008

「それで終わりにするって何をどうやって終わりにするつもり?」


「それは」


 珍しく口ごもる一政を見て妙な気持ちになる。いつだって一政は自信たっぷりって感じで、それに人間離れしたような雰囲気があるから、こういう人間らしい自然な所作が異変であるように思えてしまう。

 それは私と一政の関係において初めての事みたいで……いや、こんな事が以前にも一度だけあった。






 あれは一政が私に告白してきた時。






 あの時みたいに、私と一政の関係に変化を生もうとするなにかが起こる予感。






「パリが人を殺して食べるのをやめて、僕がパリを守るのをやめる為に、相野を消すって事」


 相野さんを殺す。


 無意識下で口内に溜まった唾を飲み込んだみたいで喉が鳴った。

 私が人を殺して食べる事をやめろというのは分かる。

 でも、




 一政が私を守る事をやめるというのは、どういう意味なのだろうか?




 それぞれの関連性が分からない。

 どうして私が殺人と食人をやめる事が相野さんを殺す事に関係するんだろうか?

 いや、それ以前に気にしなければならない事がある。




「一政は相野さんを知ってるの?」




 私は相野さんと接触があった。それは相野さんが一政について調べていて、一政を知る人物の正確な情報が欲しかったからだろう。

 それなら嘘偽りのない一政の情報を得る為に、一政と相野さんが接触しているとは考えにくい。なぜなら一政と私がある程度深い仲だった場合に一政が、「相野という男からなにか言われても信じるな」などと言っていれば、私は一政を擁護するように情報に脚色を加えたりする可能性が出てくる。そうなると面倒だから、ある程度外堀を埋めてから一政に接触を試みるのが正しい順序ってやつなんじゃないかなと思う。




「相野の事はずっと昔から知ってるよ」




 ずっと昔から……


 私はその言葉を聞いて思い出した。

 相野さんは言っていた。

 噂のようなもの。捜査をしていた警察官の子ども。学校に人を食べたってやつがいる。噂の人物を訪ねた。それが流音一政との出会い。噂を教えてくれたのは相野さんの息子。


「中学校の時から?」


「よく分かったね。相野からは、もう、そんな話までされていたんだ」


「人を食べたやつが学校の中にいるって噂……あれはやっぱり一政だったの?」


「当たり。でも間違ってる」


 矛盾。しかし一政がいうと、それは本当に矛盾しているのだろうかと疑いたくもなってしまう。

 それは私が、その話を聞いた時に感じた、あの違和感とも関係しているような気がした。

 その話は『学校に人を食べたやつがいる』という話とそれが『流音一政』に繋がる事に対する違和感。


 一政は完璧主義。


 それにも関わらず噂を立てられるようなミスをするとは思えない。

 いくら完璧主義だからといってミスをしないとは限らないと思う事も出来なくはないけれど、でもそこは一政だ。なにかミスを犯していたとしても、そのミスを隠す何らかの方法を模作するのではないだろうか。

 それならあの噂はなんだったのか?




「よく思い出してみてよ、当時を。当時の僕を。当時のパリを」




 ああ、なんなんだって本当に。そういう態度が私をぞくぞくさせるんだからやめてほしい。その顔に硫酸かけたくなるし、あっでも灯油をかけて火でも悪くないかもしれない、私好みに仕上げたくなるからやめろって本当に。ってそんな事考えてる場合じゃないんだって、私が今考える事はあの噂の違和感。


「当時あんな噂が出たのは、私が一政の指を食べちゃったから? っていっても知ってるのは私と一政だけなんだろうけど、あの『人の指をかじる』って行為の恐怖に脚色が加わったりして、人を食べるって話に変化していったとか? その過程で指をかじられた一政が復讐の為に食人を行った、ってなった方が物語性が出てよりリアルな気がするからみたいな感じだったりするんじゃない?」


「話が誇張されていくというのはよくある話だけど、僕の指がかじられた事を間近で見た人が何人もいる、学校っていう狭い空間の中では誇張はあまり意味をなさない。誇張したところで答えを知っている人間によってその誇張は正されてしまうからね。それに復讐の為に僕が食人を行ったというなら、その対象はパリであるべきじゃないかな?」


「つっ」


 一政の訂正はもっともだと思う。

 確かにいくら誇張をしたところで、私たちはその事実を目の当たりにしているわけだから、その誇張を信じることはないだろう。


「もっと単純なことなんだけどなあ。僕とパリしか知らない事があるだろ?」


「ああ、めんどくさい! さっさといったらいいじゃん!」






「それじゃあダメなんだよ」






 一政の目は私をただ見据えているだけなのに。私はナイフみたいな鋭利なもので体を刺されたように、血の気がさっと引いていった。

 椅子に座ってて良かった。

 こんなの立ってられない。

 一政から目を逸らし、考えながらいう。


「分かった……考えたらいいんでしょ。えっと、さっき一政がいってた当時の事を思い出せって結構大事?」


「そうだね。一回蒔いた種は放っておいても勝手に育つ事もあるんだよ。種は育って蔦を縦横無尽に伸ばして、そこらへんの色んなものに絡まっていく。僕は責任を持てとはいわないけど、パリももう巻き込まれてしまったことを知って欲しいだけなんだ。それに相野もね」


 種とか蔦とかよく意味不明な例えは無視する。って、これってもしかしてすごい簡単な答えなんじゃないかな? あの時期に、一政以外に食人を疑われるのって一政なんかじゃなくて、普通に考えたら……






「私?」






「そうだよ。人を食べたって噂されていたのは、パリだよ」






 いきなり突きつけられた過去の真実に言葉が詰まった。

 そんな私の事なんてお構いなしに一政は続ける。


「僕はパリの事が好きだったからね、罪を被ろうと考えたんだ。根回しってやつはしっかりしたし、僕は完璧主義だから、もともと出ていたパリが人を食べたって噂を知っているやつは、概ね脅したり色んな方法でもって口にする事を躊躇わせるくらいには心を操作するか痛めつけておいた。だってパリは本当に食べたから。陽花ちゃんを。ただの噂ならそこまでしないけれど、事実故に、少しでもその事実に目が向く事を、僕は防ごうと思ったんだ。当時の僕って、すごく一途だろう?」




「そういえば、なんで……なんで陽花ちゃんを食べたこと、知ってんの? 警察にもバレてないのに……」




「知ってるに決まってるさ。僕は完璧主義だから、パリの事ならなんだって調べたよ。でも、それももう終わり。僕は別に好きな人が出来たから、もうパリに構ってる暇なんてないんだ。だから、もう終わりにしたいんだよ、この一連の物語を」




 待って。待って。もう私の事、好きじゃないの、一政は。ちょっと、そんなのって、ない。私のこと何年にも渡って掻き乱しといて、私が好きになったら、もう好きじゃないってなんなの? そんなに好き勝手しないでよ。むかつく顔こっちに向けて。壊してやる。一政の事、絶対に壊してやる。

 その左手の薬指みたいに。




「まあいいよ。一政がそう言うなら。ってかさ、ここでこんな話するのもどうかと思うし、私の家来ない? そこで話そうよ。その方が安心だし」




 一政の薬指がぴくりと動いたそんな気がした。




「家に入れてくれるんだ。初めてだね」




「そうだっけ?」




 私は見え透いた嘘を吐いた。

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