第9話【生死無常】
「僕にキスをした女性は命を落とす……。これは変えることのできない運命なんだ」
突拍子もないヤスヒトの言葉に、私は一瞬自分の耳を疑った。
そんな非現実的なセリフを信じられるはずがない。
だけど彼の瞳は、真っ直ぐ私を見つめて離さない。
「つまり……キスで人を殺せるってこと?」
「ああ、今になって思えば殺された母さんの呪詛というか、怨念がそうさせていたのかもしれない」
「それなら、どうして私は生きてるの? とっくに死んでいるはずじゃ……」
「言っただろ、僕にキスをした女性が命を落とすんだ。キミは自分からキスをしたことはない。僕がそれとなく、止めていたからね」
ヤスヒトの話が決して冗談でないことは、彼の真剣な表情を見ればわかる。
今までのことを思い返すと確かに、彼から唇を重ねてくることはあっても、自分からそうしたことはなかった。
つまり、ヤスヒトは私を守ってくれていたんだ。
「それからもう一つ、僕はユリに隠していたことがある」
「……何?」
ヤスヒトの発する次の言葉に、私は固唾を呑んだ。
「キミの母親を殺したのは、僕なんだ」
もしかしたら…………。
中村早苗の死後、私の胸中にそんな思いが無かったと言えば、ウソになる。
しかし、彼の口からその言葉を聞くまで、お母さんは病死だったんだと自分に言い聞かせていた。
それは事実に目を向けることが怖かったのと、なによりもヤスヒトを信じたい気持ちが強かったからだ。
「どっ、どうして、お母さんを殺したの……?」
最も信頼していた存在からの裏切り。
あまりにも理解に苦しむ事実に、私の声は震えていた。
「僕は、ユリが心底母親を憎んでいると思っていた。あの母親さえ居なくなれば、キミは自由になって過去の因縁から解放されると思い込んでいたんだ。でも、彼女を殺し、キミを傷つけ、苦しめていたのは僕自身だった」
「つまり、お母さんはヤスヒトにキスをして死んだってこと……?」
「そうだ……」
「一体、どうしてそんなことに?」
「ユリの母親の意思じゃない。僕がそうするように仕向けたんだ」
罪悪感に顔をしかめるヤスヒトを見つめながら、以前何かに自分の思考を操られていたような気分に襲われた時のことを私は思い出した。
「ヤスヒトが仕向けたって、一体どうやって?」
「僕は目を合わせた女性を自分の意のままに操ることができる。キミの母親が僕にキスをしたのも、刑事がこのバーへ足を運んだのも、すべて僕がさせたことだ」
まるで1つ1つの問題の答え合わせをするかのように、ヤスヒトは丁寧に私の疑問に答えていった。
「私の計画が杜撰だったのも、初めから復讐を果たせないようにするためにヤスヒトが画策していたから……」
「……ああ。ユリの心を傷つけて騙した僕は、復讐に駆り立てることでキミに生きる目的を与えようとしたんだ。そして何より、キミは負の感情に支配されている時が一番美しかった」
「ふざけないで!」
声を荒げた私は、右手に握りしめた刃物をヤスヒトの喉元へ向けた。
「私に生きる目的を与える……? なんでお母さんを殺したあなたに、そんなことをされなきゃいけないのよ!?」
「せめてもの、罪滅ぼしさ」
「そんなの……ただの自己満足じゃない!」
私の怒声をヤスヒトは今にも泣き出しそうな程、顔を歪ませて受け止めた。
こんな表情をする彼は初めて見る。
「許してほしいとは思っていない。むしろ、母親を殺され、復讐を邪魔されたユリが僕を憎み、殺したいと思うのは当然のことだ。でも、僕は刃物では死なない。……いや、死ぬことができないんだ」
「またそうやって騙して、自分に都合のいいように事を運ぶつもり!?」
「違う……。僕はキミに、ウソはつかないと決めたんだ」
「今更そんな言葉、誰が信じるって言うのよ」
「仕方ない……。実際に真実を目の当たりにした方が納得もいくだろう。さあ、刑事を刺したように僕も刺して……」
ヤスヒトは無防備な佇まいで、私を手招いた。
私は震える両手で強く刃物を握り締め、ゆっくりと距離を縮めて行った。
カラダが鉛のように重い。
あと一歩が踏み出せない。
「お母さんを殺したヤスヒトに対する憎しみが……こんなに渦巻いているのに……。どうして……? 私にはヤスヒトを殺せない」
俯いてそう口にすると、ヤスヒトは深いため息をつき、私の手から刃物を奪った。
「ユリ、目を背けないで……」
そして、両手で握りしめた刃物を自分の左胸に深々と突き刺し、勢いよく引き抜いた。
私が短い悲鳴を上げたのと同時に、夥しい量の血液が、彼の衣服を真っ赤に染めていく。
しかし、ヤスヒトは痛みに顔を歪めることもなく、何事も無かったかのように着ていたシャツのボタンを外した。
「これでも……まだ信じられないか?」
そう言って露出された筋肉質な胸元の傷口は、まるで映像が逆再生されたかのように数秒のうちに塞がり、刺した跡さえも綺麗に消えてしまった。
「ウソ……でしょ……」
「僕のカラダは刃物で切り付けられても、すぐに出血は止まり、傷口は修復されてしまう。まるで、父さんに刃物で殺された母さんの怨念に守られているかのように……」
「そんな……本当に……」
「僕はただ、ユリとずっと一緒にいたいだけなんだ。愛するキミのそばに居たい。その為に邪魔な存在は、すべて消してきた……。そして、キミのカラダには既に僕の血液が混じっている」
ヤスヒトの言葉に、私は以前強引にキスをされたときに感じた血の味を思い出した。
「これでようやく、僕の本当の望みを叶えることができる……」
ヤスヒトはあどけない笑顔を向けると、私の頬を優しく撫でる。
やめて……そんな顔、しないで……。
そして、柔らかい彼の唇の感触が私の全身に衝撃を走らせた。
それと同時にヤスヒトの経験した全て、彼の考えていたことの全てが私に流れ込んで来る。
自分がどれ程彼に愛されていたのかを知らされ、早まる鼓動。
「僕を殺せるのは、憎しみと愛情を持つユリだけだ……」
唇を離したヤスヒトの左右の頬に、一筋の涙が伝う。
「誰かを殺して罪悪感に襲われたのは、キミの涙を見たあの時が、最初で最後だったよ……。苦しませて、ゴメン……」
穏やかな声でそう告げると、ヤスヒトはゆっくりと瞼を閉じ、カラダは床へ崩れ落ちた。
「……ヤスヒト?」
動かなくなった彼の頬に触れると、体温を奪われたように急速に冷たくなっていく。
「どうして……? 何で……?」
困惑する私を他所に、血の気の引いた蒼白い顔は、満足気な微笑みを浮かべていた。
「康仁くんはずっと、キミに殺されることを望んでいたのかもしれないな」
全てが終わるのを待っていたかのように、突然店の奥から姿を現したバーテンダーに、私は思わず驚きの声を上げた。
「11月以来か……久しぶりだね」
「きっ……霧島さん」
以前、この店を訪れた際に霧島さんとヤスヒトが数年前からの知り合いであることは聞いていた。
「昨日の夜、刑事さんを眠らせて家へ送ったあと、彼は珍しく楽しそうに酒を飲んでたよ……。誰よりも大切なキミを傷付け、苦しめた贖罪の日々もようやく終わるってね」
霧島さんの視線を辿り、ヤスヒトを眺めているうちに、私の心音は煩さを増していった。
「へぇ……。どんな原理かはわからないけど、キミの中には康仁くんが居るんだね」
「えっ?」
「俺、昔からそういうモノが見えてしまうんだ」
そう言って柔らかく笑うと、霧島さんはカウンターの下から灯油の入ったタンクを取り出し、躊躇うことなく刑事2人とヤスヒトの死体にかけた。
豪快な水音と鼻を刺す灯油の匂いが、今の私にはなぜかとても心地良かった。
「さて、彼が書いたシナリオもこれが最後だ」
霧島さんは少し寂しそうに店のマッチで火をつけると、静かに床へそれを放った。
重力に導かれるまま落下し、一瞬にして灯油に引火した炎が、2人の刑事とヤスヒトを飲み込んでいく。
業火の音が店内に響き、人肉の燃える臭いが鼻を刺す。
そして、自分の中に異質なモノが存在する感覚が拍動を繰り返す度に強まっていった。
愛と憎しみは表裏一体。
ヤスヒトの言葉を思い出し、私は憎悪を抱きながらも、彼を受け入れた。
最も愛おしくて、最も憎い男……。
『カラダが朽ち果てようとも、僕の魂はキミの中で生き続ける……』
聞きなれた穏やかなヤスヒトの声が、私の内側から鼓膜を揺らした。
不思議な感覚だけど、これにもいずれ慣れるんだろうな。
「この店と共に、康仁くんの足跡は消える。キミはこれから、どうするつもりなんだ……?」
揺らめく炎と熱気が周囲を包む中、霧島さんの問いに、私は自分の意に反して不敵な笑みを浮かべた。
「2人で殺戮を繰り返すだけですよ。そうですね……。今度は世間を震撼させるような殺しをしてみたいな……」
「それはなかなか面白そうだ。俺もその世界へ連れて行ってくれないか?」
「後悔することになりますよ……?」
「まさか。協力者として死ぬまで付いて行くよ」
「霧島さんって、本当に狂ってますね」
炎に照らされグラスに映し出された私の瞳は、怪しい光を放っている。
それは間違いなく、ヤスヒトのものだった。
私の愛した男は、殺戮の王子様。
王子様のキスで女性たちは次々と命を落とし……彼は私の中で、生き続ける。
殺戮の王子様 海底遺跡 @kaiteiiseki
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