第5話:洞窟にて
「よぅ」
目が覚めると、見知らぬ男が焚き火越しにひらりと手を振っていた。
がっしりとした体つきの大男。
こすけたマントを羽織った姿は、どこか父親のそれと重なった。
なんだかもう何かしらの反応をするのも億劫で、リゲルは気だるそうに「どうも」とだけ返す。
「お前カウムだろ。どうして一匹で地上にいる? 池で倒れてるのを見つけた時は、てっきりジャッカルに狩られた死骸かと思ったぞ」
男は胡座をかき焚き火に木の枝を足す。
洞窟の中らしいそこは薄暗く湿っぽい。
焚き火の煙が留まらず動いていることから空気の流れがあることが伺え、それほど奥まった場所ではないようだ。
「外に、出たくて」
「どうして」
「絵本が……」
「絵本? ……ああ、これか」
男が脇に置いてあったリュックから絵本を取り出しちらつかせる。
「悪いが勝手に中は見させてもらった。生きたカウムを見るなんて滅多にないことだからな。残念なことに中身は濡れてほとんどが駄目になってるが」
男の言うとおり差しだされた絵本は水分をたっぷり含んでふやけている。
表紙の絵も滲んでしまって、題名すら読みとることができない有様だった。
ページ同士もくっついてしまったらしく、あの状態で開いては破れてしまうことは簡単に想像できた。
絵本の状態を確認し、どうしようもないくらい虚しい気持ちに包まれる。
情けなくて情けなくてしょうがない。
まだ全身が濡れているせいか、元々小さな体が一回りも二回りも縮んだように感じる。
なんて無力なことだろう。
外に出れば世界が変わると思っていた。
地中では出会うことのできない素晴らしいものにたくさん出会えると信じて疑わなかった。
だが、現実はどうだ。
地上に出た途端ジャッカルに追いかけまわされ逃げまどい、人間の少女に驚いて池に落ち溺れかけるなんて。
おまけに、荷物や大切な絵本まで駄目にしてしまう。
穴があったら入りたいとはまさにことのこか。
もしかしたら特技である穴掘りはこの時のためのものだったのかもしれない。
こんな想いをするのなら、最初から父親に逆らわず地中にいるべきだったのではないか。
まだ地上に出て半日も経っていないというのに、リゲルの心は折れかけていた。
絵本を握りしめうなだれるリゲルを暫し眺めたのち、男は口を開いた。
「もしかして、絵本の続きが知りたくて外に出たのか?」
こくり、と頷く。
「お前頭悪いだろ。そんなことのためにわざわざ危険な外界に出て来たのか。しかも、1匹で。だいたい、お前まだ成体ですらないだろう。それでそのザマなんて、バカとしか言いようがないな」
男の言葉がグサグサと実体でもあるように次々と突き刺さる。
勢いに任せて飛び出してきたことを今まさに後悔し始めていたというのに、追い打ちをかけるその言葉の威力は強大だ。
なんだかもう泣いてしまいたかったが、名も知らぬ男にバカにされ涙を流すことはどうにも悔しくて、なけなしのプライドで何とか歯をくいしばり水分が零れ落ちるのを我慢する。
そんなリゲルの様子に気が付いたのか、さっきまでずかずか物を言っていた男の表情が曇る。
流石に言い過ぎたとでも思ったのだろうか。
そんな中、ふと空気の流れを感じて顔をあげるとハントがリゲルの横で体育座りをしていた。
「そいつ、ずっとお前の傍に居たぞ」
すっかり存在を忘れていたが、彼女はずっとリゲルの傍から離れなかったらしい。
懐かれるようなことをした覚えはないけれど、ひとりぼっちの見知らぬ世界で誰かが近くにいてくれることは、それだけで心安らぐことだった。
「ありがとう、ハント」
言葉がわからないのだろうか、ハントが少し首を傾げる。
相変わらずの身なりではあったが、その仕草はどことなく愛嬌があった。
「フリーのアンドロイドなんて珍しいものよく見つけたな。ハントってのはそいつの名前か」
「首のところにそう書いてある。……アンドロイドって?」
「首のところにあるのは型番だ。製品番号。名前じゃない。だがハントなんて型番は聞いたことないな。どっかの既製品のパクリか何かか? まぁ、固有名詞はあった方が便利だからな。そこは好きにすればいいし、俺が口出しすることじゃない。……って、アンドロイドも知らないのか。全く、これだから地中育ちは疎いな。アンドロイドはアンドロイドだ。人間の形をした機械。ロボット」
意味が解らない。
男の言っている言葉の大半が理解できない。
「機械もわからないか。兎に角、そいつは生き物じゃない。物だ、物。ただの物。その辺に転がってる石と何ら変わらない。無機物の塊だよ」
「でも、動いてる」
「アンドロイドだからな」
男はハントを生き物ではないと言う。
この洞窟を形成している石と同じだとも。
言葉の意味こそ理解できなかったが、隣に座るハントの腕に触れてみると生物特有の温もりは確かに感じない。
けれど、こうしてハントは動いているし、リゲルを池から助け出してくれた。
「ハントはハントだよ」
リゲルにとって生きている生きていないはどうでもいいことだった。
こうして一緒にいてくれる事実の方がよっぽど信じられる。
勝手に自己完結したリゲルに男はそれこそ理解できないとでも言いたげだったが、結局面倒くさくなったのかそれ以上言及はしてこなかった。
「っていうか、あんた誰」
「今さらか。あー、……俺はグリドラ。ここから少し離れた古都に住んでるんだが、偶然お前を見つけたから保護してみただけだ」
男――グリドラは森に1人で住んでいるらしかった。
食糧を探すために歩き回っていたところ、池のほとりで倒れているリゲルを発見したらしい。
「放っておいてもよかったが、あのままじゃジャッカルに喰われるのが目に見えてたからな。ようするに気まぐれだ。で、これからどうする」
「どうするって?」
「土の中に帰るのか」
帰り、たくはない。
いや、帰りずらいが本当か。
親の言いつけを破って今さらのこのこ帰ったならば、一体どんな目に遭うのだろう。
怒られるのは当然として、その後がどうなるのか想像ができるほどリゲルは大人ではない。
ただ、怒られるだけでは済まないことはなんとなく感じていた。
「さっきの絵本の続きだか、心当たりがないわけじゃない」
リゲルの様子を窺いつつ、グリドラは口を開いた。
「山をひとつ越えることにはなるが、その先には街がある。かなりでかい図書館もあるから、もしかしたらその絵本が置いてあるかも知れないぞ。連れてってやろうか」
まさかの申し出に、勢いよく顔を上げる。
「丁度俺も街に出る用事があるし、お前がいいならついでに連れてってやるよ。それに、ハントだって言うそいつも直せるかもしれないしな」
グリドラが言うには、ハントが一言も発さないのは声帯部分が故障しているせいらしかった。
やはり彼の言うことの大半は意味がわからないが、街に行けば絵本が見つかりハントが話せるようになることだけは理解できる。
この申し出を断る理由が、一体どこにあるだろう。
外の世界にも詳しい人物が一緒だなんて、これほど心強いことはない。
どうせ、戻ることはできないのだ。
だったら、進めるうちに進んでおこう。
申し出を受け入れたと見るや、グリドラはニヤリと笑って見せた。
「で、お前の名前は?」
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