50話 『姉と弟は魔女と再会する』

「♪ああ~! 足があるってどういう気持ちなのかしら~。って、お姉様達に聞いても、私達人魚には分からないわーよーね~ぇえ!」


 尾ひれで泳ぐ人魚姫が、に泳ぐテルミと桜に向かってそう歌った。


 ちなみに現在海の中にいるのだが、どういう理屈か呼吸は出来ている。

 真奥まおく姉弟は上半身に貝殻水着、下半身に何故かウェットスーツというちぐはぐな恰好をしているが、周りからは本物の人魚に見えているらしい。


「いや、あたし達には足あるんだけどさ。ほら見なさいよ」


 桜は人魚姫の眼前まで足を伸ばし、見せつけようとした。

 その挑発的なポーズにテルミは顔をしかめ、「姉さん下品です」と苦言を呈す。

 一方の人魚姫は、面白そうに笑うばかり。


「♪まあウフフフ~お姉様ったら、冗談がお好きなんだから~!」

「いや見なさいっつってんの。足あんでしょうがよ」

「♪うふふふおほほほ」

「おい見ろってのメス魚」

「姉さん、言葉遣いが汚いですよ」


 テルミにいさめられ、桜は「なによー」と頬を膨らませた。


 人魚姫、テルミ、桜の三人は『海の魔女』なる老婆の元へ行こうとしている。

 本来なら人魚姫一人で行くのだが、


「もしかすると魔女さんの所に、コウさんもいるかもしれません」


 というテルミの考えがあり、共に行くと決めた。

 前回の『ブレーメンの音楽隊』の世界で、コウは今までとは違う唐突な消え方をした。何か気になる。早く探し出し、安否を確認したい。


 魔女の住処にいなくとも、人魚姫にずっと付き添っていればコウに会えるかもしれない。童話の脇役は往々にして、主役とどこかで関わるものだ。


「♪でも~お姉様達が一緒に来てくれて良かった~わ~。ホントはこの胸の中、不安でいっぱいでしたの~よ~! そう、雨に打たれる葉っぱのように~タンタンタンタンと鼓動が鳴り響いていたの~。それは期待のときめきとー憂慮の鼓動ー。足が浮いてしまいそうで~怖かったのぉ~!」


 人魚姫はテルミの両手を握り、踊りだした。


「それなら良かったです」


 テルミはに微笑んでみせる。

 桜は「テルちゃんって妹属性に弱いわよね」と言って不満気な顔になり、弟の尻をわし掴みにした。


「それより姉さん。人魚姫と言えばこの後……」


 テルミは桜に小声で囁いた。


 人魚姫、今後のストーリー。

 人魚姫は海の魔女から足が生える薬を貰う。そしてその代償に声を奪われる。

 その後、人魚姫は王子と再開するが、声を失っているので満足に語り合う事も出来ない。

 そして王子は他の女性と結婚し、人魚姫は海の泡となり消えてしまう。


「あーそう言えばそんなカンジのお話だったわね。あたしその手の悲恋話って嫌いなのよね」

「このままでは人魚姫さんが可哀想ですよ」


 テルミは尻を揉み続ける姉の手を払い、真摯な目で訴えかける。


「せめて声を奪わないよう、魔女さんに相談してみましょう」

「えー。そんな簡単に代償を変えられるもんなのかなー?」




 ◇




「良い良い、分かった分かった。じゃあ声は奪わないよ」


 テルミの相談に魔女が即答した。

 簡単に変えられるものだったらしい。


「そ、そんなあっさりと……良いのですか?」


 もっと拗れると思っていたテルミは、安堵すると同時に少々拍子抜けした。

 そんなテルミの目の前で魔女は大きく息を吸い込む。すると例の如く、どこからともなく音楽が流れた。


「♪だって~、そっちの方が、あんたらも楽しいんでしょ~がよぉ~?」

「楽しい……ですね。はい。それはそうですが」


 テルミはそう返事して、魔女の姿を眺める。

 海の魔女は年老いた女性である。テルミはそのしわだらけな顔に、どうしてか既視感を覚えた。


「そんな適当に決めちゃっても良いもんなの?」

「♪良いもんじゃよ~」


 桜の問いに、魔女は朗らかに歌って答えた。

 歌声は朗らかだが、よく見ると投げやりな表情である。魔女は戸棚を乱暴に開け小瓶を取り出し、人魚姫へ押し付けるように渡した。


「♪それよりさっさと陸に行ってこの薬飲みな人魚姫~。そして王子のトコでもどこでも好きに行きな~」

「♪はいありがとうございます、海の魔女様ぁ~! ああ、今日はなんて素敵な日よ~。今私の瞳に輝く金色の星が」

「いいからさっさと行きな!」

「きゃあっ!」


 魔女は杖で人魚姫の尾を叩き、催促した。

 テルミはその姿を見て、はっと気付く。


「♪痛いじゃないの~魔女様~! でも分かりましたぁ~、行ってきまぁ~す。ありがとぉー! あ~りが~と~お~」


 そう言って人魚姫は魔女に挨拶し、薬瓶片手に出発した。

 テルミは追おうかどうか迷ったが、考えた末この場に残ると決め、人魚姫の後姿を見送る。


 人魚姫が去った後、テルミは改めて魔女と向き合った。


「お婆さん。あなたシンデレラの世界にもいた魔女さんですよね?」


 その言葉を聞いた魔女は、企みがばれた悪役のように性悪な笑みを浮かべ……る事などはせず、


「ああそうだよ。気付くの遅いよ小娘!」


 と、あっけらかんに言って、テルミの太ももを杖で叩いた。


「痛っ……すみません、僕は娘ではなく男で……」

「どうでも良いんだよ!」


 再び叩かれる太もも。薄手のウェットスーツなので殊更痛い。


「ちょっとお婆ちゃん、あたしのテルちゃんに何すんのよ。そのシワクチャの顔にアイロンかけるわよ。おーよしよしテルちゃん、痛かった~?」


 桜は文句を言いつつも、ここぞとばかりにテルミの足を撫でる。しゃがんで弟の太ももに顔を近づけ、指を這わせ、息を吹きかけ、


「姉さん、やめてください」


 と、冷ややかな目で叱られた。

 弟に怒られ何故か満ち足りた表情になった桜は、立ち上がり、改めて魔女に尋ねる。


「ところでお婆ちゃん。シンデレラの世界にもいたって事は、あたし達と同じように『現実世界』から来て閉じ込められちゃったクチなのかしら?」

「いんや、私は最初からこの世界の住民だよ。ただそうさね、ここが『本の世界』だって知ってるし、他の奴らみたいに何がなんでも歌うってのはやんないよ。主役達の前では仕方なく歌うがね」


 魔女は杖を地面に突きたて、バランスを取りながら椅子に座った。

 真奥姉弟は顔を見合わせた後、再び魔女を見る。すると老婆はしかめっ面で二人を睨みつけ、


「それにしてもあんたら、いつまでも居座りすぎなんだよ! さっさと満足して元の世界に帰っておくれ。もう私もいい加減疲れた!」


 と言って、椅子の上でうな垂れた。

 その魔女の台詞に、テルミと桜は驚く。


「帰れるの!?」

「……帰れるのですか?」

「そりゃあ帰れるさ」


 事も無げに言う魔女に、姉弟二人は詰め寄った。


「どうやって帰んのよ?」

「教えていただけないでしょうか」

「簡単さ。さっきも言っただろ」


 魔女はくたびれた顔で説明する。


「満足すれば良いのさ。この世界に満足すれば帰れる」

「ま、満足……?」


 姉弟は、またまた顔を見合わせる。


「ああ満足さ。笑い転げるのもいいし、泣きはらすのも良い。芯から恐怖するのもアリだ。どんな感情だろうと、要は『この世界』を堪能すれば良いのさ」

「堪能ってのはつまりー、コメディ映画で笑ったり、悲劇映画で涙を流したり、ホラー映画で怖くなったりするように?」

「私ぁ映画ってもんは見た事無いけど、そんなトコだわな」


 桜の問いに、魔女は深く頷いた。


「この世界に来た人間はとして本のエピソードを体験し、堪能する。役柄はランダムさ。終わり際のチョイ役になっちまった場合は、堪能なんてする余裕ないが……そういう場合は、さっさと次のエピソードへ行く」

「どうして主役じゃなくて、脇役なのですか?」


 そのテルミの質問に、魔女は首を傾げる。


「どうしてだろうねえ、私も知らないよ。とにかくこの世界は、あんたら人間を楽しませようとしているのさ」

「楽しませる~?」


 桜は疑い深い目で魔女を見る。


「どうしてそんな事すんのよ、ボランティア活動じゃあるまいし。あたしそういうの信じられないのよね~」

「そういう風に出来てるんだから仕方ないだろ!」


 魔女は杖を振り上げ、桜の足を叩こうとした。だが桜は軽く避ける。


「小癪な小娘っ……まあ良い、話を続けるよ……何はともあれだね、ここに来た人間は皆なんとなしに状況を受け入れ、自然と登場人物になり切ろうとするんだよ。だがね、あんたらはそれを全くやろうとしない! そこのあんたが変な力を出してるせいだよ!」


 魔女は桜を指差した。


「えー、あたし? 知らないわよ。難癖付けないでよね」


 桜は唇を尖らせる。

 しかし実際に、テルミ達がどうにも脇役としての役目をまっとう出来ないのは、桜が持つ大魔王の力が原因であった。


 本来この世界では、『本のストーリー通りに行動しよう』という意思の力が働く。しかし今回は、大魔王の力がそれを阻害していたのだ。

 テルミ達は自分の思うまま好き勝手に振る舞う事が可能となり、結果として役になり切れず、物語への感情移入も出来なくなった。

 そのせいでいつまでも満足出来ず、多くの童話をたらい回しにされたのである。


「なるほど……」


 テルミは顎に手を当て考える。

 満足……猫を撫でてほっこりしたくらいで、確かに心底笑ったり悲しんだりはしていない気がする。


「……そう言えばコウさんは、『満足した』と言った瞬間に消えてしまいましたが」

「そうさね。あのうるさいネズミ女は、食い物に満足して元の世界に帰ったよ。ダッサいジャージ姿に戻ってね。物語とは関係ない部分で満足されるのは本意ではないけど、いつまでも居座られるよりはマシさね」


 その説明にテルミは少し安心した。ずっと気にかかってたコウはどうやら無事らしい。

 この老婆の説明を全面的に信用するなら、の話ではあるが。


「だから私はさっきも人魚姫の声を奪わず、ついでに王子の気持ちが人魚姫に向くような魔法もかけて、あんた達が好きそうな幸せ展開に変えてやったのさ! ……わざわざそこまでやったのに、あんたらが人魚姫を追わなかったせいで、満足するハッピーエンドを見られないまま終わりそうだがね」


 そう愚痴を言う魔女の目をまっすぐに見て、テルミは質問を続けた。


「魔女さんは、この世界にとって神様のような存在なのですか?」

「いいや違うね。言ってみれば雇われ管理人って所かね。ここが『本の世界』だと知っている唯一のキャラクターだけどね。私も結局はこの世界と同じく、作り物さね」

「作り物……?」


 テルミはその言葉に引っかかった。


「待ってください。その言い方ではまるで……この人魚姫の世界も、シンデレラの世界も、赤ずきんの世界も全て……『世界自体が作り物』だという意味に聞こえましたが」

「ああ、そう言ったのさ」


 テルミは目を見開いた。


 以前、コウが妄想で作り上げた荒唐無稽な異世界について、「似たような惑星は本当にある」と妹が教えてくれた。

 あれと同じように、今回もてっきり『童話に似ている惑星が元々あり、そこにワープした』ものだと考えていたのだ。


「それは本当に『童話と同じ世界を作った』という意味なのでしょうか。それとも、全ては幻覚で見せている世界という……」

「ごちゃごちゃうるさいね小娘! 幻覚なんかじゃないよ。エピソードごとに世界が新しく作り直されてるのさ。それを知覚できるのは何故か私だけ……異端児が来た時、対応するためなんだろうがね。今みたいにね!」


 世界を作る。

 そんな大仰な事が、はたして出来るのであろうか。


 ふとテルミは、シンデレラの世界で見えない壁に阻まれ、町から出られなかったのを思い出した。

 今考えてみると、あれはまるで壁から先の世界が『まだ出来ていなかった』ようにも思える。


「じゃあその『作ってる』のは、どこのどいつよ? ぶん殴ってやるから教えなさいお婆ちゃん」


 桜は指をぽきぽきと鳴らした。

 魔女は「物騒だねあんた」と眉を潜める。


「だけど意気込んでるトコすまないけど、私ぁそんなの知らないよ」

「し、知らないのですか?」

「ああ知らないね」




 ◇




「なあお前はどうだ、テルミ! 満足したか!」


 ジャージ姿の女子高生、伊吹こうが、前面の空間を指差してそう言い放った。

 しかし指の先には、さっきまでいたはずのテルミの姿が無い。代わりに二人の小学生。


「……あれ? ここは……?」


 コウは絵本の世界から無事帰還し、元の恰好で元の路地に立っていた。

 目の前にはテルミの妹である真奥莉羅りら

 そして四つん這いで地べたに手を付く少女、


「ワンワンキャンキャンワォーンワォーンワンワンワンワンワン!」

「うわっ!? なんだなんだ痛い痛い噛むなよ、ちびっこ!」


 妖怪犬神チャカ子。芸名八女やめ茶菓チャカ子がいた。

 そしてコウはその犬神から、出会い頭に腕を思いっきり噛まれたのである。


「痛い痛いやめろよ! テルミと生徒会長はどこだ!? っていうかこのちびっこは何で俺を噛むんだよ!」

「ぐるるるるる……クソダサジャージ浅葱裏あさぎうら、いやカラテガール! ぶっ殺すクッキングでありんすワン!」


 チャカ子は、カラテガールことキルシュリーパーの正体をコウだと勘違いし、命を狙っているのだ。

 莉羅はその勘違いを知っているが、面倒臭いので正そうとはしなかった。


「まーまー……クッキングしても、別に良いけど……とりあえず後にして……今は落ち着いて、チャカ子ちゃん……」

「がぶがぶ……莉羅ちゃんがそう言うなら、今日の所は見逃してやってもようござりんすワン」

「じゃあ噛むのやめろよな!」


 莉羅の説得で一応落ち着いたが、チャカ子はコウの腕から牙を離さない。

 仕方がないので、コウはチャカ子をぶら下げたまま地面を見た。

 落ちている『日本・世界の童話全集(ヒアリングCD付き)』を発見し、拾い上げる。


「それより聞いてくれちびっこ! 今この本で」

「うん……知ってる……強大な『力』が、使われた形跡もある……にーちゃんと、ねーちゃんも……その中……だね?」


 全て言わなくとも察してくれる莉羅に、コウは感嘆した。


「さすがちびっこ、やっぱり知ってるのか! 知ってるだろ! 知ってるなその顔はー!」

「うん……知って、る……けど、ウザっ……」


 叫びながら近づいて来るコウの顔を、莉羅は迷惑そうに押し退けた。


「莉羅ちゃん莉羅ちゃん。本がどうしたんでありんすワン?」

「……その本に、宿っている……『力』がね……本の紙と紙との間に、薄く小さな疑似宇宙を、作ってるの……本来なら、生身の別宇宙間移動は、不可能に近いけど……疑似宇宙なら、なんとかこなせる……ただし……そこでの、時間の概念は……とても流動的で……」

「何言ってるのか分からん!」

「何言ってるのか分からないでありんすワン!」


 一人と一匹から同じツッコミを受け、莉羅は溜息を吐き台詞を中断した。

 コウから本を受け取り、その『力』の名前を告げる。


「元の持ち主は、こう呼んでた……地球の言語で、訳すと……病的なまでの想像力モービッド・イマジネーション……」

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