隣の店舗は絶対王者
「コータ君でなくても、暖簾分けをするお弟子さんを採るとか、まかいのさんのノウハウを広めていってくださいよ~! あっ! そうだ! いっそのこと……」
大久保はわざとらしくそこで言葉を切ると、ツムギの方へ駆け寄り、手を取ってひときわ大きな声を出した。
「ツムギちゃんでいいじゃあないですか! ”ご当地グルメ2代目は美しすぎる料理人! しかもバーテンとの二刀流!” いやあ、人気出ますよ~。観光課としては富士宮やきそばに次ぐ目玉になって大助かりなんですがね~」
「私は、お酒しか作れませんので……」
ツムギはやんわりと大久保の手を引きはがし迷惑そうに答える。コータが血相を変えてカウンター内から出ようとすると、それを大将が手で制した。
「おうおう、大久保さん、ウチの娘に気安く触らねえで貰えるか。セクハラで市役所に怒鳴り込んでもいいんだぞ」
「いやいや、そんなつもりはないですよ。やだなあ。あまりにも名案だと思ってつい。失礼しました。ごめんねツムギちゃん」
大久保はヘラヘラ言い訳をしながら、なおもツムギに近寄ろうとする。その間に、すっとコータが割り込んだ。
「で、今日は何の用なんすか? 昼飯だったらもう終わりましたけど」
大久保はあからさまに不満げに鼻を鳴らすと、小脇に抱えていたバッグの中から1枚の書類を取り出した。
「フェス会場の店舗配置が決まりましたので、お知らせに上がりました。まかいのさんは、なんと! メインステージ側! しかも! 入り口側中央です」
大久保は自分の手腕でそうなったと言わんばかりに、もったい付けてステージ図の店舗の位置を指し示す。
朝霧JAMの会場は、大きく分けて3つのエリアに分かれている。ひとつめは、"RAINBOW STAGE"のあるエリア。これぞ野外フェスという広々としたエリアであり、同じ敷地内にステージ、フェス飯店舗、それに、来場者のキャンプ地までが一緒に設営されるメインのエリアだ。ステージ上では、ジャンルレスに様々なアーティストが次々と演奏を行う。
ふたつめのエリアは、"MOONSHINE STAGE"のあるエリアだ。RAINBOW STAGEエリアとは少し離れた位置にあり、こちらはDJブースが用意されている。芝生のダンスフロアで大音量の音楽を楽しむという、どちらかといえばクラブミュージック寄りなアーティストが中心に演奏を行うエリアだ。
さらに、MOONSHINE STAGEを抜けると、来場者用のキャンプ専用エリアが用意されている。その中にも、"CARNIVAL STAGE"というステージが用意されているが、こちらはアーティストというよりは、パフォーマー用のステージになっている。
フェス飯出店店舗は、この3つのエリアのどこかに出店するのであるが、やはり、日中の華となるのはRAINBOW STAGEの店舗だ。最も忙しいのは、経路沿いの店舗になるが、割烹まかいのが配置された場所も、そこそこの場所だ。参加1回目からこの位置に配置されるというのは、抜擢と言ってもいいだろう。
「うっわ、すげーじゃん親父」
コータが思わず歓声を上げると、大久保は自慢げに頷く。しかし、大将とツムギの顔はそれほど嬉しそうでは無かった。
「なんだよ二人とも。まさか緊張してきたとか?」
「そうじゃねーよコータ。隣見てみろ」
「隣? ……ウッソだろ」
大将が顎をしゃくって指し示した場所を見てみると、そこには、「はなさく亭」の名前があった。はなさく亭は、かのB級グルメ初代王者「富士宮やきそば」が売りの食事処だ。
富士宮やきそばは、元々は地元で普通に食べられてきた焼きそばであるが、他の地域の焼きそばと異なる特徴がある点に目を付けられ、地域おこしの起爆剤として前面に押し出された、いわゆるご当地グルメの代表格だ。大きな特徴は、太めの蒸し麺である。鉄板の上でキャベツや豚肉などの具材を炒めている所に麺を落とし、そこに水やお湯を落としてさらに蒸し焼きにし、水分が飛んだところでソースを入れてかき混ぜて調理する。
具材には、「肉かす」と呼ばれる、豚の
蒸し焼きされ、ソースを
この富士宮やきそばの名店であるはなさく亭は、店舗販売はもちろん、各地の料理フェスでも絶大な人気を誇っている。知名度・味・価格のバランスのとれた大エースの富士宮やきそばに加え、萬幻豚ぐるぐるウィンナーにジャンボフランク、搾りたてミルクのプリンに高原のスムージーを軸にしたラインナップは、どこに出店しても確実に来場者のハートを掴んでいた。
間違いのない商品と、多数のフェス参加によって店舗スタッフに蓄積されたノウハウを生かし、毎回、「印象に残った店舗ランキング」のトップを攫う「市内フェス飯絶対王者」だ。ましてや今回は地元も地元。「富士宮やきそば」の名前がいつもより大きく力を発揮する事は間違いない。
「よりによってはなさく亭さんかよー。まじかー」
コータは思わず天を仰いだ。そんな落胆するコータを尻目に、大久保は得意げに揉み手をしながら大将にまくしたてる。
「いかがですか? これ、私が決めたんですよ。『富士宮やきそばと並び立つ次のご当地グルメはコレだ! 朝霧ポークの角煮に駿河シャモの親子丼!』これ絶対流行りますよ。いやあ、楽しみだなあ。今年のフェスで名前を売って、一気に全国に討って出ましょう!」
その後も大久保は、なんのかんのとまくし立てていたが、大将が適当にあしらっていると気が済んだのか、帰って行った。去り際に、ツムギに向けて意味ありげな視線を寄越しながら。
「やっと帰った。めんどくせー人だな。それより親父、えらい場所に割り当てられちゃったな」
「まあいいだろ。お客さんがはなさく亭の方に流れてくれれば、こっちはのんびりできる。その方がお前らは好きな音楽聞けるんじゃねえのか?」
「そう言われると、そうだけどさあ」
「ハッハッハ。心配すんな。こっちもハナから負ける気でいるわけじゃねーぞ。でもなあ、今回の出店は、俺にとってもちょっとした冒険だからな。調理しといて持ち込める角煮はともかく、親子はどうしてもサーブまでに手間がかかる。フェス飯向きじゃねーからな」
「ん? どういうこと?」
コータの問いに、ツムギが答えた。
「フェス飯に出店する時は、いつものお店で調理する時とは大きな違いがあります。水場が無いのと、その場での調理があまりできない点です」
会場施設や方針にもよるが、基本的に野外フェスの際には、店舗専用の水場は用意されない。つまり、
そこまでの制限は無くても、あまり火気は歓迎されない。何より、現場で火を使って調理するという事は、その分食事提供までの時間がかかるという事だ。さっと受け取って音楽を聴きながらご飯を食べたい来場者にとってはあまり歓迎されないし、店舗の売り上げの面でも回転率が極端に落ちて不利となる。
そのため、フェス飯で人気のあるのは丼物のメニューだ。あらかじめ調理済みの物を、丼に盛るだけですぐに提供できる。保温対策をしっかりしておけば、温かい食べ物を素早く提供できるうえに、いったん熱を通して調理をしてあるというのは、夏場に行われるフェスの衛生面から鑑みても、理にかなった提供方式なのだ。
火を用意するとしても、鉄板や網焼きなどの温度の調整がほぼ要らない料理であればともかく、繊細な温度管理が必要なガスレンジを使った料理は、野外という環境も相まって、非常に難しいのだ。火力を出しにくく、しかも、風の対策までしっかり考えなければいけない。手早く調理できたとして、今度は洗い物の問題が産まれる。
ツムギが一通りの事を説明すると、大将がその後を受ける。
「そういうわけだ。今回俺は、現地で卵を落とし込んで、ふわとろに仕上げて提供しようっていう魂胆なんだ。当然、回転率は悪くなる。風でも吹けば、それだけで熱の入れ方が狂ってくるだろう。洗い物対策は紙鍋を試すつもりで、卵以外の具は、あらかじめ煮付けておくつもりだが、まあ、どうなるかな。挑戦してみるさ」
「はー、親父らしいっちゃらしいな。わかった。そう言う事なら、はなさく亭の隣でもむしろ歓迎ってことか。まあ、大久保さんが聞いたらガッカリするだろうけど。勝手に期待する向こうも悪いんだしいいか」
大将とツムギも大きく頷く。
「大久保さんなあ。あの人は30歳くらいらしいけど、観光課には、今年から配属されたみてえなんだ。面倒な事に、前任者たちが富士宮やきそばで成功してることに嫉妬してるみてぇな所あんだよな。それで二匹目のドジョウ狙って方々に声かけまくってんだ。ご当地グルメで実績作って、出世してーみたいだな」
「そうなんだ。出世云々は勝手にやってくれりゃいいけど、俺、なんかあの人無理だわ。表裏がありそうだし、やたらツムギに絡みたがるし。おいツムギ、なんかされたらすぐ言えよ」
「はい。でも大丈夫。コータ君に助けて貰わなくても、ひっぱたきますから」
「ハッハッハ。さすがウチの娘だ! おう、手出してきたら遠慮なくいってやれ。それにしても、最近アイツ、俺が若い頃から吉田とつるんでたって事をどっかから嗅ぎつけたらしくて、露骨にゴマ擦ってきてめんどくせー……」
そこまで言うと、大将はしまったという顔をしてツムギの方を見る。
「悪いツムギ。お前の前であいつの話出しちまって」
「いいえ、気にしてませんよ。あ、私、
ツムギが2人から離れて奥に下がっていくと、大将とコータは顔を見合わせてため息をついた。
「親父よー」
「悪い。つい流れでな」
大将の口から出た吉田とは、
スッキリとした顔立ちと、ソフトで分りやすい語りを武器に、地元はもちろん、他の地域からの人気も高い。最近では、TVにもちょくちょく顔を出すようになり、知名度も実力も高まりつつある新進気鋭の期待の星だ。大久保のような人間が擦り寄りたがるのも無理もない。
その吉田議員は、大将の古い友人でもあり、ツムギの実父でもあった。
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