第7話:走る

 通路を抜けるまではどれくらいの距離があるのだろう。

 左右を土壁で塞がれている状態では、逃げられる方向は前方の開けた道のみ。

 隠れられる場所もなにもないここでは、昨日の様に運よく穴でも空いていない限り身を守ることは到底できない。

 今はまだ顔しか覗かせないジャッカルがリゲルの掘った穴から出た瞬間に向かう先はまず間違いなくこちらだ。

 二息歩行でリゲルとハントを抱えているグリドラのスピードは決して早いと言えるものではなく、追いつかれるのも時間の問題。

 そのことは本人も重々承知の上なのか、少しでも距離を稼ごうと全力疾走している。

「ど、どうすんの!?」

「知るか!」

 どうやらグリドラにこの場を凌ぐ術はないらしい。

 頼りはこの道に仕掛けられているという罠だけだが、正直なところ説明をした本人もどこにどんな罠が仕掛けられているのかを正確に把握はしていなかった。

 考えが甘かったとしか言いようがない。

 罠が設置されるようになってから、ジャッカルの侵入率が格段に減ったと聞かされていた。

 スピードの出る四肢が武器のジャッカルは、その走りを十分に発揮できない狭い場所を本能的に避けると記憶していた。

 だからこの道の付近にジャッカルは生息していないと思っていたし、リゲルの掘った穴を通ってくるなど予想もしていなかった。

 もしも可能性として一瞬でもそのことが頭を過っていれば、ジャッカルが穴から顔を出した際に腰のナイフで仕留められたかもしれない。

 仕留められないにしても、目を潰すなど大なり小なりダメージは与えられたかもしれない。

 しかし、完全に虚を突かれジャッカルがいるという事実にただ逃げることを選択してしまった今となってはどうすることもできない。

 この道はあと20㎞以上続いたはず。

 短距離でも逃げ切れる自信がないのに、隠れ場所もない閉鎖された空間で生き残れる可能性はゼロだろう。

 数で考えればこちらの方が有利な現状ではあるが、意思の疎通も曖昧なアンドロイドと無知な小動物では戦力に数えることすらお粗末だ。

 顔が後ろに向く形で抱えられているリゲルはジャッカルの動向が良く見えるせいか、先ほどから手足をバタつかせて鬱陶しい。

 いっそのこと捨ててしまおうか。

 ジャッカルがリゲルの肉に喰いついている間に1番近い罠までたどり着ければこちらの命だけは助かる。

 折角の出会いであったが、昨日会ったばかりの小動物と自分の命とでは比べるまでもない。

 考えるや否や早速左腕の力を抜いたグリドラだったが、それよりも先にハントが自ら自分の腹に巻きつく腕を外すのが早かった。

「ハント!」

 右側が一瞬で軽くなる。

 リゲルが叫ぶがグリドラの脚は止まらなかった。

 むしろ重りが減りスピードが上がる。

 動揺はしたが、動きが止まるほどではない。

 前しか見えていなグリドラが知るよしもなかったが、自由になったハントの行動をリゲルは目撃していた。

 この時、既にジャッカルは真後ろにまで迫っていた。

 さっさと仕留めるつもりだろう、ジャッカルがより一層力強く跳躍しグリドラのうなじに牙をむいた時だった。

 ハントががら空きになった白い腹に蹴りを一発入れたのは。

 下から蹴りあげる形のそれは綺麗に命中し、ジャッカルはたまらず地面に転がる。

 勢いでするりとグリドラの腕から抜けだしたハントは迷うことなくジャッカルへと飛びかかるが、相手も凶暴な肉食動物。

 1回の攻撃に怯むことなく、ハントの腕に噛みつくことで反撃する。

 ミシリと嫌な音がした。

「グリドラ、ハントが!」

「知るか!」

「ジャッカルと戦ってる!」

「だから、知らん!」

 受け答えはしているが、この時のグリドラはかけられる言葉を正確に処理できていなかった。

 ようやく見つけた罠に辿りつくのに必死だったからだ。

 道の真上。

 土壁と土壁の間に張られたロープにぶら下がるのは、行く手を塞ぐための柵。

 太い木の枝で格子状に作られた柵はしっかりと地面に突き刺さるように柱の下部分を尖らせてある。

 本来であればあれで行く手を塞いでいる間に銃などで仕留めるのが常であるが、生憎とこの場にそんな便利なものは存在しない。

 今この状況では柵の下敷きにして刺し殺すのが理想ではあるが、ジャッカルの脚力と瞬発力を考えると難しい。

「あれが罠?」

「そうだよ。それがどうし――」

 左手まで軽くなり、流石に振り向く。

 止まりこそしなかったが足元に空く小さな穴に、グリドラは久々に頭に血が上った。

 ――あの小動物!

 唯一の特技を生かし自分だけまんまとこの場を逃れたリゲルに腹を立てるも、グリドラは柵を吊っているロープを切るために走った。

 このままでは自分は殺される。

 それだけは絶対に嫌だった。

 後ろではハントを地面に叩きつけジャッカルが再びグリドラの背中を追っている。

 なんとかロープまで辿り着く。

 もう寸前まで迫る真っ赤な目。

 後ひとっ飛びでグリドラはあの牙の餌食になるだろう。

 もう足止めさえできればいい。

 必死の思いでロープを切った瞬間、跳躍するための力を入れたジャッカルの前足が地面に沈む。

 態勢を崩したジャッカルはそのまま前に倒れ込み、落ちてきた柵の下敷きになった。

「……」

「うまくいった?」

「……あ、あぁ」

 疲労と驚きで腰を抜かすグリドラの横で、地面から顔を出したリゲルが問いかける。

 腹から大量の血を流し痙攣しているジャッカルから視線を離すことなく、グリドラは機械的な返事しかできない。

 柵の向こう側では、ハントがのんびりとこちらに向かって歩いていた。



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