第三章【ユーアム・ライアー】

【ワン/VVeeny VValker】1

【前書き】

 小説のモチベが全くと言っていいほど進まないので、暫く二千文字で頑張ろうと思います。ご了承。


 その日は珍しく、舞浜が邸宅の、それも自分が寝泊まりしている作業室に赴いていた。

 エスの交友関係は多岐に渡るが、自宅の中に入れるものは腫瘍か、或いは昔の知り合い等といった面子しか許されていない。腐っても諜報機関と、その名に恥じない乱痴気ぶりを見せる種族だ。御膝下の機関も、情報を聞き出す生殖器付きの生命体も、皆掃いて捨てるほどにいるのだと、その手の輩には門さえ触れさせないのらしい。例外……特に女性についての例外は、前の職場の人間に大方限られている。最も、機関の前の職場に属していながら、わざわざ付いてくるのは彼女くらいだったのだが。

 とはいえ、滞りない。弱者と扱われるのは御免だが、実質ヘルパーではあるから、彼女もこなれて居る。幾度となくやって来た義肢の装着と、生体の恒常性維持に努めたマッサージ。それを念入りに行ってから、朝の微睡んだ眠気を徐々に醒めさせていく。

 醒めながら、関節部から上腕のステンレスのカーブを描く。冷ややかであるが、物ではあるが死ではない。物質として生きんとするそれを所有物に落とし込めば、舞浜から肩甲骨の指圧を行う。

 相変わらず、日本語も手作業も下手な癖に、空気の読み方だけは覚えているらしい。やや豊かな胸を邪魔だと言いながら按摩する不躾な姿も、全く変わっていない。


「流石に慣れてるね」

「毎日付けてくれれば良いんだけれども」


 そういう状況ではなかったなとだけ返した。本来、こんなことをしなくても一日中義肢の装着も、その稼働も可能だ。正味、手足の先が義肢だろうがなんだろうが、何れにせよ自分の物に変わりない。普通にただ生きるだけでカロリーを消費するかの如くの、その程度の疲労に過ぎない。

 が、如何せん、この深窓のラプンツェルよろしくの姿と変態の庇護下の象徴にお似合いに見えるらしい。往々にして、その異常性から憐れみと隙を見せてくれるのだから悪くはない。そんな輩は三流として地の底を這いずり回ってほしいが……何かと、第一印象の警戒対象を解かれるので重宝している。


 適度に会話を交わせながら、ふと思い立って舞浜が車椅子を押して、リビングに向かう。多少、自分用にバリアフリーの類のものはあるが、それがなくても行き来出来るほどにはどの通路も幅が広く取られている。それが彼の詰りの一つとして挙げられる。檻だの鳥籠だのの、変質者の名をほしいままにこの邸宅ごと叩かれているが、内装には嫌みがない。人に見せることがない部分だけが、権威と財を象徴する外観と打って変わって煩くない。それは元来そうだった。


「……なあ、ジェシー以外に誰かいなかった?」

「いや、エスとあたしだけ」


 あの化物は、必要なモノしか家に置かない。自分が美しいと思った物、大切にしたいと思ったもの。廊下には自分の為のスロープだけは取り付ける、そんな奴だったことは変わっていない。


「なら、いいや、別に」


 ふと、蓮の、あの表情が浮かんだが……それは杞憂でしかないと断言できるのだ。もしもここに蓮がいたとしたら、昔のことを話してやりたいくらいに。

 だが蓮の分かりやすい気配はない。特有の、あの男が黒い魔力ごと包んでは守ろうと止まないそれが、綺麗に空気中に抜けている。リビングにあるのは、数人の人間がいるには大きすぎる部屋と、冷たい床だ。駄々広い通路を抜けて、グレート・ホールを模したダイニングに通されれば、その中央にはエスが既に座していた。その端、目前が自分の席らしく、馬鹿に大きいテーブルに合わず、少しばかりのスクランブルエッグと牛乳とサラダだけが用意されていた。少し、ハーブの香りもする。隠し味に入れるのは舞浜くらいだろう。


 ──蓮君は


 案の定だが、見当たらない。あの後、床に就いた途端寝てしまったが、一人分、その意識が確かに途絶えているのだけは分かった。


「蓮はもうここには来ない」


 挨拶もなく、事もなげにエスが告げる。決まって、それを一番に言うかもしれないとは分かっていたのだろう。朝食も取らず、目線を新聞に逸らしたままか。向けたのではなく、逸らしている。朝六時に今更目を通すようなタチではあるまい。相変わらず、嘘が下手な時は露骨な態度を見せてくれる。


「調査員になるから?」


 間隙に、席に着くなり、横から舞浜が自分の口元に寄せる。シーズニングソルト。卵の類でまず自分しか使わない味付けを彼女は覚えていたらしい。色彩が、褪せたバジルの葉緑が半熟に浮ついている。右往左往と、卵液が未だ滴るさまもか。本当は掬いやすい完熟が好きだが、と、横入りに少し文句は言いたかったが、ひとくち、閉口した。やけに、覚えているらしい。すこし、喉を唸らせて頷ければもう一口と差し出される。冷めそうだから食え、そう言わんとする視線がどこからか向けられている。淀みはないが、不躾すぎやしないだろうか。

 舞浜の手を留めて、スプーンを自分で手にとっては一掬いして、嚥下する。悪くはない。過去に口にした、塩気とバジルの芽吹いた香りが伝う。温度も、まだ作り立てから経っていないのか、丁度いい温かさに仕上がっている。気持ちよく喉を越してくれた。


 ──調査員、か


 蓮の精神状態はともかく、一連の流れからしたら、そう看過出来ないだろう。どんな状況であれ、見様見真似によっては、重罪人をおびき寄せた期待の新人として見れなくはない。


 ──どうあれだ


 本当にそれが手順を正当に踏んだ上の評価であれだ。何であれ、蓮は必要とされたから、首都機関が選んだ。その必要は、実務か象徴か、物質かは問われない。


「良かったじゃん、蓮君を踏みにじった甲斐があるだろ」


 不図、目が。

 彼が持つ青い目が、自分をそこで捉えた。青い、いつもながらにどこまでも青いが、海より底がなく空よりも際限のない色素ばかりが虹彩に灯されている。それを嵌めた上での表情は……無か。経験上、その顔は怒りに最も近い。彼が怒りを覚える最初は、虚無だ。自分と同等であろうとする不届き者と、どうしても説得しようのない愚か者に対する目だ。


「何、お前がそうしたくせに」

「……それも優秀な部下のお陰だろう」


 だが、だ。お前よりはマシなのだからその目をされるいわれはない、と言うのが所感だ。そんな目で怯む人間ではない……とは分かっているだろうに、先ほどの話は不本意だっただろう。果てしなく、今の彼は第三者の意見に気を揉んでいる。エス、らしくないといえばそうだろう。


「それに、君には休暇を用意した」


 話題を逸らすにも、目を逸らすにも、その場所には蓮がいることはない。何も休暇を名目にした仕事を口にするために、ここに来た訳では無い。詭弁を、それこそ言うに危うい欺瞞を口にしていたいがためなのだ。


「後悔しないの? 寂しくないの?」

「しないな、喜ばしいと思っている」


 その言葉が、一つ一つ、心からのものと思わせるように。誰一人反ずる者はいないと、一文字一文字を空に散らすように。

 つまらない。そう手持ち無沙汰にグラスに注がれた牛乳を飲む。一つや二つ、いや、十ほど聞いてやりたいことはあるが、折角作ってくれた飯が不味くなるかと、噤んだ。鶏も、こんなどうしようもない男との与太話を聞くために生贄になったわけじゃあるまい。

 表情。見てくれだけは、彼は完璧だ。松山でさえ、心理の機微をそれのみで見ると確実に誤認させられる。虚偽を人にわざわざ教える性でもあるまい。


「……あー、若、パンどうする?」


 その場面に落ち着かないのが舞浜らしい。彼女らしく、無駄に間が空いていると落ち着かず、テーブルに手を着いては視線が定まっていない。お前が落ち着かなくてどうする、と言ってやりたいが、それは昔から変わらない。よく、エスがあの手で分かりにくい表情と、自分が怪訝な表情をすれば無関係の彼女が落ち着いていられないらしい。


「一個欲しいな、バターも」

「分かった……というかボス何も食べないし、部屋無駄に広いから疲れるな」

「その不躾な言い方は直らなかったのか」

「ボスにしては住む家が広いんですよ」


 変わらず、気さくを通り越して無礼なのは変わりはないが、湿った空気を好まない。ウェットさ、陰湿さは生来日の目を浴びた頃から慣れているが、どこか舞浜が突っ込むと空気は変わるらしい。

 空気か。それは定かではないが、今呼吸出来る清々しさが、「朝」というものなのだろう。どうやら、普通に、ただ単に何気ない会話をしていただけなのにだ。いつの間にか、話し相手にとっては、琴線を張り詰めさせたものらしい。月並みに、実に緊張感のある、今後の発言一つで室内の空気をぐらりと変えてしまいそうな。


「ああ、それね」


 言わせていれば──初めから馬鹿馬鹿しい嘘だ。朝食のラジオ代わりにもなりやしない。しかも食えやしないのだから、菜っ葉以下のものでしかない。


「蓮君のお母さんの為に買っちゃったんだよね、これ」


 だから、有り得ないのだ。母子の為に買った家に、その息子も母親もいなくなって喜ばしいなどと。

 初めから嘘なんて付かなければ良かったものを。その時初めて……酷く久しぶりに笑みから他の表情が浮かんだ。浮かんだまま、取り戻せないまま、その気配すら纏う。

 後悔は、しているのだろう。どうしてこうなったのは皆目検討がつかないが……無論、その言い訳を聞くつもりもないが。

 それこそ、詭弁だろう。

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