29 天才に対する皮肉な笑い。

『響‐HIBIKI‐』という映画を観ました。


 欅坂46の平手友梨奈が主演の映画で、友人が本を出した日に集まったメンバーの一人にファン(倉木さとし、と言うのですが)がいたので一緒に見に行きました。響の原作は漫画で、タイトルは「響~小説家になる方法~」でした。

 副題が良いな、と思って本屋などで見かけてはいたのですが、あらすじを読む限り手に取らずにいました。


 引っ掛かりは芥川賞と直木賞の同時受賞でした。

 文学賞マニアとして二十代前半を過ごしてきた僕としては、両賞を同時に受賞が非現実である、と思ってしまっていたのです。

 漫画の中なのだから良いじゃないか? と思えないところが、マニア(オタク)の気難しい部分ですね。あくまで、僕はそうだ、という話ですが。


 そんな訳で、漫画の響を僕は敬遠していたのですが、映画の試写会に行った人の感想をツイッターで見てみると悪くなかった、と言う人が大半でした。

 よく取材している、と評する文芸評論家もいらっしゃいました。そして、僕はその文芸評論家が好きなので、映画に関しては気になっていました。

 更に言えば、友人(倉木さとし)の勧めで欅坂46の曲を聴いていて、平手やメンバーのエピソードも教えてもらっていました。なので、にわか欅ファンとして、平手友梨奈をスクリーンで見てみたい、という気持ちもありました。


 色んな感情が渦巻く中で観た『響‐HIBIKI‐』は非常に良かったです。点数を点けるなら、百点満点中九十点は固かった。

 何が良かったのかと言うと主人公、鮎喰響のキャラクターです。

 彼女の生き方が飲み込める人は、この映画をすんなり受け入れられるのだと思います。逆に言えば、響のキャラクターや生き方が駄目な人は訳の分からない映画となっていたでしょう。


 真っ直ぐ自分の生き方を貫く鮎喰響は何を大切にしているのか? 何故、彼女はそれを大切にしようと思ったのか。

 その辺は一切描かれません(何を大切にしているかは、すぐに分かりますが)。

 なので、鮎喰響は共感、ないし理解されることを拒否するキャラクターです。それ故、彼女は天才として描かれます。

 周囲の人間は、その天才を前にして自分の弱いところや諦めていたものをさらけ出していきます。

 反発したり、憧れたり、恐れたり……


 けれど、そういう向けられる感情に対し、響は一定の距離とルールを持って応対していきます。ぶれない主人公を貫いている訳ですが、その為に青春映画という感じはあまりしません。

 何かを皆でやり遂げる、などと言うシーンもありませんし。

 あくまで才能と才能がぶつかる弱肉強食世界が描かれ、それに屈しない響を見て、何故か最後の方では笑ってしまいます。


 どこまで行っても彼女は変わらない、ということをこれでもか、と描かれ続ける為に僕は何故か笑っていました。

 その笑みはどこか皮肉で、響のように生きられない自分に向けられているようにも感じました。前回、僕は仕事を辞めようと思った、と書きましたが、響という映画を観たからという部分もあると自覚しています。


 毎日、仕事に行きたくないな、という思い。

 今の仕事はどこにも繋がっていないんだな、という事実。

 そういったものに、僕は耐えられなくなっていました。

 お金を稼ぎ生活をしていることは、生を繋いでいると言える訳ですが、理想とした自分には繋がっていない。


 僕は視野を狭めて、都合よく解釈をしているのかも知れません。本当は今の環境にだって、やりがいや生きがいを見出せるのかも知れません。

 少なくとも、休みの日に小説を書くことはできます。

 それだけで十分だと飲み込むべきなのかも知れません。

 しかし、やはり毎日したくないことをする苦痛を前にすると、僕は僕が求めるもの為に抗いたくなります。

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