第30話  世界を守れ

暗雲が途切れると、空は再び青く染まった。

閉塞感と当面の危険から解放され、安堵の息が次々と漏れる。

だが重苦しい空気ばかりはどうにもならなかった。



「どうして……どうしてこんな事に」


「ミーナちゃん……」


「元気を出してください。月並みですが、敢えて口にします」


「そうよ。元気出してよ、空元気でいいからさ。メソメソしてたらマリウスさんを助けられないじゃない!」


「リリアさん……メリィさん……」


「それにさ、エルイーザさんのところに行くんでしょ? だったら心配ないじゃない、あんなに強いんだもん!」


「リリアの言うとおりです。あの計り知れない暴力で、きっとマリウスさんを正気に戻してくれます」



ミーナの赤く腫れた瞳が次第に色を取り戻していく。

弛みきった頬は上がり、眉に、唇に意思の力が宿る。



「そう、ですね。そうですよね! 今は泣いてる場合じゃありませんよね!」


「うんうん。その調子よ。私たちも頑張るからさ、一緒にね」


「ミーナさん、私も力になります。あなたの大切な人のために」


「ええ!? いや、大切とかそういうんじゃなくって! 仲間、そう仲間なんです!」


「そうなのぉ? じゃあさ、どっかの美人さんがマリウスさんにちょっかい出したら?」


「粉微塵にします」


「エルイーザさんがちょっかい出したら?」


「一命を賭して粉微塵にします」



女性を慰めるのは、やはり女性の方が上手いのだろうか。

連帯感、或いは同調意識が、ボロボロに打ちのめされた心を救うのかもしれない。

恋話に発展している所をみると、少々行き過ぎな気もするが。

リーディスはそんな事をボンヤリと思いつつ、並走する邪神に質問を投げた。



「ところでお前。エルイーザの事を姉とか言ってなかったか?」


「そうですが……ご存知無かったですか? 私は女神の弟という設定なんですが」


「ほら、オレたち説明書読まない派だから」


「出来れば自分の世界史くらいは覚えて欲しいですね……。私の本名はデルニーア。そもそもは姉上と役目を分けた神様だったんですよ」



邪神デルニーアの言葉はデタラメではなく、紛れもない事実だ。

創造と実りを司る女神、無常と畏怖を司る男神、2柱の神には血縁関係がある。

両者は互いの役目の乖離性から反目しあうようになり、衝突し、やがて抜き差しならぬ直接対決へと発展する。

邪神と戦う為にエルイーザの加護を必要とするのも、このような背景がある為である。



「リーディスさん。あそこを見てください。何やら騒がしいですよ」


「あの街は……、カバヤか。住民たちを避難させてるのか?」



邪神城から直線距離が最も近い街はカバヤである。

そこから数え切れない程の馬車が列を成して、南の方へと駆けていく。

街の非戦闘員たちを逃しているためだ。



「しかし妙だな。ゲーム起動中ならモブを動かすこともあるけどさ。今は閉演中だぞ」


「姉上が居ます。おそらく彼女の差し金でしょう」


「エルイーザが? だとしたら、詳しい情報を掴んでそうだな」


「そう見て間違いないでしょう。何せ最も『創造神』に近い存在ですから。ゲームの内情にも精通しています」


「よし神龍。カバヤに降り立つぞ」


「クェェエエ!」


「ギェェエッ!」



指示を受けた神龍は急降下し、街の北側に降り立った。

尻尾にしがみついていただけのピュリオスは、生きた心地がしなかった事だろう。

平時なら気遣いもするが、今は非常時。

ピュリオスの存在など忘れ去られ、平地に置いて行かれてしまう。


一行は騒ぎの激しい方へと向かった。

そこには武装した多数の兵、ソーヤ親子に王様、そしてエルイーザの姿がある。

彼らは声を嗄らしつつ、住民たちを追い立てている最中だった。



「急げ! この街はもはや安全ではない、王都まで逃げ切るのだ!」


「お年寄りは馬車へ、足に自信のある人は走ってくださいッス! 一人でも多く逃げ果せるッスよ!」


「イサリの西に騎士団を待機させておる。そこで物資を受け取るのだ。よって邪魔な手荷物は捨て置けい!」


「良いかテメェら、死ぬ気で逃げんだぞ。もし死んじまったらブッ殺してやるからな!」



ハッキリとした自我が無くとも死は怖い。

そのため、皆が争うようにして南へと駆けていく。

避難誘導は上首尾なようで、この場に残るのはカバヤ騎士団ばかりとなった。

それらの動きが落ち着いた頃を見計らい、リーディスたちはエルイーザの元へと向かった。



「エルイーザ。お前に聞きたいことがある」


「おうよ。マリウスの事だろ? さっきの異変は見てたよ」


「全然驚いてねえのな。あれは何なんだ?」


「バグだよ。バグ。それも恐ろしく攻撃的で、災厄レベルのな。感染したタイミングも察しがついてる」


「待てよ。その口ぶりだと、こうなる事が事前に分かってたのか?」


「まぁ多少な。いつだったか、魔法のデータをいじってたろ。あの時の様子がどうにも気がかりで……」


「お前ふざけんなよ!」



リーディスがエルイーザの腕を強く掴んだ。

歯と怒りをむき出しに、放っておけば殴りかかりそうだ。

鼻白んだ表情のエルイーザは歯牙にもかけていないが。



「ふざけんなだと? 何言ってんだテメェ」


「分かってたんならどうして止めなかった! 世界は、マリウスはどうなる! この責任はお前に……」


「責任、だぁ?」



エルイーザは掴まれた手を解きもせず、空いた手でリーディスの頬を殴った。

強烈な拳打により、腕への拘束が解かれる。

さらに追撃として、仰け反った体に向かって身を躍らせ、腹へ強烈な蹴りを入れた。

これには勇者と言えども悶絶。

『く』の字に全身を折りたたみ、痛みに耐えようとした。



「アタシに文句垂れる権利がテメェにあるかよ。だったら一番側にいたのは誰だ? 面倒ごとをアイツに丸投げし続けてたのは? 名称変更なんて簡単な作業すら肩代わりしなかったよな。そもそも編集モードなんかにしなけりゃ、こんな事態は起きちゃいねぇ。それを先導して焚きつけたのは誰だよオィ!?」


「あの、エルイーザ様。こんな事態は誰にも予測なんか出来ません。リーディス様を責めるのは、流石に酷じゃありませんか?」


「ンな事ぁわかってるよ。別にその件を責めちゃいねぇ。このクソガキが被害者ぶって、自分の責任から逃げ回ってるから指摘してやったんだよ。こいつは肩書きのせいで、常に自分が正義側だと勘違いしてやがる」


「オレは別に……正義ぶってなんか」


「ハッ。認識が浅ェんだよ。真っ先に責任論をブン投げるって事は『犯人』を探してるってこった。事態の把握すら放り投げてよ。その腐った性根が求めてんのは、誰かを責める事で、自分の立場を安泰にさせたいからだろうが」


「……チクショウ」


「それからな、異変に気付いて何もしなかったって責めるのは、完全にお門違いだからな。アタシにバグを直す力なんかねぇぞ」


「えっ!?」



痛烈なお叱りを前に誰もが口を挟めないでいたが、その言葉ばかりは聞き逃せない。

この場の全員が、エルイーザに相当な期待を抱いていたからだ。

飛び跳ねたように反応したリリアが、割り込むようにして叫んだ。



「直す力が無いってどういう意味!?」


「そのまんまの意味だよ。打つ手なし。マリウスを救うどころか、倒せすらしねえ。自分の身を守る事だって無理じゃねぇの?」


「そんな……何とかならないんですか?!」


「あるとしたらただ一つ。時間稼ぎだ。粘り続けりゃオヤジが何とかしてくれるかもしれねぇ」


「オヤジって、誰の事です?」


「創造主さま、だと思います。大地から人物に至る、あらゆるものを生み出したお方……」



エルイーザの読みはある程度正しい。

問い合わせやフォーラムにはバグ報告が相次ぎ、それを受けて青天井の残業にて、目下対応中の案件なのであった。

創造主(プログラマー)は修正パッチをテスト段階まで完了させたが、果たして反映まで世界は持ちこたえられるか。

そればかりはキャラクターたちはもちろん、創造主本人ですら知らない。



「その神様が助けてくれるのは……いつ?」


「知るか。もうすぐかもしれねえし、世界がしっちゃかめっちゃかにブッ壊れた後かもしれねえ」


「そんな……マリウス様……」



絶望が心を支配した。

これは実質、死刑宣告と変わりがない。

マリウスが無尽蔵に放つ黒い光。

当てられた物たちが消えていく様。

それらが何を意味するかは分からないが、恐ろしい結果になる事は想像に易い。


対抗手段もない中で、どのようにして身を守るべきか。

頼れる勇者は先ほどの言葉が響いたのか、打ちひしがれて座り込んでいる。

作戦の立案を委ねられる賢者は既に敵方だ。

不思議な加護を持ち、創造主と繋がりのある女神は打つ手なしと断言する。

設定上最強の敵である邪神を味方につけてはいるが、相手の強大さを前にしては余りに無力だった。


重苦しい沈黙。

それを破ったのは、建設的な作戦でも、誰かの鼓舞する言葉でもない。


ーーパキィンッ!


例の破裂音だ。

心を凍てつかせるような、幾つも重なる倍音が、住民の消えた街に響き渡る。



「出やがったな。随分と良い顔しやがって。積み木崩しは楽しいかよオィ?」


「フフ、フフフ。壊してやる。全部、この世に全てをォォ」



マリウスが空から現れた。

警戒している様子はない。

無意識的にではあるが、この世の絶対者と成ったことを知っているのだ。


そして、彼の変わり果てた姿に、誰もが息を飲んだ。

首から上に変わりはないのだが、上半身は竜の鱗に覆われており、邪神のような巨大な翼を背中に生やしている。

足は人間というには余りにも太く、そして獣のような体毛が豊かに茂っていた。

そして瞳。

瞳孔の開いた眼球は紅く染まっており、その異様な両の眼が、獲物を見つけて狂喜して歪む。


その異様さはあらゆる希望、辛うじて残っていた士気を奪い去るのに十分であった。

逃げることも戦うこともできない。

残されたのは諦念(ていねん)だ。

恐ろしくて仕方がないのに、まるで自ら生贄として捧げるかの様に、その場から動かずに居たのである。


ただ、エルイーザ以外は。


彼女はゆっくりと最前列にまで進み、鼻を鳴らした。

まるでツマラナイものでも眺めるように。



「アンタのポジションには同情するけどよ、堕ちちゃいけねえ場所ってもんがあるだろ。アタシのおっぱいにでも飛び込んで来てたら、ちったあ便宜なり計ってやったのによぉ」


「クフフ。殺してやる。殺してやるぞォォ」


「……まぁ、それも今更か」



マリウスが手のひらを向け、黒い光を放つ。

それは前回見た物よりも更に色濃く、そして筋もより太くなっていた。

迎えるエルイーザは宙に制御画面を呼び出し、盤面を素早く操作した。

すると付近の家々の壁が不条理に動き出し、

即席の壁となった。

光が遮ぎられる。

防御したそばから砕け、粉々になって消えはしたが、防御に成功したのである。



「やっぱりな。全消去(オール・デリート)かよ。おっかねえ技使いやがる」


「フフ、フフフ」


「テメェら、死にたくなかったらアタシの後ろに隠れてな。絶対にウロウロすんじゃねえぞ!」


「いつまでェ、いつまで持つかなァァ?」



放たれる幾筋もの光。

遮る壁、屋根、城門にドア。

何度も致命的な攻撃を防げているが、その防御法にも問題はある。

周辺の資材を使い果たせばお終いなのだ。


先の見えた防衛戦だが、彼女は諦めない。

次の一瞬のため全力を尽くし続けた。



「粘る。粘るなお前ェェ」


「フゥ。フゥ。しつけえ男だな。あんまり女のケツばっか追っかけてると嫌われるぞ」


「減らず口ィィ。黙れェェ!」



右手から工夫の見られない攻撃が飛ぶ。

それをこれまでと同じように酒樽で遮る。

だがその瞬間を狙われた。

時間差で左手からも光が放たれたのだ。

単調なリズムに慣れきっていたエルイーザは、対応が僅かに遅れてしまう。



「し、しまっ……」



慌ててガレキを動かそうとするが、一手遅い。

黒い光が凄まじい勢いで迫りくる。


甲高い音。

絶望を、この世の終わりを告げる音。

心の拠り所である女神は死に、後は蹂躙(じゅうりん)されるのみ。

と思われたのだが。



「よぅし。ギリセーフ」


「お前ェェ。リーディスゥゥ!」


「エルイーザ。これでさっきの分はチャラだからな」


「……うるせえ。大口叩く余裕はねえだろ。手を見てみろ」


「うわっ。剣もダメかよ!」



勇者の剣は柄を僅かに残して姿を消した。

盾と同じ運命を辿ったのだ。



「なぁ、本当に打つ手は無いのか? 勝ちが薄くても、何か打開策が欲しい」


「あのノータイムで吐き出される攻撃を凌いで、ひたすらにブン殴るか魔法をぶつければ……あるいは」


「何だよ、攻略法があるんじゃねえか!」


「バカかよ。触れたらお終いの攻撃をかい潜って攻めるなんて、無謀なんてもんじゃねえぞ。そもそもどんな攻撃が効くかわからねえんだ。無効属性持ちだったらどうすんだよ」


「んなモン、やってみなきゃ分からねえだろうが!」



リーディスの玉砕策も、エルイーザの持久戦も、どちらも厳しいものがある。

仮に成功したとして、どれだけの人間が帰らぬ人となるのか、予想もできない。



「フフ。死にたいらしいなァァ。リーティスよぉ、死にたくて仕方ないのかよォォ!」



大地がマリウスの狂喜に呼応したのか、大きく揺さぶられた。

この世界の常識を超越する程の強大な力である。

もしかすると、これまでの戦いは前哨戦レベルであり、全力では無かったのかもしれない。


本気の攻撃に晒される。

その不吉な言葉は吐き出されることなく、唇を引き結ぶことでどうにか飲み込んだ。

分かりきった未来を嘆くよりも、自分に出来る事を探そう。

全員が頭の中で手探りをし始める。

この戦いが、ほんの少しでも良い結末を迎えるために。

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