004
「はあ、恋ですか……少し気になりますね」
あれ? 相野さんって意外と恋バナとか好きなタイプだったりするの?
なんか意外。それに、きょとんとしたままで、ちょっと滑稽。
「その恋心が、そのまま食人に繋がったとは考えられませんか?」
は?
待って、この人、なにいってるんだろう? さっきのきょとんはどこにいったのってくらい、急に生き生きしてるし。
「あの……ちょっとよく分かないんですけど……」
「なに簡単なことですよ」
顔のケロイドが声の美しさとは対照的に不気味な光を放つ。
「いいですか? 流音一政はあなたに恋をした。恋の衝動というのは不可抗力です。それがどんな理由であろうと、起こるタイミングがあれば起こってしまいます。それが流音一政にとっては【指を噛みちぎること】だったのかもしれません。まあこれは極端な話ですが、可能性としてはゼロではないとわたくしは考えます。そしてあなたに恋をした流音一政は、あなたに近付こうとした。それがあなた巴里虹さんの真似をすることであったなら、食人に至ることも考えられなくはないと思いませんか?」
私ぽかーん。
「ちょっとなにいってるか分かりません。それに、恋をしたとかって何年も前の話ですよ? なんで今更、」
「この事件が実は何年も前から続いていたものだとしたら?」
相野さんが話を遮って放った言葉に、私は言葉を失う。
何年間も一政は人を食べていた?
私の前ではそんな素振り、全然見せなかったのに?
さすがに私だって、これは眉唾物なんじゃないのって思った。
「あの……一政が疑われているその事件って本当にあるんですか? そんなニュースとか全然見たこともないし、それに何年も前から続いているならどうして一政は捕まらずに普通に生活してるんですか?」
これは素直に気になったこと。
だって、そんな猟奇的なことがあったなら少しは話題になりそうじゃない? 事件の内容から警察が公にしていなかったとしても、テレビのニュースで取り上げられなかったとしても、今の世の中ネットでなら話題になってそうな気がしたから。
人の口に戸は立てられぬって、ことわざもあるくらいだし。
「嘘だと、思いますか?」
なんだか嫌な感じの空気が、相野さんからむわっと沸き立つようなそんな印象を受けた。
声は綺麗なのに、この人には美しさが感じられない。それは身なりとかの問題じゃなくて心の……。
私の勝手な想像だから当てにはならないけど。
「そう……ですね。ネットとかテレビとかでそれらしいニュースを見た覚えもありませんし。それに一政からはそんな雰囲気、全然感じられませんから」
「流音一政のことを、深く深く、理解されているんですね」
棘のある言い方が、気に食わない。
でも私は相野さんからこの事件の詳細を、この男が知る限りの全てを聞き出したいと思っているので、不満を顔に出さないようにぐっと堪える。
「そういうことに、しといてもらってもいいですよ」
「なんだか、無理をされていませんか?」
「なんのことでしょう? それより、嘘じゃない、ちゃんとした証拠になるなにかを、相野さんは持っているんですよね?」
私は顔に笑顔を張り付ける。
偽りの笑顔を。
「当然です。それでは、最初の事件から話しましょうか。そうじゃないと……」
相野さんは私に無垢な目を向ける。
「フェアじゃないですもんね?」
結構厄介かもしれないなこの人は……と私は今一度警戒心を強めた。
「最初の事件は九年前。流音一政が中学三年生の春に一人の女性が行方不明になりました。その女性は一人旅が趣味のようでして、以前からふらりと家を飛び出し旅に出ることが多々あったようです。そしてその時も両親は、またどこかに行っているのだろうとあまり気にしていなかったのですが、彼女は一週間を超えても家に帰ってきませんでした。当然、連絡もなし。いつもはいくら長くても一週間もすれば帰ってくるのに、さすがにこれはおかしいと気付いた両親は警察に相談、捜索届を提出し警察も少人数ではありますが聞き込みや彼女の自宅付近の監視カメラのチェックなどを行いました。しかし個人商店なんかに置いてある監視カメラの多くは、今と異なりそれほど多くの時間を録画出来るようなものではありませんでした。旅行に行くなら当然交通機関を利用するだろうと駅や空港なども当たったようですが、そこにも彼女の姿はなく捜査は難航。しかしひょんなところから、彼女の居場所に関する噂のようなものが浮かび上がってきたんです。どこからだと思います?」
どこだと思うなんていわれても分かるはずないじゃん……
たまにこういう話し方の人いるけど、私苦手なんだよなあ。
「どこからなんですか?」
「捜査をしていた警察官の子どもですよ。学校に人を食べたってやつがいるって話をしていたんです。それを詳しく聞いたところ、女性が行方不明になった以降から出てきた噂のようでした。まさかなと思ったんですが、捜査も難航していたので念のためにとその噂の人物を訪ねました。それが流音一政との出会いでした。ちなみに噂を教えてくれたのはわたくしの息子でしてね。捜査を担当したのが、わたくしでした」
そんなに前の噂を私は正直忘れていたけど、確かにあったような、そんな気もしなくはない。でも本当にそうだったかな?
それにしたって……。
「相野さんは一政のこと中学生の頃から知っていたんですよね? それならどうして一政は逮捕されていないんですか? そんなにずっと警察にマークされていたなら……」
いいながら一政の性格のことを思い出して、相野さんが答えるより早く自分の質問に答えを導き出した。
「もしかして、いくら疑わしくても、確実な証拠がなにも出てこないってことですか?」
「そういうことです」
完璧主義な一政のことだから、誰かを殺していたとしても証拠を残さないのはなんとなく分かる気がする。それに容疑としては、殺して食べたってことだから、なおさら証拠は少なくなるんだろう。
いや、だからって、一政が人を殺して食べたなんて信じてるわけじゃないし、それはいかがなものかと思うけど。
でもどうだろう?
相野さんがいったように私が一政の【指を噛みちぎること】で、一政が恋に落ちて私に近付こうと私を真似したとして……一政は完璧主義だから、人を殺したことを絶対にバレないようにするだろうし、完璧主義故に指だけでは終わらずにその女性を食べ尽くしてしまうかもしれない。
完璧主義。
一政は完璧主義なのに不完全なままにしていることが、私の知る範囲で一つだけある。
それに気付いた私の背中を汗が伝っていって、ブラのホックで汗が止まるのを鋭敏に感じる。
汗はブラのその下からも吹き出してきて、私の体を犯していく。
不快にべたつく汗。
よく考えてみたら……これって、
そういうことだったりする?
完璧主義の一政が手に入れていないもの。
完璧主義の一政が不完全でいる原因。
それは、私?
「もしかして、私自身が食べられる可能性もあるってことですか?」
「察しがいいですね」
相野さんの美しい声が、耳の中に響いてくすぐったい。
「思いが募りに募って巴里さんに近付きたくて人を食べるというはずの行為が次第に歪んでいき、巴里さん自身を食べることになるっていう可能性はあるんじゃないですかね」
そんなバカなと思ったけど今日の一政を思い出して、私は私自身が楽観的すぎるのかもと考えを改める。
だって一政は別れ際にいっていたから。
【近々またパリとは会うことになると思うから】って。
さすがに愛が重たすぎない?
なんて冗談をいっている場合じゃない。
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