第29話  逃げの一手

「おいマリウス。しっかりしろ!」


「お気を確かにマリウス様ァ!」



リーディスたちは突然の電源オフを不思議に思いつつも、まずマリウスを気遣った。

だが、最早声かけなどに意味はない。

マリウスは先ほどの「謎の言葉」により、すっかり正気を失ってしまったのだから。

焦点の合わない瞳、グラグラと座らない首、うなだれきった肩。

普段の理知的な姿とは雲泥の差であった。

まるでゾンビや死霊にでも成り果てたかのような振る舞いに、みなが心を凍りつかせた。

リーディスが我先にと友人の肩を掴んで揺さぶるが。



「マリウス、どうしちまったんだよ、オイ!」


「どうしよう。回復魔法で治らないかな!?」


「リリア。残念ながら、ここには魔法を使える人がいませんよ」


「そっか。回復できるのはマリウスさんだけか! じゃあ薬を……」


「持ってきてねぇ。必要無かったし」



魔法ひとつにしてもそうだが、多くの役目をマリウスに依存していた事を痛感する。

彼ひとりを欠いただけでチームは即座に機能不全に陥ってしまったのだから。

それは実利に限った話ではない。

マリウスの冷静なる視点も、数値化のできない貴重な『力』であった。

だから残されたメンバーは慌てふためき、右往左往するばかり。

その思考はさながら、重石を失った船のようにユラユラと揺れ続けたのだ。



「みなさん、どうかしましたか!?」


「デルニーア! マリウスがおかしい、助けてくれ!」



異変を察知してやってきたのは邪神デルニーアであった。

たくましい羽を巧みに操り、暗き空から舞い降りた。

詳しい事情を聞く前に彼は両手を光らせ、それをマリウスの体へと向けた。

緊急事態であることを少ない言葉で察したからである。



「まずは回復をします。エクストラ・ヒール」


「最上級の回復魔法か、流石に正気に戻るだろ……?」


「マリウス様……頑張ってください!」



マリウスの体を眩い光が包み込む。

周りに居合わせた全員が儀式の成功を祈りつつ見守った。

黄金の光を放つ魔法は、あらゆる怪我や病気を治す力がある。

だから、きっと元通りになってくれるばすだと、皆は思う。

それなのに、腸(はらわた)をくすぐる様な不安が一向に晴れなかった。



「そう言えばさっきの戦闘だけどさ、みんなは気付いた? テキストメッセージが凄いことになってたけど……」


「すまん。オレは判らなかった」


「私もですね、すいません。何か違和感を感じはしたんですけど」


「メリィはどうなの?」


「あれは意味不明でした。たぶん文法もないメチャクチャな文字列だったんじゃないですか」



あまりの不気味さに何人かが寒気を覚える。

今回のトラブルと無縁だとは思えず、そして自分らの手に負えない事を、漠然としながらも察したからだ。

マリウスと、世界の異変。

自分達の足元が崩れ、奈落へと落ちていくような不安。

かつて味わったことのない恐怖が一同の心を鷲掴みにして、離そうとはしなかった。



「うぅ……」



マリウスの手が虚空をまさぐる。

リーディスはそれを見るなり、側にかけよった。



「マリウス、気がついたか!」


「ダメです、離れてください!」


「うわっ」



邪神がリーディスの歩みを体当たりで阻止した。

2人はよろけて、共に転んでしまう。

だがそれは幸いであった。

マリウスの指先からは黒い光線が飛び出し、リーディスの頭上を過ぎ去った。

その光は背後の屋根に直撃し、甲高い音を撒き散らしながら、その姿を完全に消してしまった。


見た事も聞いた事もない力を前に、皆が思考停止に陥った。

魔法……などという分類のものではない。

もっと恐ろしく、不可思議かつ理不尽な何かであることは間違いなかった。



「な、何なんだよ今のは!」


「皆さん、ここは退きましょう。彼の側にいては危険です!」


「そんな、マリウス様を置いて逃げろって言うんですか!? そんなのは嫌です!」


「ミーナさん、お気持ちは察します。ですが今は堪えてください。姉上……エルイーザであれば、何か対抗策を知ってるはずです!」


「クソッ。邪神の言う通りだ。みんな、神龍に乗りこめ!」



リリアとメリィは弾かれたように飛び乗った。

それからミーナを脇に抱えたリーディスが乗る。



「リーディス様、放してください! お願いします!」


「ダメだミーナ、対策を見つけるまでは逃げるしか無いんだ! 下手するとお前まで消されちまうぞ!」


「嫌です! マリウス様! マリウス様ァーーッ!」



龍の大きな翼がはためき、巨体が中空に浮かび上がる。

重々しい風の音。

そしてミーナの叫びが辺りに響く。

その悲痛な声がマリウスの心には……届かなかった。

かつての仲間たちをボンヤリと眺めると、やはり指先を向けてきた。

その指先にはまとわりつく様な瘴気が漂っている。



「ひいぃ! マリウスさんが狙ってるよぉー!」


「みんな下がれ! 頭を下げろ!」



リーディスが盾を構えながら最前列へと飛び出した。

襲い来る黒い光。

盾の形状を利用して上手く弾くことが出来たが、やはり甲高い音とともに盾は消えてしまった。

伝説の装備ですら使い捨ての防具扱いである。



「あっ、盾が……!」


「そんなモンに構ってられるかよ。今のうちに逃げるぞ!」



神龍が飛び立とうとしたその時。



「うっひゃーー! ワタクシを置いて行かないでーーぇ!」



ピュリオスだ。

飛び立とうとするなり、彼は屋上入り口から駆けてきたのだ。

懸命に駆け、屋上から空にジャンプ。

そうして神龍の尻尾にしがみついた。



「みんな、しっかり掴まってろよ!」


「それは主にワタクシに対して言ってますかーぁ!?」


「行けぇ!」



神龍が暗雲立ち込める空を飛んでいく。

その暗がりは彼らの行く手を案じるかのように、重く、深い色合いをしている。

飛龍と邪神は並走しながら、暗雲の中へと消えた。


後に残されたのはマリウス一人だけだ。

辺りを埋め尽くしていた魔物たちも邪神が下がらせた為に、一体すらもその場には居ない。



「気にくわない、全部気にくわないなァァ」



野太い声がひとつ。

普段の彼とは似ても似つかないほど、耳障りな声色だった。


ーー気にくわないなら、消しちまえ。


「そうだ。消してしまおう」


ーー世界の端から、ひとつずつだ。腐った体の指先から朽ちていくように、丁寧に、ゆっくりと。


「良いな。やろう。すぐやろう」



独り言をうつ向きながら溢すと、両手が黒く光った。

それは邪神城の中心に向けられ、射出された。

瓦礫が崩れる代わりに、半透明の建材がいくつも落下し、地面を覆い尽くしてしまった。

だがそれも長くはない。

全てが塵のように消えるのも、時間の問題なのである。



「アハハ、堪んないなァァ。壊すのは楽しいんだなァァ」



マリウスは宙に浮いたままで、空の彼方を見続けた。

リーディスたちが飛び去った方を。

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