67話 『姉とチョコレート人間』

「チョコちゃんはブスじゃないのー! のー! ブスはそっち!」

「黙れー、ブースー」

「ブスじゃないのー! ブスじゃないのー! カラテガールがブスブスブース!」

「おだまりブス。ブス。ブスブスブス」

「ブスブスブスブスブスブスー!」


 ガール対決は、不毛な口喧嘩から始まった。


「ブスのクセに、胸がおっきいからって威張ってるよね! ね! ブス!」

「ちっさいヤツが言うと負け惜しみにしか聞こえないわね。ブス」


 桜は大きな胸を持ち上げるよう腕を組み、艶美なスタイルを見せつける。


「こんなの不要な脂肪なの!」


 そう言ってチョコレートガールが右腕を伸ばし、桜の胸をわし掴みにした。

 力強く握りしめ、衣服の上から柔らかな胸に爪を立てる。

 豊かな膨らみが波打つように揺れた。


「あっ勝手に触ってんじゃないわよ。金取るわよ」


 桜は手を払い除けようとした。が、肌に触れ合う感触が無い。

 代わりに桜の手は、生ぬるく粘着質な液体に浸った。

 チョコレートガールの右手首から先が、その名の通りのチョコレートに変わったのである。


「うわキモッキモッ」


 桜は手を振り、付着したチョコレートを取ろうとする。しかしネバネバしていて取れない。


「あーもう! そう言えばあんた、体をドブ水にする能力だったわね」

「ドブじゃないのー! チョコちゃんはチョコなの! の! むぎいー!」


 地団駄を踏むチョコレートガール。小さい胸に着けているビキニがずれる。

 そのサービスシーンへ対抗するように、桜は小さく飛び跳ね胸を揺らした。別に自分達以外の誰が見ているわけでも無いのだが。


「イヂワルばっかり言って、もう許さないの!」

「意地悪じゃなくて率直な感想よ」

「許さないのー!」


 チョコレートガールの右手、手首以外の部分も全てチョコレートと化した。

 元々の腕よりも質量を増やしながら、桜の顔目がけて飛びかかる。


「美味しいチョコレート、食べさせてあげるのー!」


 とは言えそのチョコレートの速度は、桜にとってはスローモーション。

 数歩分横に飛び、軽々と避ける。


「いらないわよ。泥団子食べる趣味は無いの」


 ……と、つい軽口を叩いてしまったのがいけなかった。


 桜の顔目がけて放たれたチョコレートは、最初から避けられると踏んだ上での陽動。

 本命は、先程桜の指や手の甲に付着した少量。

 桜が飛び跳ねる動きに合わせ、『自然に取れた』風を装ってチョコレートを宙に浮かせた。


 そして桜の口に、茶色い塊が入った。

 

「うわっ苦っ、何? ぺっぺっ」

「あはっ! あははっ!」


 桜の様子を見て、チョコレートガールが腹を抱えて笑い出した。

 水着は完全にずり落ち、顔や腕とは違い日に焼けていない白い胸があらわになっている。


「何がおかしいのよブス」

「ブスはそっち! ブスがチョコちゃんのチョコ食べたの! あはははっ!」

「食ったから何よブス」

「そっちがブス! ブス死ぬの! の! もうすぐ死ぬの! あはっ死ぬのブス!」


 この超能力チョコレートは、元の体積の何倍にも膨れ上がる。

 腕一本で小さな部屋を満たせる程。

 桜の胃に入ったのは少量だが、風呂桶を一杯に出来るくらいには増えるのだ。


「あははっ! すぐ死ぬの、もう死ぬの、ブスブス! 死ぬの!」


 ドロドロに溶けたチョコが持ち主に引き戻され、チョコレートガールの腕が元に戻った。

 しかし右手首の一部分にビー玉サイズの穴が開き、その周囲だけチョコ化を残している。その穴に本来収まっている肉体が、今桜の体内に侵入した部分なのである。


 褐色少女は、一欠けのチョコを膨張させるべく思念を込める。


「死ねなの死ね死ねなのー! 死ねなのっ死ねなのっ死ねなのーっあはははっ」

「んで、いつ死ぬのよ?」

「……の?」


 膨張、しなかった。


「…………えっ、なの……?」


 中々裂けない桜の腹を、不思議そうに眺めるチョコレートガール。

 不意に痛みを感じ、自身の腕を見た。


「えっ? えっ? えっ?」


 右手首の穴から、血が流れている。

 チョコレート化し切り離した部分から流血するのは、今まで無かった事である。


「えっ? えっ? えっ? えっ? えっ? えっ?」


 慌てて傷を押さえる。しかしそれが逆に血管を刺激し、一気に血が噴き出てしまった。


「い、痛いのー……痛いの痛いの痛いのー!」

「馬鹿ねーあんた。他人の腹に入れるのなら、万一消化されても困らない爪とか髪とかにしときなさいよ」


 桜がけらけらと笑う。


 本当に桜の胃酸で消化したわけではない。

 体内に侵入したチョコレートを念動力サイコキネシスで包み込み、膨張出来なくする。そしてそのまま圧力をかけ続け、分子レベルで粉砕したのだ。


「でも、体から分離した一部を抹消すると、こうやって本体にもダメージが行くのね。ちびっこ先生やあのお爺さんもそうなのかなー?」


 桜は少女の血飛沫を見ながら、いつも戦っている忍者やその親玉を思い出し……



「時空の因果で繋がっているのさ、桜」



 と、自分自身でも気付かぬ無意識の内に呟いた。

 そんな余裕顔――ヒーローマスクをしているので表情は分からないが――の桜を見て、チョコレートガールは整った顔を歪ませる。


「痛いの……痛いの……どうしてこんなイヂワルするの!?」


 褐色の頬に涙が伝った。


「な~によ今更。散々人殺してたクセに」

「チョコちゃんは人を叩いても良いの! 切っても良いの! 刺しても良いの! 破裂させても良いの! 壊しても良いのー!」


 チョコレートガールは興奮し、幼子のように手足を振り回し叫んだ。


「でも他の人がチョコちゃんを叩いちゃ駄目なの! の! チョコちゃんは可愛いから叩いちゃ駄目なの! そんなの常識なの常識なのー! 可愛いは叩いちゃ駄目なの駄目なの駄目なのー! のー! 常識なの! チョコちゃんは駄目なの! 可愛いの! 常識! 駄目なの駄目なの駄目なの! 駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの」


 その異様な様子に、桜は眉をひそめる。


「はあ~? 何この子、頭イっちゃってるのかしら?」

「駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの駄目なの……はー」


 チョコレートガールは大きく息を吐き、そして吸い、


「駄目なのーーーおおおお!」


 全身をチョコレートに変化させた。

 どろりとした茶色い液体が凄まじい勢いで体積を増やす。まるで床から噴き出る水柱ならぬチョコ柱となって、瞬時に屋敷を埋め尽くそうとする。

 これには桜も少々慌てた。


「ちょっと落ち着きなさいよ! なにこれキモーい!」


 桜は壁を蹴り破り、外へ退避した。

 破壊音を聞きつけ、すかさずスターダスト・バトルの撮影部隊、それに報道関係者達がカメラを向ける。


「あっ、あれはカラテガール! カラテガールがチョコレートガールを退治しているようです!」

「おい撮れ撮れ、撮りまくれ!」


 チョコレートの圧力でめきめきと破壊されてゆく邸宅を気にしつつも、桜は活気あるカメラマン達の方へと振り向く。


「げっ、しまった……撮られちゃってる……」


 苦々しげに言った。

 プロのカメラマン達だけでなく、警察機動隊や野次馬達にも見られている。野次馬の中にはスマホで撮影している者も多数。


 ネットやテレビで放送されるパターンだ。

 これでは敵を殺せない。

 殺しても妹に頼んで生き返らせる事は出来るが、それでも一度殺したという事実が残るのは、キルシュリーパーのヒーローイメージとして痛手だ。


 スターダスト・バトルのヒーロー達はたまに敵を殺して、一部ファンにはそれが支持されている。

 だが今日も学校で議題に上がったように、当たり前だが殺人は社会悪。

 あのヒーローは非教育的だ。なんてレッテルが張られるのは、避けなければならない。

 煽情的な服装のせいで、既にそのレッテルは張られているような気もするが。


 それに弟にバレたら怒られてしまう。

 最悪「もう姉さんなんて知りません」と愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 全裸でベッドに潜り込んで体中をベタベタ触ったり、腕を掴んで無理矢理触らせたりした時に、今までは、


「……やめてください、姉さん……」


 と少し恥じらいのある表情だったのに、今後は、


「…………チッ」


 と、冷めた目で舌打ちされちゃうかもしれない。

 そんなのヤダ。

 月一くらいなら興奮するけど、今後ずっとそれはヤダ。


「あたしはスターなんちゃらみたいなチャチなヒーローごっことは違って、アイドル性や姉の威厳を大切にしてるのに!」


 そう考えていると、屋敷から更なる轟音が鳴り響いた。

 屋根を突き破り、巨大なチョコレートの右腕が現れたのだ。

 大木のような手首に、赤い血が混じっている。


「許さないの! 許さないのー!」


 少女の声と共に、巨大腕が地面を叩く。屋敷は完全に倒壊した。


 野次馬達が恐れをなして逃げ出す。

 が、警察機動隊と報道カメラマン達は逃げない。使命感とプロ根性に溢れているのである。

 ちなみにスターダスト・バトル運営のカメラマンは逃げた。


 一方桜は巨大チョコレートを眺め、


「じゃあ、この腕だけ貰っていこっかな~」


 と呑気に笑っている。


「死ねなの! 死ねなの! のー!」


 空を裂く音と共に、襲い掛かってくる腕。

 桜はその場から一歩も動かず、左手でそれを指差した。


「殺すのっ、殺すのっ、のーー! ぺちゃんこにプチッてしてあげるのー!」


 という宣言とはあべこべに、巨大な右手が、宙に固定されたかのようにピタリと静止する。


「うっ……動け、動け動け動け動けなのー!」


 しかし、動かない。


 ビー玉サイズだろうが、豪邸より大きかろうが、桜にとっては同じ事。

 先程のように、念動力でチョコレートガールの腕の動きを止めたのである。

 そしてやはり全く同じ手順で、圧力をかけていく。


「潰れなさい」

「や、いや、痛いの痛いの痛いのー!」


 巨大な腕が、無理矢理縮められていく。

 圧縮されたことで茶色が色濃く変色し、黒くなり……


「ああああああー!」


 悲鳴だけが響き渡る。

 腕自体は、音も無く砕け消えてしまった。


 そして腕以外の巨大チョコレートも消え、その代わりに、荒い息の褐色水着少女が瓦礫の上に立っていた。

 右肩から先が無くなり、血がぼとぼとと地面に垂れている。


「あーらら、戻っちゃったんだ。ぺちゃんこにするんじゃなかったの? うふふ、さっきまでの巨大泥人形の方が、今のブスな姿より美人だったわよ?」

「殺すの。殺すの。絶対殺すの。殺すの。殺すの。殺すの。殺すの。殺すの。殺すの」


 チョコレートガールは繰り返し恨み言を呟き、野生の獣のような眼で桜を睨みつけた。

 しばらくそのまま対峙していたが、残った左腕で急に自分の頭を掻きむしり、冷静になろうとする。


「殺すの。殺すの。殺すの……」

「か、確保だー!」


 どうやら弱っている今こそチャンスだと考えた警察機動隊が、チョコレートガールを捕まえようと動き出した。


「殺すの。殺すの。殺すの。殺すから待ってろなのー!」


 しかし彼女は再び全身を液状化させ、今度は膨張せずに、側溝の中へと入り込む。

 そしてそのまま逃げ出したのであった。


 桜は超能力で聴力を強化させ、チョコレートガールが遠くへと移動しているのを確認した。

 今はあえて追わないことにする。


「いつでも殺しにきなさい。ただし、カメラが回ってない所でね」


 ヒーローマスクの下で、冷酷な目をして優艶な笑みを浮かべた。

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