第3話 山頂の桜花の発進基地『越乃国戦記 後編 5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋』

■11月4日 日曜日 金沢市野村練兵場近く、待機場所の竹林の中


 背後の大乗寺山(だいじょうじやま)と野田山(のだやま)の向こう側に連(つら)なる三小牛山(みつこうじやま)は、ススキだらけの平(たい)らな山頂を利用して南北800m長の滑走路が造営されており、一面が牧草地のように見える陸海軍合同管理の飛行場には、ただの地面の凹凸(おうとつ)にしか見えない掩蔽壕(えんぺいごう)も有ったが、飛行機の類(たぐい)は駐機していないように見えた。

 三小牛山は、野村錬兵場(のむられんぺいじょう)が在(あ)る麓(ふもと)から民間人の立ち入りが禁止されていたが、歩兵第7連隊の留守番部隊の大尉と一緒(いっしょ)の時は、すんなりと通して貰(もら)えた。

 滑走路(かっそうろ)で土方(どかた)作業をしていた設営隊(せつえいたい)の軍属(ぐんぞく)の人に訊(き)いた話では、カタパルトで崖下(がけした)へ突き飛ばすようにして発進させて遣(や)る、パイロットの操縦するロケット兵器が配置されているそうだ。

 それは、3本の火薬ロケットを推進力(すいしんりょく)として、時速800㎞の超高速で沖合(おきあい)の敵の艦船へ突入して行き、体当たりに成功すれば、1機の命中で空母や戦艦を轟沈(ごうちん)させる威力(いりょく)が有るらしい。

 既(すで)に、設置が済(す)んでいるように見えるカタパルトは、敦賀(つるが)湾や七尾(ななお)湾に退避(たいひ)した帝国海軍のイ号潜水艦の船体から取り外したレールと設置台部分、それと機関車の高圧蒸気窯(じょうきかま)などで造(つく)られていて、三牛山山頂に滑走路と交(まじ)わらないようにした東から西方の向きで3基がススキの原と松林の中に設置されている。

 ロケット兵器は『桜花(おうか)』と呼(よ)ばれ、攻撃命令後は直(す)ぐに1分以内の発進できる様に鍛錬(たんれん)を欠(か)かさず、虎視眈々(こしたんたん)と水平線から現(あらわ)れる筈(はず)の敵艦船を狙(ねら)っていた。

 カタパルトは、鉄道の枕木(まくらぎ)よりも大きくて四角いコンクリートブロックがピッチリと並べられた上に敷(し)かれた長さ200mの2本のレールで、レール幅は桜花の射出用台車の車輪幅に合わせてあった。

 カタパルトの前半は5度の登り傾斜で、後半は緩(ゆる)い反(そ)り上がりが付けられて、台車ごと加速して行く桜花が射出で台車と離(はな)れた後に上昇加速の補助になる様に設計されていた。

 台車に引っ掛けるように載(の)せられる桜花は、高圧で窯(かま)に圧(お)し込められた蒸気をポン菓子の様に一気に開放する仕組みによって台車ごと爆発的に弾(はじ)き出されて加速して行き、カタパルトの先端から射出されると同時に台車は崖下へ落下して回収される。

 カタパルトでの桜花の射出速度は時速200㎞にもなり、台車から離床(りしょう)する直前には3本から5本に増加された火薬推進ロケット筒(とう)の内、3本を自動点火されて更(さら)に加速上昇して行く。

 3本で500㎏の重さが5本で800㎏と増えて、機首から操縦席の前まで800㎏の爆薬を積んだ機体の全重量は2.5tにもなっていたが、ロケット3本の推進力は大きく、力強(ちからづよ)く桜花を上昇させる様(さま)は悲愴(ひそう)でも有り、頼(たの)もしくも有った。

 其の3本の9秒の燃焼(ねんしょう)を終える頃には時速600㎞で高度1000mを越えている。

 燃焼終了の直後には残り2本のロケットに点火して上昇を加速し、水平飛行へ移りながら突撃高度の2000m付近へ達すると、目星(めぼし)をつけた敵艦へ一直線に降下して行った。

 2本のロケットは降下を始めた頃に燃焼し尽(つ)くして、それまでの噴射による轟音と振動(しんどう)がピタリと止んだ静寂(せいじゃく)の中、加速に因(よ)る身体(からだ)の振(ぶ)れと圧迫(あっぱく)は無くなり、時速800㎞以上の猛スピードで滑空(かっくう)する風切り音に包(つつ)まれて冷静(れいせい)になった思考は突入する敵艦を見極(みきわ)めて、僅かな進路修正をした時には既に敵艦まで2000mも無い近さまで接近している。そして、其の3秒後には命中されて轟沈する敵艦諸共(もろとも)、水く屍(みずくかばね)になってしまう。

 カタパルトからの急激な射出加速と桜花の火薬ロケット推進の上昇加速の圧力による脳や手足への血流不良で搭乗員が失神(しっしん)しないように、小松飛行場脇(わき)の松林内に仮敷設(かりふせつ)したレールで模擬操縦席へ搭乗しての蒸気圧加速やロケットの燃焼加速に耐(た)えて慣(な)れる訓練が繰り返された。

 また、小松航空隊の彗星(すいせい)爆撃機の後部席に搭乗して高度3000m辺りから急降下する加速圧に耐える訓練も行われていたのと、本番同様に神雷隊の1式陸上攻撃機に吊(つ)り下(さ)げられた訓練用ロケット機が、1000mくらいの上空から放(はな)たれて滑空訓練をしていたのを見ている。

 噂(うわさ)では、三牛山と同様のカタパルトが、金沢(かなざわ)市の犀川(さいがわ)と小立野(こだつの)台地と浅野川(あさのがわ)を挟(はさ)んだ北側の小高い丘の卯辰山(うたつやま)の頂上や南側の富樫(とがし)の山城跡(さんじょうあと)に、また小松飛行場近くや柴山潟(しばやまがた)沿(ぞ)いに在る片山津(かたやまづ)温泉の背後の台地上にも。それぞれ1基か、2基が設置されていると聞いている。

 見事命中の大戦果は、晴(は)れがましく称賛(しょうさん)の限りの大業(たいぎょう)で、敵を怯(ひる)ませて侵攻を一時的に躊躇(ためら)わせてくれるが、搭乗した前途有望の利発(りはつ)で健全な若人(わこうど)が誘導装置と成らざる得ないロケット爆弾に、言葉に成らない誇(ほこ)りと虚(むな)しさを感じてしまう。

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 昭和18年10月2日の勅令(ちょくれい)により、それまで、徴兵(ちょうへい)猶予(ゆうよ)を卒業まで与(あた)えられていた大学などの高等教育で文科系や農業を学(まな)ぶ20歳以上の学生を公(おおやけ)に招集(しょうしゅう)する学徒動員令が発令され、帝都の明治神宮(めいじじんぐう)外苑(がいえん)の国立競技場に関東(かんとう)の召集学生を集合させて盛大(せいだい)な学徒出陣の壮行会(そうこうかい)が行われたのを、マニラの映画館で毎週上映されていたニュース映画で観(み)ていた。そして、昭和19年には早くも、18歳からの学生達も学徒動員されていると、ルソン島に駐屯(ちゅうとん)する師団へ補充(ほじゅう)されて来た若い学徒士官から聞いた。

 海軍神雷(じんらい)航空隊の桜花を操縦する搭乗員に当初は実戦経験の有るベテランが志願(しがん)していたが、今は其の多くが特攻隊や空中戦で散華(さんげ)して仕舞って、そんな学徒動員された18歳か、19歳の学力優秀な若者達を志願させるしかなかった。

 飛行訓練基地で僅か3週間程度の飛行と突入訓練が行われた後、幹部兵教練を受けないまま下士官や下級士官となって各地の最前線基地へ配属され、其の多くが1、2週間以内に敵艦へ体当たりして自爆する神風(かみかぜ)特別攻撃隊員としての、生きて戻って来れない消耗品(しょうもうひん)とされて、尊(とうと)い若い命を無情に散らしている。

 今を生き残れば、敗戦と戦争継続を強行した政府を憂(うれ)いて、恒久(こうきゅう)平和の民主的な日本への再建に貢献(こうけん)するはずの若者達なのに、戦争を終結できない軍部と政府の所為(せい)で連合軍に大日本帝国本土が征服(せいふく)されるまで、将来の日本を担(にな)う優秀な若者達は体裁(ていさい)の良い礎(いしずえ)という建て前の犠牲(ぎせい)にされてしまっているのだ。

(例(たと)え、出陣している本人が納得(なっとく)していたとしても、全(まった)く、遣(や)り切れない事だ!)


つづく

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