-777話 『幸運の女神』
地球が生まれるよりも遥か昔。こことは違う宇宙でのお話。
とある科学者が、『別の宇宙に行く方法』を研究していた。
手始めに、隣り合う別宇宙を観測する技術を開発。
試行錯誤の末、ついに別宇宙のエネルギーを観測することが出来た。
レーダー装置で巨大なエネルギーを感知し、その波長を記憶する。
それが何のエネルギーかまでは分からない。
科学者としては、巨大恒星等のエネルギーを観測しているつもりだった。
しかし実はそれは、とある少女が持つ『特別な力』であった。
この観測が、少女とその周りの運命を、著しく変化させた。
◇
「お兄様。お父様とのお食事に遅れますわよ。ふふふっ、早く早く」
早足で歩きながら無邪気に笑う、青い肌の少女。
時々後ろを振り向いて、両手で兄の腕を引っ張る。
彼女の名前はイディア・オルト・ハミ。
この星に住む、女神の一人。
「そんなに慌てなくても充分間に合うよ」
「でもでも、もうお腹がペコペコなのですよお兄様……きゃあっ」
「ほら、慌てるからまた転びそうになる。ふふっ」
優しい笑みを浮かべながら、妹の腕を引っ張り支えたのは、イディアの兄。
彼も妹と同じく、空のように青い肌をしている。
女神イディア・オルト・ハミは、この惑星で一番栄えた地方に住んでいる。
この地方には大小多くの国があり、民達が田畑を耕し生活している。
それを神々が空から見守り、恵みを与えているのだ。
一番栄えているとは言っても、その文化レベルは地球での紀元前千年程度。
鉄では無いが、それに似た固い金属の鍛造技術が確立。
その金属製の農具が普及した事により、ある程度安定した生産性を確保した。
生産性の安定。それはつまり餓死する心配が減ったという事。
食料安定の次に起こるのは、人口の爆発と、貨幣経済の発達。
増えた農民、そして集まった富は、即ち軍事力にもなる。
巨大な軍事力を得た支配者は、更なる富を求める。
つまりこの地方は、この惑星で一番栄えていると同時に、一番戦争が絶えない地域……
「などという事は、全くもって無い!」
神々の王が、拳を振り上げ叫んだ。
「何故なら我々神の一族が、地上の民に天啓を与えているのだから!」
神々の王は、愛娘であるイディアに会うたびこの口上を述べる。
何度も何度も聞いている話。
しかしうんざりする事は無く、むしろ聞くたびに誇りが高まっていく。
この星に住まう知的生物達は、肌が鮮やかな青色である以外は、地球のホモ・サピエンスと非常に良く似ている。
頭があり胴がある。背筋を伸ばし二本の足で歩く。二本の腕と計十本の指で作業をする。
そして、この星の人間は、大きく二種類に分ける事が出来る。
神の力を使える者か、使えない者か。
神の力。
人によって使える能力は違うが、空を飛んだり、傷を癒したりする。
惑星人口数千万人に対し、神力を持つ者は千に満たない。
彼らは天に浮かぶ園に住み、自らを神と名乗る。
そしてその神力を地上の民に分け与え、発展の手助けをしていた。
「さあイディア。今日も地上の民に幸せを分け与えておくれ」
「はい、お父様。ふふふっ」
食事の後に、父が娘に命令した。
イディアは父、兄と共に庭に出て、お日様を見上げ微笑んだ。
彼女の体から白い光が溢れだす。その光は神の園から地上に降り注ぐ。
「ご苦労、愛しき娘よ。これでしばらくの間、地上にて醜き争いが無くなる」
王はそう言って娘を抱きしめた。
イディアの神力は、人々に幸運を授ける力。
父や兄が言うには、戦争を防止するための啓示。
数日に一度、地上に幸福の光を届ける。
イディアは、幸運の女神と呼ばれていた。
しかし、
「うにゃあっ! バナナの皮が!」
正確にはバナナでは無いのだが、よく似た果物のため便宜上バナナと訳した。
イディアは父と別れ、石造りの王宮から出た直後、バナナの皮を踏んで滑って転んだのだ。
「あーん、また転んでしまいましたわ。なんでバナナがこんな所に……ふふふっ、おかしいですわね」
「まったく。無駄に走るからだよ」
兄は呆れ顔でイディアを抱え起こした。
イディアは運が悪い女神だった。
じゃんけん……に似ている簡易的な勝敗分けゲームで勝ったことが無い。
木札を投げての裏表予想で、当てたことが無い。
当てずっぽうは、二択だろうが必ず外れる。
人々を幸せにする能力を持っていると言うのに、自分自身は運が悪い。
それも最近エスカレートして来ている気がする。
もしかして、『人々を幸運にする』という神力は、イディア自身の運を削って皆に配っているのではないか?
なんて考えた事もある。
兄に相談してみた所、
「確かに、その可能性はあるかもしれないなあ」
と、笑いながら答えた。
しかしそれならそれで良い。
自分の運が悪くなることで地上の争いが無くなるのならば、喜んで我が身を捧げよう。
イディアは、そう心に決めていた。
イディアの兄は、夜空を眺める事が好きだ。
今夜はイディアも一緒に、二人並んで空を見上げている。
「ご覧よイディア。この星々を」
「ええ。綺麗ですわねお兄様」
「あの星々は、手を伸ばせば届きそうな程光り輝いているけど。実はね」
「実は、とっても遠くにある……ですわよね、お兄様?」
イディアは兄の言葉を先取りし、悪戯っぽく笑った。
これは兄が口癖のように、いつも言っている台詞だ。
「ああ。空を飛べる神々が、何度も星を掴もうとして……結局、皆途中で帰って来たんだ。死んでしまった神もいる」
「神様が、そんな事でお亡くなりになったの?」
その話はイディアには初耳だった。
王の神力により、一族全員が怪我や病気になりにくく、長寿である。
そのため、イディアは未だ神の死に立ち会ったことが無い。
神が死ぬのは、「その生涯の役目を終えて、大地の精霊として生まれ変わる時」と、聞いている。
それは土着信仰的な神々の口伝。
つまり分かりやすく言うと、「ほとんどは老衰で死ぬ。それを地上の土に埋葬するしきたり」程度の意味。
「神様なんて言ってるけど、我々と地上の民達に大きな違いは無いんだよ。ただ神力を使えるだけ」
「まあいけませんわお兄様。そんな事を言うと、親戚のおじ様達に怒られますわよ」
「ふふふ。では秘密にしておいてくれ」
笑いながら、兄と妹は肩を寄せた。
「でも、あの遠くの星々が教えてくれるんだ。僕達が住んでいる場所は、巨大な世界の、ほんの一部分でしかないって事をね。神と名乗る我々が、なんとも矮小に思えて来るじゃないか」
兄は空に手をかざす。
「いつか、あの星のどれかに辿り付く事が出来るだろうか……」
「お兄様も、神力で星まで飛んで行きたいの?」
妹の問いに、兄は「違うよイディア。神力は万能じゃない」と首を横に振った。
「それが出来るのはきっと地上の民達さ。金属の加工技術を発明したように……きっといつか、星へ届く船も作ってくれる」
「地上の方々……ですか?」
「ああ。僕の寿命はあと二百年くらいだけど、星へ渡る船が完成するのは、二百年どころか二千年、三千年後かもしれないなあ……ズルイよね未来の人は。僕も、星へ行ってみたい」
遠い目をして話す兄。
イディアは兄の顔を見ながら、少し不満気な顔をする。
「私は星よりも地上に行ってみたいです。地上の様子を、この目で見てみたいのです」
イディアは地上の民に幸福を分け与えながらも、彼らの姿を見たことが無かった。
地上の様子は、父や兄達の口づてで知るのみ。
自分の神力で幸せになった人々を、実際に一度見てみたい。
「……そうだね。イディアももう少し大きくなったら、地上の様子を見せて貰えるさ。でも今はまだ駄目だよ。イディアの歳で地上を見る事は、戒律で禁止されているからね」
「その戒律が私を悩ませるのです。戒律という物に、一体何の意味があるのでしょう!」
「さあね。戒律はその意味を知るための物じゃない。ただ、守るための物なのさ」
「お兄様の言う事は、よく分かりませんわ!」
イディアはいつもこうして、兄を困らせるのだった。
兄は黙って妹の頭を撫でる。
イディアも自分がわがままを言っている事は分かっているので、すぐに大人しくなる。
それが兄妹の、いつものやり取りだ。
◇
しかしそれからすぐに、イディアは希望を叶える事となった。
理由は単純。
空に浮かぶ神の園。その端っこから、地上に落っこちてしまったのだ。
好奇心で覗き込もうとしたのがいけなかった。
一人で散歩中だったため、イディアが落ちてしまった事に気付いた神々は、誰もいなかった。
「おねーさん、大丈夫?」
イディアが目を覚ますと、少年が顔を覗き込んでいた。
父の神力で守られているため、遠い空から落ちても傷一つ無いのだが、さすがに気絶はしてしまった。
そして倒れているところを、偶然発見した少年に介抱して貰ったのだ。
「どうもありがとう」
イディアは状況を理解し、礼を言った。
そしてこの少年が、初めて見る地上の民だという事に気付き、まじまじと眺めた。
なるほど兄が言った通り、着ている服こそ粗末だが、神と外見は何も変わらない。
二本の腕、二本の足。そして青い肌。
自分より少しだけ年上の、女神のように美しい女性から見つめられ、少年は照れくさそうに頭を掻いた。
イディアは次に、周囲を少し歩いて確認してみた。
ここは崖の下、岩のくぼみにある浅い横穴。
小さな壺、干し肉、石製のナイフ、藁が置いてある。
「ここは、俺んちなんだ」
「あなたのお
少年の言葉に、イディアは首を傾げた。
兄の話では、地上の民も神々と同じく、木造りもしくは石造りの家に住んでいるらしいのだが。
「ホントは近くに村があって、そこに住んでたんだけど……
「……いくさ?」
「うん。村は燃えたけど、まだ時々敵の兵隊がやってくるから……俺はここに、一人で隠れてるんだ」
「お、お待ちになって。ここでは……戦争をやっていますの?」
イディアは混乱した。
神々の啓示、特に自分の『幸運の神力』のおかげで、地上には争いが無くなった……と、父や兄、一族の大人達は教えてくれた。
しかしこの地上の少年は、
「おねーさん、ここらの人じゃないの? この辺りには大きい国や小さい国がたくさん並んでて、ずっと戦争してるんだよ」
と、父とは正反対の事を言う。
ここは、我が一族が啓示を与えている地方では無いのだろうか?
いや違う。自分が空から落ちても怪我をしなかったのは、父の神力がこの地に及んでいるから。
つまりここは、自分が天から幸運を分け与えている土地に他ならない。
「あ、あなたは……子供一人で、ここに……?」
予期せぬ情報が一気に押し寄せ、何が本当なのか分からなくなった。
イディアはまず、目の前の少年について聞く事にした。
「うん。今はちょうど獣達も冬眠中だから、こんな岩場でも平気なのさ。夜は寒いけどね」
それは違う。
地球のイヌ科に似た冬眠しない肉食動物が、この辺りにも生息している。
少年が生きているのは、ただ運が良いだけ。
「でも子供一人で、食べ物はどうしているの?」
「……肉は、ちょっと危ないけど村に戻れば、たくさんあった」
少年は、岩陰に干している青い肉を見た。
「干し肉の作り方も、かーちゃんから習ったんだ。塩は兵隊に奪われちゃって無いけど……それに、草とかも食えるよ」
「お肉? 家畜が残っていたの?」
「家畜は……それも全部、兵隊が持って行ったよ」
「じゃああのお肉は……」
そこでイディアははっと気付く。
兵隊に蹂躙された村に残る、家畜では無い肉。
それは……
だがイディアは、その考えが正解しているのかどうか、少年に確認する事は出来なかった。
「あ、あなたはそんな大変な時に、どうして私なんかを助けてくれたのですか?」
「……ねーちゃんに似てるんだ。俺のねーちゃん……兵隊に酷い事されて……俺に、絶対に生き抜けって言って……かーちゃんと一緒に、殺されちゃった」
少年の声が震える。泣くまいと耐えているようだ。
イディアの手足も震えている。
この少年を、助けたいと思った。
そうだ、自分には神力がある。
父の命令時以外で使うのは禁じられているが、この少年には、今すぐに助けが必要なのだ。
失った者は帰ってこないが、少年だけでもこれからを生き抜けるように。
イディアは体から白い光を発し、少年に分け与えた。
少年には光が見えないようだが、何かを感じたらしい。
「あれ? なんだか、あったかい……」
少年はそう微笑んで、
地面に倒れ、嘔吐した。
「え……!? な、何故……大丈夫!?」
少年は痙攣し、満足に返事が出来ない。
劣悪な環境と食生活により、悪質な病原菌が少年の体内に潜伏していた。
気分が悪いという兆候は多少あったが、我慢していた。
それが
「水……」
「お水ですか!?」
発症により、少年は急激に口の渇きを感じた。
イディアは少年を藁に寝かせ、水の入手法を聞く。
少年は絶え絶えの息で、なんとか川の場所をイディアに伝えた。
イディアが水を汲み帰って来た時、少年は野生動物の餌食となっていた。
今までは運良く動物達と遭遇せずに済んでいたのに。
よりにもよって病気で逃げる事が叶わぬこの状況で、
動物達は、イディアの姿を見て退散する。
少年は既に事切れていた。
「……どうして? 私の、神力は……?」
イディアは、近くの花に『幸運の神力』を与えてみた。
父の命令以外で神力を使うのは、これが人生二度目。
崖の上から降って来た石により、花は潰れた。
「……私の力は、人々を幸福にする力では……無かったのですか?」
イディアの目から大粒の涙が溢れる。
「何故ですか……何故! お父様! お兄様! 何故!」
空を見上げ、叫んだ。
その声は天に届く。
そして神々は、自分達が一人の少女に吹き込んでいた嘘が、ついに発覚してしまった事を知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます