006
だって私は犯人だから。
抱える恐怖は警察にバレたらどうしようかって不安からくるものであって、誘拐や死、見えない犯罪者の影からくるものではない。
むしろ犯罪者の影を作り出すのは他の誰でもなく私自身だから。
「きっとたいした事件じゃないって、大丈夫大丈夫」
サナとフミに笑顔でそう伝え、二人から少しだけ恐怖が薄まったのを感じた私は、「また明日ね」ともう一度繰り返して事件現場の方へと歩いていく。
誰も私を、ろくに知りもしないんだ。
家に帰るには事件現場の横を通るしかない。
なるべく不審に思われないようにしなければいけないが、だからといって現場を見ないで歩くなんて事をしてはいけない。
基本的に人間というのは日常の中に非日常を放り込まれるとそこから目を背ける事が出来なくなるものだから、私は興味がない振りをしながらもちらちらと現場を伺いながら歩く素振りを演出した。
警察官は誰一人、私なんて見ていない。
犯人が横を歩いているっていうのにダメだなあ、日本の警察って。
相野さんが一政をカーブミラー越しに見ていた時は警察の仕事っぷりもなかなかだと思ったけど、そういうのはやっぱり一部の人間だけなのかもしれない。
私はもしかしてと思い、事件現場をもう一度見たけど、そこに相野さんがいなくてほっとした。
事件現場は私の後ろへと流れ去っていく。
それは一つの事件が日々起こるいくつもの新しい事件に押されて、人々の意識の奥へ奥へと追いやられ消えていくのと同じに思えた。
そうやって被害者の名前も忘れ去られていくんだ。
それなら人が一人や二人死のうが世間には大きな影響なんてないのではないだろうか?
私が最初にそう思ったのがいつのことだったかはもう覚えていないけれど、初めて人を殺した日の事は鮮明に覚えている。
あれは高校に推薦での入学が決まって学校に行く必要もやることもなく、散歩に出た雨の日だった。
私は雨の日の公園が好きで、家からは徒歩で二十分くらいはかかるけれどウォーキングとジョギングのコースが作られている近隣でも比較的大規模な公園に向かった。
公園に人影はなく、目にも耳にも、そして匂いも雨の影響から逃げることは出来ない。
この雨に感覚の多くを支配されている状態が堪らなかった。
私は屋根のある腰掛けに座り、ただぼーっと雨に打たれる葉っぱや舗装された道を流れる雨の団体御一行を眺めていた。
どのくらいの時間そうしていたのかは覚えていないが、誰もいなかった公園の中にピンク色の小さな塊が突然現れた。
それはひょこひょことゆっくり動いて、私の方に近付いてきた。
よく見るとそれは小学生低学年くらいの女の子の持つ傘だった。
人気がなく人工物より草木や地面など自然物の方が多い公園ではそれが不可解なものに思えたし、なによりその女の子が人には思えなかった。
どうしてこんな日、こんなところに、こんな女の子が一人で?
「なにしてるの?」
女の子は私に気付いていなかったのか——私と同じでこんな日にこんなところに人がいるなんて思っていなかったのかもしれないけれど、肩を強張らせた。
そして、ゆっくりと、私を見た。
瞳には小さな不安と大きな興味が混在しているように感じた。
そう感じたのは、私がそうだったから。
どうしてこの女の子は私の前に現れたのだろうかという興味。あまりにも現実味がないせいで、いつの間にか私は眠っていて夢でも見ているんじゃないかという不安。
女の子にも私に似たそんな感情が湧き上がっているのではないかと、なぜかそう感じたのだった。
そして私の考えは、あながち間違っていなかったようだった。
「えっと……家に入りたいけどお母さんもお父さんもいないから。お姉ちゃんは何してるの?」
大きな瞳に私が映っていた。
女の子の瞳は美しかった。
美しい瞳に映る醜い私。
私は、
美しいものが嫌いだ。
「つまらないから」
女の子は自分と同じ理由で公園にいる私に共感でもしたのか、屋根の下に入ると傘を閉じて隣に座った。
「私、ぎゃくたいされてるの」
「虐待?」
「うん」
女の子は私の隣に座ったままでゆっくりと膝下まであったスカートの裾を太腿のあたりまで捲っていった。
痣があった。
「痛い?」
「もう痛いとか思わないって決めたの」
「大変?」
「ううん。でも、早く大人になって家から出たいな。それか」
女の子はさっきまで私が見ていたところ——女の子が歩いてきた方——を見つめながらいった。
「早く死にたい」
こんな年端もいかない女の子が口にする言葉じゃない。
単純にそう思った、それでも女の子がそう思ってしまったというのなら、それほどに辛い出来事が家で行われていたのだろう。
でも私はかわいそうだと思わなかった。
女の子は美しい瞳を持っているし、それに容姿だってかわいらしい。
私は、
かわいいものも嫌いだ。
それに比べて私は……
醜い。
途端に女の子への嫉妬や憎悪の気持ちが高まっていくのを感じた。今となっては八つ当たりもいいところだと思えるが、当時の私はまだ精神的に幼く今ほど冷静に物事を見ることが出来なかった。
そしてとても極端な結論を出した。
女の子を殺す。
本人だって死にたがっているんだから。
「ねえ、よかったら、お話聞かせてくれない?」
私は少し前にテレビで見たドキュメンタリー番組のおかげである確信を持っていた。
「どんなお話?」
それは、この女の子が学校に行っていないということ。
「例えば……学校のこととか」
虐待の痕が学校で見つかると厄介なことになると、この女の子の両親は分かっているはずだ。もし学校に行っているのなら、虐待をするにしても痕が付かない方法——精神面での虐待をしていると私は考えた。
この女の子はさっき、私に肉体面での虐待の痕を見せた。
間違いないはずだ。
「……てないの」
「なに?」
「行ってないの。学校、行ってないの」
やっぱりそうだ。
私の勘は間違ってなかった。
女の子を殺しても事件が公になるまでには少し時間がかかるはずだ。
両親はこの女の子を疎ましがっているのだろう。そんな状態で女の子がいなくなると、まず自らの保身を考えるはず。
警察に捜索願を出して発見でもされれば、体の痣について女の子は問われるだろう。
その時に両親が……とでもなれば一巻の終わり。ともなれば、捜索願を出すより早く、自分たちでこの子を探す。
どうしても見つからなければ警察にと考えられるが、それまでにはしばらくの猶予が出来るだろう。
私はこの時、どんな表情をしていたのかな?
「かたつむり、探してみない?」
「探す!」
「名前なんていうの?」
「
「私は
「陽花は
「紫陽花と虹ってなんだかバランスが良い気がするね」
「そうなの?」
「うん。そう」
雨の中。
二人で歩く。
近場にはいくつもごつごつとした石。
大きさもさまざまで、それは、とても、私の手にしっくりときた。
私の前に咲く可憐な紫陽花を、この世から摘む。
真っ赤な紫陽花はぽろりと落ちて、汚らしい排水溝の先へと一本の道を作っていた。
私は手に持った石を排水溝へと落として、沈んでいくのを眺めた。
紫陽花の小さな花弁は排水溝の轟々とした水流で少しずつ少しずつ
私はいまでも、あの瞬間を覚えている。
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