47 逃げない主人公「君の膵臓をたべたい」。
仕事を辞めました。
ほとんど、何の用意もなく辞めてしまったので、次の仕事を早急に決める必要がありました。色々まわった結果、以前と変わり映えのない仕事をすることになりました。
以前の職場で感じていたストレスの一端でも軽減されれば良いな、とそれだけを願っています。
このエッセイを書いている現在、僕は無職です。
日々生きるお金を如何に節約するか、という点に重点を置いて生活をしています。そんな僕に連絡してくる連中がいます。前の職場の飲み仲間です。
基本的に仕事を辞めた後、僕はお酒を飲まなくなりました。買う金がないのですから、当然と言えば当然なのですが。
そのような事情を飲み仲間に伝えたところ、「じゃあ、買って持っていくわ」とのことで、連日連夜、僕の部屋は彼らの宴会場と化しています。
僕としても、一人でいたら一日、二日は喋らないというのは当たり前、という日常ですので賑やかしてくれる連中は大歓迎です。
が、終電がなくなり泊まっていく連中もいて、このクソ寒い時期の雑魚寝は流石に風邪を引くのでは? と寝床を飲み仲間たちに譲った結果、僕の居場所がなくなることがあります。
飲み仲間たちは仕事終わりにくるので、横になればすぐ眠りにつきます。僕は基本的に働いていないので、夜でもそれなりに体力は残っています。
そんな訳で僕は連日、キッチンにあるイスに座って朝まで本を読む日々を過ごしています。正直寒いです。布団も毛布も渡しているので、ニットとホットコーヒーで暖をとります。
先日、読んだのは住野よるの「君の膵臓をたべたい」でした。今回はその感想と言うか、考えたことをつらつらと書きたいと思います。
少し前に、弟から「君の膵臓をたべたい」の映画が良いから見てほしい、とLINEが来ていて、それで映画を見ていました。弟の主張したい部分は、ヒロイン役の「浜辺美波」が可愛い、ということでした。
実際、浜辺美波は可愛かったですし、演技も良かったです。
弟は「君の膵臓をたべたい」の世界に浸りたい、と言う理由で主題歌を聴き、原作小説にも手を出したそうでした。僕も少し気になる部分がありました。
気になる点、というのはエヴァンゲリオンの「碇シンジ」的主人公の決定版が、「君の膵臓をたべたい」の主人公なのではないか? というものでした。
「シンジくん的主人公」とは、逃げない主人公です。
シンジくんの台詞で「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」というのがあります。
これを浅田彰の「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」に照らし合わせると、偏執(パラノイア)
シンジくんは間違いなくパラノ型です。
僕は勝手に「パラノ型」(住むヒト)主人公を「シンジくん的主人公」と呼んでいます。で、この行き着く先が「君の膵臓をたべたい」の主人公なのかな? と。
そう思うほどに「君の膵臓をたべたい」の主人公は受動的です。そう「パラノ型」は受動的で、基本的に何もしません。
何かをするのは常に周囲です。
例えば、エヴァンゲリオンのシンジくんは父に呼ばれて、第3新東京市に来ます。そして、そこでエヴァのパイロットとなって使徒なる存在と戦うことを命じられます。ここで「逃げちゃダメだ」と言い、エヴァに乗ります。
その後は周囲の大人に言われるがままに、シンジくんは使徒と戦っていきます。エヴァの根幹にあるのは、この大人に言われるがままになることで、世界は決して良くならない、という点です。
だから、最後には自分の意思での行動が求められます。
シンジくん的主人公の基本テーマは、ここに帰結します。
何もせず、流されるままに生きるものの、何か辛い現実が立ち塞がった時、自分の意思で誰かの為の行動をする。
故に、「君の膵臓をたべたい」の原作も、映画もラスト主人公が自分の意思で行動し、ある台詞を口にする瞬間がとても感動的になります。
僕はこのシーンを読む時、普通に泣いていて、寝ていた友人がトイレに立って、その姿を見られてドン引きされました。
二十八歳の無職が深夜にキッチンのイスに座って本を片手に泣いている。
うん、そりゃあヤバイ。
「君の膵臓をたべたい」を読む時(とくに終盤)は、人がいない場所で読むことをお勧めいたします。
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