とある家族の奇妙な事情
「私の本当の父親は、吉田直太朗なんです」
「吉田って……あの、TVとかにも良く出てる議員の人?」
「はい」
「マジかよー。うっわー、ムギちゃんごめん! もっと早く知ってれば仲人なんか頼まなかったのに」
シンタは頭を抱えてツムギに謝った。シンタの結婚式の仲人は、吉田直太朗議員その人だったのだ。
「いいえ、知らなくて当然です。こちらの方こそ、こんな個人的な事情で式に行けなくてごめんなさい」
「いやいや、そんな事はいいんだよ。教えてくれてありがとう。俺もトビセも仲人とか特にこだわりなかったから、親父に一任しちゃってたんだわ。そしたら吉田議員に決まってさ。”そうなんだ”くらいに思ってたんだけどなあ。まさかなあ」
シンタの一家は公務員一家であり、シンタはそこの次男坊だ。父も母も県職員、兄は市役所職員。シンタだけはひとり、自動車メーカーの研究職に就いている。
「でも、なんでムギさんがコーちゃんちに来たの? 会いたくないって事は議員さんとは仲悪いんだろうけど、なんでまたコーちゃんちに? 再婚したとか?」
ミナミがグラスを両手に抱えて疑問を口にすると、コータが咳払いをして答えた。
「それはだな、ウチの親父と吉田って議員とツムギの母ちゃん、あーっと、この母ちゃんはウチの母ちゃんじゃなくてツムギを産んでくれた母ちゃんな。その3人が同級生だったんだけど……えーっと、まいったな」
コータはそこまで言ったが、ツムギの顔を見て片手をあげ、バトンタッチするように手をパチンと合わせた。
「ダメだ! 俺はこういう話も説明も苦手なんだ! ツムギがどこまで言うつもりなのかもわからねえ! あとは頼む。無理だ!」
その様子を見てヤスが鼻を鳴らす。
「コータ君さー。ツムギさん自分で言うの辛いんじゃないの? 頑張りなよー」
コータがもごもごと、そりゃそうだけどなあ……と呟いていると、その様子を見ていたツムギがくすりと笑う。
「ふふ。ありがとうヤスさん。大丈夫ですよ。実はですね……」
◇ ◇ ◇
コータの父である
当時、信元と直太朗は、奏を巡る、いわゆる三角関係の恋敵でもあったが、奏は直太朗を選び、信元もそれを祝福した。だが当時、直太朗は病没した市議の空いた椅子を狙い、若くして市議への出馬をするかどうかを検討していたため、イメージ戦略上から奏と結婚はせず、交際の事実さえ隠していた。そこで3人は、3人だけで、結婚式の真似事を開いた。奏の勤めていた店のボックス席の片隅で指輪を交換し、永遠の愛を誓ったのだ。落ち着いたら、きちんと籍を入れようという約束をして。
信元も奏を吹っ切り、別の女性と結婚をして仕事に打ち込んだ。信元の元にはコータ、そして、直太朗と奏の間にはツムギを授かった後は、家族ぐるみでの付き合いにまで発展していた。――そのときも直太朗はお忍びであったのだが。
変則的ではあるものの、そのまま3人の友人関係は続くかと思われた。しかし、不幸が起きた。奏の唯一の肉親であった母が亡くなったのだ。奏の母は、女手一つで小さなクラブを経営するママであったのだが、性質の悪い客とのトラブルに巻き込まれて命を落とした。母の店でキャスト兼バーテンとして働いていた奏は、一気に母と職を失ってしまった。すっかり元気がなくなってしまった奏を、信元と直太朗、それに娘のツムギが励ましても、寂しそうに首を振るばかりだったという。
さらに悪いことは続いた。直太朗に、大物国会議員の娘との縁談が持ち上がったのだ。その働きぶりや物腰から、直太朗の事を見込んだ議員が手を回したのだ。直太朗は、最初に話しを聞いた時、その場で断ることはできず、「考えさせてください」と言って話を持ち帰った。だが、直太朗が意向を伝える前に、話はどんどん進められていった。直太朗が、奏と信元にその事実を告げた時には、すでに、タイムリミットギリギリというくらいのタイミングだった。
その話を聞いて、信元は激怒し、直太朗を責めた。2人の前で土下座をしている直太朗の胸ぐらを掴んで起こし、なぜ謝っている、そんな時間があったらさっさと断りに行けと直太朗を追い返そうとした。直太朗も、その通りだ。と覚悟を決めたかに見えた。
しかし、奏はそれを制し、身を引くと言いだしだ。母を失った直後という事もあり、半ば自暴自棄になっているのではないかと信元が心配して説得し、考えを改めるように言っても頑として聞き入れなかった。
結局、直太朗はその国会議員の縁戚となり、2人、いや、ツムギも含めた3人の前から姿を消した。その後すぐ、奏は体調を崩してあっという間に亡くなった。世間では、母を亡くした娘が、子供を残して後を追ったのだと噂になったが、その噂もすぐに忘れ去られてしまった。
以来、信元は、身寄りのなくなったツムギを引き取り、家族として一緒に暮らしているのだ。
◇ ◇ ◇
「……と、いうわけなのです。私がバーテンになったのも、子供の頃に母が家で練習してるのを見ていた影響があるのかもしれません」
ツムギは話し終えると、にっこりと笑っていつものようにグラスを磨き始める。ヤスが、ほぅっとひとつため息をついた。
「そうだったんだ。コータ君とツムギちゃんとは小学生のころからの付き合いだけど、全然知らなかったよ。兄妹だけど苗字が違ってちょっと不思議だなあ、くらいにしか思ってなかった」
「みんなガキだったしなあ」
「ふふ。でも、私の周りの子はなんとなく何かある、って気付いていたらしくて、たまに男の子がその事に触れると、しっ! って言って誤魔化してくれてましたよ」
ツムギは、人差し指を口の前に立ててそう言った。
「まじか。そういうのは女の子の方が敏感なんだな」
「でもさ、たまにコータ君に聞く男子もいたじゃん。ただ、コータ君が即答で『わかんねえ!』って言うからみんな聞かなくなったんだよ」
「そうだっけなあ? 覚えてねーなー。誰?」
ヤスとコータが小学生時代の友人の名前をあれやこれやと上げていると、ミナミが泣きそうな顔でツムギの手を握った。
「ムギさん、大変だったんだね。それで兄妹なのにムギさんだけコーちゃんに君付けしたり、敬語使ったりなんだね。ずっと、なんでかな? って思ってたの。教えてくれてありがとうね。もう敬語じゃなくていいからね。特にこんな駄目オーナー、呼び捨てでもお釣りがくるくらいだから」
ミナミに両手をぎゅっと握られたツムギは、当惑顔でコータの方を見る。
「ありがとうミナミさん。でも、敬語なのは違うって言うか……」
「ツムギが敬語なのはな、この方が話しやすいからだ。別に気を使ってるわけじゃねーぞ。な、ツムギ」
そうなの? とでもいうように、ミナミはツムギとコータの顔を交互に見る。
「はい。そうなんです。実は私、引き取られて最初の頃は、大将の事は『お父さん』、奥さんの事は『お母さん』って呼ぶように頑張っていて、実際にそう呼んでいたんです。前からたまに遊んでたコータ君の事は『コーちゃん』でしたけど。私が来たのって、小学校に上がる前くらいでしたよね」
「ああ、そうだな」
「でも、4年生くらいの時、私、ちょっと爆発してしまって……」
「ムギちゃんが? へえ、今からだと信じられないけど、なんで?」
シンタが訪ねると、ツムギは言いにくそうにしてコータを見る。すると、コータがツムギの代わりに話し出した。
「ツムギが来てからは、うちはなんとなく『ツムギのお世話は親父が担当、俺のお世話はお袋が担当』みたいになってたんだ。ツムギは、それが申し訳なかったり、悲しかったりしたらしくてな。『私は馬飼野家からお父さんを横取りしてしまっている』『私はこの家族の邪魔ものなんだ、特にお母さんに嫌われている』と思ってたんだと」
コータが隣のツムギを肘で小突くと、ツムギは珍しく顔を真っ赤にして抗議する。
「だって、気が付いたらいつも私だけ大将の作る『よそ行きのご飯』を頂いてるんですもん。コータ君も、家の台所で一緒にご飯を食べるのを嫌がって、お店の方へと追いやろうとしますし。たまに、コータ君や奥さんと一緒にご飯を食べる時は、凄く嬉しかったんですよ。でも、その時にご飯を食べてみると、あの……個性的な味なんです。それで、びっくりして隣のコータ君を見ても、おいしそうに食べてるじゃないですか。それで、『あ、奥さんはきっと私にご飯を作るのが嫌なんだ。私のおかずにだけ、何か入れてるんだ』って思って悲しくなってしまって……。その後、大将が、酔った時に、『俺、昔はツムギの相馬の方の母さんに惚れてたんだよなあ』と言ってたのを聞いてしまったりもして。そうなんだ、私はそれで情けをかけられてるだけなんだ、身代わりなんだって、どんどん悲しくなってきてしまって……」
コータは、腕組みをしたまま頷く。
「それな。で、4年生くらいの時、いつも大人しいツムギが皆で飯食ってる時に突然テーブル叩いて立ち上がったんだ。『もう私に気を遣わないで! 私を可哀そがらないで放っておいて!』って言ってな。な?」
「はい、覚えてます」
◇ ◇ ◇
その日、ツムギは大泣きをした。コータと大将が、おろおろしながらもツムギを宥め透かしていろいろ聞きだそうとすると、ツムギは嗚咽の合間から絞り出すようにして貯め込んで来た思いを吐き出す。
「お母さんは、お父さんが昔好きだった人の子の私なんて嫌いなんでしょ! ご飯も私にだけ作ってくれないし! お父さんだって、よく面倒を見てくれるのは相馬の母さんが好きなだけで、私なんて本当はどうでもいいんでしょ! コーちゃんだって、本当は私の事、邪魔な子だと思ってるんでしょ!」
すると、奥さんはいつもと変わらないのんびりとした調子でツムギに答えた。
「何言ってるのツムギ。相馬の母さんがお父さんを振ってくれたから、お母さんはその隙にお父さんを慰めて結婚まで持ち込めたのよ。奏さんにはむしろ感謝しかないわ。それにね、私は女の子も欲しかったからツムギが来てくれて嬉しいの。だけど、構おうとするとお父さんが邪魔をするのよ。まったく。ツムギからも邪魔しないように言ってやって」
「えっ?」
ツムギが当惑していると、大将が申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。
「ツムギ、悪かった。お前に変な気を遣わせちまってたみてえだな。飯が別なのは、単にお前にとっていきなりウチの母ちゃんの飯はハードルが高すぎると思ったからなんだ!」
「そ……そうなの? だって、あのご飯の味は……」
コータも席を立ってすぐ隣にやって来ると、必死になって続く。
「普通にヤバいだけだよ! 僕は食べ慣れているけど、ウチの母ちゃんのご飯を友達が食べると、みんな変な顔するのイヤでさ。それで父ちゃんと相談して、ツムギにはできるだけ父ちゃんのご飯を食べて貰う事に決めてたんだ。言わなくてごめん。母ちゃんの手前、言いづらくてさ」
奥さんは、あらそうだったの? 失礼しちゃうわ。でも確かにお父さんのご飯の方がおいしいものねえ、とのんびり言いながら、おかずをひょいぱくと摘まんで食べている。
ツムギは泣き止んだものの、困惑して固まっていた。コータはその両肩をしっかりと掴んで話しかける。
「だからね、ツムギ。僕たちはツムギの事を邪魔だなんてこれっぽっちも思ってないし、かわいそがってなんかいないんだからね。安心して。ツムギは僕たちの家族さ」
大将も力強く頷き、奥さんもやってきて、ツムギの頭をポンポンと撫でる。
ツムギは黙ったまま、こくん、こくんと何度も頷いていた。
◇ ◇ ◇
「あの時、正直、『えっ?』って思いましたけど、結局、いろいろと私の一方的な誤解だったみたいで。でも、呼び方とか、気持ちとか、思ってたことと全然違って嬉しいやら恥ずかしいやら意味が解らないやらで、一気にごちゃってなってしまって、うまく喋れなくなってしまったんです」
「あれは焦ったぞ」
「ふふ。御迷惑をおかけしました。それで、なんとか頑張って喋ろうとしてたら、大将や奥さんが、『無理するなよ、頑張らなくても喋りやすいように喋ればいいぞ』って言ってくれて。それで、楽な喋り方を探していたら、敬語になっていたんです」
「そうだったんだー」
ミナミは納得したようだ。
「はい。だから、私がみんなに敬語を使っていても、距離を置いているというわけじゃありませんからね。私にとって、これが一番楽なんです。これからも敬語ですけど、よろしくお願いします」
ツムギがぺこりと頭を下げると、他の4人も頭を下げた。ツムギが告白を終え、カウンターにほっとした雰囲気が流れると、シンタがコータに向かって軽口を叩く。
「それにしてもよ、なんだよ馬飼野一家は。ムギちゃんの話、普通に大変な事のはずなのに、お前らのせいで、おもしろ家族エピソードみたいになってるじゃねーか」
「そうだよ。本当ツムギさん話してくれてありがとうね」
「ムギさん! やっぱりこの家はもうだめだ! うちにお嫁に!」
「うるせーなお前ら。確かにウチの連中はちょっとアレだけど、みんなベストを尽くしただけだ!」
コータが他の3人と、やいやいとやり合っていると、ツムギは笑いながら両手を振ってそれを止める。
「いいんですいいんです。うちはそれでいいんです」
そして、一呼吸おいて続ける。
「それがいいんです」
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