-2話 『兄と妹の公園デート』
早朝ジョギングは
ただし、家族みんなで仲良く並んで走る、なんて事はしない。
各々好きなルート、好きな距離を走る。
桜は美容のためと言い、とにかく長距離。
祖父は修行のためと言い、走りづらい山道。
今日は仕事でいないが、母はダンベルを両手に持ったまま、ルートを決めずに塀を飛び越えたり川を渡ったり。
同じく今日いない父は、武術家ではないのだが、吐きそうになりながら母の後を追う。そしていつも途中で諦める。
テルミと
妹を一人で走らせるのは心配だからだ。
「……その心配は、もしかして無用なお世話だったのかも」
そう呟いて、テルミはジョギングの足を止めた。
「どーしたの……にーちゃん……おなか、痛い?」
「いえ。少し休みましょう莉羅」
「わかった……ごきゅうけいデート……くふふふー……」
まだ日が登ったばかりで、誰もいない公園。
二人は、一つのベンチに並んで座った。
テルミは、莉羅の顔を見て考える。
今までは、自分が莉羅を守っていると思っていた。
しかし昨日の話では、実は自分が莉羅に守られていたという。
別にその事について、「兄や男として恥ずかしい」なんて考えは持っていない。
テルミは、男のプライドという物に固執する性格ではなかった。
姉に似て女性的な顔つきをしているから、というのはあまり関係ないかもしれないが。
ただ妹が、自分が思っていたような『か弱い存在』では無かった事に、言いしれぬ衝撃を受けたのだ。
虚空の賢者、超魔王ライアクとして存在していた、悠久の記憶。
それが莉羅の中にある。
「すみません、莉羅」
「……何、が?」
突然謝る兄に、莉羅は困惑した。
「莉羅には魔王の記憶があるのに、今まで余計なおせっかいをしていたなと思い直しました。迷惑だったかな」
寂しそうに微笑むテルミ。
莉羅は無表情なままベンチから立ち上がり、兄を見た。
「……にーちゃんは、いつも……りらの傍に、いてくれる、ね……りらが寝付くまで、毎晩傍にいて……りらが一人で遊んでいると、一緒に遊んでくれて……ごはんも、りらの好みに、合わせてくれて……」
言いながら、莉羅はテルミに半歩近づいた。
「はい。母さんと父さんが不在がちなので、寂しいだろうと思って。いつだったか、嵐の夜に一晩中ずっと一緒にいたりもしましたね……でも、莉羅は」
「寂しかった、よ……」
莉羅の言葉に、テルミはふいをつかれて固まる。
その隙をついて、莉羅はテルミの膝の上にちょこんと座った。
「ライアクの記憶はあるけど……りらは、莉羅だから……ママとパパがいなくて、寂しかった」
「え?」
莉羅の一言に、テルミは反省した。
魔王の生まれ変わりならば寂しさを感じる事など無いと、勝手に思い込んでしまっていた。
莉羅は莉羅。
可愛い妹である事は、何も変わらないのに。
「寂しかったのですか」
「うん……でも、にーちゃんがいつも傍にいてくれて……りらは、嬉しかった、よ……」
そう言って莉羅は、兄の胸にもたれかかった。
「……りらが、ライアクの事を、話そうと思ったのは……にーちゃんが、ねーちゃんの力を知っても……ねーちゃんを、怖がらなかったから……」
体勢を変え、テルミの胸に顔を埋める。
「りらも、にーちゃんにだけは、嫌われたく無かった……の」
「僕が莉羅を嫌いになるなんて、絶対にありません」
「……うん……あの、ね……」
莉羅は、テルミの鼓動を聞きながら、
「にーちゃん、好き……です」
そう言って、目を閉じた。
「はい。僕も莉羅の事が好きですよ。世界一の妹です」
「……りらのスキと、にーちゃんのスキは……ちょっと、意味が、違うんだけど……まあ、良いや……」
◇
「
下校中。
桜親衛隊女子の一人にそう話しかけられ、テルミは姉の姿をちらりと見ながら、
「ああ……はい。昨日テレビで見ました」
と答えた。
カラテガールとは、昨晩銀行強盗団を単独で退治した、ナイスバディなアメコミ風女性ヒーロー。
何を隠そう、その正体はテルミの姉。桜その人である。
「私も! 私も見ました輝実さま! 襲われた銀行って、この近くですよね?」
「はい、そうみたいですね」
「なんでもカラテガールは、全身ピッチピチのスーツを着て、ピンクのヘルメットなんですって!」
「すっごく強いんだって! 一秒間に十六発のパンチ!」
謎の女性ヒーローの話題で、女子達が色めき立つ。
すると、いつもは無言で颯爽と先頭を歩くだけの桜女王様が、珍しく振り向き言葉を発した。
「全身ぴちぴち? まるで変態ね。くだらないヒーロー気取りですこと」
桜は、冷たい目で言い放った。
くだらないも何も、その変態みたいな恰好のヒーローは桜自身なのだが。
どうやら、『完璧お嬢様生徒会長・桜』としては、カラテガール否定派のキャラ設定で行くらしい。
「我が姉ながら器用な人だ」
とテルミは思ったが、勿論口にはしない。
一方、親衛隊の女子達は、桜が珍しく話しかけてくれた事に感激している。
カラテガールの話も、もうどうでも良くなってしまったようだ。
そんな女子達の喧噪の中、親衛隊員の一人がテルミに話しかけて来た。
「あ、あのぉ、輝実さまぁ……」
「何でしょうか先輩」
桜親衛隊は、ほとんどがテルミの上級生で構成されている。
なのでテルミは「サマ付けはやめてください」と何度も言ったのだが、誰も改めないのでもう諦めた。
「えっとぉ、以前貸して頂いたハンカチですぅ……」
先輩女生徒は、綺麗に折りたたまれたハンカチを差し出した。
数日前の帰宅中に先輩が転んでしまい、怪我した部分をテルミがハンカチで拭いてあげたのだ。
更に、いつも持ち歩いている絆創膏も貼ってあげた。
ついでに飴ちゃん……はあげていないが、持ち歩いてはいる。
その汚れたハンカチは、女生徒が洗って返しますと言うので、お言葉に甘えさせて貰っていた。
「ああ、あの時の……すみません、わざわざ洗濯までして貰って」
ハンカチを受け取る。
その際、手と手が触れあってお互い赤面する、なんてラブコメイベントは特に発生しなかったが。
丁度そのタイミングに、下校集団の最前列で別のイベントが発生した。
「あ、テレビで見たよ。君ってあの乗馬クイーンの桜ちゃんでしょ? か~わ~い~い~」
「噂通り、女の子の取り巻き達に囲まれてるんだ。マジウケる」
「ね~ね~遊びに行こうよ、オトナな場所にさ~」
二十歳前後の男性数人組が、先頭を歩く桜の前に立ち、話しかけて来たのだ。
つまりはナンパ。
「邪魔よ、汚らしい。さっさとおどきなさい」
桜は腕を組み、毅然とした態度で拒絶する。
テルミは前に出て男達を諫めようかと思ったが、桜に目配せされ、渋々一旦立ち止まった。
桜は普段、弟に「お姉様を守れ」などと命令するが、いざとなると自分が弟を守ろうとする。
だが、桜が暴れると怪我人が出る。勿論怪我をするのは相手の男達。
テルミとしては、怪我人を出さずに相手を説得して退いて貰いたいのだが。
ただしこういう場合に、喧嘩無しに説得が成功した試しは無い。
「良いじゃん良いじゃん」
「ほらほら、女の子だけで固まってないでさ~……あれ?」
そこで男達は、テルミの存在に気付いたようだ。
「はー、女だけかと思ったら、男もいんじゃん」
「それとも男装女子? 女の子っぽい顔だけど」
「何々、桜ちゃんのカレシー?」
「ああいうヒョロいのが好きなのー?」
男達の言葉に、桜は額に青筋を浮かべる。
だが親衛隊達の前であるため、怒りを抑え、我慢した。
「輝実さまは、桜さまの弟ですわ!」
「へーそうなんだ~。でもあんなオカマ弟は放っておいて、俺たちとぶべえっ」
やっぱり我慢できない。
桜は、男の頬を平手打ちした。
さすがに大魔王の力は使わなかったが、それでも男は鼻血を出しながらよろけ、膝をつく。
「何すんだぶへえっ」
文句を言う別の男の喉を突き、動きが止まった所で鼻の頭を打った。
男は白目を剥いて倒れる。
桜は頭に血が登りながらも、なるべくお嬢様的イメージを損なわないようにした。
後ろの女生徒達からは死角になる位置で、小さく素早い動作で攻撃したのだ。
皆には、二番目の男は勝手に滑って転んで倒れたように見えた。
「な、なんだこの女! お高くとまりやがべへっ」
やはり後ろからは見えないように、男の顎先をかすめる掌底。
これで三人が倒れた。
ここまでやれば、さすがに残りの男達は桜の恐ろしさに気付く。
よろよろの三人を抱え、慌てて逃げ出した
「凄いですわ桜さま!」
「さすが生徒会長!」
親衛隊達からは、桜がただ一発のビンタだけで男達を怯ませ、撃退したように見えた。
なんとかお嬢様風のイメージは損なわず、むしろ畏れ多い女王様としての株を上げる事が出来たようだ。
テルミは桜に駆け寄った。
「姉さん怪我は……無いですよね」
「そうね、無いわ」
桜は表情を変えずに、冷静に答える。
「きゃあっ!?」
突然の悲鳴。
テルミと桜が、声の出所へ顔を向ける。
親衛隊の女生徒が、両手で左目を押さえていた。
指の隙間から血が垂れている。
「ばーか! ざまあぁぁ~!」
「ぎゃっははっ」
遠くの建物の影で、ナンパ男達が笑っていた。
彼らが投石をし、女生徒の顔に当たったのだ。
桜が睨むと、男達は慌てて逃げる。
「大変だ、大丈夫ですか!」
「は、はいぃ……あう……」
テルミは女生徒に近付き、傷の具合を見るためしゃがみ込んだ。
怪我をしたのは、先程ハンカチを返してくれた先輩だ。
左まぶたの上が切れている。不幸中の幸い、目は無事のようだ。
返して貰ったばかりのハンカチを再び手渡し、傷口を押さえ続けるように言う。
「皆さん、先輩を近くの病院に連れて行ってあげてください。お願います」
テルミは周りの女生徒達にそう頼んで、立ち上がった。
「僕は、あの方達に話がありますので」
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