83話 『妹とインビジブル青年(おじいさん)』
「おうおう狐のババア、誰に断って俺様の屋敷に来ていやがる!」
「ほんま阿呆やなあ、この天狗。わらわはここには来てひんも~ん。ただこのヌイグルミを、京都から操っているだけどすも~ん」
普通の人間より遥かに長生きしているはずの天狗と狐が、大人げない言い争いを繰り広げている。
テルミは少々呆れながらも、
「今聞こえているのが、
と呟いた。するとチャカ子が「ワン!」と相槌を打つ。
「ウチも話には聞いていたけど、お姿を見た事は無いでありんすワン。えっと、九……九……」
「九尾のキューちゃんだのう」
いつの間にか近づいて来ていた後ろ髪の長い青年が、大将狐の名前を教えてくれた。
ただしチャカ子には聞こえなかったらしく、まだ思い出そうと悩み続けている。
「キュウリの……キューちゃん……?」
莉羅には聞こえていたが、天狗と狐の口喧嘩がうるさいせいで、微妙に間違えて伝わっていた。
「九尾とは物語などによく出てくる、あの九尾の狐ですか?」
「うむ、それだ……うん? 兄さんも、ワシの姿が見えるらしいのう。さすが莉羅の兄だのう」
「えっ? は、はあ……」
見える、とはどういう意味だろうか。
そりゃあ目の前に来たら、見えて当然なのでは?
などとテルミが首を捻っている間も、天狗と狐は騒ぎ続けている。
「だがよ、狐ババア! テメエどうして俺の計画を見破りやがった!」
「ふふーん。自分の部下の様子がおかしい事にも気付かぬなんて、ほんま底なしの低能大将どすなあ」
「なんだと……オイオイ、クソババアまさか!」
大将天狗は大岩の上から、集まっている手下達の顔を右端から順に確認した。
そして手の平に乗る程の小さな鬼を見た瞬間、顔を歪ませる。
「ぐあああああ! テメエェェェエエ!」
大将の咆哮に妖怪達はたじろぐ。
天狗は大岩から飛び、小鬼の前に降り立った。
小鬼は慌てて逃げようとするが、天狗はあっさりとそれを捕まえ、左手で包み込むように掴む。
「ぴぎゃー! ぴぎゃー!」
泣き喚く小鬼に、大将は「おい、しっかりしやがれ手下!」と言って右手でデコピン連打。
それを見たテルミは、
「やめなさい、可哀想じゃないですか!」
と止めに入ろうとしたが、後ろから肩を掴まれ歩を止めた。
振り返ると、引き止めたのは例の後ろ髪青年だった。
「あの小鬼は、九尾のキューちゃんの特殊な妖術にかかっておる。
「妖術?」
すると莉羅も首を縦に振り、
「……
と呟いた。
つまり小鬼はその術のせいで、京都の九尾狐へ情報を横流ししていたのである。
「精神操作? それは、催眠術等で操っているという事ですか」
「うん……でも、催眠術とは……構造が、違う……ね。もっと強い……あれは……」
莉羅は目を凝らし、小鬼と狐のヌイグルミを交互に見ている。
「そうだ、あの術は他の妖怪や神達とは一線を画す、謎の強大な力でのう……しかし確かに、このままではあの小鬼が可哀想だ。まったく仕方ない……」
青年はぐちぐち言いながら大将天狗に近づき、小鬼の頭に触れた。
すると小鬼は急に大人しくなり、ぱちくりと瞬きした。
「はれー……何やってたんだっけ……あれ~
「おお、正気に戻ったか下僕……って、オイ。こんな簡単に解ける術だったかあ?」
天狗は小鬼を地面に降ろし、宙に浮くヌイグルミを見た。
「わっ、わらわの術が、天狗ごときに解かれるわけあらへんのに! えっと、えっと……何でやろ」
九尾狐も驚いているようだ。
どう考えても、青年が小鬼を触った事で術が解けたように思えるのだが……天狗もヌイグルミも、その青年の方を見向きもしない。
そして件の青年はテルミ達の近くへ戻り、楽しそうに小さく笑った。
そこでやっと、テルミは気付いた。
この後ろ髪の長い青年。自分と莉羅以外には、『見えていない』のではないか?
「あああ! そうか、そういうアレか! があああ!」
突如、天狗が悔しがるように叫び、前屈し畳を殴りつけた。
部屋の中に嵐が吹き荒れ、妖怪達はとばっちりを恐れ大将から離れる。
「ジジイ~……
天狗大将は、てんで的外れな方向を指差して叫んだ。
すると狐大将も状況を理解したようで、京都にて手を打つ。
「あれまあ! 東山道の
「まっ、さすがに『ワシ自身』に術をかけられたら、防げないんだけどのう」
そう言って青年は、テルミと莉羅にウインクをした。
「なんか、言動が……古くさい……ね」
と莉羅が呟く。
一方狐は、ここぞとばかりに天狗を煽り出した。
「しかし
「うるせえ、ジジイが勝手に来てんだよ! 暇なのかよクソジジイ!」
「えらい慌てようで、言い訳がましいどすなあ。そう言えばあの爺さんは、天狗はんの師匠どしたな。保護者に『助けて~ん』と泣きついたワケどすな。おーっほっほっほ!」
「黙りやがれクソババア!」
天狗と狐の口喧嘩が再開。
それを横目に、他の妖怪達もざわつき出した。
「どうやらここに、ぬらりひょんの大将がいるんじゃって。
「ああ……いるなら姿を現して、この二人を止めておくれよ大将!」
「えっ、ぬらりひょんたんがいるんれすか? レンたん久しぶりに会うのれす」
「みんな何言ってるんでありワンす? ねーねー姐さん達。教えてワンワン!」
やはり妖怪達には、この青年妖怪の姿が見えていないようだ。
そしてテルミは考える。
ぬらりひょん……本やテレビで知っている。俗に言う『妖怪の総大将』だ。
人に気付かれぬまま家に入り込み、我が物顔で飲み食いをする。
という妖怪。
今までの話から察するに、この青年――ぬらりひょんは『東山道の妖怪大将』なのであろう。
東山道とは、滋賀県から東京の上をかすめて秋田や岩手県まで、実に日本の半分を通る長い街道である。
つまり東山道の大将とは、日本で一番広い領土を治める大妖怪、という事になる。
テルミは改めて、ぬらりひょんの顔を眺めた。
「ふああ……おや、なんだね兄さん。ワシに惚れたんかのう?」
「い、いえ。すみません」
この欠伸混じりで軽口を叩く、なんだかだるそうな青年――莉羅によると、お爺さんらしい――が、日本一の妖怪大将なのか。
人は、いや、妖怪は見かけによらないものだ。
そうテルミが感心していると、木綿さんから状況説明を聞き終えたチャカ子が話しかけてきた。
「莉羅ちゃん、
「……ここに、いる……けど……」
莉羅はぬらりひょんを指差した。
しかしやはりチャカ子達には見えていないようで、「えっどこでありんす?」ときょろきょろ首を振っている。
「まあいい! あのジジイはどうせ暇潰しで見物してるだけだろうし、無視だ無視!」
大将天狗は大仰に足を踏み鳴らした。
「それよりも女狐! 奇襲の目は断たれちまったが、それでも今回は俺様が勝つぜい!」
「ふふーん。そんな大口叩いても、どうせまた、しょうもない嫌がらせしか出来ひんどすやろ。かなんなあ阿呆天狗」
「おうおうおう、せいぜい今のうちに言ってろや! こっちには莉羅とその兄がいるんだぜ!」
天狗は歌舞伎の見得を切るように寄せ目になって、右手の平をテルミ達へ向けた。
いつの間にか、テルミも頭数に入れられてしまったようである。
「莉羅……どすか?」
狐のヌイグルミは、天狗が指している兄妹二人を見た。
「あれま。妖怪の住処にニンゲンを招き入れて、阿呆天狗も丸くなったようどすなあ。しかしそんなニンゲン風情に、何が出来はるんや」
「へっ、そいつら兄妹はただのニンゲンじゃあねえ! 神の末裔なんだぜい!」
それは大いなる勘違いであるのだが、否定すると面倒臭い事になりそうなのでテルミも莉羅も黙っていた。
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