第7話 強い女は世界を回るが世間を知らぬ

「で、ここで映画をかけようってわけね」

「うん、そうなんだよ、リサ」

 シンジはにこにこしながら八ヶ岳の見え隠れする木立を見おろした。


 黒のタンクトップにぴったりしたレザーパンツ、ヒールの高いブーツをはいた刈り上げの女は、ガムをぷくーっとふくらませてパチンとつぶした。


「いいじゃん」

「でしょ? 最高だよね」

「で、必要なのはなに? 映写小屋とスクリーン?」

「それと椅子代わりの石かな。ここにずらっと並べてさ、軽く半円にしたいんだ。そうしたら、みんなゆったり座れそうでしょ?」

「いいじゃないの」


 リサはにんまり笑い、シンジの背中をバンとたたく。

「で、資金はあるの?」

「うん、へそくりがあるから」

「まったく! んなもん貯め込んでんじゃないわよ。早紀に苦労かけさせたら承知しないからね」

「あはは、大丈夫だよ」

「あんたはあたしと同じくらい信用できないわ」

「じゃ、かなり信頼されてるってことだね」

 ふたりは声を立てて笑った。




 前の日の夕食時、日達家に電話がかかってきた。涼子はちょうど母親に「最近、どこか様子がおかしい」とするどいことを言われてびくついていた。


「別に、いつもどおりだけど」

「だって、来週も茅野の映画館に行くんでしょ? これまで町に下りもしなかったくせに、先週に引き続き、また映画?」

「観に行っちゃいけない?」

「そんなことは言ってないけど」


 鳴り響く電話を母親がとり、ええ、はい、と言って父親に渡す。

「はい、ええ。私ですが」

 お父さんが難しい顔をしてだまる。母親はふたたび涼子に顔を向けた。

「ボーイフレンドでもできたの?」

「ボーイフレンド!」


 むしゃむしゃと米を噛んでいたおばあちゃんとおじいちゃんが、そろって声を上げた。あはは、と高校生の弟が笑い出す。「ついに? おっそ!」


「そんなんじゃないもん!」

「あら、そろそろそんなんがいてくれないと困るわ」

「ねーちゃん、顔まっか」

「うるさい!」

 お父さんが急に笑い出し、家族みんながそっちを向いた。


「ええ、はあ、そうですか。いいですよ、それは全然。どうせなにもない土地だし、ええ、なんか楽しそうじゃないですか。映画は好きです、え、風の谷のナウシカ? 知らないなあ」


「父さん、ナウシカ知らないの。まじ? 歌、流行ってるじゃん」

 弟が言うと、お母さんが「口の利き方!」とにらみつける。


 涼子はまさか、と思う。思ったが、お父さんが満足そうに電話の相手とあいさつして、にこにこと受話器を置くまで確信が持てなかった。


「なんだか面白いことになりそうだ」

 お父さんはふたたび食卓について、晴れ晴れとした笑顔で言った。

「原村に、いいイベントが誕生しそうだぞ!」




 翌日、まるやち湖に木材を乗せた2トントラックがぞくぞくと停まり、荷台に乗っていた男たちがわらわらと飛び降りて荷を降ろしはじめた。運転席からレザーパンツの女が飛び降り、材木をかついで若衆たちをふり返る。


「こっちだよ。かつげるだけかついで、ついてきて!」


 現場には、急遽呼ばれた倉森が、シンジとともに図面を広げていた。といっても、手描きで適当に書かれたラフスケッチだ。そこへ、長い木材をかつぐ連中が押し寄せるようにやってきた。男でも二人がかりで運ぶような材木を軽々と運ぶ女に、倉森はぎょっとする。


「あ、初めましてだったよね。この人はリサ。早紀ちゃんのお姉さん」

 シンジの紹介に、リサは筋肉質の手を伸ばしてニッと笑った。握手をしつつ、倉森は頭を下げる。


「どうも。映写を担当する、倉森です」

「話は聞いてるよ。映写小屋を建てるのに注文つけたいんだって?」

「ええと……お義姉さんは、大工さんかなにかで?」

「いんや。でも、生きるためのことはひととおりできるよ」

 リサは不敵な笑みを浮かべた。そしてそれは真実だった。




 早紀の姉、リサは、小学生のころからやたらと独立心の高い子どもだった。


 夏休みや春休みになると、宿題などそっちのけ、リュックに生きるための最低限を詰めこみ、自転車に乗って旅に出た。海岸線に沿って進み、そろそろ休みが終わりそうだと気づくと、長距離トラックの運転手にヒッチハイクして家に戻る。ときどき始業式の日に間に合わなかったが、本人は悪びれもせず「個性を育てたいんでしょ?」と親や教師に笑顔を作った。


 そんなリサをからかうクラスメイトもいたが、そうしたときは毅然とした態度を取った。まず、相手が男の場合は股間を思いきり蹴る。そして女の場合は、やはり思いきり股間を蹴る。蹴られれば男でも女でも普通に痛い。


 リサはこの「男女平等キック」によって異名をはせ、同級生をだまらせた。


 高学年になると、まずヒッチハイクをしてから自転車に乗るようになった。琵琶湖一周にはじまり、中一で四国一周、中二で九州一周、中三で北海道一周を制覇。日本はせますぎるとばかりに、高校には上がらず、そのまま海外に飛び出した。


 しかし、ひとつ問題があった。リサは英語の授業がからきしダメだったのである。



 まずアメリカに入国したリサは、すぐに片言の英語で中古の車を一台買い、ヒッチハイカーのヒッピーを乗せて言った。

「おまえの行きたいところまで乗せてやるから、英語を教えろ」


 それで、リサはすっかりヒッピーたちと仲良くなった。ついでにヒッピー英語もうまくなったが、ネイティブの人間に「どうしてそんな汚い英語を覚えちゃったの?」と眉をひそめられるという弊害は残った。


 リサは日本人であることを売りにして、金になりそうなことはなんでも請け負った。滞在費用、ひいては生活費をかせぐためである。


「日本の、寿司を乗せる船の模型を作れる?」と聞かれれば、作ったことはなくともとりあえず「イエース」と答え、ご所望のものを完成させて百ドル手にした。


「日本の、囲碁をやる台を作れる?」と聞かれれば、作ったことはなくともとりあえず「オフコース」と答え、ご所望のものを完成させて百ドル手にした。


 そんなふうにしてリサは、銃の使い方を教えてもらい、鹿や豚の解体を覚え、丸太小屋を造る現場に出向き、家の解体にはどんどん参加し、インディアンの居留地に招待され、ヒッピーたちにマリファナの吸い方を教わった。



 アメリカに渡って半年ほどしたときのことだ。


 ニューヨークの場末のバーで飲んでいると、突然ギャングたちの抗争に巻き込まれた。流れ弾に当たらないよう、とりあえず近くに倒れたチンピラの手から45口径の拳銃を拝借したリサは、敵も味方も特にないので撃ってくる人間の脚を狙った。


 痛みにうめいている人間から銃をお借りし、また撃ち、弾がなくなると肩をすくめて投げ捨て、あらまだあるじゃない、と言って倒れている人間から銃をかすめとる。


 バーから逃げ出したときにはあきれたようにため息をつき、「アメリカって危ない国ね」と感想をもらした。弾の残っていた最後の銃は失敬した。どうせ持ち主は死んでいたし、問題はなかろう。


 ちなみにこの一件はギャングの世界でさらなるひともんちゃくを起こした。両陣営の二代目ともくされる有力者が、脚を狙う謎の日系人に撃たれたのだ。ギャングたちは血眼で謎の「レッグキラー」を探し回ったが、結局手がかりは得られず、懐疑的になった両陣営は、ふたたび抗争を引き起こして相討ちとなった。


 もちろんリサはそんな出来事など知らない。事件があったときにはすでに、さっさとメキシコの国境を越えていたからだ。



 メキシコはアメリカよりも平和なくらいだったが、リサは教訓から、マリファナをすすめてくる連中とは距離を置くことにした。しかし、この国ではマリファナを吸わない人間は少数派だったので、ヒッチハイクをしながら国を次々渡り歩いた。


 エルサルバドルに着いたとき、広場に大きな木があった。あまりに立派だったので、通りかかった人に木の名前を尋ねたが、相手も知らない。なんだろうねと首をかしげ、通りかかる人みんなに声をかけた。しまいには村の人間がほぼ集まり、みんなでそろって首をかしげた。


 リサはいちばんはじめに呼び止めた人間に「あんたの家に泊めてくれない?」と聞いてみた。その日の宿を決めていなかったからだ。相手は少し驚いたが、まあいいよ、と快諾された。


 大家族の居候となったリサは、しばらくその家に厄介になった。大工仕事を手伝い、石を切り、コーヒー農園に出稼ぎに行った。一ヶ月のビザをめいっぱい使うと、おとなりのグアテマラに一泊してきて、またエルサルバドルに戻って居候した。


 居候という名の、がっつり働く日々。リサはあっという間に、現地で重宝される即戦力となった。


 こうして一年が経ったが、この生活にもさすがに飽きてきたので、今度はスリランカに移った。インド、タイ、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピン、ニュージーランド。リサのパスポートは、出入国の審査官がスタンプを押せる空白を必死になって探すほど埋まっていった。



 ときどきリサは思い出したように日本に帰ったが、それより多い頻度で家に電話した。


 当時の海外では、国際電話のできるスポットが多くあった。21世紀も十五年経つと、こうした場所はほとんど絶滅する運命だ。理由は簡単。どの国のカフェでもフリーのWi-Fiが飛んでいるからだ。



 リサが電話をかける相手は、いつでもかわいい妹の早紀だった。早紀のほうでも姉を敬愛していて、二人はとても仲のいい姉妹だった。ただ、日本において世間知らずととられる発言や行動をする姉に、早紀は少しばかりあきれていたが。


 そんな妹に男のにおいを嗅ぎ取ったとき、リサは次の便で日本に向かい、実家に帰るより先に男の家に乗りこんだ。時刻は深夜二時。飛行機の着陸時間の関係で終電には乗れなかったので、違法駐車しているバイクの配線をいじってエンジンをかけ、「お借り」したのだ。


 ちなみに、男の住所は飛行機に乗っているあいだに、地元にいる昔なじみに調べさせた。かつては「男女平等キック」によるあつれきもあったが、大人になるころにはすっかり和解した、気のいい友人だ。


 飛行機が着陸すると、リサはすぐさまその友人に電話で確認した。相手はリサの電話を一睡もせずに待っていて、「たしかにこの住所でまちがいありません」と泣きそうな声で報告した。


「だから、どうか、もう解放してください」


 リサは急いでいたので、昔なじみが妙な懇願をするのに答えるひまはなかった。解放って、なんのことかしら? あいつとあたしはいいお友達のはずだったけど。


 そうやって、リサは梅山シンジの家に乗りつけ、第一印象を心がけた態度で臨んだのである。



「梅山シンジ! 早紀を手込めにしたってのはおまえか! さっさと降りてこい、このくそガキ!」



 二階の窓から明かりがもれ、カーテンが開かれて、目をこすった高校生が窓を開けた。そして荒ぶるリサと対面し、にこっと笑顔になった。


「わあ、早紀ちゃんのお姉さんですね! 来るかもしれないって、早紀ちゃんが言ってました!」

「てめえ、ろくな男じゃなかったら承知しないぞ! さっさと降りてこい!」

「はいはい!」


 ご近所から不審げな顔がいくつかのぞき、玄関で梅山シンジが両親となにか言葉を交わすのが聞こえてきた。扉が開き、シンジが「大丈夫、大丈夫」と言いながら、顔をこちらに向けてにこっと笑う。


「はじめまして、お姉さん! お話は聞いてます。ずっとお会いしてみたかったんです! わあ、最高の気分だな!」



 それが、地上最強の生活力を持った女と、地上最強のポジティブシンキングを持つ男の出会いだった。




 リサは行動の女だ。


 まず映写小屋を作るにあたって、リサは何カ所かに電話をかけ、バイクを走らせた。数十分後、トラックがぞくぞくとペンション『ザクザク』に集結しはじめた。


 早紀ちゃんはあきれてため息をつき、「ここは迷惑なので、まるやち湖に停めてください」と運転手たちに告げた。男たちはそれぞれ、材木、生コンクリート、ミニサイズのユンボ、石、窓ガラス、配線、足場などを積みこんでおり、リサが2トントラックに乗って戻ってくると、あっという間に会場作りがスタートした。


「土台んとこの土は掘ったよ、コンクリ流すから型枠組んで! ああ、スクリーンのとこも掘っくり返すから、ユンボは帰らないでよ! 石、運べた? おっけー、置いてくよ! シンジ、この角度でいい?」




 現場にかり出された倉森は、あぜんとしてその場に突っ立っていた。着工からわずか半日。邪魔な木を根元から取り除き、石をどけ、土を掘り、掘っ建て小屋とスクリーン、傾斜地の石段が見る間に組み上がっていく。


 ただの草原が、すっかり野外映画の会場になっていた。どこかから、犬の鳴き声が聞こえたような気がした。


「皆さーん、お昼ごはん、持ってきましたよー」


 早紀ちゃんが大きなお盆を手にやってくる。うしろから、ご近所のペンションの奥さんが数人、保育園にも入らない小さい子を連れている。そこに涼子も混じって食事を運んできた。倉森が会釈すると、真っ赤になってこくんとうなずく。


 かわいいね、とにこにこしながらシンジが言った。倉森は目をそらしてうなずいた。


「ああ、早紀、ありがとね。さすが我が妹」

 リサはゆるんだ笑顔で男たちに「休憩しよー」と声をかけた。おにぎり、サンドイッチ、大量の鹿肉の素揚げに、大量のバナナ。


「この鹿、早紀の家に来る途中でひいちゃったんだよ。ちょうどいいから妹にさばいてやろうと思ってね。どう、うまいでしょ?」

 リサが笑う。シンジはそのとなりで、こんなにおいしいお肉は今まで食べたことがない、と絶賛した。子どもたちがかけまわり、職人が「基礎に落ちるなよ!」と叫ぶ。


 動物園なみの騒々しさ。

 けれどもこれがペンション村の日常とも言える。


「リサって、なんでも食べてそう。今まででいちばんおいしい肉ってなんだった?」

「うーん、そうね。あたしが好きなのはガゼルかな」

 リサはバナナをふた口で平らげると、もう一本むきはじめた。


「ガゼル!」

 ペンションの奥さんたちが色めき立つ。リサはにひひと笑った。

「ケニアに行ったときに食べたんだ。シマウマも、わりといけたよ。ちょっとかたい牛肉って感じで」


 倉森のとなりで大人しくサンドイッチを食べていた涼子が咳きこんだ。倉森は背中をさすってやりながら、それにしてもすごいですね、と話題を変える。


「こんなにいっぺんにすすむとは思ってなかったです。今日中には小屋が建っちゃうんじゃないですか?」

「コンクリが一日で乾くと思ってる馬鹿なら、そう思うかもね」


 リサがバナナの皮をうしろに投げ捨てながらつまらなそうに答えた。早紀ちゃんが眉間にしわを寄せて、「お姉ちゃん、失礼だよ」と呟く。シンジはにこにこしながら「おれ、今日中に全部終わると思ってたけど、ちがうの?」と首をかしげた。


「掘っ建て小屋なら今日中に作れるけど。でも、映写さんが電気を通せってうるさいんだもの。やれることはやらないとね」

「スクリーンも、手作りしなきゃね」

 シンジはにこにこしながら言った。


「シーツをつなぎあわせればとりあえずいいよね? 何メートルくらい必要かな?」

「そうだな、縦五メートルと、横十一メートルくらいあれば」


 倉森が答えた。何枚必要かな、とシンジが首をかしげている横で、リサは小枝を拾って地面に図を書き、ぶつぶつ言ってパッと顔を上げる。


「こうしちゃいられないわ! あと三メートルも余計に掘り返さなきゃならないじゃないの!」

「早紀ちゃん、あとでミシンの使い方教えてくれない? おれ、自分で作ってみたいんだ」


 早紀ちゃんは口の中のおにぎりを飲み込んで、倉森と涼子にほほ笑んだ。

「ごめんね、やかましい人たちで」



 倉森は仕事があるので帰ります、と立ち上がった。今日は休みだったが、フィルムをつないだり送り返したり、仕事は山のようにある。それに、野外映画が本格的に現実味を帯びてきたのだ。そちらの手配もしなくてはならない。


「涼子ちゃん。倉森さん、送ってきなよ」

 早紀ちゃんがそっけない顔で言った。いつも笑顔が少なめだから、なにを考えているのか第三者にはわかりにくい。けれども倉森と涼子だけは、顔を赤らめてうなずいた。


「倉森さん、映画、観に来るからね」

 リサがにやっと笑って言った。倉森はうなずく。


「ええ、ぜひ。好きな映画は?」

「『ランボー』」

「あはは、リサ、好きそう」

「あたしも怪我をしたら自分で縫いたいのよね。なかなか縫うような怪我をしないのが最近の悩み」

「もう、お姉ちゃん、やめてよ」

 リサは倉森に手をふった。

「じゃ、またね」


 倉森と涼子が行ってしまうと、リサは立ち上がり、まだ食事をしている職人たちを尻目に作業をはじめた。ユンボに乗り、土を掘っくり返しはじめる。シンジは邪魔な石をどかしたり、草をむしったり。ようするにだれでもできそうな仕事で貢献した。


 その日、リサはぎりぎりまで作業を続けた。夜遅く、早紀ちゃんがお風呂に行こうよ、と誘うとうれしそうに仕事を切り上げた。シンジと三人で温泉に向かう車の中、楽しそうに建てた家や育てた動物たちの話をした。


「やれるとこまではやっといたよ。あとはシンジ、よろしくね」

 シンジはにっこり笑った。ほんとにありがとう。助かったよ。

「ところで、いつまでいるつもり?」




 翌朝、リサは朝ご飯を食べると、さっさとバイクに乗って走り去った。


 今回日本に帰ったのは、九州の島で廃材を使った家を建てる仕事に呼ばれていたかららしい。そのついでに早紀ちゃんのペンションまで寄ったのだという。


「ほんとに元気いっぱいな人だよね」

 シンジはにこにこ笑った。早紀ちゃんはもの寂しさを覚えつつ、シンジの手を取った。


「また、来るよ。映画を観に」

「うん、そうだね。夏までに、映画祭を完成させよう」


 早紀ちゃんは苦笑いした。

「『ランボー』は、やめようね。子連れのお客さんが二の足踏んじゃいそう」

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