エムのいた世界
まいこうー
第1話:地中の民
【むかしむかしあるところに、太陽の光が降り注ぐ美しい世界がありました。
そんな世界で、『エム』は生まれました。
温かな風、瑞々しい草木、青く透き通るような大空。
理想郷と呼ばれるこの場所で、『エム』の生は芽吹いたのです。】
真っ暗な世界だった。
湿り気を帯びた空気は冷たく、土のにおいばかりが混ざっている。
息を殺し、獲物がかかるのをじっと待つ。
相手は完全に油断しきっているのか、疑いのない足音がどんどん近付いてきた。
興奮で心臓が脈打つ。
もう少し、あと少し……。
「おい、ランプは見つかったか? まったく、灯りを無くすなんて何を考えて――うわああぁぁっ!」
「いえーい!」
「リゲル!?」
岩影から飛び出しガッツポーズを決めるリゲルに、その場に居た大人達が一斉に目を剥いて驚く。
「やっほー、父さん。穴の中で落とし穴に落ちた気分はどう?」
「最悪だな」
どよめく大人達は一切気に留めず、リゲルは隠し持っていたランプをかざし、お手製の落とし穴の中で腕組みをする己の父親を見下ろした。
得意げな笑みを浮かべる息子に、父――カストルの表情はどんどん険しくなる。
穴に落ちたからか仕事の邪魔をされたからか、はたまた仲間が見ている中で醜態をさらしたからか。
あるいはそれら全てか。
兎に角、一目で不愉快だと見てわかる表情だった。
「説教は後でたっぷりしてやるから覚悟しろ。それよりも今はランプをおいてさっさと持ち場に戻れ。お前の仕事は縦穴を掘ることじゃない。横穴を掘ることだろう」
「嫌だね」
父親の手が届かない距離にいるせいか、リゲルの口は饒舌だ。
「これで食糧班に入れてくれる気になった? 僕はもう子供じゃないし、トンネル掘りなんてつまらないこと続けたくないんだ。外に出たい。こんなに立派な穴が掘れれば問題ないでしょ?」
「立派な穴?」
リゲルの言葉に、カストルの片眉が上がる。
「これのどこが立派な穴なんだ?」
言うが早いか、カストルは両手足から伸びる立派な爪を土にめり込ませ、まるでクライミングでもするかのような動作であっという間に穴から脱出してみせた。
「……ははっ、はーい、父さん。元気?」
「ああ、とても元気だ。息子が掘った穴から簡単に出られるくらいにはな」
目の前で腕組みをし片足を鳴らすカストルに、リゲルは引き笑いを浮かべながら小さく手を振った。
さっきまでの威勢は何処へやら、背中を丸め今にも逃げ出しそうだ。
上目遣いで父親の様子を伺いながらも僅かに後退し始めるリゲルを見て、カストルはこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「いいかリゲル、ひとついいことを教えてやろう」
ランプを奪い取り、言う。
「大人はもう子供じゃないなんて台詞は言わないものだ」
言葉と同時にさっき自分が落とされた穴へ、リゲルを突き落とす。
息子に対する躊躇のない行動に、後ろからは生唾をのみ込む音がした。
「反省したらトンネル班に戻れ。登り難い穴も造れないお前に食糧班はまだ早い」
そう言い残し、親子喧嘩を遠巻きに眺めていた仲間達を引き連れ、カストルは一瞥も向けることなくその場を去って行った。
遠ざかるランプの明かりが父親の厳しさを物語っている。
「あーあ、今日こそ上手くいくと思ったのにな」
強打した後頭部を摩りながら立ち上がる。
掘っている時は必死で気が付かなかったが、改めて見上げると予想以上の高さで少し驚いた。
まさか自分が掘った穴に落とされることになろうとは、想像もしていなかった。
自信作を難なく突破された敗北感と悔しさに地面を蹴り上げれば、一握りほどの土が宙を舞った。
「おーい、リゲル。大丈夫か?」
「アクルックス」
カストル達が去って行った方向とは逆から広がるランプの灯りと訊き慣れた声。
顔を上げると幼馴染のアクルックスが穴の淵から顔を覗かせながら、ランプ片手に見下ろしている。
それみたことかと呆れ返った表情がそこにはあった。
「だから止めとけって言ったろ。親父さんには勝てっこないって。仮にも一族のリーダーだろ」
「今回はいけると思ったんだ」
「その根拠のない自信は何処からくるんだか」
救出用のロープを下ろしながら、アクルックスは表情に負けず劣らない呆れた声を上げる。
「せめて自力で穴から出られるようになるまでは大人しくしてた方がいいだろうな」
「煩い」
穴を掘るのは得意だが、登るのはどうにも苦手なリゲルだった。
おそらくそのことを見越していたのだろう、声を掛けたわけではないのに絶妙なタイミングで現れたアクルックスには感謝よりも苛立ちの方が先行してしまう。
しかし、怒られるのを承知で仕事を抜け出してきてきれたことを思うと文句も言えず、無言で身体に付いた土を掃うだけに止めた。
「不貞腐れんなんって」
「不貞腐れてない」
「不貞腐れてるよ」
土ボタルの入ったランプを掲げながら、班に戻るため歩き始める。
落とし穴だけじゃない。
ランプを盗むのにも結構な苦労があったのに。
上手くカモフラージュしたつもりではあったが、万が一落とし穴の存在に気がつかれたら大変だとちょっとした保険程度のつもりだったが、案外効果的だったようだ。
まぁ、失敗した後に何を言おうが意味はないのだけれど。
父親への反抗とあの苦労を忘れないためにも、落とし穴はそのままにしておいた。
「どうしてそんなに外に行きたいんだよ。地上は危険だらけだって食糧班の兄貴達は言ってるぞ」
「危険でも、こんな土の中に居るよりはずっとマシだよ。まだ知らない景色を見たいと思って何が悪いの?」
「俺は見たいと思ったことがないから同意はできないけど、そういうことはあんまり言わない方がいいぞ。お前、影でなんて言われてるか知ってるか?」
「カウム族の変わり者? それとも一族の成り損ない?」
「両方」
カウム族。
一生のほとんどを土の中で過ごす一族。
ミーアキャットに似た外見だが手足の構造はモグラそっくりで、日々穴を掘っては住み処を拡大させながら生活している。
地中を絶対の安住の地として疑わないカウム族にとって、危険を承知で地上へ出たいなどというリゲルの考えは到底受け入れられるものではなかった。
主な食料はミミズや昆虫、穀類や果物。
一族全員の食糧を土の中だけで補うのは到底不可能な話で、地上でしか手に入らない食べ物を調達しに行くのが、リゲルの父親にして一族のリーダーであるカストルが率いる食糧班だった。
一族のリーダーの息子と言うこともあって、表立って言いふらされている事ではないが、自分が周囲にどんな風に思われているかなど、リゲルも理解できない年齢ではない。
幼馴染だからか、アクルックスは頭ごなしにリゲルの考えを否定したりバカにするようなことはしなかったが、本心ではやはり不思議に思っていることも知っている。
それでも友達でいてくれる彼に、リゲルは思っていることを何でも話すことができた。
「早く外に出たい。あと7年も待たなきゃならないなんて考えただけで気が遠くなる」
地上には天敵が生息し危険も多いため、原則成人男性しか配属されない決まりになっている。
リゲルは今年で13才。
成人である二十歳になるのはまだまだ先のことだった。
「俺は行きたくないな。毎日兄貴達を心配してる母ちゃんを見てるし。父ちゃんだってジャッカルに殺されてるし。配属されれば素直に従うけど、自分から志願はしないな、絶対」
そうこうしている内に、トンネル班と合流する。
途端、班長の拳が二人の脳天にお見舞いされた。
配置などの指示をされる中、無心で穴を掘り続ける仲間達の姿に、リゲルの心中は何とも言えない感情で一杯になる。
――こんな生活、絶対に嫌だ。
歳をとってもトンネルを掘り続ける自分の姿を想像し、地中よりも暗い気持ちになった。
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