第8~9話 誰が下僕なんかに!

「え?」


 あまりにズバッと答えるために僕の方が間違っているのかと自分を疑った。しかし、どう考えても彼女の言葉の方が間違っている。この子は僕に裸を見られても構わないとでもいうのか? 

 またも言葉を失った僕を尻目に彼女は机の方を向き、作業に戻る。僕もそれ以上かける言葉がないので、仕方なく、荷物整理に戻る。そのまま30分くらいたっただろうか。あまりの沈黙の長さに僕は耐えきれなくなりそうだった。少なくとも寮の他の部屋が空くまではこの子と共同生活を送るのだ。仲良くなるためになにかきっかけがほしい。意を決して僕はしゃべりかけた。

……それが間違いだった……。


「栗江さんは、出身どこなんですか?」

「東京」

 素っ気ない回答で話が途切れる。僕は負けじと質問を続ける。


「去年入学されたって花岡さんから聞きました。授業はやっぱり難しいんですか?」

「簡単」

「中学には通ってました?」

「通ってないわよ。今年14歳だから。小学校卒業してすぐここに入学したわ」

 花岡さんのいうとおり、僕と同い年だ。その後もなんでもない僕の質問に栗江さんが一言答える。そんなやり取りを複数回繰り返す。


「ところで栗江さんはなんでこの大学に……」

 僕が話すのを遮るように栗江さんが口を開いた。


「なんなのあなた? さっきから大して面白くもない話をして……」


 ようやく口を聞いてくれたぞ。ここから話を膨らませれば……


「あなた、まさか……そう……まあ仕方ないわよね」

 僕が話を膨らまそうと話題を考える間もなく、栗江さんは納得したようにしゃべりだす。


「あなた、私を口説いてるのね?」


「は?」

 何を言ってるんだ? 今までの会話のどこに僕が口説いていると思う部分があったんだ?

 僕が呆気にとられている中、彼女は話を続ける。


「仕方ないことだわ。私はこんなに美しいんですもの。下賤な人間が一目で惚れてしまうのも無理のないことだわ。」

 下賤って…… なんて失礼な……。


「いや、僕は口説いてなんか……」

 否定の言葉を発しようと口を開けるが、彼女の言葉がそれを遮る。


「ああ、私って罪な女ね。こんな下賤な人間にも愛されてしまう。でもしょうがないわ。生まれ持った美貌はどうしようもないもの……」

 いや、確かに美人だけど! そこは認めるけど! 自意識過剰すぎるだろこの人、大丈夫か?


「あの、僕ホントに口説いてたんじゃ……」

「けれど、残念ね! 私には愛した人がいるの! でもあの人にこの想いは届かない! あの人にとって私はまだ子供だもの……」

 なんかノって来てるな…… 自分を抱きしめるようなポーズをして語りだしている……


「でも、もっと成長してきっとあの人を振り向かせてみせる! 胸とか……そう胸とか! あとついでに身長も!」

 あ、胸ないの気にしてるんだ、この人……。


「私はあの人のもの……、だけど、お前のような下賤の者にも施しはせねばならないわね……」

「あの盛り上がってるとこ申し訳ないんですけど、僕口説いてないんで……」

「決めたわ!」

 なんだこの人、人の話なんか聞いちゃいないじゃないか……。そして僕の呼び方があなたからお前に変わってるじゃないか……。


「お前の期待に答えることは出来ないわ。でもお前を私の下僕にしてあげる! 感謝しなさい!」


「はああああああ!?」


 なんだこいつは? 口説いてもないのに、勝手に僕がこいつのことを好きみたいに勘違いして、下賤だの、お前だの言って、挙句の果てに下僕だって? ふざけてんのか?


「ちょっと、何無茶苦茶言ってるんだ! 誰が下僕なんかに!」

 僕が口を出そうとすると、彼女は何かを差し出し、僕の手に握らせた。手を広げて確認すると、そこには五百円玉があった。


「ジュース買ってきて! メロンソーダ!」

「なんで君の下僕なんかにならなきゃいけないんだ!」

 僕は拒否の意思を示すが、彼女は微笑みながら僕に言葉をかける。

「お願いね、下僕」


 その口から出る言葉は、僕を侮辱するもの以外の何物でもないが、彼女の眩しすぎる笑顔と可憐さの前に僕は断りの言葉を告げることはできなかった。


(くっ、かわいい……)


 僕は五百円玉を握りしめて、寮の玄関に設置された自動販売機へと足を運んでしまったのだった……。



 


 ……それから一週間、僕は彼女にこき使われた。買い物に荷物持ちに掃除、肩揉みと事あるごとに色々と……肩細くて柔らかかったな……いや、違う、そうじゃない! 何故かはわからないが、彼女に笑顔で頼まれてしまうと「ノー」と言えなくなる。決して僕は下僕の身に甘んじるようなドM体質なんかではない。今日こそはこの関係を終わらせなければ!


「やっと、帰ってきたわね、下僕! そこの荷物整理してもらえる?」


 部屋に帰るなり、すぐさま栗江は僕に当たり前のように命令をしてくる。このままこんな関係を持ち続けるつもりはない。


「いい加減にしろ! 僕は君の召使いでもなんでもないんだぞ! もう君の言うことを聞くつもりはない!」

「下僕のくせに私に楯突くつもり?」

「ああ、そもそも僕は下僕になったつもりはない! 君が勝手に言い出したことだからね!」

「ふーん……」


 先ほどまで見せていた眩しかった笑顔が消え、代わりに邪悪そうな頬笑みの表情を栗江がみせていた。


「今日こそ言わせてもらうけどその下僕というのはやめさせてもら……」

「無理よ……」


 彼女はそう言いながら突然顔を近づけ、僕の頬を手で触ってきた。そして僕と目を合わせ、こう続ける。


「あなたはもう私の下僕をやめることはできない」


 眼鏡の奥にある彼女の目は、真剣で冷たかった。背筋がぞっとした。その言葉には現実味があった。彼女から逃げ切れない。そんな不条理が通ってしまうような錯覚を僕に抱かせる。


(逃げられない? こんなか細い少女から僕が? なんだ、この感覚は。本当に逃げられない、そんな感じがしてしまう……)


「あなた、このまま、『美人の私に貢いでしまうダメ男』のままでいなさいよ。その方が身のためよ。私に逆らうなんて変な気を起こすなら、痛い思いをあんたにさせなきゃならなくなる。あんたも嫌でしょ? わたしも趣味じゃないわ。恐怖や暴力で支配するのは……」


 何を言っているんだ、こいつは? 恐怖? 支配? この一週間、僕に指示を出したり、愛しの人のことを思ってひとり演劇を始めたりと、とてつもない変人だったが、そこには笑顔があった。こいつの言うとおり傍から見れば僕は『美人の笑顔に騙されてこき使われるダメ男』だっただろう。

 だが、今、目の前にいるこいつは違う。僕のことをその辺の雑草ぐらいにしか思っていない目付きだ。きっと、今までが演技でこちらが本性なのだろう。演技と本性、どちらも碌でもない性格だが……。

 それに痛い思いをさせるだって? こんな少女がどうやって僕に痛い目を見させるというんだ。それに、そこまでして僕を言いなりにさせようとするのはなぜだ? さっぱり目的が見えない。だが、そんなことはどうでもいい。やはりこの関係は金輪際スパッと終わらせるべきだ。


「……僕は…………この関係をやめ……」


 金縛りにあったように口が動かない。この女との関係を否定する言葉を発することができない。


「どうしたの? なにか言いたいことがあればはっきりしゃべりなさいよ」


 なんで、なんで声が出ないんだ? それに何かに抑え込まれるかのように息もできない。

 その時だった。突然、部屋の扉が開いたかと思うと、大きな怒声が飛んできた。


「栗江、あんたどういうつもり!?」

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