第8話 逃走したシマウマと記念すべき第一回

「なになに? まじで野外映画やることになったの?」


 六月半ば。本格的に忙しくなる前に温泉に行こう、と思い立って、シンジは早紀ちゃんと日帰り温泉に出向いた。同じことを考えてお風呂に来ていたペンション村の人たちが、露天でわらわらと集まってくる。


「どうせうまくいかないと思ってたのに」

「あはは、思った思った」

「おれ、見に行ったよ、会場。すごい大改造じゃん」

「あれ、地主さんよくオーケーしたよな」

「入場料はいくら?」

「はは、あんなとこ、いくらでも横から入れちゃいそう」


 シンジはにこにこした。なんてすてきなタイミングだろう!

「前売り券を売るから、みんなはお安く入れるよ」

 シンジは言った。

「だから、ペンションに泊まりに来たお客さんに、片っ端から告知してね!」



 おなじころ、早紀ちゃんも女湯で奥さんたちに囲まれていた。

「なんの映画を上映するの?」

「雨が降ったらどうするつもり?」

「毎日やるってきいたけど、たいへんじゃない?」

「あたしも観に行こうかな。子ども連れてってもいいでしょう?」


 早紀ちゃんはにやりとした。しめしめ、口コミ効果は期待できそうだ。

「まだ上映作品は決まってませんけど、リクエストにはお応えしますよ」

 早紀ちゃんは言った。

「だから、じゃんじゃん要望聞かせてくださいね。うちの映画館はお弁当の持ち込みもオッケー。夜のピクニック気分で気軽に来てください」




 翌日から、ペンション村の住人たちがちょくちょく顔を見せた。みんなめいめい好き勝手に映画をリクエストしたり、ちゃんと予定どおりに運ぶのか、様子を見に来る。なんせ若者が「これをやろう」と言ったって、最後までやり遂げるのか信用できたもんじゃない。


 シンジと早紀ちゃんがペンション『ザクザク』にいないときは、会場になる草地にまでひやかしがやってきて、好き勝手ちゃちゃを入れた。シンジはそんなとき、にこにこして、逆に連中を手伝わせた。


「うわっ。ここかあ!」

 ご近所さんが散歩ついでに顔を見せたとき、シンジは大工さんに組み立ててもらった足場をのぼって、倉森とスクリーンを張っていた。

「ちょうどいいところに! ここ、押さえてよ!」

「はあ? なんで働かなきゃいけないんだ」

「そうだそうだ、報酬はもらえるのか?」


 倉森は顔をしかめつつもなにも言わない。シンジはにこにこしている。

「前売り券を一枚ずつあげるから」

「いいや、ペアチケットをもらわないとね」

「へへへ、ペアチケットを三枚くれたらやってやる」

「まったくもう、倉森さんがびっくりするって。ほら、いいから代わってあげて。倉森さん、曲がってないか見てくれない?」


 ご近所さんたちは口では文句を言いつつも、やんやと騒ぎながらやってきて足場をのぼり、倉森の支えるスクリーンを受け取った。


 シンジはにこにこした。

 そうさ、わかってるんだ。口ではいろいろ言うけど、みんないい人なんだから。



 早紀ちゃんは涼子とともに、チラシを一枚一枚手書きで書いていた。プリンターなんてどこの家にもなかった時代。目標は三十枚だ。


「ありがとうね、涼子ちゃん。助かるな」

「いいえ、私も、倉森さんにお世話になってますから」

 早紀ちゃんはにやにやしたりしない。あらそうなの、となんの気なしに答えて、心の中でにまにまと笑っている。


「このあと、一緒にビラ配りに行ってくれない? いろんなとこに貼ってもらおう」

「任せてください。小学校とか中学校とか、知り合いがいっぱいいますから、私、頼んでみます」

「うん、それを見込んで、お願いしたの」

 早紀ちゃんはシンジのように、にこっと笑った。




 草を刈り、電柱から電気を拾い、木々にスピーカーを吊るした。

 あちこちに宣伝して、映画のフィルムも滞りなく手配した。

 天気予報はずっと先までからっからの晴れ。


 映画祭の記念すべき第一回めは、着々と近づいている。


 そしてついに映画祭当日。

 事件は起きた。




 昼前のこと。シンジはお金の入ったボストンバッグをかかえて軽トラに乗せた。ジムニーは早紀ちゃんが使っている。

「よし、と」


 これまでいろんな人にお世話になった。大工さんに左官屋さん、電気屋さん、材木屋さん、ガラス屋さん、石屋さん、地主さん。今日はあちこち巡って、ちゃんとお金を払うつもりだった。いくらぐらいか数えていないが、たぶん足りるだろう。


 ええと、それから必要なのは、倉森が立て替えてくれたフィルム代?


 シンジがエンジンをかけたそのとき、草原のある土手から、しましま模様の生き物がぴょんと駆け下りて、目の前をかけすぎていった。


「あれっ?」


 シンジは今見たものが本物なのか、確かめようとして車を降りた。ペンション村のあちこちから、きゃあとかうわあと悲鳴が続く。


 シンジはボストンバッグをかついで走り出した。楽しさと興奮で、顔がにやける。今のは、本当の、本当に、本物か?


「きゃああ!」

「なんだこれ!」

 間違いない。


 ペンション村に、突如シマウマがあらわれた。




 倉森と涼子は、あらゆる可能性を模索しながらも手をこまねいていた。

 シマウマをどうするか、という問題について。


 もちろんいちばんいいのは、どこぞの動物園かサーカスに電話して、何も聞かないでくださいと言って強引に引き取らせてしまうことだ。


 だが、これでは涼子があまりに不憫だ。せめて週に一度は会いにいける距離がなくては。そしてできるだけ世話をしてもらえる環境で、シマウマを死なせてしまう危険からも遠ざけておきたい。


 倉森は涼子を乗せて、あちこちまわった。広い草原はないか。シマウマが隠れられそうな白樺の森はないか。だれも寄りつかなさそうな場所はないか。


 もちろん、そんな場所は田舎にはごまんとある。だがしかし、つい二年前に高速インターチェンジが開通したばかりで、外からの観光客が増え、別荘が建て続けられている現状に不安が残った。日達家の土地ならともかく、人様の山でシマウマが見つかったりしたら。


 涼子の父親には猟友会の友達がいた。このあたりではよく知られていて、人望も厚い。涼子もときどきお世話になっている。なぜなら、彼の仕事は獣医だからだ。


 普段は動物を助け、休日には動物を仕留めている……。


 涼子はぶるりとふるえた。


 猟友会の人が、シマちゃんを見つけちゃったらどうしよう? まさかシマウマを殺そうと思う人はいないかもしれないが、鹿と間違えて撃ち殺されないという保証はどこにもない。このへんの人間は鹿が増えすぎて困っているのだから。


 倉森はそんな涼子の不安を取り除くべく、休みのたびに安く売っている土地を見学し、ビニールハウスを下見した。映画祭が始まる前に、なんとかシマちゃんを安全な場所に移そう。それでなくともシマウマは、映画祭の準備で会場を掘っくり返す人間たちにびくつき、神経衰弱気味になっていた。


 それでも、移送先はなかなか決まらない。


 とうとう倉森は決心した。迷うとわかっているのに、朝から一人、山に向かって車を走らせた。


 これが映画祭開催の当日である。




「うわっ。なんだ?」

「シマウマだ!」


 シンジはボストンバッグをかついで走った。すごいすごい。本物のシマウマだ! 一緒に写真が撮りたい! だけどカメラを取りに戻っていたら、どこかへ逃げちゃうかもしれない。だったら、この目に焼き付けなければ!


 シマウマはペンション村を駆け回った。すっかり気が動転して、荒ぶっているのがはた目にもわかる。休暇にきていたお客さんたちはぎょっとして室内に避難したし、ペンション経営者たちはほうきと斧を持って警戒した。


 だれかが警察に電話をかけたと思える状況にあったとき、人は自分が電話をかけようとは思わない。あまりにも目撃者が多すぎて、逆に人々はどこかへ通報するという発想が頭からすっぽり抜けてしまった。


 シマウマはすっかりパニックになっていた。ほんの二ヶ月前まで、静かな木立に囲まれた草地に暮らしていたのに、どんどん改造され、毎日がやかましくなって、いつもびくついていた。かつて駆け回った場所は荒らされ、石が張り巡らされ、大切なエサでもある草がすっかり台無しだ。


 シマウマは逃げるつもりだった。もう少し、ましな場所があるはずだと思った。だからちょっと土手を超えた。


 それで、このざまだ!




 シマウマがペンション村を駆け回っているという報は、アイス屋さんにもすぐに入った。携帯なんてだれも持っていない時代だから、ペンション村の人間が駆け込んできて叫んだのだ。


「シマウマだ!」


 一緒に働く富田さんは「なに言ってんの?」と困惑気味に笑ったが、涼子だけはすぐにその意味を理解した。「シマちゃん!」と叫び、エプロンと三角巾をつけたまま店を飛び出す。富田さんはわけが分からず、「涼子ちゃん?」と言ってあわてて店を出た。


 目の前に、シマウマが立っていた。

 ぶるぶると体を震わせ、ときどき脚を踏みならす。


 富田さんとお客さんたちはのけぞって離れたが、涼子だけはゆっくりとシマウマに近づいていった。


「ちょっと、涼子ちゃん! 危ないから下がって!」


 富田さんが叫んだ。ペンション村の住人たち、お客さんたちが一定の距離をあけつつも、固唾をのんで見守っている。そのいちばん前に、シンジがいた。満面の笑顔で、目をきらきらさせて。


「涼子ちゃん。このシマウマ、知ってるの?」

 シンジは興奮気味にささやいた。シマウマをはさんで反対側に立つ涼子は、少し迷ってからうなずいた。

「私の……シマちゃんです」


 シンジはにこっと笑った。

「すごいや。最高だね」


 シマウマがパッと首をもたげて、よろよろと歩き出す。ペンションの人たちはぎょっとして遠ざかり、シンジと涼子だけが前に進んだ。


「シマちゃん、お願い。一緒に帰ろう?」

「シマちゃーん。そうだ、帰ろう。えっと、どこへ?」


 涼子は手を伸ばして必死にシマウマを落ち着かせようとした。シンジはその様子に心打たれていた。もしかして涼子ちゃんって、風の谷に住んでいる心優しきお姫さま?


「シマちゃん。森に帰ろう」

「わあ、すてき」

「シンジ、これはいったい何事?」


 シンジはパッとふり返った。すぐとなりに、つんとした顔で腕を組む、黒ずくめの刈り上げ女が立っていた。


「あ、リサ」

「シマウマじゃないの。ていうか、それより早紀は? 『ザクザク』にいなかったけど」

「ああ、なんかさっき、バナナがないって買い物に行ったんだよね。そうかあ、リサが来るから買いに行ったんだね」


 よたよた歩くシマウマについていくように、涼子がたどたどしくあとを追う。シンジはボストンバッグがずり落ちないように背負い直しながらそれに続き、リサは歩きながらヤジ馬の持っていた斧をひったくる。


「使わないなら貸しな」

「リサ、映画祭、今日からだよ」

「知ってる。だから来たんだ」

「楽しみだね!」

「『ランボー』はかけてくれるの?」

 シンジはあははと笑ってごまかした。


 急にシマウマが走り出した。涼子が「待って、シマちゃん!」と走り出す。リサは涼子のとなりを併走しつつも、シマウマから目を離さずに言った。


「シマウマは気性が荒いんだ。人に危害を加えるくらいなら、駆除するよ」

「だめ!」と涼子が叫ぶ。

「まあ、そうでしょうね」とリサがつまらなそうに言う。


 シマウマはまるやち湖まで元気に走った。そのあたりでふらふらと目標を失い、ヤジ馬を避けるようにして湖のほとりまでのぼっていく。ペンションの人たちが大勢外に出てきてうわさしている。


「いったいどこからシマウマなんて」

「あの、日達さんちの子が名前を呼んでたみたいだけど」

「まさか、あんなに大人しそうな子が?」


 聞くな、聞くな。なんにも聞こえない。


 涼子はひたすらシマウマを追いかける。ああ、ここに倉森さんがいてくれたら。この数ヶ月、涼子はすっかり倉森に甘えていた。自分の秘密を打ち明けて、映画館に通って。なにもかもが変わってしまって……涼子にとって、シマウマはたった一人の友達ではなくなった。


 だから、言うことを聞いてくれないのだろうか?

 もう、涼子を仲間だと思ってくれていないのだろうか?


「シマちゃん、ごめん。許して」



 まるやち湖は、道路から少しのぼったところにたたずんでいる、ため池みたいに小さな湖だ。ほとりは駐車場になっている。その駐車場に、シマウマの報を聞きつけた人々が、どんど焼きよろしく巨大な火柱のたき火をおこしていた。


「その火、小分けにしなさい!」


 リサがたき火をおこした人々に命令した。幾本ものたいまつがちらばって、シマウマを取り囲む。リサもその輪に加わった。シンジと涼子は、ぼう然とそこに突っ立っていた。


「やめてください! 怖がってます!」

 涼子が叫ぶ。じりじりとシマウマに近よっていく、たいまつを持った人たちは三十数人ほど。ペンションからシマウマを追って来た人が、こんなにふくれあがっていた。


 リサは眉をぴくりと動かした。

「シンジ、その子は向こうに連れて行きな。危ないから」


 シンジは首をすくめて涼子を見た。涼子は泣きそうな顔で首をふる。

「お願いです、梅山さん。みんなに、やめてもらうように言ってください」

「シンジ、かわいい女の子に言われたからって、迷うんじゃないわよ! 早紀を裏切ったら承知しないから!」

「梅山さん!」

「シンジ!」


「えーと」

 シンジはぼりぼりと頭をかいた。なんだかみんな、こわい顔をしているぞ。

 もしかして、ノーマルモードを忘れたのかな?


 シンジは、あ、と突然思いつき、にこっと笑った。ちょうどいいや。こんなにたくさん人がいるんだもの、やることはひとつだけ。


「お集まりのみなさん! 聞いてください!」

 腕を広げ、晴れやかな笑顔で言った。


「今日、ここから少し上にあがった場所で映画祭を開催します! その名も『スターダストシアター』です! 前売り券はペンション『ザクザク』にて販売中。ぜひぜひ、来てくださいね!」


 殺気だっていたその場の雰囲気が、は? とへたれた。リサが眉間にしわを寄せる。


「スターダストシアター?」

「うん。いい名前でしょ? 星くず映画館!」

「ださっ」

「えっ。なんで?」

「英語にすればかっこいいと思ってる浅はかさがださい」

「わあ、ひどい」


 シンジは困った顔であははと笑う。

 なぜなら彼はいつだってノーマルモードだからだ。



 そのとき、まるやち湖のほとりに一台のミニキャブバンが乗りこんできた。シマウマをとりかこむ人垣の横にキキッと止まり、助手席から見慣れない、小柄な男が降りてくる。缶ビールを片手に持ち、伸びた髪をうしろでくくっていた。


「ありゃりゃ。なんてこったい。動物がいびられてやがるなあ」

 のんきなひょうひょうとした声に、シンジは好感を抱いた。なんだか面白そうな人が来たぞ。


 運転席から倉森が降りて来て、あわてて涼子に駆け寄った。人垣のまん中でパニックにおちいるシマウマを見つめ、真っ青になる。


「涼子さん、これは……」

「倉森さん、私、やめてくださいって言ったんですけど……」


「みんな、めったに近づいちゃダメだよ。シマウマってのは臆病なんだ」


 リサがみんなに届く声で言う。倉森が連れて来た男は、すたすたと人垣に割って入り、シマウマに近づいた。


 涼子は真っ青になった。涼子ですら、あんなに急に近づいたら、シマちゃんはびっくりしてしまうのに。


 けれども男は、まるで馴れた犬みたいにシマウマの頭をなで、よーしよし、とあごをかいた。シマちゃんのしっぽがぶんぶん揺れる。人びとはぎょっとして静まり返った。


 シンジはわあ、と笑った。

 思ったとおり、いい人だ!


「はは。こいつはおれと気が合いそうだ」

 男はにいっと笑って倉森と涼子をふり返った。

「おい、こいつを引き取ってもいいか? ここにいるよりはずっとましだろう?」


 倉森は涼子の肩に手を置いた。涼子は目に涙を浮かべ、しばらくしてこくりとうなずく。


「ときどき……会いに行っても、いいですか」

「そりゃ、好きにしろ」

 男は笑って、倉森にうなずいた。

「おれの負けだな。知り合いの娘よか、ずっと器量がいいや。おまえ、運がいいな」



 人々は、危険なはずのシマウマがすっかり大人しくなったのを見て、お互いの顔を見あわせてたいまつを持つ手を下ろした。なんだ、シマウマというのは、言うほど危険じゃないんじゃないのか?


 あの小男は、おそらく動物園の飼育員かなにかだろう。だからシマウマを一瞬で大人しくさせられたのだ。ならば恐れることはなさそうだ。



 シンジは感動していた。人間の善の心を目の当たりにして、すっかりいい気分になっていた。いい気分だったから、人びとがおろしたたいまつの火の粉が、ぱらぱらとボストンバッグにふりかかっているのに気がつきもしなかった。


「シンジ? あんた、燃えてない?」


 リサが不審げな声を出したとき、シンジはきょとんとした。うしろを見ようとしてぐるぐる回り、頭のうしろが熱いのに気がついた。


「バッグを捨てて! はやく!」

「わあああ!」


 ポジティブなシンジが悲鳴をあげたのは、おそらくこのときが人生ではじめてだろう。シンジが投げ捨てたボストンバッグはなんとも都合良くたき火の真上に落ち、めらめらと燃えやすい紙の材質を飲み込んだ。


「あーあ、燃えちゃった」

 シンジは残念そうに言った。

 まだ、一枚も使ってなかったのに。惜しいことしたなあ。


「大丈夫ですか?」

「なにが入っていたの?」


 みんなに聞かれて、シンジは困ったように笑った。

「映画祭の軍資金が入ってたんだけど……」

 その場がしんとなった。大丈夫? とか、やっちまったなあ、という、ちょこっと他人事なご近所さんの声。


 そこにジムニーがやって来て、ミニキャブバンのとなりに停まった。乗っていたのは早紀ちゃんだった。


「うわ、ほんとにシマウマだ」


 降りてきた早紀ちゃんの第一声はそれだった。シマウマはビールをあおる男になでられて、なんともリラックスしてしっぽをふっている。シンジは早紀ちゃんを見た。リサがうれしそうに「妹よ!」と声をあげる。


「久しぶり、お姉ちゃん。シンジ、どうしたの?」

「うん。ええと……へそくり、燃えちゃった」


 早紀ちゃんはめずらしく声を立てて笑った。シンジは「ひどいよお」と悲しげな顔をしたが、早紀ちゃんは集まっている人たちに向きなおって大きな声で言った。


「映画祭のお金がなくなったので、お客さんがうんと来てくれないと困る事態になりました。みなさん! 今夜、スターダストシアターでお待ちしていますから、どうぞ来てくださいね!」


 シンジはきらきらした目で奥さんを見つめ、ぎゅっと早紀ちゃんを抱きしめた。

 ひゅう、とだれかが口笛を吹く。リサがふんと鼻を鳴らす。


「早紀ちゃん、最高!」

「いつも最高なのはあんたでしょ」

 シンジはにこっと笑い、みんなに向かって手をあげた。

「というわけで、また、夜にお会いしましょう!」




 その日、七時半に開場した野外映画祭の会場には、五十人ちょっとのお客さんがぞくぞくとやってきた。ペンション村の人々、泊まりに来ていたお客さん、涼子と両親、弟、おじいちゃんおばあちゃん、富田さん、リサ、早紀ちゃん、シマちゃんと引き取り手の哲文という男、そしてもちろん主催者の梅山シンジと映写の倉森将司。


 シンジは八時になるとスクリーンの前に立って、にこにこ笑った。


「みなさんこんばんは! 今日は第一回めの上映会に来ていただき、本当にありがとうございます! 『スターダストシアター』です!」


 やんやと喝采が飛び、「いーぞー」と声が上がった。


「どうもどうも! 今日から二十日間、日替わりで上映します。『クレイマークレイマー』、『蒲田行進曲』、『未知との遭遇』、『炎のランナー』などをお送りする予定ですので、気に入った方は毎日でもどうぞ! では、本日の上映作品はこちらです!」


 ライトが消えて、映写小屋から光の筋が差し込んだ。スクリーンに映像が流れる。ときどき虫がスクリーンを横切って影を落としたけれど、だれも気にしない。それどころではないからだ。


 人びとは息をのみ、ナウシカが星空の下、メーヴェで空をかけるのを見守った。



 シンジは思った。


 ほらね。最高だ。

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