第2話:外の世界へ


【『エム』には両親がいませんでした。

 家族と呼べる存在もいませんでした。

 ですがその代わりに、沢山の友達が出来ました。

『エム』は皆のことが大好きで、皆もまた『エム』のことが大好きでした。

 平和な世界で大好きな人達に囲まれ、『エム』はとても幸せでした。

 しかし、そんな楽しくて幸せな生活は悲しいことにずっと続くことはありませんでした。】


「父さん、僕は外に行きたい」

「まだそんなことを言っているのか。いつも言ってるだろう。食糧班には成人しないと配属できない。それも訓練と適性試験に合格してからの話だ」

「だったら、二十歳まで待っても外には行けないかもしれないってことじゃないか」

「そうなるな」

 カストルが帰宅するなり、リゲルは待ち構えていたように口火を切った。

 その後ろではことの成り行きをハラハラと見守る母親の姿。

 毎度のことながら、この状況には慣れないのだろう。

 表情には心配の色が浮かんでいる。

 母親とは対照的に顔色ひとつ変えずに仁王立ちしているカストル。

 地上での食糧集めは疲れるだろうに、疲労を一切感じさせない堂々とした立ち姿で部屋の中に入れさせない息子と対峙する。

 高い身長にがっしりとした体格。

 歳の功や長年の経験も相まって、何をとってもカストルに敵わないことなどリゲルも重々承知していた。

 故に、今朝のような小細工に走ることが多々あるのだが結果は想像に難くない。

 こうして真面目に対話を試みることも間々あるが、軽くあしらわれるのが常だった。

「どうしてそんなに地上に行きたい。上には危険しか存在しないんだぞ。私だって出来ることなら外には出たくないし、仲間を危険に晒すなんてもってのほかだ。だが、そうしなければ一族は飢え死にする。生きるために仕方なくやっていることを、どうしてその必要のないお前が望むんだ」

「僕はまだ太陽の温かさも、風の動きも、草木の匂いだって知らない。知らないことを知ろうとするのはそんなにいけないこと?」

「危険を伴ってまで経験することじゃないのは確かだな。兎に角、駄目だ。特例は許せないし、お前にその実力はない。落とし穴の壁を脆くしておく工夫も思いつかないようでは外に出た瞬間ジャッカルの餌だ。そんなに食糧班に入りたければ毎日しっかり訓練でもすることだ。父親を落とす穴を掘る暇があるならな」

 リゲルを片腕一本で簡単にどかし、カストルはさっさと部屋の中へ入って行く。

 土を避けただけの半円の空間。

 あるのは玄関や寝室などそれぞれの小部屋に通じるドアと、石のテーブル。

 毎日毎日トンネルを掘り続け、食事をし、眠るだけの日々。

 一族全員が長年の間続けている生活に、リゲルはどうしても馴染むことができなかった。

 外へ出たい。

 光や温度、沢山の色を感じたい。

 そんな、何時から抱き始めたのかも思い出せない感情は年々膨らむ一方で、すでに爆発寸前だった。

「どうして許してくれないの? 好きなことをやりたいと思っちゃダメ?」

「そうじゃない。時期が早すぎると言っている。どうして待てない」

「待ったところで食糧班には入れないから」

「……」

 珍しく、カストルが振り返った。

 驚きを隠せないような、そんな表情。

「僕を食糧班にする気なんてさらさらないくせに」

 リゲルは同年代の子達と比べるとひと回りほど小さく、食も細い。

 アクルックスとは頭ひとつ分違うし、お世辞にも発育がいいとは言えない。

 体力だってそうだ。

 これからのことなど明確には分からないが、将来リゲルが食糧班の規定に沿った体格や体力を身に付けるのは相当難しいと、以前カストルが言っていたのを偶然聞いてしまった。

 だからこんなにも、自分でも吃驚するくらい必死になっている。

「カウム族の変わり者だとか一族の成り損ないだとか言われる僕の気持ちなんて、父さんにわかるわけないんだ」

「おい!」

 カストルの制止も無視し、リゲルは逃げるように自分の部屋へと飛び込んだ。

 父親が心の底から自分のことを心配しているのはわかっているし、わかりきった危険に子供を晒そうとする親などきっといない。

 もしもリゲルが成人した後に全ての条件をクリアしたならば、カストルはかならず食糧班に入れてくれることだろう。

 自由に好きなことをさせてくれるだろう。

 でも、そんな確証のない未来を信じられるほど、リゲルは大人ではない。

 自分という存在を全否定されたような感覚につい思ってもいないことを口走ってしまうくらいには、まだまだ子供だった。

 やりきれない感情に任せて、棚を蹴り上げる。

 痛かった。

 暫く痛みに耐えて蹲る。

 すると、棚の後ろの隙間から何かがはみ出していることに気が付いた。

 蹴った衝撃で出てきたらしい。

 何の気なしに取り出してみると、それは一冊の絵本だった。

 随分と薄汚れて絵も文字も大分かすれてはいるが、その絵本には確かに見覚えがあった。

 ずっと昔に、カストルが外の世界から持ってきたものだった。

 食糧集めの際、偶然見つけたらしい。

 破れて物語の途中までしかなかったが、この絵本を自分の力で読みたくて、頑張って読み書きを勉強したんじゃなかったか。

 表紙には、『エムのいた世界』と書かれている。


【むかしむかしあるところに、太陽の光が降り注ぐ美しい世界がありました。

 そんな世界で、『エム』は生まれました。

 温かな風、瑞々しい草木、青く透き通るような大空。

 理想郷と呼ばれるこの場所で、『エム』の生は芽吹いたのです。

『エム』には両親がいませんでした。

 家族と呼べる存在もいませんでした。

 ですがその代わりに、沢山の友達が出来ました。

『エム』は皆のことが大好きで、皆もまた『エム』のことが大好きでした。

 平和な世界で大好きな人達に囲まれ、『エム』はとても幸せでした。

 しかし、そんな楽しくて幸せな生活は悲しいことにずっと続くことはなかったのです。

 時は経ち、一人、また一人と友達は『エム』の元にやってこなくなりました。

 どんなに名前を呼んでも、探し回っても見つけることができません。

 とうとう『エム』は本当に一人ぼっちになってしまいました。

 悲しくて悲しくて、いっぱいいっぱい泣きました。

 でも、慰めてくれる人はいません。

「大丈夫だよ」と言ってくれる人はもういません。

 手を握ってくれる人、背中をさすってくれる人、頭を撫ででくれる人、隣に寄り添ってくれる人は、もう誰一人としていないのです。

 いつの間にか理想郷は荒廃し、かつての美しい姿は何処にもありませんでした。

 泣き疲れ、声が枯れ、もういっそ消えてしまいたいと思った時――】


 物語はそこまでだった。

 その先には、破れたページの痕跡が何枚にも渡って残っている。

 思い出した。

 リゲルが外の世界に憧れを抱き始めたのは、この絵本を読んだからだった。

 食糧班として外に出て、温かな風、瑞々しい草木、青く透き通るような大空を感じ目にしたかったわけじゃない。

 食糧班なんてやりたくない。

 ただ、自由になりたかった。

 自由に地上を旅して、温かな風、瑞々しい草木、青く透き通るような大空を感じ目にしたかったのだ。

 そして、『エム』を探し出して「大丈夫だよ」と言ってあげたかったんだ。

 手足が震えた。

 心臓が何時にも増して脈打っている。

 全身が熱い。

 外に出たいが、外に出るにリゲルの中で確実に変化した瞬間だった。




 その夜、両親が寝静まったのを確認し、リゲルは家を出た。

 出入り口の隅に置いてあった食糧班用のリュックを拝借する。

 中には外で役立ちそうな道具や万が一の時の保存食も少しだけれど入っているし、絵本も一緒に持ち運べるからだ。

 未練も後悔も後ろめたさもなかった。

 今胸の内を占めるのは、地上への憧れと絵本の続きを知りたいという欲求だけ。

『エム』が想像の人物であることは重々承知しているが、それでもあれからどうなったのかが妙に気になった。

 迷路以上に複雑な道を歩く。

 地上へ抜ける道は何十と存在しているが、実際に使用しているのはその内の数か所。

 あまり同じ出入り口を使い続けると天敵に覚えられてしまうので、頻繁に変えているのだ。

 使っていない出入り口はリゲルのような輩が万が一にも外に出ないよう、厳重に岩で塞がれていた。

 しかし、リゲルは知っている。

 ずっとずっと昔、おそらく先祖が最初に地中へ潜った時の一番古い出入り口の存在を。

 岩も崩れてボロボロで、少し苦労はしたが何とか潜り込めた。

 縦筒状の空間で、大きく深呼吸する。

 既に忘れ去られた出入り口に、梯子やロープなんて便利なものは存在しない。

 ここから、十メートルはある高さを自力で登れば念願の地上が其処にはある。

 不思議と不安は無かった。

 出入り口の僅かな隙間から漏れる光しか、目に入らない。

 見たことのない世界への期待を胸に、リゲルは土壁に手を掛けた。

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