が経った。

 その間に都は京に移っていた。世に言う平安時代である。

 

 キューちゃんは相変わらず狐の姿で日本中をぶらぶら旅していたが、京の都にいる時間が一番多かった。日本で最も栄えているだけあって、住むと色々便利なのである。

 ただ都の中を狐一匹で歩くのは少々目立つので、人間の姿に化ける機会も増えた。



 その日のキューちゃんは、町人の少女姿で甘い餅をもっちゃもっちゃと食べながら、都の川沿いを散策していた。

 川の向こう側に行こうと考え、大きな橋を渡る。

 すると橋の中腹で、武士たちの会話が聞こえた。


光実みつざね殿、今年もご苦労であったな」

「勿体なきお言葉でございます」


 キューちゃんは足を前に進めながらも、意識せず何気なく、声がした方へと振り向いた。


「………………えっ、えっ、えっ?」


 ミツザネと呼ばれた武士の顔を見て、ピタリと足を止める。

 急に立ち止まったせいで、後ろを歩いていた商人が慌ててキューちゃんを避けた。

 だが狐はそれにも気付かず、ミツザネの顔を凝視し続ける。


「わっ、わっ、わっ、我……ゆめ……」


 遠い昔。

 まだ『カルドゥースの力』が体に馴染む前、夢で何度も見ていた顔。

 ミツザネの顔は――



 勇者チェルトと、同じだった。

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