殺戮の王子様

海底遺跡

第1話【因果応報】

男も女も関係ない。


人は皆、性欲には抗えない生き物。


それは、わたしも同じ。


快楽に零れる吐息。


軋むベッド。


池袋北口にあるラブホテル《Queen》


その7階の角に位置する部屋で、わたしはSEXの真っ最中。


肌と肌がぶつかり合う音と、自分の悲鳴にも似た喘ぎ声が響いている。


耳元で聞こえるのは、男の甘い吐息。


やがてわたしは、ナカを更に深く突かれる快感に溺れていった。


「そんな声出して……淫乱な女だね……。よっぽど気持ちイイんだ?」


耳元で囁かれた男の言葉に、思わず赤面してしまう。


だけどこれは、演技じゃない。


ウソっ……もう……。


わたしがカラダを震わせたのとほぼ同時に男も短い呻き声を上げて、ナカで果てる。


そして、ぐったりと横たわる銀髪の若い男の胸に抱かれたまま、わたしは重い瞼を閉じた……。



ついさっき知り合った男とのSEX。


わたしにとって、それは当たり前の日常だ。


金を持った中年オヤジ。


女慣れしたイケメンの若者。


美味しい獲物を探す狩場として、様々な男が集まる夜の池袋は最適な街だった。


あっ、ラッキー。イイ男いるじゃん……。


地下からエスカレーターに乗って西口へ出てすぐに、今日の獲物を発見した。


広告が貼られた柱にもたれ掛かり、スマホを操作している銀髪の青年。


見た感じ、年はわたしと同じ20代前半かな?


ジーンズに半袖の白シャツを着た美青年に、わたしの視線は釘付けになっていた。


誰かを待っているのかもしれない。

そう思いながら、ゆっくりと獲物へ近づいていく。


「あのぉ……すみませぇん」


わたしの猫なで声に、男が不愉快そうに顔を上げた。


何? そんな露骨に嫌な顔しなくたって良いじゃん。


吸い込まれそうなダークブラウンの瞳。


まつげも長いし、色白で細身だけど腕とかは筋肉質で、顔も文句なし!


今までヤッた男の中でも、一番のイケメン。


彼と目が合った瞬間、わたしは今までに感じたことのない衝動に駆られた。


この男に抱かれてみたい……!


そして、無意識のうちに男の柔らかそうな唇に自分の唇を重ねていた。


僅かに開いた隙間から舌を強引に滑り込ませて、首に両腕を回す。


周りの人間が騒めいているのがわかる。


でも、そんなの知ったことじゃない。


わざといやらしい音を立てて、夢中で何度も何度も男の唇に吸い付いた。


そんなわたしに対して男は止めるでも慌てるでもなく、冷ややかな態度のまま反応を示さない。


何よ……ムカつく。


文句の1つでも言ってやろうと思って唇を離すと、男が初めて口を開いた。


「……キミ、誰?」


冷めきった低い声と、軽蔑するような視線。


普段なら男の方から仕掛けてくるのを待つわたしが、まさかこんな公衆の面前で欲情しちゃうなんて。


ありえない。


こんなに心を奪われた男なんて、過去にいたっけ?


「お願い……。私を抱いてください……」


文句を言うはずだったわたしの口は、なぜか突拍子も無い言葉を吐き出した。


さすがに男も一瞬驚いたように目を見開いている。


ヤバイ……どうしよう?


だけど、予想に反して彼は短く鼻で笑うと無言のままわたしの手を取って、ホテル街のある北口へ歩き出した。



《所詮この世は金がすべて》


《一度寝た男とは二度と寝ない》


この2つがわたしの持論。


自分で言うのもシャクだけど、わたしは別に絶世の美女ってわけじゃない。


だけど、学生時代からどういうわけか男からのアプローチは多かった。


まあ、猫をかぶって男が喜ぶ女を演じることに抵抗は無かったし、SEXが好きなわたしの淫らな雰囲気に同年代の男たちも気付いていたのかもしれない。


ただ、「あのブリっ子に彼氏を獲られた」とか


「いつも男に色目を使ってる」って同級生から言われるのが段々鬱陶しくなって、特定の彼氏を作らず、一度寝た男とは二度と寝ないって決めた。


何より、わたしが本気で独占したいと思う男なんて1人もいなかったし。


いつか漫画や小説みたいに、一瞬で恋に落ちる素敵な王子様が現れるんじゃないか……。


そんな淡い期待は自分でも気付かないうちに、胸の奥底にしまい込んでいた。



高校を卒業した翌日、わたしは池袋西口公園の近くにあるキャバクラ《ブラックフェザー》に電話した。


理由は単純。


ネットで時給4000円~っていう求人情報を見たから。


事務所で行われた面接の担当者は、まるで全身を舐め回すようないやらしい目つきでわたしを観察していた。


汗臭いし、ハゲだし、チビだし、出っ歯だし。


心底キモい男だと思った。


「うん、イイねぇ……。マオちゃんは胸も大きいし、スタイルも抜群だ。これなら売り上げにも期待できそうだねぇ。早速だけど、明日から来れる?」


鼻息を荒くしたキモい男の言葉に頷き、わたしのキャバ嬢としての生活が始まった。


その後の3ヶ月間。


特別、努力をした覚えなんてない。


だけど、お得意の枕営業と男心をくすぐる甘え上手な女を演じることで瞬く間に指名を増やして、6月の売り上げではNo.3にまで登りつめていた。


「俺の女になってくれ!」


一度きりの濃厚なSEXのあと、このセリフを口にする男は多かった。


「えー? どうしよう。マオをお店のNo.1にしてくれたら考えてもイイかなぁ」


自分の気を少しでも引こうと大金を使う、バカな男たち。


男をオトすなんて、超簡単♪


綺麗に着飾って、高級な物を身に付けて、性欲さえも満たされる。


この調子ならNo.1なんてすぐじゃん。


そう思っていたけど、実際は働き始めて2年が過ぎても、わたしはまだ店のNo.2だった。


No.1のリナとの売り上げの差は毎月100万円くらいだったけど、どうしてもこの差が縮まらない。


あーあ、もっと楽して稼げる方法って無いのかなぁ。


これまでと違ってなんか努力するのは面倒だし、かと言って風俗嬢にはなりたくないし……。


そんな心境の中オフ日に出会ったのは、切れ長の目が印象的な美形の男。


アイツは北口のホテル街近くにあるバーの店長だった。


駅前でナンパされた流れで軽く飲みに行って、さも当然のようにラブホテルへ入る。


「最近、しつこい客が多くてさー。売り上げも伸びないし、もうキャバ嬢辞めたいんだよねぇ」


わたしが赤いフリルのミニスカートを脱ぎながらグチると、ソファーでタバコを吸っていた男からは意外な言葉が返ってきた。


「だったら面倒な客、オレの店に連れて来なよ」


「えっ!?」


「売り上げアップに協力してくれる可愛い女の子探してるんだけど。マオちゃんも、楽してお小遣い稼ぎ……やらない?」


上機嫌に男は言うと、黒いバッグから白い錠剤の入った小袋を取り出した。


「何これ? ドラッグ?」


「あはは、違うよ! レンドルミンD錠。いわゆる、睡眠導入剤だよ。粉々に砕いたコレをお酒にサッと入れて、客を眠らせちゃうのさ」


《所詮この世は金がすべて》


キャバ嬢になったのも、自分の好きなことをして金が欲しかったからだ。


「ねぇねぇ、その話詳しく聞かせてよ……」


わたしは下着姿で男に抱きついて、いつもの猫なで声を出した。


「良いよ。でもその前に……一発キメよっか」


「賛成……」


悪魔の囁きに、わたしはいとも簡単に堕ちていった。



男から指示された方法は、意外と単純なものだった。


まず、ターゲットはろくに金も使わない面倒な客に限定して、ヤツらがほろ酔いになったところで太ももを撫でながら決められたセリフを囁く。


「今日、アフターで一緒に行きたいところがあるんだけど……」


これで、イチコロ。


ホント、人間は誰しも性欲には抗えないよね。


一度しか寝ないわたしともう一回SEXができるかもしれないと勝手に期待したバカな客は、一瞬で食いついて来た。


そして、店からホテル街の方へ歩きながら何気なく男のバーの前で立ち止まって、


「エッチする前に、もうちょっとだけ飲みたいなぁ」


そう言ってカモを連れて行けば、あとは簡単。


客がトイレへ席を立ったところで、あらかじめ砕いておいた白い錠剤をグラスに手早く入れるだけ。


レンドルミンD錠は睡眠導入剤では珍しい、水なしでも口の中で溶けるタイプもある。


つまり、それをある程度細かくしておけば、お酒にも一瞬で溶けちゃうわけ。


ホントならちょっとは苦みを感じるものも、お酒が入って性欲に駆られたバカな客たちには気付かれることはなかった。


30分ほどで薬が効き始めて、獲物は睡魔に落ちていく。


ここまでが、わたしの仕事。


「それじゃ、後はお願いしまーす」


笑顔を振りまいてバーの男たちに任せたら、早々に引き上げる。


クスリが切れた客が目覚めたあとは、べらぼうに高い飲み代を請求されて、反抗すれば恐ーいオジさんたちが出てくるってわけ。


騙された客はバックに控えるオジさんたちの恐怖と裏切られたことへのショックで、二度とわたしの店にやって来なかった。


男なんてホント、バカばっかり。


大好きなお金を稼いで、面倒な客ともオサラバできる。


この一石二鳥の仕事がわたしの楽しみになるのに、そう時間はかからなかった。



お小遣い稼ぎを始めて4ヶ月くらい経った頃、更衣室で着替えていると珍しくNo.1のリナが近付いて来た。


この女は、わたしとは対称的なキャバ嬢。


枕営業は一切しないでNo.1という地位を5年以上もキープしてる。


だから、すぐに客と寝るわたしを煙たがっているのは入った当初から気付いてた。


実際、わたしもリナのことはカタブツって嫌っていたから、2人の不仲はブラックフェザーでは周知の事実。


何より気に入らないのは、リナはスッピンでもメチャクチャ綺麗ってことだ。


「マオ、柿谷かきたにさんの件聞いた?」


「カキタニって、誰ですかぁ?」


「まったく……。あんたね、自分の客の名前くらい覚えてなさいよ。半年くらい前に来始めて、アンタにヤらせろってずっとしつこく迫ってたエロオヤジ!」


あーあ、珍しく声を掛けて来たと思ったら、説教?


何様なの? ホント勘弁してよ。


んーと、カキタニ……。


……柿……谷?


「あぁ、思い出した。柿谷っていつもスーツで、ちょっとインテリっぽい感じの。最近来てないから、すっかり忘れてましたぁ」


「昨日、同じ会社の客から聞いたんだけど、あのオヤジ電車に飛び込んで自殺したんだって」


「ふーん……」


「ふーんって、自分の客のことなのに随分反応薄いわね」


「別に。お金出してくれない男に興味ないんで」


折角、鬱陶しいヤツのこと忘れてたのに、思い出させんじゃねぇよ。


柿谷は一番最初に、例のバーで嵌めた客だった。


きっとあの時の一件以来、何かの金銭トラブルにでも巻き込まれたんだろうなぁ。


でも、わたしには関係ないし。


死んだって聞いても罪悪感なんてない。


わたしに大金を貢がず、騙される方がバカなのよ……。


わたしは薄ら笑いを浮かべて、リナの前から姿を消した。



「それじゃ……」


SEXを終えて30分くらい仮眠を取ると、銀髪の男は早々に身仕度を整えた。


「えっ、待ってよ。連絡先教えて……?」


「キミみたいに簡単に股を開く女に興味ないから」


素っ気ない返事に、わたしは思わず言葉を失ってしまった。


そして、彼はホテルから出るなり、西口の繁華街へ1人消えて行く。


その背中を見送ったところでわたしは火照ったカラダを冷ますため、マンションまでの夜道を歩き出した。


やっぱり、変だよね……。


SEXをした男の人数なんて、覚えてない。


だけど、きっとあの男のことは忘れられない。


わたしのカラダを優しく愛撫する指先。


卑猥な音を立て、敏感な部分を刺激する熱い舌。


何よりも、ナカを突かれる度に全身を駆け抜けた甘い快感。


究極の癒しを受けたあの時間には、痛みなんてなかった。


もう一度、抱いてほしいな……。


余韻に浸りながら繁華街を抜けた瞬間、静まり返った夜の住宅街に鳴り響くクラクション。


その音にハッとした。


ウソ!? 何で!?


わたしは無意識のうちに赤信号を無視して、横断歩道を渡っていた。


急ブレーキを踏んだ乗用車のヘッドライトが、路上に映し出された自分の影を伸ばす。


「えっ……」


咄嗟に口からこぼれた短い声と共に、わたしのカラダは宙を舞った。



ボンネットからの衝撃。


直後、アスファルトに叩き付けられた鈍い音が鼓膜を揺らして、頭から流れ出る血に目を疑う。


あれほど熱を帯びていたカラダが、急激に冷えていくのがわかった。


今はまだ、熱帯夜の続く8月。


それなのに、寒気が止まらない。


うつ伏せに倒れたまま起き上がることはもちろん、右を向いた首を動かすことすらできない。


わたしを跳ね飛ばした車が遠ざかって行く音が聞こえる。


イヤだ、誰か助けて!


そんなことを考えていると、誰かの足音がこちらに近づいてきた。


良かった、助かった……。


安心したのも束の間。


足音の主はわたしの目の前で立ち止まると、しゃがみ込んでクスクスと笑い始めた。


何なの、コイツ。


早く救急車呼んでよ……。


足元を見て、革靴を履いたスーツ姿の男だってことはわかった。


ウザっ、酔っ払ってんの?


ゆっくりと視線だけを顔の方へ移した瞬間、わたしは両目を大きく見開いた。


どうして、アンタが!?


そこに居たのは、死んだはずの柿谷だった。


「久しぶりだねぇ、マオちゃーん」


柿谷はそう言うと赤黒い歯肉を見せて嬉しそうに笑い、わたしの右手を掴んだ。


イヤッ! 離して!


そう叫びたいのに、声が出ない。


流れるように自分の口元へ運んだわたしの右手の親指を、柿谷は躊躇うことなく喰い千切った。


イヤァァァァッ!


あまりの激痛と恐怖に、頭の中で悲鳴がこだまする。


そんなことはお構いなしに柿谷はグチャグチャと音を立てながら、躊躇うことなく人差し指と中指も噛み砕いていった。


どうして? 何でわたしがこんな目に……?


死にたくない。


死にたくない。


死にたくない!


抗いようのない死への恐怖に涙が止まらない。


「あはは、マオちゃんって、スッピンはブサイクなんだね。すっかり騙されたよ……。やっぱり女の子の化粧って詐欺だよね? さあ、右手の次は左手だよ。それから、左右の足……。そして、子宮に……心臓。安心して、きみのカラダは全部食べてあげるから」


そう言って柿谷は、血塗れになった舌でわたしの右頬を舐めた。


お願い! 騙した分のお金も払うし、もう一回SEXもしてあげるから!


助けて!


とっくに手放したはずの意識の中、わたしは終わることなく延々と繰り返される残虐行為と、自分の血の臭いだけを感じていた……。




ジャズの流れる、薄暗い店内。


行きつけのバーのカウンター席に腰掛け、Fly Me to the Moonに合わせて鼻唄を歌う銀髪の青年。


「お待たせしました。ブラッディ・メアリーです」


そう言ってバーテンダーがコースターの上に置いた酒は、血の色に似た真っ赤なカクテルだった。


グラスを手に取り一口飲むと、青年は口角を上げた。


―――― 因果応報。僕にキスをした女性は皆死んでいく。それは変えることのできない運命なのさ……。

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