第3話

『大切な存在を


亡くす』ということは


慣れるものではないと。

お仏壇に手をあわせながら

改めて、お母さんは思いました。


苦楽を、半生を共にした両親たちや

深く関わった知人たちを

失ったときの喪失感と比べるものでは

ないかもしれない。

でもあの、無償で自分を慕ってくれた。

他に辛い事があっても

その存在一つで癒してくれた

小さな生き物を失う哀しみはまた。

助けられなかった辛さはまた。

容赦なく心を切り裂いて沈みこませて

しまいます


口には出さないけれど、お父さんだって

一緒でしょう


部屋を見渡すとサトが破った障子の穴。

カーテンの上に登るものだから

歪んでしまったカーテンレール。

あちらこちらにサトの残した跡があります。


いつもいつも振り回されて

たまらなかったけれど

もう振り回される事はありません。


何ともいえない虚無感。


ペットをはじめて亡くしたわけでは

ありません。

浩がまだ本当に幼かったころ、

チーという知り合いの方から

譲ってもらったシャムねこを

飼っていたことがあります。

浩がもう少し大きくなった時には

真っ黒の子猫が捨てられていたのを

拾ってクロと名付けて育てていました。

どちらも本当に可愛くて。

チーもクロも逝ってしまって

いずれもその時随分落ち込んだものです。

幼かった浩がわんわん泣いていたのを

思い出します。

勿論いまサトを失った浩が泣かないのは

泣けないだけだとわかっています。


だからこそ、むしろ沈む浩を

励まさなきゃのつもりでいましたが。


沈むのは自分も同じでした。


ああ。クロやチーや。

(私の)お父さんお母さん。

貴方たちを亡くしたときに。

どうやって立ち直ったんだったかしら

時が癒してくれてたのだったかしら

そもそも

立ち直れていたのかしら


ため息をつく

お母さんのそば。


お母さんには見えていないけれど

サトは目をまんまるにして

壁の角にいる『それ』を見つめていました


ふわふわした白い影の中に煌くお目目


それが猫らしいのは感じるけれど。


サトは焦ってます。

何しろサトは他の猫といえば

産まれたばかりの頃

この家に引き取られる前に過ごした

母さん猫と兄弟以外

この家に来てから外には

出ていなかったのでほぼありません


むかし、

窓ガラス越しに外を見つめていたら

近寄ってきた白い綺麗な猫ちゃんと

仲良くなった事はありますが。

その後もうきうきその娘を待っていたら

次にやってきたのはトラ柄の

柄の悪いドラ猫で。

『あの娘に手を出すな!』という

意味だったかはわかりませんが

初対面のサトを前にいきなり

ガラス越しにパンチしてきました。

あれはもう本当にビックリしました…


それだけです。


つまり他の猫は敵か味方かということです


ただこの白い影の猫は

どうなんでしょう。

…じーっとサトを見つめています。


怖くはありませんでした。


サトもその猫をじーと見つめていました


やがて。

猫は立ち上がって、壁を

…すり抜けました。

「!」サトは一瞬身動ぎしましたが。

猫を追って…自分も壁をすり抜けました。

今までだったら

壁にぶち当たったはず。

その事にサトは気づいたでしょうか。

今までだったら。

外には出れなかったはず。

でもいまサトは、お外にでました。

「………!」

サトがまたまたビックリしていると、

ついてきちゃった…と

呆れた風にさっきの白い影の猫がいました。


いえ、白い影は流れて…

そこにいるのは真っ黒な。

真っ黒で黄色いお目目の猫でした。


サトが惚けていると

その黒猫はてててっ、と駆けて行って

しまいます。


待って!といわんばかりに

サトは追いかけました。


はじめて自分の脚で駆け回るお外。

青い青い空に白い雲が輝いて。

サトが亡くなった時の

あの大雪は随分溶けて。

眩しい太陽が…暖かくて…暖かくて。

爽やかな…風が心地よくて。


やがてサトは黒猫を追うのも忘れて

その光景に見惚れてしまっていました。




《続きます》

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