-902話 『モービッド・コミュニケーション』

 遥か昔。

 こことは違う宇宙でのお話。


 ひとつの惑星があった。


 この惑星を支配する生物は、全身が毛に覆われ、ツンと立っている二つの耳を持ち、目鼻口が顔の前面に寄り、牙を生やし、鼻の横から長い髭が生えている。足が四本あり、前足の指は五本、後ろ脚の指は四本。肉球付き。


 端的に述べれば、地球の猫にそっくりであった。

 猫よりも知能は高いのだが。


 彼らは外見通り、ニャーニャーと鳴く。

 だがそれは彼らの中ではきちんとした言語になっており、


「ニャーニャー」

「ニャーニャー」

「ニャーニャー」

「ニャーニャー」


 の意味は、


「へい、調子はどうだいブラザー」

「おっほほほ~う。今日の俺はご機嫌だぜ。まさに自由を謳歌しているのさ」

「ほう、そりゃまたどうしてだい?」

「ワイフが実家に帰っちまったんだよ! HAHAHA!」


 という具合だ。


 ただこのままでは難解すぎるので、今後は普通の会話に訳す。



 そんなニャーニャーとした言語だろうと、会話が苦手なひとはどこにでもいるものだ。

 フィクスという、青年になりかけの少年もそうだった。


「わー、凄い凄いテレビのまんま!」

「でかいケーキんニャ!」

「かわいいー!」


 上記はフィクスの台詞では無い。フィクスの芸を見た観客達の反応だ。

 当のフィクスは、


「…………ども」


 暗く、ぼそりと呟いた。

 その声は誰にも届いていない。


 その広場には、有名猫や、テレビ番組のヒーローや、怪獣や、巨大なお菓子や、喋るペットなどが現れていた。

 全てフィクスが出した、『実態のある幻影』だ。

 観客達に笑顔を振りまき、一緒に遊んだり、食べられたりしている。


「ねー、これどうニャってんの?」

「…………」


 愛想良い幻影達とは対照的に、フィクスは無表情なまま何も答えない。

 話しかけた客は「そういうキャラ付けニャんだろう」と考え、それ以上追及しなかった。

 フィクスはカラフルでコミカルな服と帽子を着用し、地球で言うところの道化ピエロを演じているのだ。


 ただ、喋らなかったのはピエロだからではなく、口下手すぎて台詞が出てこなかっただけだ。


 口下手にも、お喋り好きだが話が上手くないタイプや、猫前ひとまえが苦手でアタフタしてしまうタイプなど、色々な種類がある。

 フィクスは『声を出す事自体が嫌いなタイプ』。独り言さえも口にしない。

 その口下手に加えて、白く短い体毛によるシャープな身体に、ムスッと不機嫌な目付き。生まれつきのもので実際に不機嫌なわけではないのだが、このせいで周りからは怖いひとだと思われがちである。



 外見はともかくとして、そんな性格のせいでフィクスは真面目に学校にも行かず、職にも就かなかった。

 だがいつまでも無職でいるわけにはいかない。何かで金を稼ぐ必要がある。

 とは言え、ひとと喋るのは嫌だ。誰かに雇われるなんて冗談じゃない。

 他猫たにんと関わるのが嫌なわけでは無い。

 ただ、喋るのが嫌なのだ。


 そんなわけでストリートパフォーマンスとして大道芸をし、日銭を稼ぐことにした。

 ピエロならば喋らなくても良い。


 どうして大道芸かと言うと、フィクスには特別な『力』があったからだ。

 それは単純ながら強大な力。

 考えた物を実体化出来るのである。

 生き物、食べ物、無機物。空気だろうがお手のもの。


 その能力を手品だと言って披露しひとを楽しませ、金子きんすを貰っているのである。

 そう、あくまでも手品として。



「本当に手品なんかニャー?」



 パフォーマンスが終わり、帰り支度をしているフィクスに、黒い長毛種の少女が話しかけてきた。

 フィクスより少し年下だろうか。瞳孔を細く縦長にし、疑い深い顔を向けている。


「…………ああ」


 本当に手品だよ。とフィクスは言いたいが、途中で喋るのをやめた。

 ただ少女は「ああ」だけで意図を察したらしく、


「はっ! 嘘よ嘘。あんな手品あるわけニャいでしょ、この大ウソつきの童貞野郎。テメエのケツでも掘ってニャ!」


 唐突に暴言を吐いた。


「…………あ」


 フィクスは何と答えれば良いのか迷い、とりあえず口を開け「あ」とだけ言った後、別に返事しなくてもいいかと思い直し口を閉じた。

 一方で唐突な罵詈雑言を口にした少女は、ハッとした表情になり、


「あっしまっ……あ……ごめ……いや……わ、わかったかしら!? 次は正直に話して貰うわよ! また来てあげるんニャからね!」


 そう叫びながら、四本足で走り去っていった。




 ◇




 その黒い少女は翌日も来て、フィクスと目が合うなり、


「ニャによ文句あんのか!? あんたのクッサくてチンケな自称手品を見てあげてんのっ! タマ潰すわよ!」


 と言って小銭を投げつけ、顔を真っ赤にして逃げていった。

 更にその翌日も、またその翌日も、またまたその翌日以降もずっと来て、下品なヤジと小銭を飛ばして帰った。


 フィクスはその少女を多少迷惑だと感じながらも、なんだかんだで金をくれるので、ありがたいリピーターだなと思っていた。




 そんな黒い少女とフィクスの出会いから、十日以上経ったある日。


 その日は大雨で大道芸を中止した。

 フィクスはたまの休日を利用し、日用品等の買い物をするべく店へと向かっていた。

 鞄を背負い、その上から雨合羽がっぱを羽織り、雨の中を四本の足で歩く。

 その途中、いつもパフォーマンスをやっている広場の前を通った。


 ふと広場へ目を向けると、雨の中、一匹の少女がポツンと座っている。


「…………あの」


 フィクスはその少女に近づき、珍しく自分から他猫たにんへ声を掛けた。

 少女は顔を上げる。いつも罵詈雑言を浴びせる、あの黒い長毛種の子だ。


「…………雨」


 今日は雨だから手品はお休みだよ。とフィクスは言いたかったが、言葉を発するのが嫌だったので途中でやめた。

 だがこの少女には、「雨」の一言だけでも充分意図が伝わった。


「ニャによ……せ、せっかくこの私が見に来てあげてたのに! 雨くらいでやめるなんて、この変態腰抜け野郎め! 雨水でそのキッタねえ股でも洗ってな!」

「…………」


 せっかく来てくれていた常連客に対し、フィクスは謝ろうかと考えたが、謝罪の台詞が特に思い浮かばなかった。

 どう言おうかとしばらく迷った後、『力』を使う。


「ごめんねー許して! ハハッ!」


 明るい声でそう言ったのは、テレビコマーシャルで謝罪の台詞を言っているキャラクターだ。

 なんとなくこのキャラクターを思い出したので、実体化させてみた。


 そのキャラクターは、毒々しいまでに不自然な緑色の毛を生やした猫である。

 フィクスはいつもコマーシャルを流し見するので、このキャラが何を謝っているのかは知らない。

 実寸も不明なので、適当に手の平サイズにした。


「……プッ、ふふふ……」


 黒い少女は謝罪キャラクターを見て、耐え切れないように噴き出した後、


「はっ……いや、ニャによこんなの! ふん、ホントチンケねあんたの『手品』。そのショッボい猫生じんせいを象徴してるわ!」


 気不味そうに赤面し、いつものように威勢よく悪口を言った。

 そうして一通り罵声を浴びせた後、急に静かになり、フィクスの出したキャラクターをじっと見つめる。


「ねえ、やっぱりさ」


 少女はキャラクターとフィクスの顔を交互に見て、少々ためらうように尋ねる。


「これ手品じゃニャいでしょ? 魔法とか超能力とか、そういうたぐいニャろ?」

「…………」


 どう答えれば良いのか考えた結果、面倒臭くなって何も言わないフィクス。

 そのフィクスの態度をどう受け取ったのか、少女は顔を伏せる。


「……私もね、魔法使えるんニャよ」


 次の瞬間、フィクスの目の前が真っ白になった。


「…………ここ?」


 ここはどこだ? とフィクスは言いたかった。


 一面、真っ白。

 ただただ白い中に、フィクスと少女だけがいる。

 二匹は、この白い空間にワープして来たのだ。


「ここはね、私の魔法で出来た世界ニャのよ。私はこんなカンジに、変な空間を作れんの」


 少女は、照れ隠しのようにフィクスを睨みつけながら説明する。


「白い白い白い、白しかない世界。あんたの地味できったない白い毛とお似合いね!」


 少女は活き活きと誹謗を口にし、それが終わると急に元気を無くして下を向いた。


「ニャにも無い世界だけどね……ほんと、しょうもニャい魔法よ。あんたみたいに金稼ぐことも出来ないし」

「…………稼ぐ」


 少女の言葉を聞き、フィクスは目を閉じ意識を集中させた。

 この白い世界の中で、イメージを具現化する。


「ごめんねー許して! ハハッ!」

「ごめんねー許して! ハハッ!」

「ごめんねー許して! ハハッ!」

「ちょっ、ちょっと待ちニャさいよ! ニャにしてんの!」


 例のコマーシャルキャラクターを何体も出現させたのだ。

 数えきれない程の緑の猫に囲まれ、少女は「キモイ! 不審者ども! 死んじまえアナル野郎ども!」と喚き散らす。

 不評なようなので、フィクスはキャラクター達を全て消した。


「…………雨の日…………会場」


 今日のような雨の日に、この白い空間を会場代わりにしてパフォーマンスが出来る。それで金を稼ぐ事も出来るかもしれない。

 と、フィクスは言いたかった。

 察しの良い少女は、フィクスの意図を概ね理解する。


「ニャるほどね、ウスノロ野郎にしては良いアイデアじゃニャいの! ああでもそうだそれニャらさ、ほら、ニャんていうか付加価値? みたいニャのが欲しいじゃない? そうだこうしよう、『本の世界にようこそ!』みたいにゃキャッチコピーでさ。適当な絵本でも持って来て、その本に私が白い世界をセットしてあげるんニャ。そしてあんたが登場猫物じんぶつや舞台を実体化させて、白い世界に配置して、『絵本の世界』に仕立て上げニャ。そんで本を開いたひとが、その物語を体験出来るっていう」


 少女は次々とビジネス企画を語った。

 さも今考えたように言っているが、実は少女が前々から温めていたものである。

 フィクスの大道芸が手品では無いと見抜いたあの日から、ずっと考えていたアイデア。

 そして、ずっと提案しようと思っていたアイデア。


 少女は異常な程に口が悪く、素直になれない性格だ。

 そのためアイデアを提案するよりも前にフィクスへ悪口をぶつけてしまい、中々言い出せなかったのだが。

 今こうやって、やっと伝えることが出来た。


 楽しそうに喋り続ける少女を見ながら、フィクスは前足を自分の顔につけ、


「…………フィクス」


 と名前を言った。自己紹介のつもりである。

 少女もそれを理解し、


「ふんっ、そのマヌケ面にお似合いのアホらしい大馬鹿ネームね!」


 と辛らつな台詞を吐いた後、顔を赤くして言う。


「私はルミナレスよ……文句あんのかニャ!?」



 そうしてフィクスとルミナレスは、ビジネスパートナーになった。




 ◇




「そんで、本を開いたひとを片っ端から『本の世界』に閉じ込めるんニャ!」

「…………迷惑」

「はっ!? テメーの糞みたいな怖い顔の方が、よっぽど社会に迷惑かけてんだろーニャよ!」


 絵本パフォーマンスの構想を練る中においても、ルミナレスの毒舌は絶好調であった。


「分かったわよ。じゃあこの本に強く興味を持っている猫だけ、招待するようにすれば良いんニャろ」

「…………」

「おい! ニャんとか言えよブサイク童貞!」

「…………」


 フィクスは念じ、例のコマーシャルキャラクターを出現させる。


「ごめんねー許して! ハハッ!」

「……ぷっ、ふふふふ……はっ、あ、アホ野郎! ケツ舐めやがれ!」


 口下手すぎるフィクスと、口が悪すぎるルミナレス。

 二匹の猫は、病的な程に不器用な交流で、『絵本の世界』の魔法を完成させていった。


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