オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。

郷倉四季

① まず卵を割ります。

 作家になりたいと思ったのは十七歳の頃でした。

 僕は今年、二十七歳になりました。

 十年近い時間、僕はずっと小説家になりたいと思って過ごしてきました。

 

 学生時代の僕は人と上手く喋れず、教室で一人の友人も作れませんでした。居場所のない教室の片隅で僕は常に本を読んでいました。

 クラスメイトが楽しげに喋っている言葉の半分も理解出来ず、彼らが笑うタイミングさえ分からなかったのです。

 当時の僕が考えていたのは彼らが楽しくしている間、本を読んでいる自分は何のだろう? という疑問にさいなまれていました。

 答えはありませんでした。が、本を読むことを正当化する必要はありました。


 結果、僕は小説家になろうと思いました。歪んだ結論です。 

 クラスメイトの輪に入れないのは僕が小説家を夢見て、一分一秒を無駄にせず本を読んでいるからだ、という捻じれた妄想によって僕は僕の中にある何かを守ろうとしました。

 時が経った今、それが小さなプライドだと分かります。が、当時はそれがプライドなどという理解はありませんでした。


 そのプライドが今なお、僕の中にあるのかは分かりません。少なくとも社会人の僕は、それなりの社交性を手に入れて初対面でも(人によるけれど)臆せず会話を交わせるようになったし、人の輪を意味なく妬んだり(まったくではないけれど)しなくなりました。


 人は変わるものだ、と思います。

 と言ってみても、多分根っこの部分では変わらないものもあって、それは例えば読書だったり、小説家になりたいという思いです。

 それを夢と感じる時もありました。

 けれど、僕は「小説家を目指しています」の一言を常に回避してきました。


 僕の中で本当は教室の片隅で読書なんてせず、クラスメイトと楽しく日々を過ごす方が正しいのだ、と感じている部分があります。それを犠牲にして小説を書こうと思ったのだから、十年もの間、何の成果も上がっていない現実は「恥」以外の何ものでもないじゃないか? と僕は思います。

 だから、周囲の人間に胸を張って自分の十年の結果を語れませんでした。


 僕には小説を書く才能はありませんでした。少なくとも、この十年間の努力の結果は、そういうものでした。

 心のどこかで僕は小説家になれば今までの人生で僕を馬鹿にしたり、軽んじたり、傷つけてきた人間全員を見返せると、神様を信仰するほどの熱量で思っている節があります。


 当たり前ですが、僕を馬鹿にしたり、軽んじたり、傷つけてきた人間はもう僕のことを覚えていないでしょう。僕はもはや、存在しない人間に「見てろよ、この野郎」というスタンスで小説家を目指しています。才能もないくせに、です。


 騎士道物語に憧れて、現実とファンタジーを区別できなくなり、風車相手に突っ込んで行ってしまったドン・キホーテのように、です。

 もはや、小説ってすげぇなと思う他ありません。

 平凡な僕が悩んだり苦しんだりする事象は、他の誰かも悩んで苦しんでいて、それをちゃんと小説、物語にしているんです。


 だから、僕が、僕だけが書ける物語なんて、この世の中にはないんです。それが僕の出発点です。

 何かを書いたとしても、それは二番煎じ以下で、しかもそれが認められても、僕が「見てろよ」と思う人たちには決して届かない。誰も僕を見返してくれない。


 それでも僕は小説を書こうと思います。

 オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。


 惨めでも、恥をかくにしても、小説家になれないにしても、まずは卵を割ります。

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