第13話 上陸侵攻して来た敵軍『越乃国戦記 後編』(5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋)
■11月5日 月曜日 午前7時 金石街道近くの植林帯の中
火炎に覆(おお)われる砂丘の向こう、敵戦艦群の前に3列以上の横隊で展開した数100台の水陸両用戦車と大小10数隻の戦車揚陸艦(ようりくかん)が海岸へ迫(せま)って来るのを遠望しながら、其(そ)の上空を戦爆連合の艦載機(かんさいき)の群(む)れが、艦砲(かんぽう)射撃の射線を避(さ)けて次から次と飛んで来ては、集落や目に付く家屋(かおく)や木立(こだち)を爆弾と銃弾で破壊(はかい)して焼夷弾(しょういだん)で炎上させているのを間近(まぢか)で見ていた。
艦砲射撃の弾幕が徐々(じょじょ)に海岸部から内陸へ移(うつ)って行くと、敵の第一波(だいいっぱ)の水陸両用戦車群が、正面南の海岸縁(ぶち)の徳光(とくみつ)の集落から正面北の粟ヶ崎(あわがさき)の集落までの砂浜に上陸して、更(さら)に二波(には)、三波(さんぱ)と10分刻(きざ)みで上陸して来る。
第一波が砂丘地一帯に進出すると、第二波と第三波の水陸両用戦車から下車した敵の海兵隊によってが橋頭堡(きょうとうほ)が築(きず)かれ、沖には広範囲に展開した四波(よんぱ)、五波(ごは)の上陸用舟艇群も見えると、粟ヶ崎の砂丘から北へ続く内灘(うちなだ)砂丘の高台に隠(かく)された監視所からの報告が入電した。
犀川(さいがわ)の河口に在(あ)る宮腰(みやこし)の漁港や専光寺(せんこうじ)の漁港、それに河北潟(かほくがた)から日本海へ流れる大野川(おおのがわ)の河口に在る大野の漁港には、戦車揚陸艦が直接、埠頭(ふとう)へ接岸して多数の戦車や戦闘車両及(およ)び自動貨車と大砲を陸揚(りくあ)げし、弾薬と燃料も大量に集積(しゅうせき)しているとも、無線で報告して来ている。
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艦砲射撃の弾着が植林帯まで迫(せま)って来て、『いよいよ此処(ここ)も、大木(たいぼく)を植(う)えられそうな深さまで掘り返えされるのか……』と覚悟(かくご)した時、不意(ふい)に射撃が止(や)んで上空高く飛ぶ敵機の爆音以外、辺(あた)りは静(しず)かになった。
あちらこちらで、枯(か)らした杉(すぎ)や檜葉(ひば)や松の枝と葉が煙幕(えんまく)代(か)わりに燃(も)やされて、金沢(かなざわ)市の市街地から植林帯の前面まで、白い煙に覆(おお)われ、チラチラと煙の合間に見える敵機は、この煙に攻撃目標が曖昧(あいまい)になるのか、聞こえて来る爆弾の炸裂音(さくれつおん)と銃撃音が少なくなっている。
(……この静寂(せいじゃく)は、嵐(あらし)の前の静けさだな)
『ドン、ドン、ドン、ドン』と突然、我軍の前哨陣地に構(かま)えた92式重機関銃の重い発砲音が前方から聞こえ、続いて『パパン、パン、パン、パパン』と乱(みだ)れ撃つアメリカ軍の半自動小銃の発砲が響(ひび)き、上陸した敵の侵攻(しんこう)が始(はじ)まった事を知らせた。
当然、敵の戦車部隊も宮腰の集落と金沢市街地を結(むす)ぶ街道や、粟ヶ崎の集落からの私鉄線路上を進んで来ているだろう。
そうなれば僚車の小鳥遊(たかなし)少尉率(ひき)いる第1中隊2号車の88㎜砲が侵攻を阻(はば)んでくれる筈(はず)だ。
「赤芝(あかしば)2等兵、梯団の全中隊へ通達。敵が侵攻して来ている。直(ただ)ちに九字(くじ)を切れ!」
「復唱(ふくしょう)、全中隊へ、九字を切れと伝えます」
「よろしい。赤芝(あかしば)2等兵が無線通達を終えたら、我々も九字を切るぞ!」
九字とは、密教の守護を得る為の真言(しんごん)で、梯団の結成式の時に呪詛(じゅそ)を唱(とな)えた陰陽道(おんようどう)の先生から教えて頂(いただ)いた、右手で作る手刀(てがたな)を胸の前で、『臨(リン)、兵(ピョウ)、闘(トウ)、者(シャ)、皆(カイ)、陣(ジン)、列(レツ)、在(ザイ)、前(ゼン)』と唱えながら、最初の一文字(ひともじ)は胸(むね)の前で左から右へと、人差し指と中指を揃(そろ)えてピンと伸ばして握る右手で横一文字(よこいちもんじ)に空(くう)を切り、次の一文字は眼前(がんぜん)から鳩尾(みぞおち)前へと縦(たて)に空を切る、一文字ずつ横と縦の交互(こうご)の順で九(ここの)つの空を切り、九字を唱え終えると、右手で作った手刀を左手で握って呪詛を結び、手刀を仕舞う動作をして『我(われ)を護(まも)り、仇名(あだな)す輩(やから)を撃退する九字の召喚(しょうかん)呪詛』の作法は終了する。
この呪文(じゅもん)の願う意は、『我を守護(しゅご)する者ども、我の前に並びて陣を張り、我を護れ』と、守護神達を召喚だ。
九字に添(そ)える、召喚を固(かた)める言葉と効力(こうりょく)を消す言葉が有るが、召喚した守護神達が常(つね)に前に並び、盾(たて)と矛(ほこ)に成って攻防して頂きたいので、添(そ)える言葉は唱えない事にした。
私は九字とは別に、自分が生まれ育った地域に伝わる呪(のろ)いの言葉も続けて、無言で唱える。
括(くく)り殲滅(せんめつ)する相手の事を思いながら、3度、心の中で繰り返した。
(目を縛(しば)る。鼻を縛る。耳を縛る。口を縛る。胸を縛る。手を縛る。脚(あし)を縛る。いつも、仇名(あだな)す敵に、不幸が有る様に……)
神主(かんぬし)を招(まね)いて部隊や兵器の御払(おはら)いや御清(おきよ)めを行う事は有ったが、陰陽道の呪詛返(じゅそがえ)しや、忍術(にんじゅつ)の様な九字に願う事など、これまでには無く、いかに形振(なりふ)り構(かま)わずの必勝祈願(ひっしょうきがん)か、心身(しんしん)ともに極(きわ)まった。
衛生兵達が遣(や)って来て、乗員達や周囲の守備兵達に眠気を防(ふせ)ぐ為(ため)のヒロポンを左腕に注射して回った。
ヒロポンの麻薬(まやく)効果で直感力や視力、頭脳(ずのう)と四肢(しし)の感覚は冴(さ)え渡ったが、其の無痛感と爽快(そうかい)感と運動能力の向上の代償(だいしょう)として食欲は無くなり、ヒロポンの効(き)き目が無くなる時に脱力感と頭痛に襲(おそ)われて体力と思考の衰(おとろ)えを感じて仕舞う、そして一時的に遣(や)る気や活力や集中力が全(まった)くなくなった。
似(に)たような効果は病気や負傷での激しい痛みを抑(おさ)えるモルヒネの注射にも有ったが、モルヒネは幸福感と安(やす)らぎに浸(ひた)して眠らせるので、やはり、五感(ごかん)を冴えさせて動作を敏捷(びんしょう)にするヒロポンは戦闘向きだろう。
ヒロポン効果が切れた直後に酷い気怠(けだる)さと眠気(ねむけ)から無気力状態になるのを戦地で経験していた私は、『越乃国(こしのくに)梯団(ていだん)』の兵士達に過度な摂取(せっしゅ)を控(ひか)えて食事と水分補給を十分に摂(と)り、極力(きょくりょく)交替(こうたい)で休息する様にと伝達した。
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漂(ただよ)う灰白色(かいはくしょく)の煙幕は海からの浜風で、風通(かぜとお)しの良い防衛最前線の集落列まで靄(もや)の様に薄(うす)く流れて来ているが、後方の金沢市街地の方は逆に風溜(かざだ)まりになって濃(こ)くなっている様に見える。
夜風は昼間とは逆向きで、温(あたた)かさが残る海の方へ冷(ひ)えて行く陸上から風が吹くから、海岸の砂丘辺りは流れる煙幕で覆われて、敵戦車の揚陸状況や砲兵隊の布陣(ふじん)、物資の集積具合など、より接近して上陸した敵兵力を確(たし)かめる隠密(おんみつ)の偵察(ていさつ)には都合(つごう)が良い。
水田よりも少し高くなった集落の乾(かわ)いた土地の海側になる西辺(にしべ)を重点に、北側と南側を含(ふく)むさ3方の辺を形成する家屋の床下(ゆかした)に掘られた機関銃座や蛸壺(たこつぼ)の塹壕からは、砂丘を越えて金石や大野の集落を抜(ぬ)け、刈(か)り入れ後なのに水を張って泥の障壁化した田畑を横一線に広がって進んでくるアメリカ兵達が朝日に照(て)らされる薄靄の中に丸見(まるみ)えだった。
縁(ふち)が朧(おぼろ)な薄緑色のゆらゆらする姿は死体置き場から起き上がった亡霊(ぼうれい)の様に見えていたが、乾いた畦道(あぜみち)を歩かずに泥田(どろた)へ入って進むのを厭(いと)わない彼らの動きから歴戦の海兵隊の部隊だと察(さっ)した。
其の前方50mには10輌ほどの戦車が歩兵の速度に合わせて慎重(しんちょう)に前進していて、防衛隊からの攻撃に即応(そくおう)できる様に常(つね)に左右に砲を振(ふ)って警戒しているのが見て取れる。
遠目にも履帯(りたい)の幅(はば)が広く見え、敵戦車には多少の深田(ふかた)でも沈み込んで立ち往生(たちおうじょう)しない様に、そして停止から発進をして迅速(じんそく)に動き回れる様にと、接地圧(せっちあつ)を低くする為に履帯を幅広(はばひろ)して接地面積を大きくする部材が取り付けられていて、泥田の中でも敵戦車の機動力が侮(あなど)れない事を理解した。
1列目から後方に200mほど離れて2列目、更に離れて3列目の敵兵達が続いている。
防衛隊から反撃の一斉射撃を受ければ、反射的に泥田に伏(ふ)せて退避するが、速(すみ)やかに匍匐(ほふく)前進で身近(みじか)な畦まで移動して其の影に隠れながら攻撃をして来るだろう。
同時に抵抗拠点の位置を把握(はあく)されて熾烈(せんれつ)な砲撃と執拗(しつよう)な航空攻撃で粉砕(ふんさい)されてしまい、堡塁(ほるい)の様に強固で規模の大きい多人数の拠点は、艦砲射撃の標的となって根こそぎ消滅させられる。
徹底(てってい)した爆撃と艦砲射撃と砲兵隊の射撃で集落の家屋の殆どを爆発で破壊して炎上させ、乾いた土地を深く鋤(す)き返す、集落全体が火炎地獄のような光景は、其処に生き残って抵抗する日本兵など一人もいないと信じ込ませてしまうほどだ。
泥田を進んで来る敵戦車は脅威(きょうい)だったが、防衛隊が携行(けいこう)する対戦車兵器の威力(いりょく)と防衛隊員の高い士気(しき)に期待していた。
他にも大量の手榴弾(しゅりゅうだん)と遠くまで手榴弾を投擲(とうてき)する擲弾筒(てきだんとう)が支給されていたから、畔や用水に隠れる敵歩兵共々(ともども)、必(かなら)ず撃退できる筈だと私は考えていた。
艦砲射撃を受けた経験が有る南方帰りの古参兵(こさんへい)の指導で、農家の母屋(おもや)や蔵(くら)の築(つ)き固(かた)めた床土(とこつち)に深く掘って作られた塹壕は、砲弾や爆弾の爆発で掘り返す範囲に入るような直撃にならない限り、底に伏せていれば、五感や精神の異常は別として生き残れる確率(かくりつ)は高かった。
砲撃や爆撃で破壊を免(まぬ)れた機関銃座の射界には、約500m離れた隣(となり)の集落まで水浸(みずびた)しの田畑が広がり、其の間に遮蔽物(しゃへいぶつ)となるのは、浅(あさ)い小川程度の用水と肥料(ひりょう)にする人糞(じんぷん)や家畜糞(かちくふん)を溜(た)めて置く肥溜(こえだ)めくらいだったが、それらは泥を盛(も)っただけの畦と同様に機関銃弾が易々(やすやす)と貫通(かんつう)して来て、隠れるには有効だけど、弾除(たまよ)けの防壁には使えなかった。
敵歩兵に対しては、予(あらかじ)め、50mまで引き寄せてから発砲するように命(めい)じられていて、複数の竹竿(たけざお)を田畑(たばた)に挿(さ)して50mの距離を示(しめ)させていた。
上手く竹竿まで気付かれずに来させれば、最初の一斉射撃で半数以上の敵兵を倒せるだろう。
つづく
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