第2話 アメノウズメの乗員達『越乃国戦記 後編 5式中戦車乙2型/チリオツニの奮戦 1945年秋』

■11月4日 日曜日 金沢市野村練兵場近く、待機場所の竹林の中


 北陸の主要な港には、朝鮮半島やロシアの日本海側の港と中国の東支那海(ひがししなかい)や渤海(ぼっかい)の大きな港へ行き来する定期航路が多く運航されていて、明治期の初めから大量の物資が運ばれて来たり、大勢の人達が渡航したりしている事も有って、白人系は珍(めずら)しがられたが、外地人の誰もが自分の出身地と本姓(ほんせい)を名乗(なの)っても、北陸の人達は何の抵抗や差別や詮索(せんさく)も無く、彼らを日本人として受け入れていた。

 梯団(ていだん)員の外地人は皆(みな)若く、彼らの誰もが生まれながらの日本領土の日本人で、日本名の姓名(せいめい)を持ち、日本語を至極(しごく)普通に、本土出身の少年兵達よりも滑舌(かつぜつ)が良く、流暢(りゅうちょう)で丁寧(ていねい)に話せた。

 私の梯団長車の砲手は台湾人(たいわんじん)で、勇猛(ゆうもう)な高砂(たかさご)族から志願して入営した25歳の加藤正(かとうただし)少尉だ。

 彼もそうだが、梯団各車の砲手は視力が良く、静止目標への照準(しょうじゅん)及(およ)び、移動目標への見越(みこ)し照準が速(すみ)やかで正確な者を抜擢(ばってき)している。

 高雄(カオション)市出身の加藤正少尉の本名は郭世新(グゥオスーシン)と言い、彼は妻と幼(おさな)い子供が高雄(たかお)市に居ると、部族衣装を纏(まと)って撮(と)った家族写真を見せてくれた。 

 装填手(そうてんしゅ)は、体格の良い24歳の朝鮮人だ。

 志願して内地で士官教育を受けていた朝鮮の太田(テジョン)市出身の上杉学(うえすぎまなぶ)准尉は、『朝鮮名が李明照(リションソ)です』と言いながら、恥(は)ずかしそうに内地へ渡る直前に婚約(こんやく)したという許婚(いいなずけ)の美少女の写真を見せた。

 二人共(ふたりとも)、「内地と同等政策」で新設する外地軍の機械化部隊の指導士官に成るべく、日本帝国陸軍の士官学校で指導要領を学んでいたが、それぞれの外地に戻れない厳(きび)しい戦局の悪化に、陸軍士官学校から『越乃国梯団(こしのくにていだん)』へ転属させられているのだ。

 末っ子(すえっこ)の弟のような二人の少年兵には、16歳の指中郁三郎(さしなかいくさぶろう)1等兵が操縦手を、15歳の赤芝真(あかしばまこと)2等兵が前方機銃手を兼(か)ねた無線手の担当をさせている。

 彼らと私は、連日の猛訓練で自分がすべき役割と、他者の担当を交代できる必要最低限の任務を熟知(じゅくち)させた。

 誰かが戦闘や事故で任務を熟(こな)せない程の重傷を負(お)っても、其(そ)の担当任務を引き継(つ)げて、熟練(じゅくれん)していなくても理解と操作は出来る様にしていて、同様の訓練は梯団全体で行わせていた。

 梯団長車の二人の乗員以外にも外地人はいて、僚車の第一中隊二号車の操縦手の城嶋光弘(じょうじまみつひろ)軍曹と砲手の王徳明(ワンダミン)で、中国人の王徳明は日本名を持っていないのか、名乗っていなかった。

 日本語は南京(ナンキン)で在住していた日本人に月謝(げっしゃ)を支払って妻と共に学んでいたそうだが、まだ発音に難(なん)が残っていたが、会話や読み書きでの意思の疎通(そつう)に問題は無かった。

 以前は中国大陸で敵対している蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府軍の砲兵少尉だったが、昭和12年12月に日本軍が占領した南京市で、昭和15年3月末に共産主義の排除(はいじょ)と孫文(そんぶん)の大アジア主義の継承(けいしょう)、そして、大日本帝国との共存共栄の和平を政策として、植民地主義の欧米と結託(けったく)する蒋介石と決別した国民党指導者の一人(ひとり)だった汪兆銘(ワウテウメイ)が主席となって建国した南京政府に、彼は階級を一つ落とした特務准尉として参加していた。

 彼は、強力な日本軍との長期化する戦いと欧米の白人達の言いなりになる犬のような国民党の捨(す)て駒(ごま)的な扱(あつか)いに嫌気(いやけ)が差して、和平を主張する親日の汪兆銘に賛同(さんどう)したと、胸を張ってが言っていた。

 王徳明准尉は治安部隊に新設される装甲車隊の隊長として、神奈川県座間市相武台(ざましそうぶだい)の士官学校で部隊の指揮・運用を受講していたのを、火砲の扱いに精通しているのを見掛けているのも有って、梯団へ勧誘(かんゆう)した。

 中国山西省(シャンシィシォン)陽曲(ヤンチャウ)市出身の26歳になる王徳明は、妻と三人の子供が江蘇省(ジャンスーシォン)鎮江鎮(ジェンジャンチェン)で妻の両親と一緒(いっしょ)に暮らしていて、早く会いに行きたいと言っていたが、私は彼に『このまま、大日本帝国が連合軍に敗北して降伏すれば、汪兆銘の南京政府も、蒋介石の重慶政府と共産党の八路軍(はちろぐん)に降伏する事になり、南京政府主席の汪兆銘は処刑(しょけい)、元国民党軍将校の君も裏切り者の漢奸(かんかん)・売国奴(ばいこくど)とされて、不用意に戻(もど)れば、家族も君と一緒に処刑になるかも知れない。だけど君は日本軍の士官学校で学んだ技術将校だ。だから、優秀な将校が不足している蒋介石は、君を必要とする望(のぞ)みも有るだろう』と助言していた。

 実際、彼の砲撃と射撃の成績は最優秀で、梯団各車の砲手に射撃要領を指導させている。

 梯団の各車からも、同様の訓練が出来ていると報告されていて、急造的だが戦力として活躍(かつやく)できる力量になったと期待している。


つづく

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