第5話 回想 中国大陸の終わり無き戦い『越乃国戦記 後編』(5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋)

■11月4日 日曜日 金沢市野村練兵場近く、待機場所の竹林の中


 昭和13年の春に大日本帝国陸軍第16師団へ召集(しょうしゅう)されて内地での訓練期間を終えると、中国大陸の武漢(ぶかん)攻略戦中の師団の砲兵隊へ配属された。

 舞鶴(まいづる)港から乗船した輸送船は日本海から東支那海(ひがししなかい)を好天に恵(めぐ)まれて渡り、更(さら)に、上海(シャンハイ)市から揚子江(ようすこう)を遡(さかのぼ)って南京(ナンキン)の市城港まで航行して積み込んだ物資を降ろし、兵員を下船させた。

 行けども、行けども、悲しいくらいに疎(まば)らな並木の荒れた農道の両側に広がる手入れの緩(ゆる)い田畑(たはた)と、廃村(はいそん)のような貧乏臭(びんぼうくさ)い集落の点在する田舎風景が広がるばかりの中国大陸の大平原を、フォード社製トラックの無蓋(むがい)の荷台で食い物と弾薬の木箱の陰に蹲(うずくま)って、醒(さ)めぬ船酔いと車酔いにゲロを吐(は)き続けながらの移動は、占領した武漢の兵器工廠(こうしょう)に着いて終了した。

 揚子江の河口の左岸に密集する上海(シャンハイ)の大きな街を眺(なが)めながら上流へと進み、船酔いで顰(しか)めた眼(まなこ)で左右に延々(えんえん)と続く高い城壁を見ながら岸辺の斜面を登り、グルグル回る頭で見上げた重厚(じゅうこう)な南京の城門を潜(くぐ)って休息する間も無く、待っていた輜重(しちょう)部隊のトラックの車列に便乗させて貰った。

 河川移動は中国空軍機の襲撃目標に成り易いからと命じられた丸二日間(ふつかかん)の陸路移動は、荷台のバッタリに凭(もた)れ掛かっているだけのグロッキー状態の車酔いの儘(まま)、漸(ようや)く到着した武漢では体調を崩(くず)していた為(ため)に野戦病院で養生(ようじょう)させられて仕舞(しま)った。

 其(そ)の時の朦朧(もうろう)とした思考が幻覚を見せる様に、武漢の街を囲(かこ)む大城郭の中に来ている自分の存在を俯瞰(ふかん)して想像すると、広漠(こうばく)とした大地の中と東亜(とうあ)の悠久(ゆうきゅう)の歴史の果てにいる自分が非常に矮小(わいしょう)で哀(あわ)れにな生き物に思い込み、其の悲しさと虚(むな)しさに体調が戻るまで、従軍(じゅうぐん)の使命感が希薄(きはく)になりそうだった。

--------------------

 大日本帝国と敵対して戦争状態にある中華民国(ちゅうかみんこく)の兵器製造力は、小銃や大砲は製造できても、戦車どころか、まともな自動車や軍用機は造(つく)れず、河川や沿岸用の砲艦などの戦闘艇も建造できるが、少し大きくなる小型の海防艦や駆逐艦などは無理で、まして、巡洋艦や戦艦を建造する施設(しせつ)や技術の蓄積(ちくせき)自体が無なかった。

 昭和12年に全金属製の航空機の開発と量産製造に成功している浙江(ズゥジャン)省(シャゥン)杭州(ハンゾォウ)市の筧橋(ジアンチャウ)飛行機製造廠(しょう)は、既(すで)に日本軍に占領摂取(せっしゅ)されている。

 中華民国軍の大砲を製造する6つの兵器工廠の内、上海市の兵器工廠、中原(ちゅうげん)の山西(シャンシィー)省の太原(タイゲン)兵器工廠、遼東(リャオドン)省と遼西(リャオシィー)省の間に在る沈陽(チンヤン)市の兵器工廠、湖北(フゥベイ)省武漢市の漢陽(ハンヤン)兵器工廠、広東(カントン)省の琶江(パジャン)兵器工廠の五(いつ)つを占領していたから、対戦車砲や高射砲、そして、大口径の要塞砲に至(いた)るまで、全(すべ)ての大砲の量産製造は激減して、小銃や拳銃の製作も半減している筈(はず)だった。

 後は残る重慶(じゅうけい)市の老牌(ラオパイ)兵器工廠を破壊占領すれば、兵器の量産製造は全て壊滅(かいめつ)してしまうのだが、国民人口が日本の10倍以上の中華民国は軍隊の兵員数も10倍以上で、其の兵隊達が携行(けいこう)する大小の火器は、発展途上の自国産業の生産では足(た)りず、多くを中華民国を援助(えんじょ)する外国から購入していた。

 戦争継続に必要な援助の兵器と弾薬は、西方や南方の奥地から山脈地帯や砂漠地帯の国境を越えて陸路で運ばれていて、中華民国を疲弊(ひへい)させて降伏へと追い込む日本軍の戦略と侵攻を阻(はば)んでいた。

--------------------

 占領地を確保するので精一杯(せいいっぱい)の日本軍には、更に、侵攻する余剰(よじょう)の戦力が乏(とぼ)しい故(ゆえ)に、敵は日本軍の進撃を頓挫(とんざ)させて、尚且(なおか)つ反撃して来るので、其の危険な敵の軍需物資の搬入路を遮断する術(すべ)は無かった。

 それにしても、いくら大軍といえども、携行火器と小口径の大砲しか装備していない支那(しな)兵達を、列強国の第1線兵器と同等の陸海空の武器や機動兵器を装備する大日本帝国軍が、取り逃(に)がして撃滅できないのは、作戦や戦術は良しとしても、戦法が同じ程度だからだろうと、5、6回の戦闘参加で一兵卒(いっぺいそつ)ながら機動兵器の戦車や長距離砲撃の活用不足に気付いて来た。

 山野で狩(か)りをするのに、獣(けもの)と同じ程度の思考では、獣を欺(あざむ)いて仕留(しと)める事はできない。

 作戦で勝利しているのは、演習や訓練の錬度(れんど)と成し遂(と)げる意思の強さが勝(まさ)っていたに過ぎず、戦死者と負傷者の数は同じくらいで、投入兵力からの比較(ひかく)では我が軍の損害率の方が大きい。

 支那兵達の戦闘意欲は殺(そ)ぎ易いが、逃げ足は巧妙(こうみょう)で素早(すばや)く、隙間(すきま)だらけの包囲網から易々(やすやす)と列車に乗り込まれて逃げられている。

 支那兵達の戦意を失(な)くさせるのに失敗すると、我が軍のが突貫(とっかん)攻撃や白兵戦は逆に圧倒(あっとう)されたり、包囲殲滅されたりして、幾(いく)つかの部隊が全滅した話(はなし)を聞いていた。

 遠望する駅には敵の大群と貨車編成の列車が見え、列車は敵軍が乗り込んで退却する為(ため)にホームで停車している。

 砲の射程距離内に密集する敵兵達と列車は共に絶好の標的なのだが、補給が追い行かない弾薬の乏(とぼ)しさと圧倒的な大兵力の敵兵達に、彼らの乗り込む列車を破壊してしまうと、我が軍の薄い包囲網を破(やぶ)ろうと窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)むが如(ごと)く激しく抵抗して来るのは必須(ひっす)で、抑(おさ)え込むのは不可能と判断された。

 包囲を突破されるのは不可避(ふかひ)だろうが、敵に大損害を与(あた)える事はできる。だが、我が方も弾薬を撃ち尽(つ)くして仕舞い、兵士達の損失は甚大(じんだい)になるだろう。そして、救援に来る敵部隊に蹂躙(じゅうりん)され、兵器の全てを損失(そんしつ)、兵士は全員戦死の全滅だ。

 後日、部隊が全滅した場所を占領した時の話では、両手を挙(あ)げて降伏した兵や横たわる負傷兵まで、青龍刀(せいりゅうとう)で滅多切(めったぎ)りにされていたそうだ。

 他にも、城壁の高楼に立て籠(こも)る強力な敵を撃ち倒(たお)すのに、強固な城壁の隅際(すみぎわ)に積み重なる双方(そうほう)の死体が城壁の高さになるまで攀(よ)じ登れず、陥落(かんらく)させるまでの損害は、圧倒的に我が軍が多かったと、武漢作戦後に駐屯(ちゅうとん)した満洲(まんしゅう)で、戦死者の遺体を並べていた兵士に聞かされた。

 仮(かり)に、我が軍は、包囲捕捉できた敵の大軍団が戦意を喪失(そうしつ)して降伏して来(こ)られても、作戦に従軍した日本兵の10倍にも及(およ)ぶ投降兵の始末(しまつ)に、収容場所も、糧秣(りょうまつ)も無くて困(こま)り果てるだけで、其の上、中国大陸の西方彼方に在る中華民国政府は降伏して来(く)る事は無かった。

 そんな中国大陸での中華民国に勝てない戦法では、物量任(まか)せの安全戦術で反撃侵攻して来るアメリカの戦略に勝てる筈が無い事を、レイテ島でアメリカ軍と戦った我が身に沁(し)みて知っている。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る