12話 『弟と部活とポンコツ先生』

輝実てるみさま……あっ、いえテルミくん……えへへ。新しいゴミ袋貰ってきますね」

「はい。お願いします、いずなさん」


 そんなやり取りを経て、柊木ひいらぎいずなは心躍らせながら用具室へ向かった。



 テルミが作った清掃部。その名の通り、校内清掃を行う部活。

 今日の清掃場所は、放課後使われていない教室を複数。

 相変わらず正式部員はテルミ一人だが、今日の柊木いずなのように、たまに友人が手伝ってくれる。


 その手伝ってくれる友人達は、いずなの他にも多岐に渡る。

 中学以前からの友だったり、高校に入って仲良くなった友だったり、体育館裏で襲われていたクラスメイト女子だったり、その子を襲っていた不良生徒だったり。


 そしてもちろん、生徒だけでは無い。


「真奥くん。君には親切な友人が多いな」


 そう言いながら箒で床を掃いているのは、清掃部の顧問教師。九蘭くらん百合ゆり

 すらりとした体形で、小柄な女性である。


「九蘭先生も、お手伝いありがとうございます」

「礼を言う必要は無いさ。私も清掃部の一員なのだからね」


 大人びた口調であるが、小さな体で長めの箒をせかせかと動かしている様子は、なんだか子供っぽい。

 テルミはこの教師を見るたび、妹の莉羅りらやその同級生達を思い出し……それは失礼だなと自戒する。



「そうだ先生。実は今日、学校でクッキーを作ったんです」

「ほほう。家庭科の授業かな?」

「いえ。昼休み、料理部の皆さんに『所要時間十分程度で出来るミニクッキー』のレシピを紹介しまして。その時に作ったものです」

「な、なんと。君はそんな事も出来るのか」

「素人料理ですが。いずなさんが帰って来たら、一緒に一休みしてどうぞお召し上がりください。水筒にお茶もありますよ」


 テルミがそう提案すると、九蘭教諭は箒を掃く手を止め、顔を上げ、感銘を受けたように固まった。


「ああ、君はボランティア精神に溢れ、優しくて、気が利いて、年上を敬い。そして家庭的で……なんて良い生徒なのであろうか」


 多少時代劇がかった口調で、感激している。


 教師生活二年目。

 未だクラス担任にもなった事が無いのだが、既に『理想の生徒』に出会ってしまった。

 これは幸運なのか、それとも今後のハードルが上がってしまうため不幸なのか。

 本人は前者としか思っていないので、幸運なのだろう。


「今時の高校生は――いや、私が高校生だった時からたいして変わってはいないのだが――素行の悪い若者が多くて、正直辟易していたのだよ。私の事を貧乳などと馬鹿にするセクハラ発言を、平気で口にしたり……まあそれは別にいいのだけど。世間では、無駄に大きなバストを嫌味たらしくこれ見よがしに殊更強調するような服装で、ふとももまで露出し始めた、青少年に悪影響を及ぼすような自称ヒーローが人気だし……それに個人事だが、最近家業の方でこき使われて毎晩駆り出されて。オマケに商売敵から変な要求までされて、板挟みで。なんだかもう嫌に……」


 早口で恨み言をつらつらと言い出した、口調だけは大人びた女教師。

 九蘭百合は、思った事をすぐ口にしてしまうタイプの性格だった。

 例えば背後から人を驚かせようとした時も、事前に「覚悟しろ」などと言ってしまうような。


 そんな九蘭先生が最近付けられた心無いあだ名は、『ポンコツ疑似クール先生』。


「……はっ! つ、つまりはそんな時代にあって、真奥くんはとても素行が良くて好感が持てると言う意味だ! す、すまない。生徒相手につい愚痴を言ってしまったな」

「いえ。僕で良ければ、いつでも話を聞きますよ」


 テルミは先程自戒したのを忘れ、目の前の教師を、またもや小学生を見るような目で接してしまっている。

 弱気になっている人物を見ると、ついついお母さん的な性格がくすぐられ……


「とても頑張っているんですね。偉いですよ」


 と、教師の頭を撫でてしまった。

 頭の位置が低いため、撫でるのにお手頃だったのだ。

 九蘭教諭は「うにゃあ!?」と驚いた声を上げる。


 そしてテルミは数秒後に「しまった。これは年上に対しては無礼だった」と反省するが、時既に遅し。


「すみません。つい妹への癖で……」

「あ、ああ。いや、気にしていない…………くっ。だ、駄目だ駄目だ駄目だ! わ、私は教師なのにいいい!」


 九蘭教諭は、喚きながらしゃがみ込んでしまった。

 やはり年下、しかも生徒にこんな事をされるのは屈辱だったのだろう。とテルミは考え、申し訳ない気持ちになる。


「申し開きも出来ません。先生に不快な思いをさせてしまいました」


 深々と頭を下げるテルミに、九蘭教諭は慌てて「い、いや違うんだよ真奥くん」と言って手を振った。


「不快どころかむしろ逆で、優しくされて泣きそうになったというか……い、いいや! 何を言っているんだ私は! あっお茶貰うよ。お茶。やあ美味しいお茶である事だなあ! 何が入ってるのかな!」

「ウーロン茶のお茶葉です」

「そうかお茶葉か! うん当然だな! うぐっげほごほがはっ」


 お茶でむせ咳き込む女教師。

 テルミは「大丈夫ですか」と背中をさする。その顔には聖母の笑み。

 もう完全に妹を世話するような心持ちだ。



 一方、のテルミの妹はただいま下校中。

 兄達の様子を千里眼で見ながら、


「……りらの、にーちゃん……なのに……」


 と、道端の小石を蹴ったのだった。




 ◇




 教室の引き戸がガラリと開いた。


輝実てるみ。掃除は終わったのかしら?」

「姉さん。いえ、今はまだ途中休憩です」

「げほっがはっ」


 むせる女教師と介抱するテルミの元へ、この学校の生徒会長である桜が現れた。


「ぐほっげほっごはっ」

「……どういたしましたの? 九蘭先生」

「い、いや喉が……面目ないね……がふっ」

「ふうん」


 桜は、弟から背中をさすられている小さな教師を内心羨ましく思いながらも、学校でのクールお嬢様キャラを徹底するため、興味無さげな態度を取った。

 一方の九蘭百合は、よりにもよって生徒会長の前で醜態を晒してしまい、内心泣きそうになる。


 九蘭百合にとって真奥桜は、テルミとはまた違うベクトルでの『理想の生徒』である。

 成績優秀。スポーツ万能。常に冷静で、リーダーシップを発揮し生徒会執行部を纏め上げている。

 素行は……いつも取り巻きに囲まれているのはどうかとも思うし、少々強気すぎる感じもするが、基本的には良好である。

 そして何より、端正な顔と、自分とは正反対である豊満なスタイル。


 理想の生徒というよりはむしろ、九蘭百合自身がこうなりたいと思う女性象なのである。


「先生、お大事になさってください」

「あ、ああ……ありがとう、真奥桜さん」


 そして九蘭教諭は、そんな理想の体現者である桜の前では、いつも弱気になってしまう。

 というより……はっきり言って、桜の事が怖かった。教師であるにも関わらず。


 そんな教師の恐怖心を余所に、桜はテルミの傍へ近付いて話し掛ける。


「輝実。掃除は早く切り上げて、生徒会室に来なさい。下半期部費の割り振りについて、要望書を書いて貰いますわ」

「……姉さん。今朝も言いましたが、清掃部には部費など必要無いので、要望書を書くつもりはありませんよ」



 この学園では、各部活が部費の予算要望書を提出し、それを生徒会が妥当かどうか判断と調整し、学校運営へ提案するという方式を取っている。

 生徒達の自主性を育てるという教育方針なのだ。


 その予算決定プロセスを、上半期分と下半期分で年に二回行っている。

 清掃部は今年度になって急遽出来た部なので、上半期である四月から九月までは部費無し。

 下半期分から晴れて予算請求可能となる。


 下半期が始まるまで残り四ヶ月程。

 今くらいの時期から、各部一斉に予算要望書を提出し始める。


 しかし清掃部に必要な掃除道具や消耗品は、元々校内に揃っているのだ。

 唯一の部員かつ部長であるテルミとしては、その予算を他の部で有効に使って欲しいと考えている。

 というわけで清掃部に部費は不要。そして不要な場合は要望書を出さずとも良い、というルールもある。



 と、今朝も桜に言ったはずなのだが……


「いいから生徒会室に来なさい。これは生徒会長としての命令ですわよ」


 桜は鋭い眼つきで淡々と言い放ち、テルミの返事を聞かずに教室から出て行った。


 優秀な生徒会長は、弟を贔屓して清掃部に大量の予算を割り当てようとしているのだ。


 去りゆく姉の後姿を見ながら、テルミは軽い溜息をつく。

 そしてその隣で女教師は、


「君の姉上はなんというか……怖いね」


 と呟いた。

 繰り返しになるが、九蘭百合は、思った事をすぐ口にしてしまうタイプの性格だった。

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