第2話【厚顔無恥】
「おい、また来てるぜ、あの女」
「相変わらず、今日も胸元ガッツリ開いた露出度高い服装にド派手なメイクだな……」
「ホント、どう見たって50近いオバサンなのにショッキングピンクのミニスカって、マジキモいっての。ブスで金も使わねぇし、横柄で最悪。あの女の卓にはヘルプに付くのも勘弁だぜ」
「しかもよりによって、あの女の指名は、No.1のカズさんだろ?」
「身の程を知れってのな!? 金使わねぇから、カズさん卓に付く時間少ないし……。ああ、またそろそろブチギレるんじゃね?」
池袋西口にあるホストクラブ《Venus》
店内にいる新人ホスト2人の声は、私の耳に届いていた。
私が痛客として有名なことは、自分でもわかっている。
10月末日の今日は売上げ争いの最終日ということもあって、あちらこちらでシャンパンコールがおこり、店内も盛り上がっていた。
コールが始まるたびにホストたちはそのテーブルへ向かい、他の女性客は1人の時間を過ごすことになる。
そんな中、5回目のシャンパンコールで私の我慢は限界に達した。
「ちょっと、アンタたち! いつまで、私を待たせるつもり!?」
痺れを切らした私は立ち上がり、大声をあげた。
水を打ったように静まり返る店内。
冷ややかな視線が、こっちに集まる。
「何? 文句でもあんの!?」
私はハイヒールの音を鳴らしながら詰め寄り、ピンドンを入れた隣のテーブル客を睨みつけた。
こんな大学生みたいな若い女が……何でそんな大金持ってんのよ。
どうせ金持ちのオヤジに股開いて、お金貰ってんでしょ?
若い女は俯き、私とは目を合わせようとしない。
「はぁ、最悪。つまんないし、もう帰るわ……」
真っ赤なルージュが塗られた唇を動かして、そのまま会計もせず私は出口へ向かう。
今月の売り掛け金額は、約20万円。
本来なら月末の今日、すべての精算を済ませなければならないけど、こんなサービスの悪い店にお金を落とす気になんてなれない。
ここに来るのも、今日が最後ね。
私は指名していたNo.1ホストのカズの冷めきった視線を横目に、店の扉を開けて出て行った。
私には、中学1年生の息子がいる。
確か部活は野球部……だったかな?
ここ数ヶ月、自分は夜な夜な池袋の街を遊び歩いているから、まともに顔も合わせていない。
今から帰宅したところで、もう息子は寝ているだろう。
「邪魔!どいてよ!」
ああ、イライラする。
終電間際の池袋駅の人だかりを掻き分け、有楽町線のホームへ向かい停まっていた電車に乗り込んだ。
酒臭っ……。
車内は飲み屋帰りのサラリーマンが多くて、たった2駅でも気分が悪い。
不快な5分間の乗車時間を終え、私は護国寺駅で降りた。
改札を抜け、地上に上がるとすぐさま目に入る高層マンション。
その、801号室が私の家だ。
「ただいま~」
玄関のドアを開けるなり、同居している私の母親が鬼の形相でこちらへ向かってきた。
「あんた、こんな時間まで自分の息子を放ったらかして、どこ行ってたの!?」
「うるっさいな~。別に
「何言ってるの! 隼人くん、38度の高熱出して学校を早退して来たのよ! 父親は海外に年中出張で居ないのに、母親のあんたまでフラフラしてたら息子がどう思うのか、少しは考えなさい!」
「はいはい。明日から気を付けますよ……」
自分のお腹を痛めて産んだ子供とはいえ、無償の愛情を注げるとは限らない。
理由はわからないけど、現に私は隼人のことなんて心配する気持ちすら起きなかった。
子供ができてから旦那とはSEXしてないし、ママ友との付き合いも面倒だ。
子育てよりも、遊びが大事。
いくつになっても、私は母親じゃなくて女でいたいのよ。
実の母に怒鳴られた私は素知らぬ顔で自分の部屋へ行き、苛立ちをぶつけるように音を立てて扉を閉めた。
翌朝。
私は枕元に置かれたスマホの着信音で目が覚めた。
「もしもし……」
「村岡さん。今日10時から出勤のシフトなんですが、今どちらにいらっしゃるんですか?」
電話の向こうで怒りの声を出しているのは、パート先のドラッグストアの店長だ。
耳からスマホを離し、画面を確認する。
最悪。もう10時過ぎてるじゃない。
そりゃ電話もかかって来るか……。
「ああ、寝坊しました。今から行きます」
こっちがそう言い終える前に、電話は一方的に切られていた。
はぁ……。パートとか、面倒くさい。
別に旦那の収入だけでも、生活には困らないし。
ホストで遊ぶお金が欲しくて始めただけ。
もう、辞めちゃおう。
とりあえず顔を洗い、簡単なメイクを終えて家を出た。
時刻は10時半を回っていて、朝から外は土砂降りの雨。
私のパート先は池袋駅の東口から徒歩10分程の場所にある、全国規模のチェーン店。
電話をかけてきた店長は、自分より3つ年下の独身男性だった。
「おはようございま~す」
いつもの調子でスタッフルームのドアを開け、更衣室へ向かおうとしたところを店長に呼び止められた。
「村岡さん、ちょっとそこの丸椅子に座ってください」
うわっ。機嫌悪そう。
普段より低い彼の声に、さすがに私も表情を強張らせた。
促されるまま椅子に腰かけたのと同時に、鋭い視線を向けた店長が口を開く。
「勤め始めてから、3ヶ月。村岡さんの遅刻は10回、欠勤は4回。あなたは一体、何を考えているんですか?」
「……別に、たかがパートですし。それに外はあんな悪天候なのに、今日私が出勤する必要ってあったんですか? お客さんだって少ないし、暇じゃないですか。ここも、そろそろ辞めたいんですよね」
悪びれも無く、吐き捨てた私の言葉に店長は冷静に切り返した。
「そうですか。でしたら、今日付けで辞めていただいて構いません。あなたの勤務態度は以前から目に余ることが多すぎた」
「はぁ!? 何、その言い方! 私を面接して雇ったのはアンタでしょ!?」
「ええ。僕の見る目が無かったんだと、今は反省しています。村岡さんは仕事に対する考え方が甘すぎる。休む度、他の方に迷惑をかけていたことにすら気付いていないようですから……」
呆れたように呟いた店長の言葉に、私の苛立ちは最高潮に達した。
「年下のくせに、偉そうに説教してんじゃないわよ! 独身のアンタと違って、私は家のことやら子育てで忙しいんだから! こんな職場、こっちから辞めてやるわ!」
店長とのやり取りは全て聞こえていたらしい。
暴言を吐き捨てて、職場を去る私を止める者は誰も居なかった。
背後から突き刺さる同僚からの軽蔑の眼差しに、苛立ちは増すばかり。
「あはは、辞めてくれて、良かった。もう二度と来るなって感じ」
「しかも、遅刻したことを棚に上げて、店長に逆ギレって……。本当にキチガイでしょ。旦那は海外で働いてるなんて言ってたけど、実際は逃げられたんじゃない?」
「うわっ、あり得る……。いい年して、ド派手なピンクのミニスカ履いてるのもキモいしね」
「そうそう。誰も、あんたの太い脚なんか見たくないっての。厚かましい女……」
聞こえていないとでも思っているのだろうか。
ヒソヒソと話す彼女たちに私が睨み返すと、彼女たちは蜘蛛の子を散らしたように私の視界から姿を消した。
あぁ! ムカつく!
傘をさし、苛立ちをアスファルトへぶつけるように駅へ向かって歩いていると、以前から気になっていたマッサージ店の看板が目に入った。
時刻はまだ、お昼前。
今から家に帰ったら、また母親に何を言われるかわからない。
暇つぶしに、寄って行こうかな……。
私は看板の先にある古びた階段を昇り、2階に位置する店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
足を踏み入れたのと同時に、白衣を着た銀髪の青年が深々とお辞儀をする。
「予約して無いんだけど、30分のボディコースってお願いできるかしら?」
「はい、こちらへどうぞ」
へぇ。銀髪なんて珍しいけど、若くてイイ男じゃない……。
顔を上げて爽やかな笑顔を向けた美青年に、私は思わず頬を赤く染めた。
雨のせいか他にお客さんの姿は無く、マッサージ師も彼1人のようだった。
店内には、カーテンで区切られたベッドが2台。
「こちらのベッドにうつぶせでお願いします」
青年に言われるまま、出入り口側のベッドに横になった30分間。
腰や肩をはじめ、彼の指に押される場所はまるで性感帯のように気持ちが良かった。
イケメンってだけで、更に満足度は高い。
そして、若い男の手の感触が、私の鼓動を高鳴らせる。
ああ……気持ちいい……。
あれほど苛立ち、眉間にシワの寄っていた自分の表情が瞬く間にほぐれていくのがわかった。
「あなた、若いのにマッサージすごく上手いのね」
「ありがとうございます」
「ねぇ。他にお客さんも居ないみたいだし、ちょっとサービスしてくれない?」
「えっ?」
私はゆっくりと起き上がり微笑むと、自身の左胸に青年の右手をあてがった。
「申し訳ありませんが、こちらはそういったお店ではありませんので……」
「じゃあ、外でなら良いのかしら?」
「いえ、そういうことでは……」
困った顔も可愛いわね。
私は彼に絡むように抱き着いた。
「あなたカッコイイし、気に入っちゃった。私、カラダには結構自信あるんだけど……。試してみない?」
旦那は滅多に家へ帰ってこないし、SEXなんてもう何年もしてない。
このまま性欲を持て余すなんて、勿体ないじゃない?
私は本能の赴くままに彼の返事を待つことなく、唇を無理矢理押し付けた。
更に高まる性欲と、失われる理性。
青年の舌に自身の舌を絡めながら、彼のズボンのチャックに右手を伸ばす。
若い男の子とするのも良さそうね……。
しかし、ふと目を開けた瞬間飛び込んできた青年の冷めきった視線に、私は一瞬寒気を感じた。
えっ、何? この雰囲気?
さっきまでと全然違う。
「……お客様。本日のお代は結構ですので、お帰りください」
隙を突き、引き離すように両腕に力を込めた彼は乾いた口調でそう言い放つと、私の荷物を持ち出し、店の出入り口の方へ放り投げた。
「ちょっと、私は客よ!? 何てことするのよ!? 」
後を追いかけ、カバンを拾うなり叫んだ私に、銀髪の青年はゆっくりと近づいて来る。
怪しい光を放つ、ダークブラウンの瞳。
「それはこちらのセリフですよ。先ほどの行為は店の防犯カメラに記録されています。何なら、今から警察を呼びましょうか?」
まるで汚物でも見るような彼の視線に、思わず私は尻餅をつき、ガタガタと震えだした。
そんな……私の言いなりになるタイプだと思ったのに。
怖い……。
怯える私の耳元で、青年はトドメを刺す。
「顔もブサイクなら、性格も最悪。アンタみたいに厚顔無恥で醜い女は、生きていても何の価値もなさそうだ。人に迷惑をかけて生き続ける害虫……」
「なっ!?」
「僕は醜いものが嫌いなんだ。さっさと帰れよ、この淫乱……」
淡々と告げるその声に私は反射的に店を飛び出し、慌てて階段を駆け下りた。
ドス黒い影のような……得体の知れない何かに追われる感覚。
恐怖の場から逃げ出す私の姿を周囲の人間は不思議そうに眺めている。
ヒールなんか履いてくるんじゃ無かった!
しかし、そんな奇異な視線も土砂降りの雨にも構うことなく、何度もよろめきながら駅へ向かって走り、家路を急いだ。
雨でびしょ濡れになった自分のカラダは急速に冷えていき、寒さと恐怖から歯がガチガチと音を立ている。
早く、着いてよ!
ようやくマンションの8階に到着したエレベーターを降りるなり、
「おかえりなさい。……どうしたの? そんなにずぶ濡れになって」
ドアの開いた音に反応して、リビングから出てきた母親が驚きの声を上げた。
「何でもない……」
「何でもないって、こんな時間に帰ってくるなんておかしいじゃない。トキコ……あんたまさか、また仕事辞めて来たんじゃないでしょうね!?」
聞きなれた母親の怒鳴り声さえ、今の私には苛立つ元凶。
荒い呼吸音と落ち着かない鼓動に、冷静さは失われていく。
「まあ、良いわ。とにかく、一度シャワーを浴びて着替えて来なさい。風邪引くわよ」
「ああ、もう! 毎日毎日、ゴチャゴチャうるっさいんだよ! このクソババア!」
自分でも抑えきれない。
突然キレたように声を荒げた私は靴を脱ぎ散らかし、走り出した勢いのまま母親の両肩をつかむと、一緒に床へ倒れこんだ。
フローリングにぶつかる鈍い音。
「痛っ……」
「もう大人なんだから、私がどうしようと勝手でしょ!? 一緒に住まわせてやってるのに文句ばっかり言いやがって、ふざけんじゃないわよ! アンタなんか、死ねばいい!」
溜め込んでいた全てを吐き出すように私はそのまま馬乗りになって、母親の首を両手で掴んだ。
「ぐっ……や……めて……」
顔面を真っ赤にしながら必死に抵抗するその姿に、私は笑いながら更に力を込めていく。
手のひらから伝わる母親の拍動と、筋肉が軋む音。
何、これ?
人を殺す感覚って、こんなに気持ち良いの?
「この私に指図なんかするんじゃないわよ! さっきの生意気な銀髪の男も、必ず痛い目に合わせてやるんだから!」
そう言って更に力を強めた、次の瞬間。
学校を休んでいた隼人が只ならぬ物音に異変を感じて、部屋から出て来た。
目の前に広がる光景が信じられないと言わんばかりに、彼の顔面は見る見るうちに蒼ざめていく。
「……何やってんだよ!」
隼人は私を突き飛ばし、フローリングに横たわる母親に慌てて駆け寄った。
「ゲホッ、ゲホッ!」
苦しみから解放された母親は、咳込みながら自分の喉元を押さえている。
「おばあちゃん、大丈夫!?」
「隼人……アンタも私に刃向かうつもりなのね。だったらもう……」
寄り添う2人に敵意を向けながら、再び立ち上がろうとした私は突然、金属バットで殴られたような頭痛に襲われた。
「うぅ……痛い……。イタイ……」
何が起きたの?
頭を抱え呻いている私の姿を隼人は冷たい視線で呆然と眺めながら、立ち尽くしていた。
「痛い……きっ、救急車……呼んで」
なんで、隼人は突っ立ってるだけなのよ。
早く救急車呼んで……。
それからしばらくのたうち回った私は、動けなくなった。
何で、私がこんな目に……。
不満と疑問が渦巻きながらも、何かに引き寄せられるように、私の意識はそこで途絶えた……。
仕事を終えた銀髪の青年は、いつものようにバーにいた。
カウンターの前に立つバーテンダーがリズミカルに振るシェイカーの音に耳を傾け、心地良さそうに微笑む。
「お待たせしました。キッス・イン・ザ・ダークです」
いつもより度数の高い、深紅のカクテル。
青年がゆっくりと右手を伸ばし、グラスに口を付けようとした時だった。
木製のドアが開き、まるでモデルのようなスタイルの茶髪の女性が店内に入ってきたのは。
「やあ、待ってたよ……ユリ」
「ヤスヒト……。お待たせ」
ゆっくり後ろを振り返るヤスヒトと呼ばれた銀髪の青年は、王子様のような爽やかな笑顔を向けていた……。
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