6話 『弟と不幸少女』

の女神……?」


 莉羅りらが頭の中へ送って来た台詞に、テルミは首を傾げた。


 先輩である柊木ひいらぎいずなは、とにかく不幸な少女。

 その不幸の原因が、幸運の女神の力であると言う。


 逆ではないか?


「莉羅、詳しく説明して貰っても良いですか…………莉羅?」

「あ、ごめんにーちゃん……」


 少しラグが有り、莉羅から返事が来た。


「今、ねーちゃんと忍者が遊んでて……地球が、溶ける……かも」

「忍者……溶ける? 一体姉さんは何を……」

「説明は、後でするから……とりあえず、そのめすぶ……女の人を、家に帰して……別れて……もう会わない、で……ね」


 そして莉羅からの通信テレパシーが切れた。


 妹の言葉に困惑する。

 もう会わないでと言われても、柊木いずなとは平日学校で顔を合わせるので、どうしようも無い。

 そもそもテルミは、あの不幸な少女を放っておけるような性格では無い。


 ただ、一旦いずなを家に帰す事には賛成だ。


 莉羅は「幸運の女神の力のせいで、いずなが不幸になっている」と言った。

 幸運の女神。名称の通りなら、人を幸せにする神様。

 しかし「宇宙を滅ぼした女神」とも言っていた。

 名前に反し、素行が悪い神様だったのだろうか?


 幸せに出来るのなら、逆に不幸にも出来るかもしれない。

 テルミが察するに、その女神の力とは『運をコントロールする力』だろうか。

 そしてその力を受け継いだ者が、悪意を持っていずなの運気を下げている……と、考えられる。


 この推理は中々にしっくりくる。とテルミは自身の考察に頷いた。

 つまり、柊木いずなは何者かに攻撃されているのだ。



「ならば、確かに外は危険ですね」


 テルミは蛇口を閉め、ハンカチを絞った。

 本当は、鳥の糞で汚れたハンカチも洗っておきたかったが、どうやら早急にいずなを家に帰す必要がありそうだ。

 

「お待たせしま……どうしたんですか先輩」


 テルミがトイレから出ると、いずなはしゃがみ込み、腕を押さえ、


「うぅ……もう大丈夫ですぅ……だから、近づかないでぇ……」


 と苦しそうに呟いていた。顔が真っ青だ。

 傍では野球少年達とその監督やコーチであろう成人男性三人が、いずなを囲んで必死に謝っている。

 だがその謝罪は逆効果。いずなは、知らない男達に囲まれて恐怖している。


「大丈夫ですか先輩。一体何があったんですか」

「すみません。お連れのカノジョさんの腕に、ファールボールが当たってしまって……」


 少年野球監督が、そう説明してテルミにも頭を下げた。


「かっかかかかカノジョだなんて違います違います違いますぅごめんなさいぃ輝実てるみさまあっ!」


 いずなはその肩に掛かる長さの髪を、ぶんぶんと振り乱した。



「これは……やはり深刻ですね」




 ◇




 柊木家への道すがら。

 謎の運気下げ攻撃を警戒しつつ、テルミはいずなの横を歩く。


「あうぅっ! ……あっ」


 いずなはまたしても転びそうになった。

 が、テルミにすかさず抱き寄せられ、事なきを得る。


「平気ですか?」

「はっははははひぃ」


 いずなは顔を赤く上気させテルミから離れた。青くなったり赤くなったりと忙しい。

 一方テルミは、いずなが慌てて自分から距離を置いたのを見て、年頃の女子高校生を抱き寄せるのはさすがにどうだったかと反省した。


「すみません先輩」

「そ、そっそそんな、えっと、た、助かりましたぁ……こ、こちらこそ、すみませんん……」


 いずなの方も、逃げるように離れてしまった事を反省した。

 このお母さんみたいに世話焼きな少年が、自分の不運のせいで咄嗟に身体を支えてくれた事は理解している。


 それに、この散歩中に何度もテルミの親切に触れ、いずなの男性恐怖症も少しだけ変化しつつあった。

 つい過剰に反応こそしてしまったが、他の男性と違って、テルミの腕の中に抱かれるのは構わない。

 むしろ、居心地が良い。

 というか、出来ればもう一度……


「い、いけないいけない!」


 あらぬ考えが頭の片隅に浮かんでしまった。

 いずなは頭を押さえ目を閉じ首を振り、邪念を消そうとする。

 あの桜お嬢様の弟にそんな大それた事を思うだなんて、畏れ多いったらありゃしない。


「どうしました先輩。頭痛ですか?」


 テルミはバッグから頭痛薬を取り出した。

 内服薬も常日頃から持ち歩いているのだ。

 ちなみに消毒薬もあるが、繰り返し転倒するいずなを治療した事により、ごっそり減っている。


「頭痛薬が体質に合わなかったりはしますか?」

「あ、い、いえ。頭は大丈夫ですぅ! い、痛いのは……心……い、いいいえ何でもありません!」


 ちょうどその時、莉羅は姉の忍者騒動の方に気を取られていたため、このいずなの台詞を聞いていなかった。

 もし聞いていたら不機嫌になっていた事だろう。


 ともかく二人は、こんな天然漫才をしつつ柊木宅へ向かう。

 その間に、いずなは更に三回転びそうになった。

 その上、服にカメムシが止まった。蚊にも刺された。犬にも吠えられた。



 やっと自宅に辿り着いた時、いずなは憔悴しきっていた。


「て、輝実さまぁ。ど、どうぞお上がりになって、お茶でもぉ」


 などと言いながらも、足がフラフラだ。


「いえ。僕はおいとまします。先輩もお休みになってください」

「えぅ。で、でも、えっとぉ……」


 いずなは男性が苦手。だった、はずなのだが。

 目の前にいる後輩男子との別れに、今は寂しささえ感じている。


 これは小さい頃、初めて保育園に預けられた時、去りゆく母の背中を見ていた気持ちに似ている。

 似ている……が、あれとは何かが違う気もする。

 不安や悲しみが篭った寂しさでは無く、確かに不安もあるが、それよりも喜びと明日への期待に満ちた寂しさ。

 自分自身でも分からない。高校二年生にして初めて感じる、なんだかふわふわした気持ち。


「あ……」


 言葉に出来ず、いずなはただ短い擦れた声を出した。


「それでは先輩。お邪魔致しました」

「あぅ。は、はいぃ。さようなら輝実さま……」


 しかしそんな気持ちは露知らず。

 テルミは早々に柊木宅を辞去した。


 テルミとしては「一時帰宅し、莉羅の力を借り、いずなを攻撃している謎の人物を退治する」という計画。つまり、いずなを思っての一時帰宅だったのだが。

 そんな思いを知る由も無く、いずなは一抹の寂しさを覚えたのだった。




 ◇




「にーちゃん……結局、めすぶ……あの人を、家まで送ったんだ……むー……うわきもの……」


 テルミの帰路途中。

 莉羅がテレパシーで話しかけて来た。


「莉羅。忍者の用事は終わったのですか?」

「うん……身代わりの、術……見た……くふふ」

「そうですか」


 忍者が出る映画やショーでも見ていたのだろうか。

 テルミはそう思いながら、気になっていた『幸運の女神』について莉羅に聞く事にした。


「ところで莉羅。柊木先輩を攻撃しているという、女神の力についてですが」


 幸運の女神の力。と、莉羅は言っていた。

 その力を受け継いでいる者が、何故か柊木いずなを攻撃し、運気を下げている。と、これはテルミの予想なのだが、


「……めすぶた……じゃなかった……ひーらぎいずなを、攻撃って……誰、が……?」


 莉羅から意外な言葉が返された。


「誰がと言われましても。僕もそれが聞きたいのですが……女神の力とやらで、柊木先輩が攻撃されているのでは無いのですか?」

「ううん……違う……よ?」

「えっ?」


 テルミは、自分の予想が間違えだった事を察する。


「攻撃なんて、されて……無い……」

「では柊木先輩の運が悪い原因とは、一体」

「前にも、言ったけど……ひーらぎいずなが、不幸になってるのは……幸運の女神、イディア・オルト・ハミの、神力しんりょく……の、せい」


 莉羅はそこで一呼吸し、テルミの勘違いを正す新情報を伝えた。


「ひーらぎいずなが……女神の力を、受け継いでいる……」

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