第四章 勇者、電気、
13話 『弟と渡り廊下でぶつかる在り来たりな出会いと即再開』
「ですから、清掃部に予算は必要ありません」
生徒会室。
テルミは生徒会メンバーに対し、キッパリとそう言ったのだが、
「でもでもでも輝実さま! 今のままじゃお掃除大変ですよ!」
「そうですよそうですよ! この高校では清掃部にこそ部費が必要なんですよ!」
「二百万円くらい出します!」
生徒会メンバーかつ
その後ろでは、姉の桜が不敵に笑っている。
生徒会メンバーほぼ全員が桜に懐柔されているようだ。私物化この上無い。
ちなみに先輩女子達と桜の間で、
「ですが現実として、清掃部に部費は不要でして。二百万円どころか二千円でも持て余してしまいますよ」
「でもでもでも輝実さま!」
その後、先輩達を説得するのにテルミは一時間以上も費やした。
ようやく解放された時には、さすがの武術少年も疲れ切っていた。
そして焦燥し切った弟の姿を見て、生徒会長は冷淡な顔をしながら、
「家に帰ったら、弱ってるテルちゃんにイタズラし放題だわ。楽しみ!」
と、内心うきうきしていた。
◇
窓の外には夕日が出ている。
「ふう……」
テルミは思わずため息をついた。
これから教室で帰り支度をし、また姉達に合流して集団下校だ。
予算の事を掘り返されませんように。と、テルミは夕日に祈りながら渡り廊下を歩く。
そして曲がり角に差し掛かった時、
「おおお! 避けろ危ない!」
と叫びながら急に前方に現れた、ジャージ姿の生徒。
廊下を全力疾走し、ブレーキも掛けずに角を曲がってきた。
いつものテルミなら足音で気付けたはずだが、疲れている上に夕日を眺めていたせいで、発見が遅れた。
二人は勢いよくぶつかった。
テルミの鳩尾に、ちょうど生徒の右ひじが当たる。
「ぐっ……」
テルミは痛みを堪えつつ、このまま二人とも転倒する事は避けようと考えた。
突撃してきた生徒を軽く抱きしめ、右足を半歩下げ、踏ん張る。
ジャージ姿の生徒がテルミより小柄だったため、なんとか転倒せず無事に済んだ。
「すまん! 大丈夫か!」
突撃してきた生徒は、快活な大声で謝った。
テルミは鳩尾をさすりながらそれに答える。
「はい僕は平気ですが……それよりも、廊下を走るのはやめましょう」
「すまん! だが俺は廊下を走るのが好きなのだ! とくにお腹が空いてる時はな!」
「でも危ないですよ」
「おおそうか、そうだな! お前は真面目だな! 分かった。走るのはやめる!」
朗らかに笑い、テルミの肩に勢い良く手を乗せた。
そしてまじまじとテルミの顔を見る。
「おお、知ってるぞ! お前は生徒会長、真奥桜の弟だな! 毎日箒を持って校内をうろついているというヘンタイだ! いやすまん言い過ぎた! ボランティア少年だ!」
矢継ぎ早に言葉を放つ、ジャージ生徒。
テルミは「元気な人だな」と思いつつ、呼吸を整え鳩尾の痛みを和らげた。
「俺は隣の隣の隣のクラスの
どうやら同級生らしい。
そう言えば学年集会などで、顔を見たことがある気がする。
「コウと呼んでくれよな! もしくはカッコよく『閃光の伊吹』とか!」
「コウさんですね。よろしくお願いします。僕は真奥
「おお、よろしくな真奥桜の弟!」
本名で呼ぶ気は無いようだ。
「お腹が空いていると言っていましたね。お近づきのしるしにどうぞ」
「おおクッキー! お前、お菓子を持ち歩いてるのか! さすがだな!」
「いえ、今日学校で作ったものです。確かに喉飴なら持ち歩いていますが」
テルミはミニクッキーの余りをコウに差し出した。
コウは「旨い! 手作り! 凄い! もぐもぐ!」と言いながら一瞬で平らげた。
「それにしても真奥桜の弟! さっき俺を受け止めた動き、さては格闘技をやってるな! 柔道かレスリングか。いやあの足さばきは剣道、というより剣術のつば迫り合い!」
コウはテルミをビシッと指差した。
「つまり、古い武術だ!」
「はい。よくご存じですね」
「よくご存じなのだ!」
コウは得意気に胸を張った。
「コウさんも、何か格闘技をやっているのですか?」
「おおやってるぞ! 俺の格闘の基本は最近始めたジークンドーの独学だ! あと小さい頃から空手もやってるぞ!」
「……その場合は、基本は空手になるのでは?」
「あくまでもジークンドーだ! ドラゴンなんだ!」
どうやら最近香港映画を観て、影響されたらしい。
ジャージの袖まくりによって見える前腕は、細いながらもしっかりと筋肉が付いている。
「さあ真奥桜の弟! という事で、俺と勝負だ!」
「えっ、勝負……ですか?」
それはたいした前置きも無く、コウの唐突な言葉と共に始まった。
コウは左手でテルミの左腕を掴み、引き寄せようとした。
向かい合う者の左手同士、つまりは対角線上に引っ張ったという事。
「空手の掴み手……?」
テルミはこの動作に覚えがあった。
敵の体勢を崩す、掴み手。
それも対角の手を引っ張る場合は、それにより半回転した相手の背に回り、足を引っ掛け転ばせる投げ技に移行する危険性がある。そして倒れた所に拳を突く。これは痛い。
テルミは足腰に力を入れ、転ばされないように耐えようとした。
だがコウは投げには繋げず、引き寄せようとした勢いのまま、頭に向かって右肘を打って来た。
高校生レベルの空手では、頭への肘打ちは禁止になっているはずだ。
そのような固定観念があったテルミは驚きつつも、自由な右手でなんとかガードし、コウの右肘を掴んだ。
「おっ! さすがだな真奥桜の弟!」
「コウさんも早い動きですね。勉強になります……けど、廊下で暴れるのはやめましょう。迷惑ですよ」
「他に人がいないから平気だ!」
「それに頭への肘攻撃はやめましょう。死人が出ますよ」
「おおそうだったな! すまん昨日映画で見た技をついやってしまった!」
コウは右肘を下げ、テルミの手から振りほどいた。
そして腕の力では無く腰の回転で放つ、素早い連打。
空手の技では無い。これはジークンドーだろうか。
テルミの防御は間に合わず、三発胸を叩かれてしまった。
……が、たいしたダメージは無い。
そう言えばさっきの掴み手も、手首を掴むまでの『空手』の動作は力強く堂に入っていたのだが、そこから先の肘打ち……おそらく独学で学び始めたばかりの『ジークンドー』の動作には、ぎこちない部分があった。
「……コウさん。もしかして、実戦でジークンドーを使うのは、今日が初めてですか?」
「その通りだ! 気付いた事があったら何でも言ってくれよな!」
そう言われると、テルミは遠慮なく意見を述べたくなる。
「では言いますので、廊下で暴れるのはやめましょうね」
と前置きし、
「映画俳優のように素早い動きを意識しすぎて、突き出した拳を『引く』事にばかり注力し過ぎているような気がします。最初からパンチを引く事しか考えていないせいで、肝心の胴体を回転させた力が拳に伝わっていない。せっかくヒットしたのに、有効打になり切れていないです」
つまりは、まだ基本が出来上がっていないのだ。
形だけ真似をして、力の入りどころが合っていない。
「だがブルース・リーはもっと早かった! 更にもっと早い俳優もいる!」
「ブルース・リーは鍛錬を積んだ達人だったので、きちんと力を込めた上で、あの速さも出していたのだと思いますよ。そしてもっと早い俳優は多分早送り演出です」
「なんと! 早送りか!」
コウは自分の手の平を見つめ、グーパーさせた。
しばらくそうした後に急に拳を握りしめ、再びテルミに襲い掛かる。
「なるほど! 素早さに拘らずに力を込めるんだな! こうか!?」
「コウさん。だから廊下ではやめましょう」
コウは一撃に全力を費やし、鋭い突きを放った。
が、これはもう空手の突きだ。
まあこちらの方がコウも慣れている分、より実践的なのだろうが……
しかしテルミとしても空手相手は慣れているため、やりやすい。
腕を回しパンチを受け流し、そのまま体ごとコウに迫った。
コウは驚き一歩下がるが、テルミも同時に一歩進み追いかける。
コウは廊下の壁に背中をぶつけた。もう逃げられない。
テルミは右手でコウの左肩を掴み固定し、そして左手でコウの腹に向け突きを放つ。
「ぐっ……!」
コウはそう唸って、打撃を受ける事を覚悟したが……
「……あれ?」
打撃は来なかった。
テルミは寸止めしたのだ。
コウはおそるおそると、自分より少しだけ背が高いテルミの顔を見上げた。
目が合い、テルミは微笑んだ。
「ううっ……」
相手の笑顔を見た事で、コウは敗北を自覚した。
戦意が無くなったのを見て、テルミはコウから離れる。
「……俺の負けだな!」
「いえ勝ち負けなどでは無く、ただ廊下では静かに」
「いや俺の負けだ!」
コウはそう言って……少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、横目でテルミの顔を覗き込むように見る。
「もっと強くなってまた来るからな! いいか!」
「分かりました。でも武術以外の要件でも、いつでも相談に乗りますよ。友人として」
「うぬっ……」
テルミの無邪気な笑顔。
それを見たコウは急に下を向き、両手で頭を押さえ、「な、なんだこの……胸のざわめき!」と、初めて小声になって呟いた。
だがすぐに大声に戻り、
「なんだ! なんなんだーあ!」
と叫びながら走り去ってしまった。
テルミは軽く手を振り、新しい友人の後姿を見送る。
コウの姿が見えなくなり、さて自分も帰宅準備をしようと考えていると、
「にーちゃん……あの人……危険……」
「莉羅?」
テルミの頭の中に、莉羅がテレパシーで語り掛けて来た。
「危険とは、コウさんがですか? 一体どういう……」
莉羅の言葉の意味を確認しようとした、その時。
突然、地を揺らす轟音がした。
「うわああああああッ!?」
そして悲鳴。
あれは先程まで会話していた、コウの声だ。
「コウさん!?」
テルミは音のした方へと駆け出す。
最初の轟音は、おそらくは落雷の音だ。
空は晴れているが雷が落ちたのだろうか?
そういう自然現象もあるという事は、おぼろげながら聞いた事があるが……
現場につくと、伊吹コウが一人立っていた。どうやら怪我等をしている様子は無い。
しかし、先程大きな悲鳴を上げていたわりには、妙に落ち着いている。
目をパチクリさせ、髪や着ているジャージの胸部分を触って何かを確かめている。
「コウさん、大丈夫ですか?」
「おお、真奥……テルミ!」
コウは初めてテルミの名前を呼び、駆け寄って来た。
そしてテルミの手を握り、
「一年ぶりだな! 会いたかったぞ!」
と、謎の一言を口にした。
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