108つ目の新メニュー
「だからお前なんで堂々と食いもんを飯屋に持ち込んでんだよ」
「えー、おいしいじゃん"もんぱり"。あっ、コーちゃんは"ぷっせ"派だった?」
「そりゃまあどっちもうまいけど、ぷっせの方が噛みごたえがあって……ってそうじゃねーよ。俺の飯を食えって話だろ!」
飽きもせずにコータとミナミがやりあっていると、シンタが2人の客を引き連れてやってきた。いつもはバーカウンターに陣取るが、今日は小テーブルの方へ腰を落ち着けた。どうやら、職場かどこかの先輩と少し遅い夕食を取りにきたらしい。
「へー、いいお店じゃん」
「俺ここ知ってる。角煮と親子丼がヤバい店でしょ?」
「先輩良く知ってますね。でも、それは昼だけで夜はカフェバーになってるんすよ。ほら、あれが夜の部オーナー。俺とタメです。あ、あとこのバーテンさんも」
シンタは、カウンター内のコータと、おしぼりを持って来たツムギを交互に手のひらで指し示した。ツムギは軽く会釈をして、カウンターへと引っ込んだ。
「えー、凄い美人じゃん! あの子がお酒作るの? へえー」
「まあ、そうですね。あっ、でも先輩、手出すのはダメですよ。オーナーにぶっ飛ばされますからね!」
「そうなの? あの2人付き合ってるわけ?」
「いや、付き合ってるっていうか、兄妹で店やってるんですよ。で、昼間やってるのがあの2人の親父さんです」
「へー、そうなんだ。ん? でも待てよ、あのオーナーとバーテンさんは両方とも小関とタメなんだろ? 双子?」
「顔は……似てないみたいだけどなあ」
2人の先輩は、カウンターに並んでいるコータとツムギの顔を交互に見比べて首を傾げている。
「あー、年子って言うか、そんなようなもんです。ささ、先輩方、何食べます? この『タラコナーラ』ってのが安全でお勧めっすよ」
「安全てどういうこと? 名前からするとカルボにたらこ?」
「はい。そうです」
「うまそうじゃん。俺、それにするわ」
「じゃあ俺も」
「決まりっすね。じゃあ俺も同じにして3つ頼みますか。お酒はどうします? 俺は車だからトマトジュースにしときますけど」
「あー、じゃあ俺ジントニック」
「俺はビールがいいかな……おっ、ギネスあるの? じゃあそれで」
「りょーかいです。おーい、コータ、オーダーいい?」
シンタが手を上げると、コータはカフェエプロンからオーダーシートを取り出して、小テーブルの前へと向かった。コータもツムギも昼間のきっちりとしたコックスーツや割烹着姿とは違い、黒のパンツに白いシャツ、腰巻のカフェエプロンをして頭には何も被っていなかった。スッキリとサイドを刈り上げたコータの短髪と、頭の後方でお団子のように綺麗にまとめられたツムギの黒髪が、その服装に良く似合っていた。――もっとも、コータの靴は相変わらずキッチンシューズのままだったのだが。
「いらっしゃいませ。ようこそMAKA-MAKAに! オーダーは……ばっちり聞こえてました! トマジュー・ジントニック・ギネスがおひとつずつ、タラコナーラがお2つと、新作パスタがおひとつですね」
「ちょっ……! コータお前!」
「今日は自信あんだよ。任せとけ」
コータは胸をひとつ叩いて意気揚々とキッチンへと引き返す。シンタはやられたというように手で顔を覆い、先輩二人は事情を何となく察したのか、なに? 実験台? などとシンタを冷やかしている。
オーダーシートをツムギに手渡したコータは、2人分のパスタをパスタポットに放り込んで、ソースを作り始める。まずはタラコナーラだ。コータの数あるオリジナル・レシピの中でも、唯一と言っていいほどの成功例である奇跡のパスタだ。
作り方は至極簡単で、カルボナーラのソースに生タラコを混ぜるだけだ。多少の塩気の調整はいるが、カルボのレシピさえきっちり守ればコータでも失敗がない。いくつかのキッチンタイマーをセットすると、調理に取りかかった。
卵・チーズ・生クリーム・コンソメ少々、そして、たらこを合わせ、カルボ液ならぬたらこ液を作成する。続いて、フライパンにオリーブオイルとスライスしたニンニクを入れてから、ガスレンジに火を点ける。ニンニクの香りが出てきたところで、パンチェッタ代わりの朝霧ヨーグル豚の塩漬け肉を投入して炒める。ひと息つくと、茹で上がりを待つ間に、もう1人前分のパスタを別のパスタポットへと投入しておいた。
パスタが茹で上がった所で、火を止めたフライパンに茹で汁少々とパスタを投入し、ざっと合わせる。さらに作っておいたタラコ液を入れ、ダマにならないように注意して合わせれば完成だ。このレシピに限っては、コータは余計なことはいっさいしない。せっかくの成功作が失われるのが怖いのだ。
「よっし、あがり! タラコナーラ
了解です。という声と共にツムギがやって来る。フライパン上のパスタをトングで摘み、器用にくるくると巻きながら真っ白な皿へと盛り付けると、濃い目のチーズとたらこを纏って艶々と光るパスタが、小径の整った小山のように皿の上にちんまりと聳え立った。その小山のそこここには、ピンクのつぶつぶが見え隠れしている。ツムギは、2皿分を盛り付け終わると、すでにジントニックとギネスのサーブを終えている小テーブルへと運んで行った。
「おまたせしました。タラコナーラです」
「おぉー! うまそうじゃん!」
ツムギは2人の先輩の前に皿を置くと、小脇に抱えていたカトラリー・バスケットを添え、さらにもうひとつ、うさぎの頭のような形をした小瓶をテーブルの上にことん、と置いた。
「胡椒はいかがなさいますか? たらこベースのソースで味付けはしてありますが、お好みでおかけします」
「胡椒か。いいね。お願いします。へー、そのウサギの頭、
「はい。この耳のところを掴むと、中の胡椒が挽けるようになっております」
ツムギが説明しながら実演して見せると、曳きたての黒コショウのいい香りがテーブルに広がった。
「へー、面白い。これ、バーテンさんの趣味?」
「いえ、私は割と恥ずかしいんですが……」
そう言うと、ツムギはちらりとカウンター内のコータを見た。なにやら口元に邪悪な笑みを浮かべて夢中で調理している。と、シンタがツムギの言葉を引き継いだ。
「あのオーナー、こういう変な調理器具好きなんですよ。一点物というか、専用の器具とかお皿とか。使いもしないのに
2人の先輩が、そうなんだーと納得し、ツムギがこっくりと頷いている横で、突然シンタががばっと立ち上がった。
「おい待てコータ! なんでお前、味噌なんか持ってんだ? パスタなんだろ?」
コータは得意げに左手の白味噌パックを掲げると、誇らしげな顔で宣言した。
「フフフフ。気付いたかシンタ。これが俺の108個目のオリジナル・メニュー、『オミソナーラ』の隠し味だ!!」
◇ ◇ ◇
「で、そのハナマルーキってやつは成功したの?」
「オミソナーラな」
カウンターでは、仕事を終えて店にきたヤスが、カンパリオレンジを飲みながらタラコナーラを食べていた。その横では、ミナミがいつものように卵のリキュールを飲んでいる。
「シンタ曰く、『食べられるけど別々に食べたかった』だと」
「別々って?」
「よし、順を追って話そう。ヤスがさ、こないだ、『パスタはイタリアで言うとご飯みたいなもんで、カルボは卵かけご飯みたいなもん』って言ってただろ?」
「うん」
「それ聞いて思いついたんだ。卵かけご飯がアリなら、『猫まんま』もアリなんじゃねーの、ってな」
「猫まんまって、あの、ご飯にお味噌汁ぶっかける奴!?」
「そうそう」
「あの北条氏政が冷えたご飯を温かく食べようとして、毎回確認しながら少しずつ汁をかける姿を父親の氏康に嘆かれたという、『汁かけ飯』スタイルのこと?」
「その北条なんとかは知らねーけど、それだ」
隣ではミナミが、私、南条ときみつなら知ってるーと手を上げていたが、ヤスはそれには相手をせず、頭を抱えていた。
「じゃあさ、オミソナーラってひょっとして……味噌汁を? ああ、僕のせいでシンタ君に被害が……」
「馬鹿言うなよ。いくら俺でもパスタに味噌汁そのままぶっかけねーよ。いいか? タラコナーラの時は、カルボをベースにして成功しただろ? だから今回もな、ソースのベースはカルボで、そこに白みそを加えただけだ」
「あ、そうなんだ」
「それで、具の方は萬幻豚のベーコンがあったから、それと白菜を使った」
「白菜とベーコンなんて絶対おいしいじゃん」
「ああ、でな、それを全部混ぜて出したんだ。そしたらな……」
コータはそこで言葉を切ると、悔しそうにトニック・ウォーターの瓶に口を付け、ぐいっと一気に煽った。
「そしたら、『そこまでまずくはないけど、白菜とベーコンのスープと、カルボナーラを別々に食べたかった』って言われたんです」
完全に拗ねて、やけトニック・ウォーターをしているコータに代わって、ツムギが答えた。
「はー、今回も奇跡は起きなかったんだ」
「いつものコーちゃんのレシピだったってわけ。お金は取ってないとはいえ、それに付き合ってくれるシンちゃんに感謝しなくちゃ駄目だよ?」
コータは3歳も下のミナミに諭されて、神妙に頷いている。
「いつも助かってます。皆様あってのMAKA-MAKAです!」
「うむ。よろしい! それにしてもシンちゃん、また違う人連れてきてたね。みんなにMAKA-MAKA売り込んでくれてるのかな?」
「いや、ありがたい話だけど、違うんじゃねーの? ミナミだってあいつの鬼コミュ力知ってるだろ? まーた適当に声かけて意気投合して、いちいち店を選ぶのがめんどくさいからここに連れてきてるだけじゃねーの? 今さら誰連れてきたって驚かねーよ」
皆、一様に頷いた。シンタは、見た目が割と迫力がある。背はすらりというよりも、ぬらりと高く、髪はもしゃもしゃ、濃く太い眉の下には、ぎょろっとした二重が待ち構えている。インドや中東系の顔立ちで、黙っていれば威圧感を感じる程の容貌をしているのだ。しかし、異常に人懐っこく、誰にでもすぐに話しかける。それこそ、近所の爺さん婆さんと一緒にお茶を飲んでいる事もあれば、子供と一緒にモンハンをしていることまで珍しくない。
コータが最初にシンタに出会ったのは、同じ大学に入学したての頃の、健康診断のときだった。互いにまだよく知らない者同士が、パンツいっちょで並んでいる妙な状況の中で、突然、誰かがコータの背中をつついてきた。振り返って見ると、濃い顔立ちの髪の毛がもしゃもしゃの大男が、ぎょろりとコータを見つめている。今でこそコンタクトをしているシンタであったが、当時は黒縁眼鏡をしていたため、怪しさ満点だった。
そんな男が、いきなりにっこりと笑うと、「やべー俺今日ゴム緩めのパンツ履いてきちゃってさー」と、自分のパンツを指さしてきた。確かにそのパンツのゴムは緩かった。だが、だからなんだというのだ。あまりのどうでもいい情報に笑ってしまったコータは、それがきっかけでシンタと意気投合し、今に至るまで親しい友人関係を続けている。
「いきなりパンツのゴムの話されて仲良くなったの? 逆に怖くない?」
「いや全然。ほら、あの目だよ」
「「「あー」」」
シンタは笑うとき、目が本当に見事な三日月形に崩れてにこっと笑う。いわゆるエロ目だ。まるで分度器の背のような曲線を描くなんともいえない目をするのだ。元々が迫力ある顔なので、そのギャップはすさまじく、何かホッとすると同時に親しみを覚えずにはいられない。
コータ達からは、「ずるい」「反則」「飛び道具」「笑えば済むと思ってる」などと、散々な言われ方をしているが、そこでニコっと笑われると、もうどうしようもないのだ。その目の力もあり、シンタの初対面の相手に対するコミュ力は異常に高い。
シンタ曰く、「初対面の時なんて、どーせ向こうも仲良くなりたいに決まってんだから、先に壁を壊しに行けばいいんだよ」との事だ。とりあえず壁を取り払い、そこから仲良くなるかどうかは流れ次第というスタンスで、性別年齢問わずに平然と話しかけていく。最初の壁を壊すのに四苦八苦するタイプのコータからしてみれば、頭がおかしいとしか思えないコミュ力の権化だった。
「フェスの時も、シンタさん凄いんですよ。シンタさんは毎年、会場や周辺道路の交通整理関係のボランティア・スタッフとして参加して貰ってるんですけどね、トラブル解決力が凄くて。みんなが手こずるようなマナーの悪いお客さんでも、シンタさんが行くとすぐに解決しちゃうんですよ」
ツムギがグラスを磨きながら言うと、残りの3人はさもありなんと頷いた。
「今では、トラブル発生時に、『シンタさんが出る』って言うと、歓声が上がってシンタロウ・コールが起きる程の大エースなんです。整理部のリーダーですらそんなの起きないのに」
「バーフバリかよあいつ」
「コーちゃん何それ?」
「上杉謙信みたいな人ってこと」
「ヤっちゃん余計わかんないんだけど?」
ヤスのメガネがキラリと光り、ミナミを捕まえて戦国武将講釈を始めようとした時、ドアベルがカランコロンと鳴ってシンタが入って来た。先輩二人を送り届け、車を置いて戻って来たようだ。
「シンちゃんお帰りー。助かった! バーフバリだって」
「バーフバリ? それより俺にもお酒頼める? ムギちゃんモスコひとつお願い」
「はい。モスコミュールですね。じゃあすぐ作りますね」
シンタもカウンターへきて腰を落ち着けると、コータが思い出したかのように提案した。
「そうだ、皆揃ったしフェスの時に持ってく酒でも決めとくか」
さんせー、と声が上がり、フェス時に販売するお酒の選定という名目の、自分の好きなお酒発表大会が始まった。
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