第34話  世界は暗い

ーーガァン、ガァンッ!


冷たい金属音が響く。

かつての仲間同士が、必殺の武器によって斬り合っていた。

一太刀入れるだけで勝利となるリーディス。

掠り傷一つで相手を抹消できるマリウス。

一瞬の気の緩みが致命的であるのは、両者とも同じである。


強いて言えば、マリウスの方がいくらか不利だ。

彼の光は発動に予備動作が必要なためだ。



「懐かしいな。こうやって打ち合うなんて、ガキの頃以来だな!」


「ゥガアアッ!」


「グゥッ。重てぇ……!」



当初は互角だった戦況も、徐々に形勢が傾き始めた。

マリウスのバグが最適化を始めたのである。

より強く、的確に動けるよう、構成情報に整合性が生じるのだ。

相対する者は、まるで戦闘中に進化を始めたかのように感じられるだろう。


あらゆる攻撃がリーディスの顔から余裕を奪う。

やがて捌(さば)ききる事が難しくなり、少しずつだが浅傷ができる。

そして出血するかわりに、黒い炎が生じて傷口を焦がすのだ。



「クソッ。炎が地味に厄介だな……」


「ゥアアアアッ!」



リーディスが体を払って火を消していると、マリウスは大きな動きに出た。

高々と鎌を天に掲げ、渾身の力による振り下ろしだ。

直撃は死。

何も致命打は光の攻撃だけとは限らない。

殺意溢れる上段からの攻撃は、無惨にもリーディスの頭蓋を切り裂くものと思われたが……。



「大振りとは勝負を急ぎすぎたな!」



リーディスは迂闊な攻撃を見逃さなかった。

鎌の柄に刃を滑らせつつ、マリウスの小手を狙う。

大鎌の刃が地を穿ち、同時にリーディスの肩を切り裂いた。

ヘップションウスの鎧すらモノともしない威力。

だが直撃しなければ意味がない。

そして剣は何にも阻まれる事なく、マリウスの手首に迫る。



「食らえッ!」


「ゥガアッ」



鎌を手放す事で後方に離脱した。

千載一遇の攻撃は空を切ったのだ。

そして攻守は目まぐるしく代わり、今度は十分な距離をとったマリウスが有利となった。

再び空に向かって両手を掲げると、青空を埋め尽くすような、無数の黒い光が生み出される。

それがリーディスひとりに向けて落とされた。



「うぉっ! 消えちまう!」



上に向かって剣を散々に振り回して、光を潰していく。

だが数が多すぎる。

転がるようにしていくつかを避け、体勢を戻しつつ迎撃する。

それを繰り返しているうちに、光は全て消えた。



「はぁ、はぁ、全部片付けた……」


「食らえェェ!」


「ぐはっ!」



今度は光ではない。

マリウスの体重の乗った拳が、リーディスの頬を殴り付けた。


ーーゴキリッ!


もはや人のサイズからかけ離れた生物による、全体重を乗せた打撃である。

リーディスを枯れ葉のように吹き飛ばし、大ダメージを与えるのには十分すぎる威力だった。



「しくじった……」



壁に叩きつけられ、地面に沈む。

リーディスの眼には、勝ち誇ったようなマリウスの顔が映る。

もはや絶体絶命。

死は今まさに、かつての友により賜ろうとしていた。

凶相を浮かべたマリウスが一歩ずつ迫る。

一歩、また一歩といたぶるように。


しかし、両者を遮るように飛び出す影があった。

メリィだ。

彼女は両手を魔力によって煌めかせ、すぐさま発動させたのだ。



「勇者様、大丈夫ですか!」


「その声……メリィか……」


「いま治します、ハイ・ヒール!」



暖かな光がリーディスを包む。

すると折れ曲がった首も、無数の切り傷も瞬時に癒えた。

だが、復活を黙って見逃すマリウスではない。

すぐに片手が上がり、消去の光が放たれた。



「やべぇ! じっとしてろ!」


「きゃあッ!」



リーディスは彼女の手を強く引き、体の位置を入れ換えた。

庇おうとする背中に光が直撃する。



「勇者様、大丈夫ですか?!」


「あぁ……平気だ。鎧は消えちまったがな」



鎧も他と同様に、甲高い音をたてて消えた。

これで勇者装備は全てがこの世から消滅した事になる。

彼の手中に残されたのものは、もはや創造主の剣しかない。



「殺し損ねたな、マリウス! オレはまだまだやれるぞ!」


「ァァアアアッ!」


「加勢するぞリーディス殿!」



他方から声が轟くと、鋼鉄の矢が空を暗く染めた。

それは何もかもが大きく、もはや槍と言っても差し支えない物が、幾本も不気味な音を発しながら飛来するのである。

ソーヤの指揮する攻城兵器による攻撃だ。

放たれたうちの数本はマリウスの背中の羽を貫き、残りはあちこちの地面に大きな穴を作った。



「辛うじて避けたか。勘の良いヤツめ」


「おっさん、そんな重たいもん出してくんな! マリウスの攻撃を避けらんねぇだろ!?」


「問題ない。女神の加護があるぞ」



壁と言うよりは城壁とも言うべき遮蔽物が、ソーヤ隊の前面に出現した。

これはエルイーザの仕業であり、光による攻撃から身を守るためのものだ。



「撃て、者共、散々に射かけよ!」



その合図で、巨大な矢がいくつも空を飛ぶ。

マリウスは防ぐよりも回避を狙う。

大型獣の足が期待以上の跳躍を見せ、落下地点から十分に離れるが。



「リリア。今だ、やっちまいな!」


「フリーズボール!」



着地の瞬間、マリウスの足に氷魔法が直撃した。

すると右足が凍りつき、地面と連結されてしまう。



「リーディス! ぶちかませぇ!」


「ありがとうよ、みんな!」


「来るなァァーーッ!」



前傾姿勢で走るリーディス。

対するマリウスは天に向かって両手を掲げた。

再度、消去の光が放たれるだろう。

今度は標的が多い。

ソーヤ、エルイーザ、リリアとメリィも所在がバレているのだ。


リーディスは阻止を狙うが、まだ相手は遠い。

彼の剣が届くよりも先にマリウスが仕掛けるだろう。



「死ねェ、今度こそ、全員死んでしまェェ!!」



その両手が振り下ろされる瞬間、一筋の閃光がマリウスの左肩を貫いた。

遅れてもう一筋が右手を弾く。

それにより、光の発動は未遂。

マリウスが怒りの目を背後に向けると……。



「リーディスさん、今がチャンスですよ!」


「ヌフフ。最小の労力で最大の功。これぞ知恵者の在り方というものですねーぇ」



邪神とピュリオスだ。

街に入れない彼らはソガキスの指示のもと、辛抱強く好機を待ち続けたのだ。

この一手で生み出された一瞬の隙はまさに価千金。

リーディスは跳躍して一気に間合いを詰める。

あとは剣を振り抜くのみだ。



「いくぞマリウス!」


「お前だけは、お前だけは殺してやるゥゥ!」



肩に振り下ろされる剣。

胴を貫こうとする拳。

ほぼ同時に繰り出されるが。


ーーバシッ!


巨大な拳がいなされ、あらぬ方向へと飛ぶ。

それをやってのけたのはミーナだ。

大斧の柄をグニャリと曲げてしまったが、攻撃を見事阻止したのである。



「マリウス様、ごめんなさい!」



その言葉は果たして彼の耳に届いたのだろうか。

この時はすでに、肩から腰にかけて切り裂かれた後であったから。



「ア……アァ……」



太刀筋に沿って出来た傷が青白く輝きはじめた。

薄く光に包まれたマリウスは、やがてかつての姿を取り戻す。

しかし様子がおかしい。

その顔に生気はなく、神々しい輝きに反して不吉な予感を周囲に抱かせたのだ。

全身、皮膚や髪だけでなく、衣装までもが白い。

まるで、初めから色など用意されていなかったかのようだ。



「アァ。暗いィ。世界は、なんて暗い」



マリウスはもはや立つこともできず、仰向けに倒れていた。

太陽に向けて腕が伸ばされる。

その手を、周りから順次駆けつけた仲間たちが、次々と握りしめた。



「マリウス様、しっかり!」


「おい、大丈夫か? 気をしっかり持て!」


「みなさん離れてください! いま回復させます!」



メリィがマリウスの胸に手をあて、ハイヒールの魔法を唱えた。

しかし、期待に反して生気を取り戻せない。

それどころか、触れた場所から風化が進行し、微風に吹かれて世界へと散っていく。

マリウスは胸と腕、ピースの欠けたパズルのような姿となり、いよいよ危険であることを知らしめた。



「エルイーザ! これはどういう事だよ、全てが元通りになるんじゃなかったのか!」



リーディスが吠える。

対するエルイーザは、顔を俯かせ、歯軋りだけで答えた。

もはや言葉など必要とはしない。



「そんな、嫌だ! マリウス様! こんな終わり方だなんて!」


「マリウス! 気をしっかり持て! 消えちまうんじゃねぇよ!」


「お願いマリウスさん! 死なないで!」



誰も彼もがすがる。

マリウスの生命力に。

そして、予期せぬ幸運に。

だが現実において、奇跡などそうそうに起こることはないのだ。



「寒い、暗い。世界はなんて、寒いんだ……」



マリウスはその言葉を最後に、体を風にさらわれ、全てを消失させた。

後には遺品のひとつすら残さない、完全なる消失だ。

彼がこの世界に存在したという、確かな物品の全てが。



「マリウス様!」


「マリウス!」



返事はない。

空を飛ぶトンビが、ただ場違いに鳴くだけだ。

辺りが涙で大いに濡れる。

特にミーナなどは、先程までマリウスが横たわっていた場所にうずくまり、あらんかぎりの声をあげて泣いた。

せめてぬくもりだけでもと思う。

しかし、どれほど探し求めても、手応えは一切ない。

その事がまた彼女を酷く打ちのめすのだ。


こうして、世界は確かに救われた。

唐突に訪れた消失の危機は、寸での所で回避されたのである。

しかし、その犠牲はどうか。

なぜマリウスを失わなければならないのか。

こんな結末を、どうして避けられなかったのか。

その問いに答える者は、遂に現れなかった。


『マリウスの為に墓を建ててやろう』


一同が泣く事に疲れ、辺りが静けさを取り戻した頃に誰かが提案した。

未だに死を受け入れれられらず、葬る事に戸惑う声も少なくない。

しかし、哀しみに暮れるばかりでも仕方がないという意見が勝り、次の行動が決められた。


ルイーズにより神龍が呼び出され、皆が背中に乗る。

向かうは始まりの平原にあるダリウスの墓だ。

せめて賑やかな所に建ててやろうというのである。

遺品のない、墓標だけの墓を。


移動中、口数は少ない。

それでも終始無言というわけではなく、一言二言と会話が為された。



「マリウスさん。お花は好きかな?」


「知らないな。どうして?」


「毎日、一杯飾ってあげようかなって」


「……そうだな。きっと喜んでくれるさ」



数度のやり取りをしたなら、押し黙る。

一行は沈鬱とした空気に包まれたまま、ダリウスの墓へと到着した。



「ここなら、寂しくないよな……」



リーディスとソガキスが小さく穴を穿ち、すぐに土で埋め直し、剣を突き立てた。

バグ殺しの剣。

マリウスの運命を決定付けたそれが、間に合わせの墓標となったのだ。



「ごめんなマリウス。すぐにちゃんとした物を、用意させるから……!」



リーディスは最後まで言い切る事ができず、再び咽び泣いた。

枯れたと思われた涙が、再び止めどなく流される。

それを機に、周囲の者も皆、泣きに泣いた。

ミーナ、三聖女、ソーヤ親子に王様。

関わりの薄かった邪神デルニーアまでが声を嗄らしてまで哀しみに暮れたのだ。



「マリウス、辛かったよなぁ。苦しかったよなぁ」


「ごめんなさい、マリウス様。私がもっと早く気づけてたら……」


「おぉーい」


「マリウスさん、色々と大変な役目を押し付けちゃってごめんなさい」


「おぉーい。みなさーん!」


「えっ?」



耳を疑ったものが何人も振り返る。

期待と困惑を交ぜた心地で、声のする方を見た。

するとそこに現れたのは、彼らが最も切望した人物であった。



「マリウスさん!?」


「みなさん、これは何事ですか? 確か、邪神城に乗り込む途中だったハズでは……」


「マリウス様ぁーーッ!」


「マリウス! 生きてたのかこの野郎ーー!」


「うわっ!? 皆さん落ち着いて……」



その場に居た全員が雪崩を打ってマリウスのもとへ殺到した。

あっという間に揉みくちゃとなり、そして大いに涙に濡れた。

先程とは違う涙によって。

さて、マリウスにはどの様な経緯があったのかというと、次のようになる。


神龍の背に乗って邪神城に乗り込む直前に、一度意識が途切れた。

そこからの記憶はすっぽりと抜け落ちており、再び気がついたときはゲーム開始地点、玉座の間に倒れていた。

リーディスたちはもちろん、王様の姿もなく、しかもレベルは初期状態に戻されているではないか。


彼は慌てに慌てた。

城下町の人々に話を聞くも、誰と話しても要領を得ない。

右往左往の果てに平原へとやって来ると、ようやくいつもの顔ぶれと合流を果たした、という事である。


真相が語られても、誰一人反応する事ができず、呆気にとられてしまう。

その中で唯一エルイーザだけが、普段と変わらぬ様子で受け答えをした。



「まぁ予想した通りだったよ。親父のメモ書きに書いてあったしな」


「おいちょっと待て!」


「だったら何で思わせ振りな態度をとったの!?」


「だって、その方がさ」



ここでエルイーザは言葉を切り、顔を大きく歪ませた。

それはこれまで見せた中で最も印象的な『笑顔』であった。



「面白ぇじゃん」


「すいません。バグの剣お借りします」


「おうミーナ。ぶった斬ってやれ」



純情を弄ばれた乙女の怒りは凄まじい。

大聖女としての力をフル稼働させたミーナが、大振りの剣を軽々と扱い、女神(やっかいさん)に斬りかかったのだ。


一方でエルイーザも荒事には慣れている。

中空に飛ぶことで攻撃をかわし、そのまま物見遊山のように漂ったかと思うと、フワリフワリと離脱していく。

剣の切っ先が届きそうな高度だ。

それはもちろん、追っ手の心を煽るためである。

殺伐とした追いかけっこを遠巻きに眺める者たちは、一様に同じことを考えた。


エルイーザの底意地の悪さもバグであって欲しい、と。

そしてバグ殺しの剣によって、心の歪みも治してくれないか、と。

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