第10話 県境の山間へ避難する住民達『越乃国戦記 後編』(5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋)

■11月5日 月曜日 竹林の待機場所から防衛陣地への移動を発令


 昨日は夜明けから、三子牛山(みつこうじやま)と沿岸の集落を執拗(しつよう)に機銃掃射と爆撃(ばくげき)をしていた敵艦載機の群(む)れが、日の入りと共に水平線の彼方(かなた)に遊弋(ゆうよく)する機動部隊の母艦へ飛び去(さ)るのを見届けた後、日没後の薄暗く黄ばんだ残陽(ざんよう)の空の下で『未明(みめい)までに所定の守備陣地へ着(つ)け』と、独立戦車梯団(ていだん)『越乃国(こしのくに)』の6輌全車の5式中戦車乙(おつ)型2へ、待機場所から移動して上陸後に侵攻して来る敵地上部隊を迎(むか)え撃(う)つ待(ま)ち伏(ふ)せ陣地で警戒待機する命令を発(はっ)した。

 『敵の上陸近し』と、2週間前から市民の疎開(そかい)が始まり、金沢(かなざわ)市内と市街地以西の集落の住人は全(すべ)て、金沢市東側の山麓(さんろく)や谷間(たにあい)の仮住(かりず)まいする小屋や農家や尋常(じんじょう)小学校などの家屋へと移っている。

 石川(いしかわ)県沖に敵機動部隊が接近中と知らされた三日(みっか)前の木曜日には、既(すで)に非戦闘員の市民の大半が富山(とやま)県との県境(けんざかい)の山間部へ避難(ひなん)していて、生活用品や食料などを満載した大八車(だいはちぐるま)やリヤカーを押したり、牽(ひ)いたりしながら、大勢の市民が徒歩(とほ)で犀川(さいがわ)の上流を目指(めざ)して行くのを見ている。

 既に、市街地から海側の平野に点在する集落の人達も避難しているが、彼らは牛や馬に牽(ひ)かせた荷車へ蓄(たくわ)えていた米俵(こめだわら)と種芋(たねいも)や収穫した作物を入れた袋(ふくろ)を山積みにして、更(さら)に、豚(ぶた)や山羊(やぎ)や鶏(にわとり)まで連れて行くのを見ていた。

 夜半(やはん)の夜の闇の中を進む我々を、市街の要所や主要な交差点を警護する巡査(じゅんさ)や兵卒(へいそつ)達が、灯(とも)した提灯(ちょうちん)や行燈(あんどん)を道標(みちしるべ)代(が)わりに振(ふ)って案内してくれているが、金沢市へ到着した初日(しょにち)の時のような沿道に並(なら)んで見ている市民の姿を、灯火管制を布(し)かれた夜間外出禁止の暗い街頭(がいとう)や住人達が疎開(そかい)や避難した後の閑散(かんさん)とした静寂(せいじゃく)な街路で、一人(ひとり)も見掛ける事は無かった。

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 上陸して来た敵を徹底的(てっていてき)に打ち砕(くだ)こうとする本土決戦が現実になる前は、空襲(くうしゅう)や艦砲射撃の被害(ひがい)を避(さ)けて子供達を田舎(いなか)へ疎開させる事は有ったが、大人(おとな)は防空壕(ぼうくうごう)に退避(たいひ)できるのみで、其(そ)の地の火災消火や被災修復を行う義務(ぎむ)の為(ため)に他の地へ移る事は、戦時法に拠(よ)って禁止されていた。

 B29の大編隊に因(よ)る焼夷弾(しょういだん)の絨毯(じゅうたん)爆撃には、全(まった)く防火対策の効果が無く、消火活動が追い着かない広範囲な火勢(かせい)と、一帯が焼け野原になる状態を鑑(かんが)みると、いつ焼け野原の更地(さらち)にされるか分からない金沢市の市街地や周辺の集落に住民を留(とど)まらせるのは無意味と判断されて、石川郡(いしかわぐん)や河北郡(かほくぐん)、そして金沢市の県境山間部へ住民達を避難させる事になった。

 同様に加賀(かが)地方の沿岸部の江沼郡(えぬまぐん)、小松(こまつ)市、根上町(ねあがりまち)、能美郡(のみぐん)、松任町(まっとうまち)及び北は羽咋町(はくいまち)に至るまでの沿岸部の各市町村の住民に避難命令が出されている。

 淑子(よしこ)さん達の女子挺身隊(ていしんたい)や婦人会の皆(みな)さん、そして、竹林の地主(じぬし)と小作(こさく)の方々も、既に内川(うちかわ)の上流域へ避難をしている事だろう。

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「もう御国(おくに)や天皇陛下の為じゃない! 淑子さん、僕は君を護(まも)る為なら死ねます!」

 昨日の黄昏時(たそがれどき)に「金沢に住み、大好きな淑子さんと一緒(いっしょ)に暮(く)らそう……」と言った後に、決死の覚悟(かくご)を言い添(そ)えたのは余計(よけい)な事で、失敗だった。

 優しく微笑(ほほえ)んでいた彼女の表情が、一瞬(いっしゅん)で憂(うれ)いと悲(かな)しみに変わり、そして険(けわ)しくなった。

「だっ、駄目(だめ)よ! 死んでは厭(いや)よ!」

 輝(かがや)いていた瞳(ひとみ)に涙(なみだ)が溢(あふ)れ、光が滲(にじ)んで行き、言葉と声が震(ふる)えている。

「私の為に死ぬなんて、言わないでちょうだい!」

 ポロポロと涙の零(こぼ)れる瞳の嘆(なげ)きに満ちた顔が僕の目を見詰(みつ)めながら、ドンと僕の胸に身体(からだ)ごとをぶつけて来た。

 同時に僕の背中(せなか)に回された彼女の腕が僕を締(し)め付けて、彼女の『離(はな)さない!』の意思を強く感じていた。

「生きて……、私の為に生きてぇ、邑織(むらおり)さん……」

 僕の胸に顔を埋(う)めてくぐもる彼女の涙声が聞こえて来る。

「……死なないでよぉ……」

 緒戦(しょせん)で艦砲射撃や空爆で虚(むな)しく打ち果(は)てるかも知れず、其の後の戦闘で撃ち合いになれば、勝ち残る自信は有ったが、勝ち続けられるかは最善(さいぜん)と思われる策(さく)と時の運次第(しだい)だった。

 僕は頷(うなず)くと彼女の顔を胸に抱(だ)き留(と)め、しっかりと身体を抱き締めていた。

(淑子さん……、どうか、御無事で……)


つづく

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