2

 問題は無い。

 その後に不穏などは無い。剣呑さ。確かにあの時は辺りに鋭すぎたそれが漂っていたが、舞浜は気にしてなかったようだ。武器庫はあるのか、ここは日本ならヌケアナとやらは用意されているのか、と。彼女が食指を動かしたのはその類ばかりで、本人に矢継ぎ早に尋ねていた。前の雇用先で腐るほど見てきた駄々広い洋館だが、それに加えて家主が家主だからだろう。

 ボスにしては、前のボスは、等と口々に言っては、好奇心を剥き出して聞いてくる。移り変わりが早い、というのはエスから再三注意されたことだが、今回は別だろう。知ってか知らないかはさておき、空気をぶち壊す彼女に対して、エスは懇切丁寧に答えた。


「君に行ってもらうのは百零管轄のシューユアンだ」


 珍しく、懇切に、自分への問い掛けには一切答えない代わりに。

 それは舞浜と別れた後でも変わらない。彼女には個別の命令か一旦別れて、しかし他の言葉を言わせない。空は晴れだと言うのに。白く長い、日差しの指す通路にはそぐわない内容とモーニングショットと言うべきか。

 似合わないのは白塗りの廊下もか。何も飾られていない殺風景。美術品のひとつも無いこの空間全てが、エスそのままだと言うなら何も言うことは無いのだが。


「百零、は知ってるけどシューユアン?」

「大罪からの入国者に対する能力査定機関」

「ああ、寺子屋みたいなものか、書院シューユアンね」


 形態としては、今の重要秘匿さはそれではないかと思うが、一先ず黙った。

 百零バイリン。昭和期に組織化されてから、今も政治的理由を背に活動しているとされる中華系犯罪組織。時代の政治改革から、転覆を目的に海外のここで編成された政治結社だが、狙いは最早形骸化されていると言っていい。表向き反社会的組織の一つだが、きな臭い拍車が掛かったのは、資金調達の不透明さ……なのだが、機関の口から出たとするなら「そういうこと」だろう。


 その首領が交代されてから、表での噂も活発になっていた組織。単なるここの世界にのみ活動する一組織、としか見ていなかった、が、どうやら違っていたらしい。例外なく、桜庭が今日まで行動しているような兵力増強……だが、らしくはない。


 ──本当なら


 本当なら……百零の本来の目的がより今も実直であるなら、貯める必要も無いのだが、これも今の首領によるものだろう。保守派、かつて母国から逃れて再起を臨んでいたはずの「急進派」の団塊が、異世界の存在に慎重になるはずがない。法外的な単価の低さでも稼働出来る存在。経済急進を推し進めていた派閥なら、サンプルにも兵強の糧にでも一秒でもしたいはずだ。

 それに認知しても、正確に言えば機関がそれを把握してもなお、暴走せずにある種の思考実験も設けている。


「いや、能力査定?」

「職業訓練と言っても良いだろう、種族の個体差によって仕事を生まれてから割り当てる国はあるが、どうしても『不適格』は出る。その為の、彼らが魔法以外の技能を得るためにあると言ってもいい」

「福祉は?純粋にここの力借りるよりはこっちで温存した方がいいでしょ」

「ある程度の間引きをした方が、あちらにとってもいいだろう」


 それ以外は言わずもがな、だろうか。エスは口を閉じて何も言うことは無かったが、それでも推測には事足りる。

 要は相手は、その国は『人化に対しての心因性互換性』を求めているのだ。どの国でも、どの世界の国でも、自らのものを存続させるには、自国の土台が必要不可欠になる。公的扶助制度を用いるより先に異世界へ奴隷として、でもないだろう。ある程度合理的に機能が備わっていないと、略奪されかねない。

 だからこの場合は、『ある程度の公的扶助制度がありながらも、用いらずに異世界への出稼ぎを公的に許された存在』である。間引き、とは言うが、それ以上の価値をそれらに背負う。自国の維持機能として福祉は利害的にある。だとすると、代わりに彼らが選択した奴隷船紛いのこれは、間引き以上に大きな価値を持っているのだ。


 ──だとしたら


 異世界との交渉に興味がある国。とはいえ、出来損ないのような人間を公に出し、交易よりもその調査を優先する。人化による自由化よりも、前種族の互換性の為に作業を生まれつき割り振り、給付金を一定額にする国……それは一つしかない。


「いつも思うが、その顔は控えてくれ」


 そう、言われ。

 然し、口を抑える腕はなく。いやあるにはあるが、それを動く暇もなく。退屈しない。ただ口角ばかりが上がる様が、頬で分かる。どういう顔をしているか、エスには言うまでもない。聞くにも値しない、分かりきったことだが、口元が下がらなくて仕方ない。


「今の百零はいけ好かない引きこもりだと思ってたけど、顔見たくなっただけ」

「年は君と同じくらいだ。合うかは知らんが」

「まあ顔くらいはさ。僕にしてほしいのはなに?」

「……贈り物を傷一つなく、然るべきところにまとまるまで監視して欲しい」


 贈り物。

 そう一言呟くが、彼はそれ以上言わない。先程の行動の通りか、誰からか、何処からの明言はしない。そういうことなのだろう。エスは、自分との会話は楽だと言う。無駄に勘がいいから、その妄想は適度に真実であり、そして適度に妄想に扱ってくれる。その逆はとんでもなく赤毛の無能だが、兎角言明を避ける界隈では幾許かは楽だろう。

 贈り物。隠語にしては、目立ちすぎやしないかだが、今に限ったわけは無い。


「良いよ、許してやる」

「これでも最善の手は尽くしたが、精神状態が些か摩耗している。煩雑に感じたなら如何なる手も問わない」


 贈り物。

 思考が全て正しければ、その存在は護送されるに「不適格」とされる人物。まるで犯罪者のような物言いにも聞こえるが、多少の暴力を自分に対して容認している。それは目の前の人間の内臓と皮膚をひっくり返しても是非を問わない、そう言っているのだ。


「現場にいる関係者は?」

「まず書院を管理する人物が一人、その次に百零が派遣している従業員で二人」

「もちろん部外者の出入りはなさそうだけど、その従業員は潔白だって裏取れてる?」

「所謂二重請負というものだから気にするな」


 それはモラルとして無いだろうと内心に浮かぶが、何も知らない一般人を寄越しに来ている。そして当該区域の管理人がいると言うなら、万一あっても彼に対しての監視は行う。元より、伊達に犯罪組織をやっていない。人材派遣会社か他者からの送り込みだろうが、百零は外部の人間を徹底的に調べる。彼は、小手先のことをしてボロを見せる人間とは考え難い。


「……百零は後ろ盾があるし、僕じゃなくても好いんじゃない?」

「面倒なことになるかな、ひ弱な見た目で放っておけなくなるだろうから。最悪対象の同化か、収斂、抹消を確認できればそれでいい」


 かなり手荒れた真似をしても問題はないらしい。「死亡」という表現を一切使わない。最悪例の列挙は、相応にそういうことの存在だと思っても問題は無い。


 ──いや


 そこは、疑問だ。そういった、神様地味た概念は庭三のような「神様として立証されてしまった物」が言ってから成立する。

 大罪の時点で、彼らにとっては本来普通であるはずの物に対しても神様と呼ばれる。だがそれよりも例外が護送されるということになるのだろう。


「聞くだけだと、僕のか弱い命が危ぶまれるね」

「だが人を手に掛けることはない。断言しよう」


 明確に、主観的な意見を述べるエスは珍しい。本来は、客観的な話しかしないようだが、それだけはいやに自信を満たしている。


「お前の主観がそう言うのか?」

「望まれて生まれても、越えれない者もいる──か弱い君にも分かるはずだ」


 そう、本調子にエスは言う。見慣れた……腹立たしい声色だが、朝に見えた陰りのせいか曇りはどこかに見えていた。

 朝は、窓から穏やかに日差していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る