35話 『姉と魔王のざわめき』

「ふーん。大魔王の力ねえ」

「離せカラテガール! 真奥まおくくんを一人残したままなんだぞ、離せ!」

「ちょっと黙ってなさいよ忍者」

「いたたたたた、やめて……あ、いや……や、やめろ!」


 グロリオサは桜に右腕を捻られ、倉庫の屋根上にうつ伏せに押さえ付けられている。

 抵抗しようとするが、力の差がありすぎて敵わない。

 体勢と腕の痛みのせいで集中できず、毒霧にも変化できない。


 桜はグロリオサの背中に乗り腰を落ち着かせ、体内の魔力を眼と耳に集中させる。

 すると数百メートル離れた男湯施設の上空に、蜃気楼のような影がぼんやりと見えてきた。


 その影とは、ウサギとオカマの形をした二つのエネルギー体。


「リラリラ、テルるん。ありがとぉん! 困ったことがあったらいつでも呼んでねぇん!」


 そう言いながら空へ飛び立っていく。

 呪いから解き放たれたロンギゼタは、とりあえず気ままに地球上を観光旅行するらしい。


 桜は彼らの魂を見送りながら、つまらなそうな表情を浮かべた。


「あっさり終わっちゃったみたい。なーんか、あたしとしては不完全燃焼ね」

「終わった? な、何を言っているんだカラテガール。早くしないと真奥くんが……!」


 グロリオサは必死に桜の手を振りほどこうと、もがいている。

 この小さな殺し屋は、ロンギゼタの一件に決着がついた事……いや、そもそもロンギゼタの事を知らない。


 服に着替えたテルミが男湯から出てきた。

 慌てた顔で女湯の方へ走っている。

 先輩女子達も襲われていたと知り、彼女たちの様子を確認しに行ったのだ。


 ちなみに莉羅は、桜から再び魔力を借りてテレポートで帰宅した。


「あーほら。テル……真奥くんって少年は無事みたいよ。女の子達の元に向かってるみたい」

「何……? くっ、見えない……とにかく早く離せー!」


 なおも暴れるグロリオサを適当にあしらいながら、桜は考えた。



 莉羅達の会話、そして送られて来た過去映像によると、ロンギゼタとやらに自分と同じ大魔王の力が宿っていたらしい。

 そしてその力の一つに、『治癒能力』なるものもあるという。


 桜にそんな能力は無い。

 いや、今までやろうとも思わなかっただけか。


「あたしも使えるのかな~? うーん……試してみるかー」


 桜は軽い口調で言って、手に力を入れた。


「お、おい? 何を試そうと言うのだカラテガー……」



 グロリオサの右手上腕骨が、真っ二つに折れた。



「…………っ!? あ、ああああっ!?」


 骨が砕けた音から少し遅れ、グロリオサの叫び声が上がった。


「な、あっ……私の腕……っ!」

「あっれ~? どうやって治すんだろう。あたしじゃ出来ないのかな?」

「うっ……ぐぅぅっ……!」


 魔力を患部に送り込んでみたが、グロリオサの苦痛が増すばかりである。

 桜に治癒能力は向いていないらしい。


 グロリオサは目を充血させ歯を食いしばり、必死に痛みをこらえている。


「カラテガール……貴様、なんて事を……!」

「忍者、あんた敵でしょ。これくらい覚悟の上じゃないの? ……ちょっと、何よその目は」


 グロリオサは怒りに震えながら首を捻り、上に乗っている桜を睨みつけた。

 その怒りは腕の痛みのせいだけで無く、桜から送り込まれている魔力が感情を刺激している影響もある。


 グロリオサの手足の先が一瞬だけ霧状になり、ゆらりと揺れた。


「へえ。あんたそんな殺気込めた眼差しも出来たんだ。それに、気付かない内に毒霧の力が漏れてるみたいだけど……ふふっ」


 桜の胸がざわついた。


 普段は歯牙にもかけない弱き敵であるが、今のグロリオサは本気で怒っている。

 この殺し屋が所有している『宇宙災害グロリオサ』の能力も、心情に連動し、少しくらい増強されているかもしれない。


 衝動が湧いてくる。


 この目の前にいる女を、




「殺してみたい」




「……ふう、いけないいけない」


 桜は口に出かかった言葉を飲み込んだ。


 どうも気分が高揚している。

 きっとロンギゼタにかけられていた『大魔王の呪い』に、自分の魔力が反応してしまったのだろう。


 深く息を吸い込み、気分を落ち着かせた。



 この場でグロリオサを殺しては駄目だ。

 骨を折ったままにもしておけない。


 いつもならば敵の骨折など放置するか、もしくは更に重症にしてから帰る所。

 だが今の桜には、この殺し屋を負傷させてはならぬ『理由』がある。


「……テルちゃんに怒られちゃうからね」


 と、目の前のグロリオサにも聞こえぬ程の小さな声で、口ごもるように呟いた。


 桜は心の中で「りーらちゃんっ、見てるんでしょ? よろしく~」と妹に呼びかける。

 自宅自室にいる莉羅は、少しだけ苦い顔をして頷いた。


「もう許さないぞカラテガール、今日こそ貴様との決着をつけてやる……!」

「許さないですって~? すこーしだけ強く掴んだだけでしょ」

「少しだと!? 私の腕は…………あ、あれ?」


 グロリオサは右腕の違和感に気付いた。

 先程まで感じていた痛みが、綺麗さっぱり消えている。


 莉羅が桜の魔力を使い、完全に治したのだ。


「……いや、でもさっきは確かに……」


 その時、砂浜の方が騒がしくなった。

 一艘の船が桟橋に着き、数人の警察官が下船している。


「あら、お巡りさんが到着したみたい。あたしの出番もここまでね」


 桜はグロリオサの腕を離し、自由にした。


「じゃあね忍者。バーイ」

「あっ、待て!」


 制止を聞かず、桜は高く飛び上がった。

 そのあまりにも素早い動きは、傍目からは消えたように見える。


 グロリオサはしばらく呆然としていたが、


「……そ、そうだ。あの子達を……!」


 思い出したように屋根から飛び降り、女湯の方へと走り出した。




 ◇




「て、テルミくぅん……ふぇぇぇん!」


 駆けつけたテルミを見て、柊木ひいらぎいずなは緊張の糸が切れ涙をこぼした。

 そしてどさくさに紛れ、テルミの胸に飛び込もうとし……


「あーん輝実てるみさま! 怖かった怖かった怖かったー!」

「痴漢が! 変態が! とにかく大変だったんです!」


 他の女子達に先を越されてしまった。

 いずなは行き場を失いかけたが、めげずにそっとテルミの横に立つ。


「皆さんご無事で良かったです。お怪我などはありませんか?」

「無傷です!」

「輝実さまもー、ホモのヤクザから狙われてたらしいですけどー」

「はい。姉……キルシュリーパーさんに助けて頂きました」


 テルミは改めて先輩達を見た。

 とりあえず顔や腕など肌が見える範囲に、傷および打撲痕は見当たらない。


 ふと、いずなと目が合った。

 いずなの肌にも異変は無いと分かり、テルミはニコリと微笑む。


「はぁぅ……」


 いずなは顔を真っ赤にし、何も言えずに目をぱちくりとさせた。


「でもカラテガール恰好良かったです! こう、敵をばったばったと!」

「そうそうそう! 強かったね!」


 女生徒達はパンチキックを宙に放ち、ヒーローの真似をしながら称えた。


 彼女達の記憶は、莉羅により改ざんされている。

 キルシュリーパーが暴力団へ執行した残虐行為を、何一つ覚えていない。

 まるで時代劇のような快活さで男達を薙ぎ倒し、颯爽と去っていった……と思い込んでいる。


 退治され気絶しているヤクザ達も、軽い怪我だけを残したまま重症部分は治癒している。



「君達、一体何があったんだ! 大丈夫かい!?」



 そこにようやく警察官達、そして背の小さな教師である九蘭くらん百合が、女湯に到着した。

 警察官はすかさず暴力団員達を囲み、捕縛した。

 百合はテルミや女生徒達の無事を確認し、一安心の溜息をつく。


「せんせー、遅いー」

「も、申し訳ない。私は保護者代わりだったのに……」


 百合は悔やむように顔を伏せた。

 その姿は、しょげた子供にしか見えない。


「大丈夫です先生! 私達も輝実さまも平気でした!」

「ションボリな先生もかわいいかわいいかわいい!」

「う、うむ……」


 先程まで怖い思いをしていた生徒達から、逆に気を遣われてしまった。

 九蘭百合はますます落ち込みながらも、とりあえずは「皆が平気ならば良しとしよう」と考える事にした。




「……白々しいわね」


 と桜が言った。

 この島で一番高い木の上に立ちながら、超能力で視力と聴力を強化し、女湯施設内の様子を眺めている。


「さて、お次はあの男」


 そう言って砂浜の方へ顔を向けた。



「は、離せクソ野郎どもぉ……俺を誰だと思ってやがる! 俺は、俺は日本のヤクザの頂点にィィッ!」


 桟橋上で、弱小暴力団の組長である犬舘いぬだて草一が叫んでいた。

 両手両足が折れている草一は、警察官達に抱えられ、護送船まで運ばれている。


「おとなしくしろ!」

「俺に命令すんなクソポリィ! おい601ロクマルイチ! お、俺に力をよこせ……どこだロクマルイチィィィィィィ!」


 涙と鼻水を垂れ流しながら、草一は錯乱している。


「……無様すぎるわね、あのヤクザ。あたしが直々にトドメを刺そうと思ってたけど……あの調子だと、生きたまま苦しんで貰った方が楽しそうね」


 桜は、草一の姿を冷ややかな目で見ながら言う。


「一度手にした大魔王ギエっさんの力が無くなっちゃって、あの男はその『落差』に耐えられるのかしら? あたしは『力』以外にも、容姿、学力、武術、愛し合う弟、と色々持ってるけど」


 キルシュリーパーのヒーローマスクを外した。

 夜の風を肌に感じる。


「ふふっ。あいつは頭悪くて他に取り柄も無さそうだし、自殺しちゃうかも」


 その台詞を言い終わると同時に、桜の胸のざわめきもやっと収まった。


「ううーん」


 と息を漏らし、背伸びをする。


「さて。あたしもそろそろテルちゃん達のトコに出向かないとね。さも今気付きましたって顔してね」


 桜は再び女湯施設を見た。

 テルミと女生徒達は警察に状況説明中である。


 その横で九蘭百合は、テルミの体をペタペタ触って怪我がないか確認している。まるで子供や犬がじゃれついているようだ。


 そんな皆の様子を覗きながら、桜は呟く。


「でも今日はギリギリだったなー。あのロンギゼタの呪いってヤツのせいで、心臓がばくばくしちゃってたもん。もー危うくあの忍者を……」


 そして桜は、とびきり妖艶な笑みを浮かべた。


を、うっかり殺しちゃうトコロだったわ」


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