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──キャンプじゃないんだからさあ
ワープした後、直ぐに飛び込んだものはキャンプ場にほぼ等しい。
多少道は整備されているが、岩がむき出しになった川沿いに、澱みを知らない流水。ツールームテントが一列に並んでいるが、その一つ、屋根に干されていた下着の臀部に、丸い穴が切り抜かれている。尻尾か、何かだろうか。砂利を踏みしめて進むが、そのうち一人は巨体のせいか青灰色の犬型の耳が突き出ている。寝ている……のだろうが、試しに突き出た耳に指を突っ込んだ。温い。義手の指先でも分かるが、これは生きている。ステンレス製のそれに慣れないが、それは寝返りを打った。
再度、周囲を見渡す。川のせせらぎと森のざわめきに負けじと、周囲からいびきが聞こえる。今は、朝なのだがここではまだ起床時間ではないのだろうか。
ただし、衛生管理はそう悪くないらしい。
周囲を見渡しても、全域に異臭や汚物の類は見当たらず。ある程度舗装された通路から、すぐ見える位置に公衆トイレが設置されている。ここから用を足すだろうが、少し近づいても異臭はしないのだから、管理人が放置していることはないらしい。
団塊住宅を選ばなかったのは試験的なものもあるだろうが、人を住まわせる数にも限界があるのだろう。異世界から来た魔物を住まわせる、と言っても、ここに来るのはワイバーンだとかドラゴンだとかに住処を奪われた弱者に過ぎない。異世界の魔物がこの世界に何の意味をもたらすかと言えば、出稼ぎだろう。
運よくここで国籍を得ることが出来れば、家族を連れて衣食住を約束した移住。もしくは、異世界の母国側から就労支援金を受け取ることが出来る。ここにいる限り、収入の大半は管理人に吸収されているだろうが、それでもある程度の保証は出来ているらしい。
どの世界のタコ部屋よりも好条件だろう。むしろ、これはタコ部屋ではない。
「ただのキャンプじゃん」
「スケールの問題もあるからねえ、テントとか野宿にしてるね。結構動物の体をする時は森に住んでる子もいるよ」
「キャンプじゃん」
「皆土木とかライン作業とか頑張るしさ、鶏むね以外がごちそうなんだよね」
自分の後ろから一人、少年が顔を覗かせている。背丈は、やや小さい。蓮と同じくらいかやや小さいが、同年代よりも子供っぽい笑みを浮かべた。少年あるいは青年だろうが、身なりは清潔にされている分話しかけやすい。
「……書院の関係者って君?」
「そーそー僕だよ、名前分かる?」
きょろり、大きくて丸い目を合わせた。赤色。毒々しくはないが、少しだけ野生に還った獣。飼い主の腐肉を食った者のそれが、自分を映している。
同時に、臭気が。乾いた葉物、心身に馴染やすく……ひとたび吸い尽くされかねないそれが、彼の一帯に漂う。オピウム、この時代と国じゃ代替物はあふれかえるほどいるが、その中でも愛用する人物も少なからずいる。
少し、鼻孔に入れるだけでも頭が痛くなる。周囲が寝付いているのも、これが原因だろうか。
思考の鈍化。せめて眠気を紛らわそうと、少年の容姿から名前を巡らす。ボブカットの黒髪に、丸くて赤い瞳。ウサギや犬と例えられそうな、愛嬌のある表情をしている。
「……
「大正解!何で僕の名前知ってるの?」
「変な組織に入ってると変な組織気になっちゃうもんなの」
好奇心か、梧は顔を近付けて問い詰めようとする。これは悪癖、だろうか。常人では分かりやしないそれを纏うが、彼の肌や見せる派にはくすみはなく、むしろ白い。健康的な色白の肌と、物怖じしない態度が彼の立場をよく物語っている。
「……池袋には百零がいるけど、横浜の派閥にここにも同じくらいの勢力がいる。こういう他の人間を育てる、って感じは百零が好きだけど、逆に横浜のは弱き者を救うって感じで、ライバルでしょ。
でもその中間を医療面で取り持っているのが真跡で、君はその協力者」
「社長のこと超褒めてるね」
「なんか馬鹿にしてない?」
だが、大体はそのようないきさつだろう。関東のチャイナタウンには有名なものとして池袋と横浜があるが、一方を百零が拠点としている。
百零。昭和期の政治改革目的から設立されたものだが、その目的は最早ないと言っても等しい。彼らの象徴として、思想統一の証に首領は「百零」の名を冠するというが、その代替わりした本人が初代とかけ離れたと思われる。
機関と同じような実力主義かつ、その商材を人間そのもの。人材派遣会社を装った人身売買組織として、暴力団関係者や慰労施設への斡旋を生業とする。百零から教育を受けた者は礼儀正しいと
同じような国内の組織から──最近多くの海外留学生がコンビニエンスストアのアルバイトを担うように──恨みを買いやすい。海外に関しても、手早く収入減を増やす一つを潰すようなものの中で、百零は活動している。
ここ最近、横浜の派閥とは不仲の情報は聞かない。関係性として険悪だと予想出来るが……梧がここにいるなら、周囲が想定しうるよりも険悪な関係ではないかもしれない。
「でも機関ってなんでも知ってるんだね」
「そうでもないよ、異世界絡みじゃなきゃ横浜のとこはノーマークだし」
「あの子全然人間じゃないけど」
「……僕今聞かなかったことにするから、静かにしよっか」
「別に秘密でも何でもないのに」
……何か、機関も知りえないことを聞いてしまったが、それは今聞かなかったことにしよう。
それは梧初め、真跡の物共ではなかろうかと思うが、閉口した。言ったら最後こう聞いてくるのだろう「真跡の皆知ってるの!?嬉しいな~、いっぱい色んなところにいるけどどんな人か知ってる?あと君どこに住んでるの?もしかしたら近くにいるかもしれないよ!」と。
梧がこんなに壊れた自販機並みにお喋りだったとは見当も付かなかったが、その後何を言うかは分かる。ああ言った性格は、自分が友好的だから分かり合えると思って、その上犬のようにぺろぺろぺろ話したがる。
ふと、瀬谷を思い出し、いや……アレよりは意思疎通の点ではまだマシかもしれない。犬と犬系は、天と地ほどの違いがあるのだ。
とは言え、梧がここにいることで、書院そのものは内密的に創り続けたものと推測出来る。
梧木吾、は、勿論偽名だが、梧家は真跡家の支族にあり、真跡そのものは桜庭のような立ち位置にあると推測されている。つまり、神を異世界からの者として認識しているが、ここの世界の維持を信条とするのだ。
梧家は薬学を中心とした呪術に特化していたが、数十年前に途絶えていた。
が、彼一人が「梧木吾」と自称し、何も変わらない姿で薬物売買人として活動している。詳しい種族は不明であるが、彼が元気よく関東全域に薬を売り続けている。であれば、梧家は実質滅んでも真跡そのものは機能しているだろう。
真跡は魔法を活用して医療面でのアプローチを行う。その他、あらゆる疫病に対応する為、薬剤を世界規模で調達する。
その為国内で真跡を記録する以前から膨大な人脈を持つ。かつ、その中心にいる「神的存在」は身を隠している。
それでもその流れる先が、古くから闇市場から集中治療の麻酔にまで及ぶ。その衰えが見えないのは、内部での結束が異様に固いと言えるだろう。
ともかくその一人の梧がここにいる以上は、思ったよりは内密ににされたものだ。
梧がここにいるということは、町医者のようなものだろうが……本人もその程度にしか思ってなさそうなため、黙ろう。
──なるほどね
一応、どういった状況かは分かった。
まず書院に興味を持つ異世界側として、それなりに巨大であるのは確実だ。加えて、ここの近隣とある程度認知されている状態で施行している。そして、エスと同格のモノ……それなら、確かに頼る先は限られる。
「僕がここに来れる以上、ここの空間が歪んでるみたいだけど、誰かここで歪ませて、次元を変えて引きこもってんのかな」
「すごい、天才なんだね!」
「どうも」
やり辛い。皮肉を誉め言葉で受け取って嬉しがるような人種は、あの娘を思い出してしまうが……大体本題は分かった。
確かに、情報を守りたい側にある書院にとっては、困りどころだろう。
例えるなら、この書院全体は、ハンドバッグでペットボトルを2本しまえる大きさにある。ここで誰かが勝手に内ポケットを作ると、ペットボトル2本が窮屈になるか、あるいはそれすらも入らない。
もしもここで無理して詰め込むか、はたまたやり過ごそうとすると、カバンそのものを損なわせる。むしろ、今自分がここの空間に入れた以上は、ある程度もう穴が開いてしまっているのだろう。
そのほころびを、修繕できるレベルまでに元凶を洗い出してほしい、ということだろう。
とすると、エスの発言も納得する。
確かに公には言えない内容であるだろうし、それが自分と同格であるなら、機関に知られることを極力避けたい。
それについて殺し方を心得ている自分に白羽の矢が立つのも頷ける。殺しはしないが。
「今のところ危害とかないの?」
「そんなにないかな、ただ時空?とかよく分かんないことになってるから、僕以外動かないようにしてる」
「ああ、粒子レベルに操作するから、その分ちょっとしたミスでバラバラになるのか」
今の自分のある情報は『書院の悩みは、時空を歪ませる何かがいる』、『その正体はエスと同格であること』、『そして元凶は、意識的に動いている』ことだ。
元凶のしていることは、確かにハンドバッグを勝手に縫い合わせたのだが、それは縫い方と適切な範囲を知っている作り手が出来るからだ。
子供が作ろうと思えば、バッグを穴だらけにするだろうし、犬がやればバッグは足で潰される。それは、その加減が出来ているかつ、それ以上の行動を起こさない明確な意思がある。
本来、空間を操っているとするなら、ここ一帯を焦土に帰ることは出来るだろうが、それはそうしない。エスが言っていた危害はない、と言った所はこういったところだろうか。珍しく、人格も多少あり、話が通じるかもしれない。
──でもなあ
どんな形であれ、それは引きこもりとしか言いようがないのだ。
目を瞑って、瀬谷を思い浮かべる。瀬谷は三日三晩部屋の中から出ようとしない。そこにノックする、心配そうに話しかける、ドアを蹴破る、下階からドリルで穴を空け……適当な策が思い浮かばない。目を開く。そもそも相手は人ですらないのだから、飢え死ぬ事もないだろう。空間をこじ開けるのも性急な気がする。
一応、れっきとした社会人ではあるのだ。突入するにも、お互い様になるような手法でなければ──
「そういえば、君以外の従業員は?」
「……ああ、銀君ね……なんかねえ、連れ込まれちゃった」
──お互い様の類義語は、手には手を、歯には歯にを、だろう。
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