第7話 回想 レイテ島の人で非ざる神 ン・バギ『越乃国戦記 後編』(5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋)
■11月4日 日曜日 金沢市野村練兵場近く、待機場所の竹林の中
龍神(りゅうじん)ではないが、レイテ島での逃避行で、異形(いぎょう)の何かに遭遇(そうぐう)した事が有る。
実際の遭遇は一瞬(いっしゅん)で、其(そ)の後は間近に気配を感じていただけなのだが、現地で聞いていた伝承(でんしょう)と辺(あた)りの状態と状況に僕は、異形の神の様な存在が居ると、今も確信している。
リモンの山地から北よりに西へ下った低地のジャングルを抜(ぬ)けた場所には、直径2㎞くらいの円形の湿地が広がっていた。
湿地の中心には、こんもりとした密林が丸く100mほどの島になっていて、其処(そこ)を行き来する女性と子供の裸足(はだし)の足跡(あしあと)が有った。
足跡を見付けた時は、ちょっと、住居が有るかも知れない島のような密林へ行こうかと考えたが、嫌(いや)な違和感(いわかん)から不安を感じて直(す)ぐに思い止(とど)まり、行きつ戻(もど)りつしている足跡を何処(どこ)から来て密林へ向かったのかと、辺りを警戒しながら密林とは逆の方向へ姿勢を低くして足跡を辿(たど)ってみた。
200mばかり足音を忍(しの)ばせて背丈(せたけ)よりも高い葦林(あしばやし)の中を、足跡を頼(たよ)りに葦を分けた獣道(けものみち)の様な小径(こみち)を歩いて行くと、肉が腐(くさ)る様な不吉な異臭が漂(ただよ)って来た。
先へ進むにつれて肉の腐敗臭よりも屍(しかばね)の死臭が強くなった。
はっきりと屍だと分かる死臭を嗅(か)いでから、更に100mほど来ると、円形に葦が薙(な)ぎ倒(たお)された広場が有り、其の中央には明(あき)らかに人が……、いや、知性の有る何者かが積(つ)み上げたと思われる人間の死体の山が見えた。
人間の山の近くには、50匹以上の体長2mから6mくらいの殺された鰐(わに)の死骸が塀(へい)の様に積(つ)まれていて、下の方の死骸は既に腐乱して白骨化している。
踏み付ける軍靴にガラガラと音を立てる足下の草地は、よく見ると一面の水鳥の羽に野豚(のぶた)や鰐の骨と腐って融(と)けた肉だらけで、倒された葦草(あしくさ)は白骨の間から出ていた。
煙(けむ)って霞(かす)んでいるかと錯覚(さっかく)する程(ほど)、濃厚に漂う死臭に鼻が詰(つ)まりそうで気分が優(すぐ)れない。
広場の端(はし)には人の手で掘って作ったと思われる窪地(くぼち)に焚火(たきび)の跡(あと)が有り、周囲には野豚や鰐の足を木の枝に刺(さ)して焼いていた食べ掛けと残飯(ざんぱん)も有った。
戦闘の痕跡(こんせき)が無く、防衛戦線から外(はず)れた場所に多くの人間の死体が有るのを不思議(ふしぎ)に思いながら、恐(おそ)る恐る近寄って見た死体は、100人以上も積み上げられていて、死後、3日(みっか)から1週間からほど経(た)った死体が殆(ほとん)どだったが、1日ぐらいしか経(た)っていないように見える真新(まあたら)しい遺体(いたい)も幾(いく)つか有った。
死体は、日本兵にアメリカ兵、フィリピンゲリラと思しき者もいたが、見えている半数以上が日本兵で、彼ら装備は新品だった。
どの遺体も、戦闘で受けた様な傷は無くて、他の著(いちじる)しい損傷も無かったが、全員が首を折られて殺されていた。そして、彼らの雑嚢(ざつのう)や背嚢(はいのう)と衣服のポケットの中身は巻(ま)き散らかされて、食料品だけが持ち去(さ)られている。
ただし、缶詰(かんづめ)だけは、衣服、銃、刀剣、弾薬の戦闘装備や私物品などと共に残されていた。
おおよそ、歩哨(ほしょう)中、索敵(さくてき)中、伝令で逸(はぐ)れたり、行軍から離(はな)れたりした兵士が、持ち物の食料を強奪の目的で浚(さら)われて殺されたのだろう。
焚火の周囲の剥(む)き出しになった僅(わず)かの地面には、辿っていた女性と子供の足跡と、自分の5倍も有る大きな人の物らしき幅広の足跡が残されていて、其の不気味(ぶきみ)さに、辺りは静かだったが不意に襲(おそ)われないかと非常に不安になった。
殺して遺体を積み上げたのが、何処の誰(だれ)の仕業(しわざ)か分らないが、直ぐに逃げ去りたい衝動を抑(おさ)えつつ、残されていた手付かずの缶詰を頂戴(ちょうだい)する事にした。
散らばっていた背嚢と二(ふた)つの雑嚢を拝借(はいしゃく)して、パンパンになるまで持てるだけの缶詰を詰め込んだ後、感謝の気持ちとして缶詰の開け方を教(おし)える事にした。
中身を空(から)っぽにされた雑嚢や背嚢を敷(し)いた上に、持ち運べない半分以上の缶詰を積み重ねて、其の内の3缶をアメリカ兵の銃剣で開け、開けた缶詰の横に銃剣を置いた。そして、西海岸を目指(めざ)して立ち去ろうとした時に、其の異形の気配を感じた。
広場から出て葦林の中に入った途端(とたん)、背後に足音と咀嚼(そしゃく)の音が聞こえ、直ぐに伏(ふ)せて覗(のぞ)き見ると、はっきりとはしないがズングリとした人形(ひとがた)をした人で非(あら)ざる異生物が、開けた缶詰を食べていた。
それを見て、僕は思い出した
ルソン島に駐留(ちゅうりゅう)していた頃に、ゲリラ討伐(とうばつ)で解放した原住民の村の老人から、フィリピンの島々には、古(ふる)くからの原住民を守護(しゅご)する、『ン・バギ』という異形の神が住まうから、戦争に関(かか)わらない原住民達に無理強(むりじ)いをしないようにと、聞かされていた。
其の異形を僕は、ン・バギ』だと判断して、速やかに湿地から離れる事にした。
湿地から出るまで、異形の着かず離れずで近くにいる気配がしていたが、ジャングルに入ると其の気配はピタッと無くなった。
あの大量に有る缶詰と鰐の肉で、女性と子供と『ン・バギ』の三人(?)は、問題無く食い繋(つな)いでいけるだろうと思いながら、鬱蒼(うっそう)としたジャングルの中を進んで行った。
つづく
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