第4話:ハント
カウム族は夜目が利く。
地中で暮らしているのだから、暗闇の中で物が見えないことには話にならない。
それでも、長年地中に住み続けているにも関わらず目が退化しなかったのは、遺伝子レベルで外に出ないと飢え死にしてしまうとわかっているからかもしれない。
だからこうしてリゲルは真っ暗な通路を難なく進むことができるし、ずっと憧れて来た外の世界に出ることもできている。
数十分は歩いている気がするが、進んでも進んで出口らしきものは見当たらない。
いつなんどきジャッカルが通路に侵入してくるともわからない状態で続く通路は、いくら穴の中を連想させても出口のないトンネルのような絶望感を漂わせる。
できることなら諦めてくれていることを心の底から願うばかりだが、そう簡単に楽観視できないぐらいには恐怖が身に染みついてた。
上下左右に関わらず、無数の昆虫がうごめいている。
普段のリゲルであればスナック感覚でつまみながら歩くところではあるが、今は生憎と食欲とは無縁の状態。
咀嚼される昆虫の姿が先ほどジャッカルに追われた自分の姿と重なり、吐き気さえ覚える。
生まれて初めて、他者の命を食べて生きていることを実感した瞬間だった。
さらに歩くこと数分、ようやく前方に光の玉が見えた。
それは近づくほどに強く大きくなり、何時しかアーチ型を認識できるようにまでなっていた。
再び太陽の元に出れば、一気に温かな光が全身を包むと同時に安堵が広がる。
通路の中はひんやりとした空気で充満していたため、余計に寒暖の差が際立つ。
通路の先、リゲルが辿りついたのは小さな教会がぽつんと立つ盆地だった。
ボウルで地面を抉ったように綺麗に陥没した盆地の中央には、半壊し当時の面影などないだろう教会が寂しげに鎮座している。
かろうじて残っているステンドグラスの十字架が、かつてこの建物が教会だったことを物語る唯一の証拠だった。
教会の横には小さな池があるだけで、他には何もない。
森の中で見たような岩が苔に包まれ転がっているだけ。
柔らかく温かい空間のはずなのに、何処か無機質で寂しい印象だった。
辺りを確認しながら、会へと足を運ぶ。
何をしようと思ったわけではない。
この範囲で向かう先は必然的に教会ぐらいしかなかったのだ。
本来は4面ある壁の内2面は跡かたもなく崩れ、中も外装と同じくボロボロ。
教会らしさを感じられるものはやはりほとんど残っていない。
建物と言うよりも、石の集合体の方がしっくりくる有様だ。
通路内に生えていたものよりも随分と太い蔦が我が物顔で壁を覆っている中、リゲルはあるものを目にして立ち止まった。
教会の1番奥、絡まる蔦を毛布代わりにするように全身を覆ったまま壁に寄りかかり眠る、人間の少女がそこにいた。
絵本の中で見ていたものと大差ない、不思議な身体構造をしている生物。
顔と全身には目立った体毛は無いのに、頭の部分は随分と毛量が多い。
地面に付くほど毛を伸ばして邪魔ではないのだろうか。
少女はぐっすりと眠っているらしく、リゲルが目の前まで近づいても起きる気配は微塵もない。
恐る恐る頬を突いてみた。
弾力のある柔らかさが指の先に返ってきたが、それと同時に体温がないことが判明する。
冷たい。
まるで作りものでも触っているかのような感覚。
よく見れば呼吸もしておらず、死んでいるのは明白だった。
思い返してみれば、蔦に絡まれて眠っているのもおかしな話か。
折角絵本の中の生き物に出会うことができたのにと残念に思いながらも、リゲルは少女の身体を固定している蔦を力任せにむしり始めた。
死んでいるとはいえ、このままにしておくのは気が引ける。
せめて、日当たりのいい場所に埋めてあげたい。
穴を掘るのは得意だし、大した労力にはならないだろう。
無心で蔦を取り除いていると、徐々に少女の身体の全貌が現れ始める。
腹に巻き付いた蔦を引っ張っている時、リゲルは少女の身体に刻まれた文字に気が付いた。
「ハ、ント……?」
鎖骨の下辺り。
随分と薄くかすれているが、確かに『ハント』の文字が読み取れた。
思わず文字をなぞってみると、一か所だけ妙に凹んでいる部分があり、ぐにゅり、と指がめり込んだ。
「ひっ」
何とも言えない弾力がある不思議な感覚に、全身の毛が逆立つ。
「ひいぃ」
だがそんなものは序の口で、続いて起こった出来事にリゲルは腰を抜かして後ずさった。
死んでいるはずの少女と目が合った。
大きな空色の瞳を通して、自分自身の情けない顔が見つめ返している。
残った蔦などものともせず立ち上がった少女は、ゆっくりとではあるが確実にこちらへと歩み寄ってくる。
死体が動き出すという怪奇現象に身動きひとつとることができない。
あっという間に距離を詰めた少女であったが、リゲルの前にしゃがみ込んでからはぱったりと動かなくなる。
ズタ袋と勘違いしてしまう服とも言えない服。
破れ穴が開き土や埃で茶色く汚れたそれは、果たして服と形容してもいいのか迷うほどに酷い。
葉っぱや木の枝、小石まで絡まった黒い髪の毛も服に負けじと悲惨な状態で、まるで鳥の巣でも乗っけているかのようにぐちゃぐちゃだ。
唯一彼女の外見で美しいと思える部分と言えば、丸く大きな両の目くらいだろうか。
ガラスを連想させる透き通った瞳は、背後に広がる空に負けないくらいに澄んだ青色をしていた。
しゃがみ込んだまま少女が動く気配が無いので、そのまま逃げるように教会を後にする。
池のほとりまで来て一息。
さっきのは一体何だったんだ。
人間は、死体になっても動くことができるのだろうか。
それとも、本当に寝ていただけだったのだろうか。
あまりの出来ごとに驚いて逃げてしまったけれど、果たして少女を放っておいてもいいものだろうか。
リゲルが来るまで蔦に覆われていたくらいだ。
もしかしたらあのまま動かずに同じことを繰り返してしまうかもしれない。
そんな考えが頭をよぎり、やはり戻ってみようかと振り返る。
「ぎゃあっ!」
真後ろに、少女がいた。
鼻と鼻が触れ合う程の至近距離に度肝を抜かれ一歩下がればそこは池。
辺りに大きな水しぶきが上がった。
何が起きたのかわからなかった。
全身が冷たい水に包まれ、急に身体が重くなる。
景色も半透明の青に包まれ、歪む視界には白い球体と細かな気泡が上に向かって遠ざかって行く。
思わず呼吸をしようと口を開ければ、当たり前だが大量の水が流れ込んでくる。
それは鼻からも同じであり、今度は水を吐き出そうと肺に残った僅かな空気を出せば苦しさが一層増した。
手足をどんなに動かしても、状況は変わらない。
上も下も左も右も、全てが曖昧でわけがわからない。
とうとう酸素が底をつき、意識が遠のく。
指一本動かすことも出来なくなった頃、視界が白く染まる程の気泡の後には上半身が水中から引き出されていた。
池の水を一気に吐き出す。
自分でも驚くくらいの量が口から溢れ出し、代わりに酸素が肺を満たす。
気管に水が入って痛い。
池から這い上がり四つん這いになりながら咳を繰り返す。
数分はその状態が続き、ようやく落ち着いた頃には疲れ果てぐったりと地面に倒れ込んだ。
身体が重い。
濡れた毛が気持ち悪い。
そういえば、どうして自分はここにいるのだったか。
水中から出る瞬間、何かに引っ張られたような。
そう思いながら池の方に顔を動かすと、リゲルが溺れる原因とも言える少女が水の中で仁王立ちになりこちらを見つめていた。
そこでわかったことではあるは、この池の水深はさほどないらしい。
現に、少女の腰ぐらいまでしか水に浸っていない。
「君が助けてくれたの?」
話しかけるも、少女からの返答はない。
ただ無言で陸に上がって来ただけである。
そして先ほどと同じようにリゲルの横にしゃがみ込み、じっとこちらを見つめている。
「ありがとう」
それでもなお、リゲルはお礼の言葉を口にした。
理解したのかしていないのか、少女は小さく首を傾げる。
初めて反応らしい反応をした。
そんな仕草に少しだけ笑みを浮かべながら、リゲルは意識を手放した。
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