84 浅野いにおと村上春樹が描く「どこでもない場所」。
僕がカクヨムをはじめたのは、2018年の5月1日でした。
一年が経った今年「平成」も終わって「令和」がはじまりました。
そんな僕が5月1日に何をしていたか、と言えば前日お酒を飲んで、深夜に前の職場のメンツが僕の部屋に来て「ハッピー令和」と安い缶ビールで乾杯していました。
一人が花火を買ってきていて、やろうや、と言うけれど、近所に花火ができる場所はなかった。
花火を買ってきた彼は、花火を置いて帰りました。
買うことに意味があったのでしょう。僕は花火を買ってきた彼を前にすると思い出す漫画があります。
今回はその漫画、浅野いにお「うみべの女の子」について書きたいと思います。
浅野いにお作品を初めて読んだのは、高校生の頃だったと記憶しています。
映画化し話題になった「ソラニン」を古本屋で手に取りました。
その後に、「素晴しい世界」「虹ヶ原ホログラフ」「ひかりのまち」と読んでいき、「おやすみプンプン」に行きつく頃には、完全にハマっていました。その中で「うみべの女の子」は少し趣の違う作品だと感じました。
「うみべの女の子」が載った雑誌は「マンガ・エロティクス・エフ」と言いました。現在は休刊している雑誌ですが、スーパーバイザーに山本直樹の名前もありました。
雑誌の名前にある通り、キーワードはエロです。
ただ、普通のエロ本と違うのは山本直樹の名前があるところから、予想できました。
山本直樹の書くエロは男性向けAVのようなファンタジーではなく、リアルです。
人間が如何に性に溺れ、その奥に潜む感情が何なのかを山本直樹は繰り返し描きます。僕が山本直樹の作品に触れ、感じるのは人間の「弱さ」でした。
浅野いにおの「うみべの女の子」の物語の根底にあるのも、弱さでした。
帯には以下のようにあります。
――恋と
いうには
強かで
打算と
いうには
あまりにも
脆い
うわぁ。
というのが、僕の最初のリアクションでした。
続いて、あらすじを簡単に書かせていただきます。
――中学二年生の女の子、佐藤小梅は片想いをしていた先輩からオーラルセックスを強要された挙句に振られてしまいます。その足で、小梅は一年前に告白してきた同級生の磯部恵介に
「あたしとセックスしたい?」
と尋ね、行為に及びます。
磯部は再び、小梅に思いを告げます。小梅はどう答えていいか分からず、謝罪を繰り返します。
「コレって何なの? 先輩へのあてつけのつもりなの?」
と磯部は尋ねますが、小梅はそれにも返答できません。
冒頭数ページのシーンですが、もう何か痛い。
帯のあらすじには
「思いよりも先に身体を重ねてしまった二人。秘密の時間を過ごせば過ごすほど、心の距離は遠ざかっていく――。」
とあります。
「うみべの女の子」は二巻で完結する作品です。僕が最初に読んだ時、二人が身体を重ねていくシーンは互いの身体を使って、何かを回復しているように思えました。
けれど、その結果、二人の心は遠ざかっていくし、お互いの思いもすれ違っていきます。
二人が上手くいく可能性は全然あったし、それは単純に互いが思い合うタイミングと順番でしかなかった、と言うのが僕の最初に読み終えた後の感想でした。
あと、中二病の男の子の成長方法は面倒臭いです。
浅野いにおの物語の男の子は卑屈で、社会的カーストにボコボコにしばかれています。底辺に落ちた男の子が成長しようとする時、本当に面倒臭いプロセスが必要になります。
「うみべの女の子」の後半に、丁度いい台詞があります。
「…あのさ
…もし磯部が何か悩んでいるんだったら
全部聞いてあげるし
もし寂しいなら
…ずっと一緒にいてあげる」
小梅の優しい台詞を磯部は全て寝たふりでやり過ごします。彼女が帰った後に以下のように呟きます。
「…どうせ
ひきとめたって
お前はどうせ
いつか家に
帰るんだろ
…無駄に
期待させるなよ
…鬱陶しい」
磯部の面倒臭い部分炸裂です。
そんなシーンを僕は「ノルウェイの森」の直子も口にしていたように記憶しています。
磯部が抱える問題は弱さです。
逆に言えば、小梅は十分に強い女の子です。
先輩から受けたオーラルセックスを同級生の男の子を利用して乗り越えようとする確かな強かさを持っています。
「ノルウェイの森」の主人公、ワタナベトオルもまた直子が姿を消した後、街中で知り合う女性と身体を重ねることで心の穴を埋めようとしました。
小梅とワタナベトオルに共通する強さは、好きではない相手とでも身体を重ねられる、という点にあります。
この強さを持つ人間に対し、弱い人間が選択できることは限られています。その選択の一部が「うみべの女の子」で、あるいは「ノルウェイの森」で描かれているとも言えます。
ただ、どちらも強さを持つ人間の行き着く場所は決まっています。
「うみべの女の子」は幼馴染の男の子と浜辺を歩き、海に足を浸けて「うみ!!」と小梅が言って終わります。
「ノルウェイの森」は電話ボックスで緑という女の子に電話をかけます。最後の一文は、
――僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。
です。
二人とも愛すべき(弱い)人ではない人へ言葉を発して終わります。結局、彼らは誰でも愛せるが故に誰にも愛されずに孤独です。
そして、孤独の場所こそ「どこでもない場所」なのでしょう。
海に立つことが「どこでもない場所」なのか、は少々議論の余地がある気もしますが、不安定な場所であることは間違いないでしょう。
さて、話を冒頭に戻させていただきます。
僕の前の職場の人間で、花火を買ってきた彼は「うみべの女の子」と「ノルウェイの森」で言う「弱い(磯部、直子)」人間側になります。
彼がこの先どういう場所に立つのか分かりませんが、ひとまず「どこでもない場所(孤独)」ではないのだろう、と僕は勝手に予想しています。
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