-776話 『不幸の女神』
イディアの
それに気付いてしまった。
今まで自分は、地上の民達に幸運を届けているつもりで、不幸を押し付けていたのだ。
あの少年の末路も、戦争が起きている事も、元を辿れば自分のせいなのかもしれない。
「それは違うよイディア……神が介入してもしなくても、人々は戦争を起こす」
兄はそう言ってイディアを慰める。
だが、昨日までと言っている事が正反対だ。
イディアは父に問い詰める。
「どうして私を騙していたのですか!?」
「それは、お前を守るためだったのだ」
神々の王は、憔悴した様子で語る。
今までイディアが感じていた父の威厳が、急に崩れ始める。
「お前の神力は、持ち主に不幸を溜め込むようだ……定期的に他人へなすりつけないと、お前が不運に殺されてしまう……」
「だからと言って、なぜ地上の民に!」
「都合が良かったのだ。我が一族の領土は大陸一の広さ。人も、動物も、植物も、お前の不幸を分かち合い発散できるだけの数がある」
発散……嘘だ。地上には争い、不幸が
「それに、僕達一族の皆が充分にフォローしているんだよ」
フォロー……嘘だ。あの少年の村は、滅びていた。
父と兄の言葉の後、イディアは床に膝をついた。
自分は一族の大人達に騙され、そして同時に守られていた。
父や兄達の愛情は、痛い程分かっている。
だが、だからこそ辛かった。
その日からイディアは、神力を地上に降り注ぐ事をやめた。
集まる不幸を、自分自身に溜め込むようになってしまったのだ。
一族の皆は、イディアに考え直せと説得する。
しかしもうイディアは、人々に自分の不幸のつけを払わせる気には、ならなかった。
イディアに様々な不幸が襲い掛かる。
バナナの皮や鳥の糞など可愛いものでは無い。
落石、火事、落雷。死に直面する不幸。
父の神力による加護があるはずなのに、何故か怪我をする。火傷をする。傷が残る。
不幸の力が、父の力を上回り始めた。
その頃からイディアは、部屋に籠りきりになる。
「イディア。考え直してくれ」
「一人で不幸を溜め込む必要はないんだよ?」
父や兄は毎日部屋にやって来て、不幸を地上に分け与えるように説得した。
だがイディアは聞く耳を持たない。
そんな中、突然父が部屋に訪れなくなった。
ついに諦めたか……と思ったが、王宮の様子がおかしい。
皆が慌て、悲しみ、絶望している。
兄に問い詰め、その理由を知った。
イディアは久しぶりに自室から出て、王の寝室に向かう。
「お父様……」
イディアの問いに、王は何も答えない。ただ天井をじっと見つめ、椅子に座っている。
王は病気になってしまった。
自分が誰なのかも、分かっていないらしい。
何もしなくなってしまった父。
見ているだけで辛い。
そして父が病気になった事により、一族に掛かっていた大いなる神力の効果が切れた。
年老いた神々は、次々に死んでゆく。
怪我や病気への抵抗も、寿命も、いまや地上の民達と何も変わらない。
イディアは考える。
父がこうなってしまったのは、きっと自分の神力のせいだ。
そして神々がどんどん死んでいくのも、当然自分のせいだ。
かと言って、神々に降りかかる不幸を払拭するため、地上に不幸をばらまく気にもなれない。
イディアはもう、何をやればいいのか分からなくなった。
いっそ、自分の命を絶って……
「イディア、君のせいじゃない。気に病む事など何も無いんだよ」
父が病んだ後、兄は毎晩イディアの髪を撫で慰めた。
イディアは兄の胸で泣き続ける。
兄だけは、いつでも味方だった。
「イディア、外を見てごらん。今日も星が綺麗だ」
「でもお兄様、私は……」
「いいから。外に目を向けるんだ」
優しい兄が、強い口調で言った。
イディアはおずおずと窓の近くに立つ。
何日ぶりかに見上げる空。
「ああ……」
その満面の星空に、イディアは感嘆の声を上げた。
そしてまた涙が溢れだす。
「イディア。あの星々は、手を伸ばせば届きそうな程光り輝いているけど。実はね、とっても遠くにあるんだよ」
兄は、何度も繰り返した台詞を言う。
「この広大な空。星々。その中にあるこの大地……皆、美しい。この世界は、全てが綺麗なんだ」
「……でも、地上の人々は争っています」
イディアは、不安そうに兄の腕を掴んだ。
「それに私に備わる不幸の神力は、綺麗な物とは対極の存在……醜い、この世界で最も醜い、邪悪の塊なのです」
「それは間違いだよイディア」
兄は、イディアの手を優しく掴み返した。
「父さんや僕達が騙してまでイディアを守っていたのは、君の事が可愛いからだけではないんだ。イディアの神力が、いずれ世界に必要になると考えたからなんだ」
「……不幸の力が、必要になるとは思えません」
「幸運の力、だよ」
そう言ってイディアを抱き寄せる。
「今はまだ、やみくもに不幸を集める力かもしれない。でもきっといつか、イディアがその特別な神力を制御できると信じている。不幸の力の制御とは……つまり、幸運の力の制御と同じ意味になるのさ」
「……幸運の、制御?」
イディアは、兄の瞳を見た。
兄の言葉に、一筋の希望がある気がした。
「地上の人々は確かに争っている。でも、彼らの未来には大いなる発展がある。夢がある。きっといつか、夜空の星に辿り付けるくらいの、途方もない大きな夢。金属製の農具がその望みを象徴しているよ」
「夢……望み……?」
「その夢を、イディアの幸運の力で導いて欲しい」
兄はイディアの髪を撫で、また星空に見入った。
イディアは、兄の言葉を心の中で繰り返す。
そして空と兄の横顔を見比べ、決意した。
そうか、自分は逃げては駄目なのだ。
この力を制御しないといけない。
自由に扱えるようになって、地上の民や空の神々、世界の全てを……そして大好きな兄を、皆を幸せに。
その時、過剰に膨れ上がっていたイディアの神力が、急激に縮小した。
神力は、精神状態に連動する性質を持っていた。
父や神々にまで不幸が及んでいたのは、イディアが不幸の力に動揺していたからだ。
そして今、イディアは心のゆらぎを克服し大人になった。
それはつまり、『幸運の力』を制御できるようになった、という事。
王の部屋にいる父が、正気を取り戻した。
この惑星の輝かしい未来が、希望が、見えてきた。
◇
そして話は、別宇宙の科学者に戻る。
彼は、それがイディアという少女のものとは知らなかったが、違う宇宙の巨大なエネルギーを観測し続けていた。
そのエネルギーの信号が、急に途絶えたのだ。
実験に実験を重ね、偶然も手伝い、やっと捕捉した別宇宙の
科学者は、再び同じ地点に干渉し再観測しようと試みた。
その行動に悪意はない。
純粋な科学の追及。
イディアの星に住む人々が、金属の加工技術を確立させた時と同じ。発展のための努力。
この科学者が開発した別宇宙観測装置は、レーダーの原理を持つ。
相手に微小な特殊エネルギーを送り、その反応を観測する。
微小と言っても宇宙を越える程の力。他の分野では充分以上に大きいエネルギー。
そして科学者は、急に消えたターゲットを再び探し当てる為、送り付ける特殊エネルギーをいつもより更に強く設定した。
彼は、途方もない天才だった。
自身は何の特殊な能力を持ち合わせていないにも関わらず、その頭脳だけで、亜空間に住む超意識『虚空の賢者』の存在を感知する程。
そんな彼が作ったこの装置。再観測用に強く設定した特殊エネルギーは、イディア達が住む宇宙にとって、刺激が強すぎた。
この科学者の行動は、イディアの神力のせいで起きた不幸では無い。既に不運の力は制御出来ている。
科学者がイディアを選んだのも、たまたま重なり合う隣の宇宙に住んでいたので、観測しやすかったというだけ。
これから起こる事象は、ただのタイミングの問題でしかない。
本当に『運』が悪かった。
ただ、それだけの事。
そして装置は、再度イディアのエネルギーを捉えた。
◇
制御し小さく纏めたばかりの『不幸の力』が、外宇宙からの強い刺激を受けた。
二つの強大な力が混じり合い、一気に膨張する。
一瞬でこの惑星を、銀河を、宇宙中を包み込んだ。
「……お兄様、空が赤いですわ」
「うん……なんだろう。こんなの、初めて見た」
それが兄妹最後の会話となった。
突如、巨大な石塊が星へ降り注いだ。
神々の園を破壊し、地上に大きな穴を開け、星を割る。
巨大隕石の落下。
あり得ないような話だが、落下する直前まで、誰もその異変に気付けなかった。
星が死ぬ直前になり、やっと隕石の存在に皆が気付いた。
イディアの神力、そして別宇宙からの干渉。
混じり合った格別に不自然な力が、この宇宙全体の物理法則を捻じ曲げてしまったのだ。
その捻じ曲がりにより、イディアの星は一瞬で砕けた。
強大な『力』は、持ち主の肉体と魂が滅んでも、『世界』に残る。
星が滅び、同時にイディアの肉体も滅んだ。だがイディアの特殊な神力は滅びず、宇宙を漂う。
そしてイディアの魂もまた、何故か滅びずに残っていた。神力に寄り添うように、宇宙を漂う。
魂は世界にただ一つ。必ず肉体と共に滅びる運命。
だがイディアの神力は、元主人の魂の滅びを少しだけ遅らせた。
自分の不運のせいで滅びた惑星。そして、これから自分のせいで滅びる宇宙。それを最後まで見届けろ。
まるで、そう言っているようだ。
イディアにはもう肉体が無い。当然意識も無い。
しかしその魂で、その不運を悔いる事を強要されたのだ。
この幸運の力は、持ち主をとことんまで不幸にしないと気が済まないらしい。
一度捻じ曲がってしまった宇宙の物理法則は、修復と失敗と発散を繰り返す。
突如、銀河と銀河の衝突が起き、巨大なブラックホールが発生した。
イディアの神力によって狂ってしまった物理法則。
したがって今発生したブラックホールも、狂っていた。
ブラックホールは銀河跡地に留まらず、更に周りの銀河、銀河団、更にその外、また更に外を巻き込んでいく。
その進行速度は、本来起こり得ない事だが、光の速さを遥かに超えた。
数百億光年先の空間さえも瞬時に飲み込み、消してしまった。
ついには、宇宙の果てまで巻き込む。
長い宇宙の歴史。
その中において、この滅びの時間は一瞬だった。
巨大なブラックホールは宇宙全てを飲み込み、消滅した。
イディアの魂も、そこでやっと滅びる事を許された。
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