大将、出店やめるってさ
シンタたちが帰ると、コータはカフェエプロンを外して客席側のスツールへと腰を下ろした。
「ツムギ、今日も一日お疲れ様! 〆のマティーニ頼むわ」
財布から千円札を抜き取ると、座ったまま体を伸ばしてカウンターのレジを開き、お釣りの小銭を取り出した。
「チェックは頼んだ。今日も売り上げに貢献しねーとな」
「別にお金払わなくてもいいんですよ」
「いやいや、ツムギ君、オーナーとしてそれは許されないよ」
ツムギはふふ、と笑うと、コースターとカクテルグラスを取り出して、カウンターテーブルの上に置いた。アイストングで氷を摘み、グラスの中に入れると、くるくると2~3度回す。コータはカウンターに肘を着いたまま、その様子を楽し気に見守る。
冷凍庫からタンカレーのジンを取り出し、棚からはマルティーニのドライ・ヴェルモットを、さらにトニック・ウォーターを入れてある小型の冷蔵庫の脇からは、瓶詰のオリーブを取り出してテーブルに並べると、これでいいですか? とでもいうように手を広げる。コータは親指をグッと立てて返事をする。
ミキシンググラスを取り出したツムギは、手早く大きめの氷の塊を数個入れると、バースプーンでやや激しくかき回す。透明だったミキシンググラスの温度が一気に下がり、みるみる白いベールで被われていく。手を止めたツムギは、専用の
砂時計のような形をしたメジャーカップを取り出し、指の間に挟んでくるりと回転させると、几帳面にジンを計量してミキシンググラスに注ぐ。さらにメジャーを半回転させてヴェルモットを計量して同じようにグラスへと注ぎ、バースプーンをグラスへと刺し入れた。
再度くるくるとバースプーンを回すツムギであったが、おなじ回す動作でも、先ほどとは全く違った。素早いが、とても軽やかでやさしく丁寧な動作。ほとんど音すら立てずにくるくるとグラス内の2種類のお酒が回転し、ひとつのカクテルに混ぜ合わせれ、冷却されると、そっとスプーンを引き抜いて拭い、静かに脇に置く。
再びストレーナーをミキシンググラスへと被せて一旦テーブルの上に置く。氷を乗せておいたカクテルグラスを手に取り、シンクへと氷を捨て、よく水気を切ってテーブルのコースター上へと戻す。そのグラスの中に、ミキシンググラスからゆっくりとお酒を注ぐ。最後に、ピックに刺したオリーブをカクテルグラスの中にそっと沈めると、コータの目の前へとすっと差し出した。
「お待たせしました。マティーニです」
「ありがとう。やっぱ俺ツムギがこれ作るの見てるのが一番好きだわ」
「ふふふ。味は関係ないんですか?」
「いやいや、あるけどさ。俺、香らないでスッキリしてた方が好きだからタンカレーにして貰ってるし、
コータはオリーブを取り出してくるくる回しながら、グラスを口に付ける。良く冷えているマティーニが喉から胸へと流れ落ちるにしたがって、その通り道を焼き、心地よい余韻を染み渡らせる。その感触を邪魔したく無くて、コータは思わず目を閉じて下を向いた。
「くーっ……うまい! よく冷えててうまいわー」
「良かった。やっぱり特殊調理器具でしたっけ? それのおかげですか?」
「そう。たまらんよな。ミキシンググラス。特にストレーナーのばねとか。たった1杯のカクテルなのに、”良く冷やして、水気を少なくしたい”っていう目的のためだけに真剣に仕組みを考えて専用の物を用意するとかさ、グッとくるわー。それに、目的のためにだけに洗練されたツムギの動きもな。そういうの見ると、なんか嬉しくなんだよ」
コータは楽しそうに、再びグラスに口を着けた。
「それにしてもツムギ、今日は思い切ったな。皆にあの事言うなんて」
「はい。でも、やっぱり皆には知っておいて貰いたくて。みんな驚いてましたね」
「そりゃ驚くだろ。俺だって初めて聞かされた時は驚いたよ」
コータがツムギから、「実父が誰か」という話まで聞いたのは、2年前、ちょうどMAKA-MAKAを開店しようとツムギに相談した時だった。当時、大学の卒業を控えていたコータが、既に割烹まかいので働いていたツムギに声をかけ、資金を折半して始めてみないかと持ちかけたのだ。
ツムギは喜んで賛成し、開店・回転資金に使って欲しいと、1冊の通帳をコータに手渡した。ツムギ名義のその通帳には、かなりのまとまった額が預金されていた。驚いたコータがその出所を尋ねると、それは、ツムギの実父である吉田議員が、養育費替わりとして毎月振り込んでいた物だという。コータはそこで初めて、ツムギの実父が誰なのかまでを知ったのだ。
通帳は、最初は大将が預かっていたが、頑としてこのお金を使うのを拒み、全額預金したままツムギが成人した際に手渡したそうだ。その後も毎月決まった金額が振り込まれていたが、ツムギも一切手を付けていなかった。私はいらないから、コータ君の好きなようにお店に使って、と手渡されたが、コータとしても使う気はない。喉から手が出るほど欲しいが、使うわけにはいかない。結局、通帳はそのままツムギに返し、卒業旅行用に溜めていた貯金や、バイトして溜めたお金を開店資金へと当てた。
「あれがもう、2年前くらいになるのか。はえーなー。なあ、ツムギ、MAKA-MAKAが2年も続けられてるのは、本当にお前のおかげだと思ってる。ありがとう」
コータが改まって頭を下げると、ツムギは軽く首を振る。
「ううん。私もコータ君がいなかったら、思い切ってバーテンやろうなんて思わなかったし、こちらこそ感謝しています」
「そう言ってもらえると嬉しいけどなあ。まあ、あとは売上だな! ツムギの給料分は意地でも稼ぐから安心しろよな!」
「はい。よろしくお願いします。頑張りましょうオーナー」
ツムギもわざとらしく畏まって頭を下げる。2人は顔を見合わせると、どちらからともなく笑った。
「それに、コータ君、こんな事いうのはあれですけど、MAKA-MAKAが駄目になっても、割烹まかいのの方で頑張ればいいですし」
「まあなあ。それを言っちゃあ……とはいえ、俺がこんな事やってられるのも、親父のおかげってのが大きいんだよな。実際。頭に来るけど、ほんと大した親父だぜ。うちの親父は」
「はい。大将は、馬飼野家の大黒柱ですもんね」
「まったくだ。あんな面白いチョビ髭のクセして、太い柱だわ。情けねえ話だけど、もうちょっと頼らせてもらって、その間に修行させて貰うとするか」
「ふふふ。わかりました。頑張りましょうね」
コータがマティーニを飲み終わり、〆の掃除を始めようかと種火を落としてデッキブラシを手にした時だった。店舗に隣接する馬飼野家の住宅から、何やら重い物が落ちたかのような派手な物音が聞こえて来た。コータとツムギが顔を見合わせていると、ガチャリと店舗と自宅をつなぐ洗い場の奥のドアが開き、奥さんが珍しく慌てた様子で駆け込んでくる。
「母ちゃん、どうしたんだ!?」
「何かあったんですか」
「お父さんが、階段を踏み外して落ちて……。足の骨が折れたみたいで動けないって言ってるの。こういう時って、救急車呼んだ方がいいのかしら?」
ツムギがすぐに電話へと駆け寄って119番をし、コータは自宅へと駆けこんだ。階段の下では、大将が逆さまになって倒れている。
「おお、コータか、足をやっちまったみてーだ。たぶんこれ、折れてるな。まいった。動けねえ」
コータは大将に手を貸すと、なんとか階段へと凭れかかれるような体制を取らせる。出血も無く気丈にふるまってはいるものの、大将の顔からは血の気が引き、とても痛そうだ。手を添えている足首の辺りは、みるみる腫れあがってきている。
すぐに救急隊員が駆け付け、足首を簡易ギプスで固定された大将は病院へと搬送された。奥さんとツムギが付き添い、コータは家で2人の連絡を待つことにした。
一人になったコータは、呆然として呟いた。
「マジかよ……」
コータは壁のカレンダーへと視線を移す。
「マジかよ親父。大黒柱って、折れんのアリなのかよ」
フェスまでは、あと2週間ほどだった。
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